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2007.01.27

よびかけ:自転車を歩道に閉じこめる道路交通法改正に反対のパブリックコメントを

 「はやぶさ2」関連で記事を書いていた間に、色々と用意していたネタが時期はずれになってしまった。ひとつ期限切れになりかけそうな話題を大急ぎで書く。

 大変申し訳ないのだけれども、また呼びかけだ。

 警察庁が、次期国会の道路交通法改正で、自転車を原則車道通行から、原則歩道通行へと変更しようとしている。

 これはとんでもない暴挙だ。こんな無理筋の法改正を許してはならない。

 この問題については、“自転車ツーキニスト”で有名な疋田智氏が精力的に反対運動を組織している。

 疋田メルマガから、現状を簡単に簡単にまとめると、警察庁は、自動車の車道における制限速度を引き上げようとしている。そこで邪魔になる自転車を歩道に上げようとしているのだ。
 ところが現在の統計では自転車の事故は出会い頭の衝突が多い。つまり歩道を走行していた自転車が車道を横断する時に自動車と衝突するのだ。もちろん歩道の歩行者は自転車に脅かされている。

 普通に考えるならば、自転車を車道オンリーにしてもおかしくはない状況なのに、逆をやろうとしているのである。

 どうやって逆の話を通すか。

 警察庁はその部分を隠蔽して隠蔽して、いかにも官僚的な言葉遣いで、一見強制ではないように読めるが、実は警察が自由に自転車の車道走行を禁止できる条文を作ろうとしている。

 交通安全を目指すべき交通警察の自己否定のような行動だ。

 本来なら警察庁が行うべきは、自転車をきちんと交通体系の中に位置付け、そのメリットを他の交通機関との折り合いをつけつつ最大限に引き出せる制度を作ることだろう。それが、一体どうしたことだろうか。

 ただでさえ、自転車は1978年の道路交通法改正で、「暫定的に歩道通行可」となり、それから30年近く放置されてきている。警察庁は自らの怠慢を棚上げにしたまま、さらに自転車を圧迫するというのはどういうことなのだろう。

 なぜ、警察庁がこのようなことをしようとするかは分からない。自動車の制限速度引き上げは、自動車業界が長年動いているところなので、「自動車業界に天下りの席でも提供されたか」と勘ぐるぐらいである。警察庁にはパチンコプリペイドカードという強引な利権漁りの前科があるので、なにかあっても不思議ではない。

 この件について、警察庁は1月28日日曜日の締め切りで、パブリックコメントを募集している。

 「はやぶさ」に引き続きで、まったく私らしくもないのだけれども、そして締め切りぎりぎりではあるのだが、もしもこの件に賛同してもらえるなら、警察庁に反対のパブリックコメントを送付して頂ければと願う。

 送り先は次の通りだ。

koutsukyoku@npa.go.jp
※件名にパブリックコメントと必ず記入すること。

または
〒100−8974
郵送東京都千代田区霞が関2−1−2 意見提出先 警察庁交通局交通企画課法令係 パブリックコメント担当
FAX 03−3593−2375
※1枚目にパブリックコメントと必ず記入すること。

 1978年の暫定的道路交通法改正によって、おおくの人は自転車がゆっくりと歩道を走るものと思いこんでしまった。中国製の安価低品質の自転車が氾濫したこともあり、「自転車ってその程度の道具」という認識が一般化してしまった。

 しかし、実際には自転車はすこし鍛えれば誰だって1日100km以上を走れる、極めて優れた省エネ交通機関なのだ。大気汚染、地球温暖化といった今後のことを考えると、自動車のために道をゆずるどころか、逆に自動車をどけて自転車専用道を整備してもいいはずであり、実際欧米ではその方向に進んでいる。

 私は、最新の材料科学と加工手法とが合体すれば、雨風関係なく誰でも時速30kmで走れる自転車の時代が来るだろうと予測している。

 そこまで行かなくとも、ロードサイクルで車道を走る爽快さを自動車産業のために奪われるのはたまったものではない。自転車で安全に颯爽と走れる社会を維持発展させるべきだ、と考えるものである。


 以下、疋田氏のメルマガから、関連部分へのリンクを張る。参考にして欲しい。

  • この問題を最初に取り上げた「週刊 自転車ツーキニスト」270号
      「航空自衛官が、深夜の合同演習!」なんて、おバカなことを書いているうちに、ホントにヤバいことが、着々と進行していた。  例の警察庁「自転車対策検討懇談会」の話だ。  彼らは、昨日(30日)、

