「はやぶさ2」その5:基礎研究の不足
前回、「真の統合を望むというような精神論だけでは済まない現実」と書いた。その詳細を以下にまとめることにする。
日本の宇宙開発の予算を考えよう。
まず1980年代からえんえんだらだらと予算を食いつぶし、まだ打ち上げに至っていない国際宇宙ステーション日本モジュール「きぼう」がある。1980年代後半から1994年までは、総額2700億円のH-IIロケット開発という巨大プロジェクトが動いていた。その後は、1150億円規模(2003年の事故前の数字だったと思う。今は累積でもっと増えているはず)のH-IIAロケットプロジェクトが引き継いだ。
衛星という面では1980年代後半から、技術試験衛星「きく6号」、地球観測衛星「みどり」、通信試験衛星「かけはし」、さらに「みどり2」、「だいち」など、総額400〜600億円クラスの巨大衛星プロジェクトが、H-IIでの打ち上げを前提に次々に立ち上がった。
1999年以降は、情報収集衛星(IGS)というとんでもない重石が、宇宙開発関連にどかんとのしかかる。内閣府関係者は、宇宙開発委員会を総合科学技術会議などで「IGSは宇宙関連予算に影響を与えないようにする」と発言したが実際はどうだったか。
1)宇宙関連予算を削る。
2)生じた余裕を、IGSの予算とする。
3)IGS予算を、JAXA(旧NASDA)に開発受託費としてくっつける。
「サルに栗を朝三つか四つか」みたいな手管だ。確かに名目上の宇宙関係予算は減っていないが、実際問題として宇宙関係予算にIGSの予算をまるまる押し込んだわけだ。
IGSは年間コンスタントに400億〜550億円程度を消費しており、しかも次々と次世代機を打ち上げるのでいつまでたっても終わることがない。一部では防衛省発足に伴ってIGSを防衛予算でというような期待があるが、もちろん防衛省は徹底的に抵抗するだろうし、内閣府は予算を手放さないだろう。誰だって余計な予算を出したくはない。予算は権限であるので、権限拡大を狙いたい内閣府としては、逆の理由でIGSを手放したくないはずである。
余談だが、国際宇宙ステーション計画も、1985年に計画が動き出した時点で、霞が関はNASDAに「予算は別枠とする」と説明していたのだそうだ。ところが実際に予算が付くと、IGSと全く同じ手段で宇宙予算に食い込ませて予算化されたとのこと。実際、現在のJAXA予算で、国際宇宙ステーション関連は別会計になっている。
つまりは「別会計になっているだけ」なのだが。
さて、いつまでも終わらない国際宇宙ステーションと、正面装備的巨大プロジェクトと、IGSとで、もっとも割を食ったのは何か。
宇宙科学か?いや、違うのだ。
基礎研究が圧迫されたのである。
これまでの経緯を見れば分かるように、1990年代に入ってからは、巨大プロジェクトの狭間で、地味だが重要な技術革新につながる基礎研究が圧迫された。現在に至るまでずっと圧迫されっぱなしで、今やますます圧迫されつつある。
日本の宇宙技術は過去15年以上に渡って、正面装備ばかりを重視して、地味だが重要な基礎研究を圧迫しっぱなし、怠りっぱなしになっているのである。
具体的に書こう。
H-II8号機事故の原因となった、エンジンターボポンプのキャビテーション現象、M-V4号機失敗の原因となったノズル材質の欠陥(これはかなりのところ、不運としかいいようのない部分もあるのだけれど)、H-IIA6号機打ち上げ失敗となったSRB-Aノズルスロートのエロージョン——すべて根本には地味だが重要な基礎研究の不足が横たわっている。
地球観測衛星「みどり」のパドル破断と、「みどり2」の電源ショートは、事前のノウハウ蓄積の不足が背景にある。これはメーカーにきちんと技術開発資金が回るような仕組みを作ってこなかったつけともいえる(ただしより直接的な原因としてはメーカー選定の失敗がある。衛星産業の維持という社会的要請を技術的な要請に優先させた結果、パドルや電源系開発に当たって事故を起こさない、ノウハウを積んだメーカーを選定から外したのだ)。
GXロケットのずるずる延期は、メタンと液体酸素の燃焼がうまくいかないことに原因がある。これも燃焼に関する基礎的な現象の研究不足が背景にある。
「はやぶさ」のトラブルの原因となったリアクションホイールと二液スラスターも、突き詰めていけばこれまでの基礎研究の不足なのである。
