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2006.11.13

携帯電話を代える

Mobilephone_1


 携帯電話を代えた。

 これまで10年以上、東京デジタルフォンで契約し、Jフォンになり、ボーダフォンに買収され、ソフトバンク携帯へ、と名前と資本が変わってもつきあってきたが、今回ナンバーポータビリティ制度が動き出したので、auに乗り換えた。

 最初の携帯は確か三菱電機製の端末で、厚手の食パン1枚の半分ぐらいの大きさがあった。これはかなり頑丈でバッテリー持ちも良かった。機能は通話オンリー。電話帳は登録できたものの、入力可能な文字はカタカナだけだった。

 携帯メールサービスが始まって、メールサービスを使いたくなって買い換えたのが、パイオニアのDP-212だった。全面ディスプレイでダイヤルボタンもタッチスクリーン表示というユニークな携帯で、とても気に入っていた。もっともこの時期は仮名漢字変換が貧弱で、とてもメールは使えたものではなかったのだけれども。

 Jフォンは嫌いではなかった。NTTドコモがユーザー急増をしのぐためハーフレートを採用し、音質が会話が成立しないほどに劣化した時も、Jフォンはきれいな音で通話できた。電話がつながりにくくなる人混みでも、比較的ユーザー数が少なかったので、きちんとつながった。つらかったのは、種子島と内之浦でのエリアが狭かったことだが、それも時間と共に使用可能区域が広がっていった。

 気に入っていたDP-212だが、3年ほど使った後に、表示が乱れるという故障を起こした。修理するよりも新しいのを、と考えて端末を更新した。軽く小さく、安いものをとだけ考えたので、どの機種かすら覚えていない。メールは初めから使うつもりはなかった。
 この機種をポケットに入れたまま洗濯機で洗ってしまい、あわてて端末を更新したのは、2002年9月のH-IIAロケット3号機打ち上げの直前だった。パナソニックの携帯だが、これまた「通話ができればいい。一番安い奴」で入手したものだった。思い入れがなかったので型式など覚えていない。初めて手ににれたカメラ付き携帯だったが、画質はとても使えたものではなかった。

 #2006,11.14追記:J-P51だった。

 パナソニック君を、またも洗濯機で洗っておしゃかにしたのは、確か2004年の春のこと。次の端末は、Jフォンショップで0円で入手した東芝の「KOTO」だった。これは、手に良くなじむデザインと、使いやすいユーザーインタフェースが秀逸な傑作だった。この携帯から、遅ればせながら私は内蔵電話帳を本格的に使い始めた。それまでは、相手の名前を漢字で入力するのがひどく面倒だったので、電話帳への登録をほとんどしていなかったのだった。

 携帯電話は端末販売にインセンティブが出ており、そのコストを通話料で回収するシステムになっている。これ以降、結果的にではあるが、端末を金を払って買う必要なしというのが私のポリシーとなった。

 2005年7月、M-V6号機打ち上げを見られずに、内之浦から帰還してきた私は、またも携帯を洗濯してしまった。3連続で携帯を水洗いしてしまった私は、端末に金を払う気を完全になくしていた。ボーダフォンショップに出かけていった私は、「0円の端末を」と要求した。
 なじみ深い第2世代携帯、PDC方式の携帯端末は、ただ1機種になっており、しかも有料だった。種子島や内之浦での通話に不安を感じつつ、私は第3世代携帯に乗り換えた。

 ここからが愚痴になる。

 乗り換えた日本電気製の端末802Nは、おそらくは不人気で余っていたからこそ0円だったのだろう。とんでもない駄作だった。必要な機能はメニューの階層深くに隠されており、どうでもいい機能はボタン一つでアクセスできた。しかも、ユーザーインタフェースには、およそ一貫性というものがなく、いらいらさせられた。

 ボーダフォンの第3世代携帯も、使いにくかった。PDCと比べて音が良くなったというわけでもないのに通話は不安定で、よく切れた。通話には微妙な時間遅れがあり、しかも突発的に時間遅れが拡大することもあって、会話をするのにもストレスがあった。もちろん、種子島と内之浦の通話エリアは狭かった。

 ナンバー・ポータビリティ制度がスタートすることは知っていたので、「それまでの辛抱だ」と思い、使い続けた。

 新しい端末はサンヨー製のW42SA。ちょっと使ってみたが、これまで形落ちの0円携帯を遍歴してきた身には、最新携帯の使い心地は天国である。これもまた、ナンバーポータビリティ制度開始のサービス合戦で0円。その代わりあれこれ契約に条件を付けられたが。

 さあ、洗濯機にかけないようにしないといけない。


 写真は、私に忍耐と人生を教えてくれた802N(左)と、新しいW42SA(右)


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Comments

あ、セレーネのストラップだ。(^^)
うちも夫婦で同じストラップですが、セレーネが書いてある四角い金属のプレートをつけたままの相方の端末はキズだらけ、私のはそうなることを見越してUSB-miniSDアダプタ(樹脂製)に変えてあるので、割と綺麗です。
端末本体について、私は三洋とカシオと京セラしか使ったことありませんが、三洋製が一番のソフトの出来が良かったように思います。電話帳に登録された人にかける場合、頭文字を長押しするとそのデータが表示されて結構重宝しておりました。

こんにちは。
いっそのこと、洗濯しても大丈夫な
http://www.nttdocomo.co.jp/product/foma/902i/so902iwp/topics_01.htmlか、
http://www.au.kddi.com/seihin/kinobetsu/seihin/w42ca/index.htmlから選択してはいかがでしょうか。あ、so902iWPもG'zOne W42CAも洗濯は無理かw 失礼しました~

↑すみません。
クリックしてもエラーになっちゃいますね。
(htlmで改行入れるの忘れました)
ご容赦を~

802N...m(_ _)m

長期割<乗り換えに傾いたのですね。
種子島の周りがサトウキビ畑しかないようなところでも
3本立つauにはちょっとビビります。
さすがに他の小さい離島ではNTTの電波が断然強いようですが。

 む、みーや★さんは802Nの関係者でしょうか。だとしたら申し訳ない記事になっているかも知れません。が、802Nにほとほと悩まされたのは事実です。
 なにしろ、電場番号を登録した住所録の一覧を表示するために、複数のボタンを合計3回押さなければならないという設計でした。一番よく使う機能なのに。

 種子島も内之浦もFOMAがやたらとよく入るようになりましたね、アンテナが宇宙センター周辺に立ったらしいです。立川理事長がドコモ出身というのがなにか関係あるのしょうか。

えと、あれは、グローバルスタンダードというvodafoneの世界標準仕様に沿っているので、同時期に発売された端末のインタフェースは軒並み評判悪いのです。
・・・これ以上はすごいことを書いてしまいそうなので控えます。(^^;

802NからW42SAとは石器から鉄器ほどの飛躍をされたわけですね(^^)
以前のサンヨーは少々癖がありましたが、鳥取サンヨーと一本化されたあたりから安心して人にも勧められる端末になったように思います。

しっくりきてるとのことですから、きっとその端末とは長い付き合いができるのではないでしょうか。

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