      1. 子どもや高齢者、買い物目的などでの利用の場合
      2. 交通量が多く車道が著しく危険な場合

       の二つの場合に限り、歩道での自転車通行を認める、という提言をまとめたのだという。

      (中略)

       いや、笑いごっちゃない。
       これはいったいなんだ? 一見、口当たりがいい提言だけに、これは真面目に危機だぞ。

      ■「車道締めだし」の亡霊再び

        文言を何気なく解釈するなら「あ、そ。車道は危険だからね。老人子供は歩道でいいんじゃない? よっぽど危険な車道も、歩道でいいよね」と、通り過ぎてしまいがちなんだが、私の率直な感想を言うと「出たな妖怪、またまた出たな、警察庁&交通安全協会」というところだ。
       この「提言」とやらは、まさしく「蟻の一穴」というヤツで、容易に次のステップを踏める可能性をたたえている。また現実として「歩道通行は当たり前」という誤った常識があるだけに、私はかなり危機感を持っているのだ。
       いや、「提言」というより、これはこのまま「法律改正案」となり、来年の通常国会に提出されるのだ。法案の卵と言いきってしまった方がよろしい。
       そして、その「法案の卵」が向いている方向性は、ただ一つ。

      「自転車の車道締め出し」にある。


  • 同271号


       件の警察庁「自転車対策検討懇談会」の話だ。11月30日発表で、懇談会は次のような提言を行った。警察庁はこの提言をベースに、来年早々の通常国会に「道路交通法改正案」を、提出するのだという。
       我々に関係ある部分を要約すると、次の通り。

       自転車は、
      1. 子どもや高齢者、買い物目的などでの利用の場合
      2. 交通量が多く、車道が特に危険な場合
       の二つの場合に限り、歩道での通行を認める。

       詳しくは警察庁のサイトを見ていただきたいが(「自転車の安全利用の促進に関する提言」について)、一見すると「あれ? 前からそうではなかったの? これって当たり前のことじゃない。老人子どもは危険だし、歩道でもいいよね」などと思われがちなところが、危ない。
      「提言」の中身をつぶさに見ていただければ分かるが、この提言は「自転車は世界各国を見ても車道通行が通常である」というようなことにきちんと言及しているようなフリを見せながら、そこに「日本独特の自転車利用のあり方」などを論い、その上で、危険な条項がチラチラと「衣の下の鎧」として散見できるのである。
       いいですか、たとえば、一番の例をあげるならば、次の部分だ。

      第4、2(4)「自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止することなどの措置を講ずること」

       お分かりだろうか。
      「特に危険」と判断されるならば、自転車は、車道通行を禁止されてしまうのである。
       一見、自転車のために必要な措置だから、と、勘違いされがちな本条項だが、その「特に危険」という判断は、誰が行うのか、そして、その「特に危険」は、どこまで解釈が可能なのか。そこの部分があえて無視されている。だが、その判断の主体が警察当局になるであろうことは、火を見るより明らかだ。
       また、その書き方において、「特に危険な場合の措置」は、あくまで「例外的措置」のように見えるのだが、それが「例外」である保証はまったくない。
       いや、この「例外」は、必ず「将来の標準」になるために用意されていると見た方が妥当だ。
       何しろ、警察は、こと自転車に関しては、「例外」を、実質的な「標準」に、「標準」を実質的な「禁止条項」にしてきた、大きな実績があるのだ。
       1978年の悪夢を思い出してみれば分かるだろう
       悪名高い道路交通法第63条は「自転車は原則的には、車道の左側を通行するべきもの、しかし、指定された『自歩道』だけは歩道通行可」と定めている。
       つまり、自転車の歩道通行はあくまで「指定された歩道だけの例外的措置」だったのだ。ところが、その結果、78年以降、この国において実際には何が起きただろうか。
       日本のあらゆる歩道が、自転車で溢れ、歩道の状況は絶望的な混沌状況に陥ってしまったのは、誰が見ても明らかなとおりだ。自転車は実質的に「歩道を走るべきモノ」となり、ママチャリという奇妙な歩道専用車が生まれ、本来走るべき車道からは、実質的に排除されてしまうことになった。警察官が「キミキミ、危険だから、歩道に上がりたまえ」というのは、自転車乗りならば誰もが一度は経験したことがあるはずだ。
       また周囲の一般的な人々に聞いてみるがいい。
      「自転車はどこを走るべきものですか?」もしくは「自転車でどこを走っていますか?」と。
       100人が100人「歩道です」と答えるはずだ。なぜなら「車道は危険だから」。
       おかしいじゃないか。
       あれから30年も経ったはずなのに「車道は危険」のままなのである。そもそも78年の改正法は、いつかは自転車は世界標準の如く車道に戻すはずの緊急避難的な暫定措置だった。道路インフラが整い、自転車の走行空間が確保され次第、自転車は車道に戻るはずだったのだ。ところが、それが30年放置され、あろうことか、その30年後の今「自転車は歩道」が保証されるかの法案が提出されようとしている。
       本末転倒なのである。だが、例外を標準に、標準を実質禁止に。これが日本の警察の自転車に対する態度なのだ。