日本が1980年代後半から正面装備の充実に走った間、例えばアメリカが何をしていたかといえば、戦略防衛構想(SDI)で基礎研究に膨大な投資をしていた。SDIというと、スターウォーズ構想だとか、ミサイルを撃ち落とすとか派手な面ばかりが報道されていたが、実際にもっとも重要だったのは、SDIを口実に地味な基礎研究に思い切り資金が投入されたということだった。
「はやぶさ」記者会見で、川口PMが「オフザシェルフ・テクノロジー」と言う言葉を使ったのを覚えている人もいるだろう。アメリカの探査機は棚の上の既存技術を組み合わせて作られているという意味だ。
なぜアメリカの棚の上に技術があるのかといえば、それはSDIその他で地道に基礎研究を怠りなく進めてきたからなのだ。
アメリカとの技術格差の一例として、ディープスペースでの通信を挙げておこう。
「はやぶさ」は、直径1.6mのパラボラアンテナで最高4kbpsの通信速度を確保している。一方アメリカの火星探査ローバー「スピリット」「オポチュニティ」は、直径28cmの平面アンテナで火星表面から地球への直接通信で11kbpsの通信速度を出している。
さて、基礎研究に資金をろくに出さずに15年以上を過ごしてしまった現状で、世界一の成果を求めて小惑星探査機「はやぶさ2」を、果たして十分な成功確率を見込んで作れるのか。
強気に「作れる!」と言い切れるかどうか。
この部分でも、私の見るところ、旧NASDA系とISAS系の認識は乖離しているように思える。そして基礎研究の不足は精神論ではいかんともし難い問題だ。
これまで18年以上(もうそんなに経ったか…)日本の宇宙開発を見てきた身として、だいたいの相場観を書くならば、5年以上十分な資金を投じて基礎研究を行えば、その技術は次のステップである研究開発に入っても大丈夫である。
ただし基礎研究に十分な時間をかけても、実際に宇宙に持っていった場合、ノウハウで足をすくわれることはあり得る。1994年に打ち上げられた技術試験衛星「きく6号」の液体アポジエンジンは、日本初の液体アポジエンジンとして十分な時間をかけて開発された。ところが、推進剤バルブを押すバネの端部を固定するというたった一つのノウハウを押さえていなかったために、バネがバルブに噛み込んで動かなくなり、静止軌道到達に失敗した。
宇宙はそう甘い場所ではない。
まだ「はやぶさ2」関連の記事は続く。次は、なぜISAS衛星が「安い」ことが問題になるかについて。
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松浦さん
いつも興味深く拝見させていただいております。
特に国の予算と過去事例についての解説の広さにはただただ頭が下がります。
しかし、はやぶさのリアクションホイールのトラブルについては、M-Vロケットでの打ち上げを強いられたことが直接の原因ではないでしょうか。M-Vにこだわったことが過酷な打ち上げ環境を強いたと。
既発表のJAXAの発表文を見るに、M-Vの振動要件に対応するため一般品に改造を加える必要があり、それがトラブルの原因になったと私は読み取っています。
とはいえ、私も日本には基本技術ノウハウの不足という致命的な問題があると考えています。しかしこれには国の基礎研究予算の不足だけでなく、航空宇宙関連産業の裾野の狭さも大きな割合を占めているのではないでしょうか。
これを解決するためには、国の予算がどうこうということだけでなく、自分たちで必要な産業を興す気概が必要だと私は思っています。
もう一度日本に真の航空宇宙産業を興そうではないでしょうか!
Posted by: 牧野一憲 | 2007.01.12 08:48 PM
拝啓、牧野様。
ハンドル名「DVDを見せたがる男」と申します。
桃栗3年柿8年と申しますが、技術開発は基礎から初めてそれなりの形となるには時間がかかります。それだけの期間トライアンドエラー容認できるかが、資金提供者or団体の胆力の差として現れると思います。
先日、新聞に宇宙基本法に関連した宇宙機関の再々統合の可能について記事がありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070107-00000025-mai-pol
(↑はその記事ではありませんが)
良く言えば一本化される中で基礎研究を行う余裕を次期JAXAにあるのでしょうか?
本来、情報収集衛星(IGS)は機密保持の関係を考えれば、米国の様に独立した軍、情報機関が管轄すべき案件です。
棲み分けすべきものが宇宙関連予算という同じ檻に入れられているのが現在の問題を引き起こしていると考えます。
Posted by: DVDを見せたがる男 | 2007.01.12 10:47 PM