     これだけではなく、疋田氏のメルマガにはこの法案改正に対する、様々な裏事情が解説されている。ぜひとも読んで頂きたい。


     疋田氏による自転車入門書。同時に欧米の状況をも解説している。基本的に合理的に自転車を交通の中に位置付けるという交通行政が主流になっていることを現地取材を行い、レポートしている。

2007.01.25

「はやぶさ2」その7:意志決定の中にある「常識」の断裂

 約束通り、「はやぶさ2」を巡る問題。最終回はJAXAの経営について。

 と、いうよりも宇宙機関の意志を決定するトップや文部科学省や内閣府、さらには政治家、すべてに関係する問題かも知れない。

 昨年の後半から、ある組織の悪口を頻繁と聞くようになった。

 JAXAの経営企画部だ。

 まず、最初に書いておくが悪口が出るということは、本当に悪いことをしていることを意味しない。そこが、なんらかの形で精力的に動いていること、そして動いていることがあちこちで軋轢を生んでいることを意味する。

 JAXAの経営企画が動く理由は一つ。JAXAのような独立行政法人は、5年の中期計画を立案し、それに従って予算要求を行う。2003年設立のJAXAは、2008年度から次の中期計画に入る。
 中期計画の策定が本格化し、経営企画部がその中核となって動いているということなのだ。

 ここで問題になるのは、「中期計画策定は経営企画の仕事か」ということだ。経営企画部の仕事は経営の補佐であり、経営の主体はJAXAの場合、理事長から理事までで構成される理事会にある。
 理事の悪口が出てくるなら分かるが、経営企画部の悪口が出てくるのはなぜなのか。

 昨年、私は「エルピーダは蘇った」(日経BP社)という本を上梓した。赤字垂れ流し状態だったエルピーダ・メモリーという会社の社長に就任し、わずか1年で黒字転換した坂本幸雄社長に長時間インタビューを行って、その言葉をまとめた本だ。
 坂本社長は、実にはっきりと物事を語る人だった。中でも、私の印象に強く残ったのは、日本企業において経営企画部がどのようにして問題を起こしているかということだった。この問題を、坂本社長は繰り返し語った。

――経営判断の速度が市場に追いついていなかったということですが、その理由はどこにあったんでしょう。
「日本のメーカーでは経営企画部、つまり技術者じゃない人達がひっかきまわしたのが大きいでしょう」
 坂本は、少なくとも速度を生かした経営をするためには、社長自らが勉強し、考え、決断する必要があるとする。経営企画部が資料をまとめて、それをを見て判断するというのでは遅すぎるのだ。短時間で大きく変動する市場に対応するためには、「どうしようか」と顔を見合わせ、合議をしてコンセンサスを得てから動き出すという日本的なやり方ではダメだ。
「何しろ日本メーカーには、半導体が分かる社長なんてほとんどいないんだから。それは企画部の人が悪いということじゃないですよ。社長が悪い。だって自分がなにも知らないのに1000億円の投資を決断できるのはどうかしているよね。社長がものを知らなければ、経営企画部の人がなんとかするしかないわけでしょう」
:同書p.18
 ――社長就任時に、社内の事情を知らなかったということですが、事前に調べなかったのですか。
「財務関係の書類は見ていたけれども、残りは社長になってからです」
――おそらくレクチャーがあったと思うのですが。
「確かに経営企画から、色々と分析の書類は来ましたが、あまり見ませんでした。だって当時のエルピーダは市場シェアは2%を割り込んでいたんです。当時の経営企画が提出した分析や見通しというのは、それほどまでに失敗したやり方だったわけで、そんなものを見ても仕方がないです。信用できないですよ。むしろ自分がどうしたいかのほうが重要だと考えました」
同書p.30
 坂本は「経営企画部には不信感を持っている」とはっきり言う。「悪気はないかもしれないけれども、日本の企業で悪さをしているセクションだね」とまで主張する。

(中略)

――しかし、経営企画部のような情報整理のセクションは必要だと思うのですけれども。
「それは本来、事業部長の仕事でしょう。事業部長が、自分の管轄である事業を把握せずしてどうするんですか。でも、多くの日本企業では、経営企画部がしゃしゃり出て事業部長の仕事を奪ってしまう」
(中略)

「中には、企業に経営企画部は必須だという経営者もいますけれどもね。百歩譲ったとしても、必要になるのは技術系の社員を集めた場合だと思います。大体、私が在籍したTIにもUMCにも経営企画部なんてなかったんだから」

(中略)

「社長というと、経済雑誌でゴルフの話をしてみたり、経済状況全般の話をしてみたり――社内では経営企画部が作った文章を読み上げるだけ…それが社長の仕事だと思ったらいけないんです。」
――坂本さんはどうしておられるのですか。
「僕は、プレゼンテーションの資料は全部自分で作ります。自分でやれば訴えかける言葉の強さが違うよね」
――自分の言葉で語る、と。
「うん、そうです」
同書p.124〜126

 経営企画部の仕事は数字や資料をまとめ、取締役の判断材料を提供することだ。しかし坂本社長によると、日本企業では、経営企画部は経営陣がさぼるための組織となっていることが多々あるという。

 JAXAにおいて中期計画策定の責を担うのは理事会だろう。しかし理事会や、理事長、個々の理事ではなく、なぜ経営企画部の悪口が聞こえてくるのか。

 その原因は、私思うに縦割り組織による知識の断絶だ。

 宇宙は地上とは異なる世界だ。地上の常識が当てはまらないことが多々ある。将来計画決定には、宇宙という場所の特殊性を、幅広く自らの血肉としておく必要がある。宇宙には宇宙の常識がある、といえばいいか。

 が、それら「宇宙の常識」が細分化されてしまっているのではないだろうか。その結果、「全部を知っていなければならない部署」の経営企画部が中期計画を作らねばならなくなり、結果として表に出てきているのではないだろうか。

 例えば——

 金星探査機PLANET-Cは、M-Vロケットで打ち上げる予定で開発が始まったが、M-V運用終了に伴ってH-IIAに打ち上げ機が変更となった。
 ところが、静止軌道用に設計されたH-IIAは惑星間軌道打ち上げでは非常に効率が悪くなる。140t、全段固体のM-Vが500kg強を惑星間軌道に投入できたが、280tで高比推力の水素燃料を使ったH-IIAは1tしか投入できない。
 PLANET-Cは、500kgしかないので能力としては十分ではある。ところが、H-IIAの第2段の自重は約3tある(注:ロケットまつりで、私は2.3tと話しましたが記憶違いでした。お詫びして訂正します)。

 そしてロケット打ち上げでは最終段はペイロードと同じ軌道に入る。

 つまりPLANET-C打ち上げでは、500kgの探査機を打ち上げるために3tの第2段も金星に向かう軌道にはいるという、思い切り効率の悪いことになってしまうわけだ。いくらM-Vが高いから止めたといっても、これはあまりにひどい。

 これを避けるにはH-IIA用のキックモーターを開発する必要がある。しかしキックモーターはスピン安定をかけて使用するので分離の前に回転を与える必要がある。H-IIA第2段はスピンができる設計になっていない。

     1/26追記:H-IIA第2段は5rpmまでのスピンが可能という指摘を受けました。手元のシステム解説書によると「スピン分離衛星(5rpm以下)」(同書p.21)という記述があります。M-Vは第4段キックモーターの点火時に約60rpmまでスピンアップしますので、スピンテーブルが必要なのは、固体のキックモーターを使用した場合のようです。静止衛星用アポジエンジン(例えば「きく6号」で使用した2000Nエンジン)を流用して液体キックモーターを開発した場合は、あるいはスピンテーブルが不要になるのかも知れません。その利害得失はきちんと検討すべきことでしょう。

 従ってキックモーターだけではなく、第2段と独立してキックモーター+探査機に回転を与えるためのスピンテーブルも開発しなくてはならない。

 その開発コストはいくらぐらいかかるのか。それはM-Vを延命するのに必要とされた70億円とどの程度差があるのか?スピンテーブル+キックモーターで、H-IIAのコストはいかほど上昇するのか。

 ところで、最終段がペイロードと同じ軌道に入るというのは、ロケットの常識だ。

 さて、この常識は、M-Vを運用終了するという意志決定の過程で、いったいどこまで関係者の間で共有されていたのだろうか。
 当然ロケット担当理事は知っていたろう。衛星担当理事も知っていたはずだ。
 では、通信会社出身の立川現理事長は?文部科学省からの天下りである間宮現副理事長は?その他の理事は?
 2002年にM-Vが完成したことにして開発を終了すると、文書に記載した総合科学技術会議、その文章を起草した内閣府の職員は知っていたのか?

 あるいはこんな話もある。

 M-Vロケット中止の一因は、あまりに厳しい打ち上げ時の振動が、衛星開発につらかったからだという話がある。PLANET-Cは、M-V打ち上げを前提として設計されている。普通に考えれば、より振動条件が緩いH-IIAなら無試験で打ち上げられるはずだ。
 ところが、振動試験の条件が異なるために、実際には振動試験のやり直しとなってしまっている(M-Vはランダム加振、H-IIAは振動の周波数成分を与えての加振)。二度手間になったわけだが、それをPLANET-C開発側は事前に知っていたのだろうか。知っていたら、打ち上げ機のH-IIAへの変更を受け入れただろうか。

 実のところ、話を聞いていくとこんな話があちこちに転がっている。単にJAXA上層部や文部科学省が、あるいは政治家がというだけでなく、例えばISAS内部ですら、理学系研究者は工学の基本を知らないことがあるし、逆も当たり前のようにある。工学の間でも電子工学者が軌道工学の基本を知らなかったり、その逆だったりというようなことがある。

 アメリカ中心で有人月・火星探査という話が進んでいるが、ではそれを議論しているJAXA理事会メンバーは月や火星がどんなところか、最新の知見を押さえているのか。
 なぜ月の極に水があると言われているのか、その根拠を知っているのか。どんなセンサーで何を観測して水があると言っているのか。それは研究者の間でどう評価されているか押さえた上で、月探査への参加を検討しているのか。
 月の極に降りる軌道と赤道に降りる軌道との違いを分かった上で議論しているのか。そこまで行かなくとも、例えば月の軌道面が地球の公転面に対して約5度傾いているということを、それが月への打ち上げウインドウに与える影響について知っているのか——「細かい事はプロに任せる」といっても、そのプロが隣接分野について素人では、狭間でこぼれ落ちるものが多々出てくるはずである。

 例えば内閣府の総合科学技術会議や、文科省・宇宙開発委員会の事務方が、こういうことを知らずに文章を起草しているとしたら、これはかなり怖い事態だ。

 お互いにお互いの「常識」を知らずに、中期計画に盛り込む内容についてああだこうだ言い合っている可能性はないだろうか。それをまとめるとなると、経営企画部が出てくることになり、その経営企画部もまた「常識」を押さえていないとしたら——宇宙は、沢山の「宇宙の常識」を一般教養として身につけておかないと判断を誤る場所だ。そして、「宇宙の教養」の欠如で、戦略的な判断を誤ると、取り返しのつかない損失を被る可能性がある。

 これで、「はやぶさ2」に関係する、記事は一応終わることにする。色々気が付いてはいるものの、nikkeibp.netなどで記事にできるほどにはまとまっていないものをまとめて書いてみた。


 拙著の宣伝になってしまうが、実際坂本社長は、ユニークな方だった。これまでの取材で、これだけストレートかつ率直に語る経営者に会ったのは初めてだった。


 ひどい官僚的な硬直に陥っていたIBMを立て直した経営者ガースナーによる、IBM改革の記録。IBMにおいて経営企画セクションが肥大化して取締役会すら支配していた様子が出てくる。経営企画部を使いこなすというのは、あるいはNTT出身の立川理事長の手法なのかな、という気もするのだが、それでも坂本社長の話を長時間聞いた身としては、経営企画部以前にもっと理事が頑張るべきと思える。


2007.01.18

「はやぶさ2」その6:安いことは悪いこと??

 「はやぶさ2」は、「はやぶさ」のリメイクで、安く早く作れることを特徴としている。安い計画なら、予算を取りやすい、と普通の感性なら思うだろう。

 ところが宇宙関係はそうではない。

 なぜかといえば、JAXAの内外で「日本の宇宙産業を食わせる」という意識が肥大化しているからだ。

 日本の宇宙産業は、衛星通信や放送など宇宙利用を除けば、その規模は国家予算とほぼ等しい。国しか顧客がいないわけだ。産業のいうものはすべからく維持していくには一定以上の規模が必要だ。つまり、日本で宇宙産業を維持したいならば、国家がなるべく沢山のお金を出し続けなくてはいけない。

 国がお金を出すには名目がいる。「通信実験衛星を作ります」とか「地球観測技術衛星を作ります」とか「国際宇宙ステーション計画に参加します」とか。
 そして、産業維持のためにお金を沢山出すための、もっとも簡単な手段は、個々の計画を大きくすることだ。沢山の計画を立てるという方法も考えられるが、そのためには文部科学省や財務省や、あるいは政治家やらを説得してその計画が必要であることを認めて貰わなくてはならない。現行の制度では、それはとても大変な労力を必要とする。それよりも、大きな計画をどんと認めさせたほうが大きな金額を簡単に宇宙産業に流すことができる。

 税金を払っている国民の側からすると、真に必要な計画を最適コストで行って、もしも余剰が出たら新規計画に使って貰いたいところだ。
 しかし、実際にはそうはなっていない。

 関係者がどんな意識でいるか。昨年、私がもっともがっくり来た事例を書こう。以下「某」が増えるが我慢してほしい。

 昨年、私が某会合に呼ばれた時のことだ。会合前の雑談で、ふと後ろでひどく怒った声が聞こえた。思わず聞き耳を立ててしまったのは、怒りのトーンが非常に強かったからである。
 声の主は某宇宙機関でかつて枢要な地位を占め、その後某宇宙メーカーに天下った人だった。彼は「小型衛星?とんでもない」と繰り返していた。
 話題は、JAXAが検討中の「防災衛星」についてだった。2004年の新潟県中越地震のような大規模災害が起きた時に、宇宙からいち早く現状を調べる衛星システムである。現在JAXAがどのような衛星コンフィギュレーションが良いかを検討している。

 当時、防災衛星には基本的に2つの方向性が提出されていた。一つは、従来の地球観測衛星をより高精度化したもの。もう一つは、安価小型の災害地観測に特化した衛星を多数打ち上げて監視頻度を上げるというものだった。

 話の主はそのうちの小型衛星について怒っていたのだった。「それでは、規模が1000億円に満たない。そんな計画では産業が保たない」と彼は怒っていた。

 彼には大変申し訳ない、盗み聞きと言われるかも知れないことだったが、本来これはあんな会合の前に大声で話すべきことでもないので、おあいこというところだろう。

 かつて宇宙機関の経営にタッチしていた彼が、小型衛星群という案を断罪した理由が、「計画規模が1000億円に満たない」というものだったところに注目して欲しい。「小型衛星よりも大型衛星のほうが役に立つから」ではないのだ。「大型のほうが予算規模が大きくなって、産業にお金が回るから正義」なのである。


 私は彼が有能な人だと思っていただけに、この話を聞いてしまったショックは大きかった。「あなたですら、そんな発想でいるのですか」と。


 その後、昨年末になって、防災衛星は光学とレーダー各2機の4機の衛星で構成されるという報道があった。IGSと同じコンフィギュレーションだから、1機250億を下るとは思えない。「小型衛星なんて」と怒っていた彼の思惑通りになったわけである。

 これは典型例であって、現在のJAXAは、「産業を食わすために大きな計画を回す」という態度が身に染みついてしまっている。大きな計画が役立つかどうかよりも、大きいということが優先されてしまっているのだ。そして産業側の一部も、「大きな計画が欲しい」といって色々運動していたりする。

 こんな状況では、「はやぶさ2」は安い、というのはむしろ計画を通すのにはデメリットとなる。必要なのは大きくて重くて開発に長期間がかかって、宇宙産業に長期間に渡って大きな金額を落とすことが出来る計画だということになってしまうからだ。

 国民からすればとんでもないふざけた税金の浪費だ。ところが、関係者は大まじめに、それは浪費ではなく日本にとって必要な産業の維持であり、正義であると信じている。
 本当に行うべきは「産業の育成」であり、「未来への成果を積み上げること」なのだが、実際には公共事業的に「産業を食わす」という発想が優先してしまっているというわけだ。

 いつまでもそんな意識でいると、それこそ日本の宇宙開発全体が国民にそっぽを向かれる可能性が高い(一部ではもうそっぽを向かれている?)が、なかなかこの辺り病根は深い。

 JAXAで、「日本の宇宙産業を食わす」という意識が肥大してしまった理由は、1989年の対米通商交渉「スーパー301」に負けて衛星市場を開放してしまったからだ。それまでNASDAは「産業を食わす」ではなく「産業を育てる」というごく当たり前の健全な発想を持っていた。
 この問題は長くなるので、別に機会を作って書くことにする。

 「はやぶさ2」に関しては、あと1回書くことにする。最終回は、JAXAの経営について。

2007.01.12

「はやぶさ2」その5:基礎研究の不足

 前回、「真の統合を望むというような精神論だけでは済まない現実」と書いた。その詳細を以下にまとめることにする。

 日本の宇宙開発の予算を考えよう。
 まず1980年代からえんえんだらだらと予算を食いつぶし、まだ打ち上げに至っていない国際宇宙ステーション日本モジュール「きぼう」がある。1980年代後半から1994年までは、総額2700億円のH-IIロケット開発という巨大プロジェクトが動いていた。その後は、1150億円規模(2003年の事故前の数字だったと思う。今は累積でもっと増えているはず)のH-IIAロケットプロジェクトが引き継いだ。

 衛星という面では1980年代後半から、技術試験衛星「きく6号」、地球観測衛星「みどり」、通信試験衛星「かけはし」、さらに「みどり2」、「だいち」など、総額400〜600億円クラスの巨大衛星プロジェクトが、H-IIでの打ち上げを前提に次々に立ち上がった。

 1999年以降は、情報収集衛星(IGS)というとんでもない重石が、宇宙開発関連にどかんとのしかかる。内閣府関係者は、宇宙開発委員会を総合科学技術会議などで「IGSは宇宙関連予算に影響を与えないようにする」と発言したが実際はどうだったか。

1)宇宙関連予算を削る。
2)生じた余裕を、IGSの予算とする。
3)IGS予算を、JAXA(旧NASDA)に開発受託費としてくっつける。

 「サルに栗を朝三つか四つか」みたいな手管だ。確かに名目上の宇宙関係予算は減っていないが、実際問題として宇宙関係予算にIGSの予算をまるまる押し込んだわけだ。

 IGSは年間コンスタントに400億〜550億円程度を消費しており、しかも次々と次世代機を打ち上げるのでいつまでたっても終わることがない。一部では防衛省発足に伴ってIGSを防衛予算でというような期待があるが、もちろん防衛省は徹底的に抵抗するだろうし、内閣府は予算を手放さないだろう。誰だって余計な予算を出したくはない。予算は権限であるので、権限拡大を狙いたい内閣府としては、逆の理由でIGSを手放したくないはずである。

 余談だが、国際宇宙ステーション計画も、1985年に計画が動き出した時点で、霞が関はNASDAに「予算は別枠とする」と説明していたのだそうだ。ところが実際に予算が付くと、IGSと全く同じ手段で宇宙予算に食い込ませて予算化されたとのこと。実際、現在のJAXA予算で、国際宇宙ステーション関連は別会計になっている。
 つまりは「別会計になっているだけ」なのだが。

 さて、いつまでも終わらない国際宇宙ステーションと、正面装備的巨大プロジェクトと、IGSとで、もっとも割を食ったのは何か。

 宇宙科学か?いや、違うのだ。

 基礎研究が圧迫されたのである。

 これまでの経緯を見れば分かるように、1990年代に入ってからは、巨大プロジェクトの狭間で、地味だが重要な技術革新につながる基礎研究が圧迫された。現在に至るまでずっと圧迫されっぱなしで、今やますます圧迫されつつある。

 日本の宇宙技術は過去15年以上に渡って、正面装備ばかりを重視して、地味だが重要な基礎研究を圧迫しっぱなし、怠りっぱなしになっているのである。

 具体的に書こう。

 H-II8号機事故の原因となった、エンジンターボポンプのキャビテーション現象、M-V4号機失敗の原因となったノズル材質の欠陥(これはかなりのところ、不運としかいいようのない部分もあるのだけれど)、H-IIA6号機打ち上げ失敗となったSRB-Aノズルスロートのエロージョン——すべて根本には地味だが重要な基礎研究の不足が横たわっている。

 地球観測衛星「みどり」のパドル破断と、「みどり2」の電源ショートは、事前のノウハウ蓄積の不足が背景にある。これはメーカーにきちんと技術開発資金が回るような仕組みを作ってこなかったつけともいえる(ただしより直接的な原因としてはメーカー選定の失敗がある。衛星産業の維持という社会的要請を技術的な要請に優先させた結果、パドルや電源系開発に当たって事故を起こさない、ノウハウを積んだメーカーを選定から外したのだ)。

 GXロケットのずるずる延期は、メタンと液体酸素の燃焼がうまくいかないことに原因がある。これも燃焼に関する基礎的な現象の研究不足が背景にある。

 「はやぶさ」のトラブルの原因となったリアクションホイールと二液スラスターも、突き詰めていけばこれまでの基礎研究の不足なのである。

 日本が1980年代後半から正面装備の充実に走った間、例えばアメリカが何をしていたかといえば、戦略防衛構想(SDI)で基礎研究に膨大な投資をしていた。SDIというと、スターウォーズ構想だとか、ミサイルを撃ち落とすとか派手な面ばかりが報道されていたが、実際にもっとも重要だったのは、SDIを口実に地味な基礎研究に思い切り資金が投入されたということだった。

 「はやぶさ」記者会見で、川口PMが「オフザシェルフ・テクノロジー」と言う言葉を使ったのを覚えている人もいるだろう。アメリカの探査機は棚の上の既存技術を組み合わせて作られているという意味だ。
 なぜアメリカの棚の上に技術があるのかといえば、それはSDIその他で地道に基礎研究を怠りなく進めてきたからなのだ。

 アメリカとの技術格差の一例として、ディープスペースでの通信を挙げておこう。
 「はやぶさ」は、直径1.6mのパラボラアンテナで最高4kbpsの通信速度を確保している。一方アメリカの火星探査ローバー「スピリット」「オポチュニティ」は、直径28cmの平面アンテナで火星表面から地球への直接通信で11kbpsの通信速度を出している。

 さて、基礎研究に資金をろくに出さずに15年以上を過ごしてしまった現状で、世界一の成果を求めて小惑星探査機「はやぶさ2」を、果たして十分な成功確率を見込んで作れるのか。

 強気に「作れる!」と言い切れるかどうか。

 この部分でも、私の見るところ、旧NASDA系とISAS系の認識は乖離しているように思える。そして基礎研究の不足は精神論ではいかんともし難い問題だ。

 これまで18年以上(もうそんなに経ったか…)日本の宇宙開発を見てきた身として、だいたいの相場観を書くならば、5年以上十分な資金を投じて基礎研究を行えば、その技術は次のステップである研究開発に入っても大丈夫である。

 ただし基礎研究に十分な時間をかけても、実際に宇宙に持っていった場合、ノウハウで足をすくわれることはあり得る。1994年に打ち上げられた技術試験衛星「きく6号」の液体アポジエンジンは、日本初の液体アポジエンジンとして十分な時間をかけて開発された。ところが、推進剤バルブを押すバネの端部を固定するというたった一つのノウハウを押さえていなかったために、バネがバルブに噛み込んで動かなくなり、静止軌道到達に失敗した。

 宇宙はそう甘い場所ではない。

 まだ「はやぶさ2」関連の記事は続く。次は、なぜISAS衛星が「安い」ことが問題になるかについて。

2007.01.11

「はやぶさ2」その4:成功と失敗を判断するメンタリティの相違

 「はやぶさ2」の支援を、と呼びかけてから、当然のことながら反対の意見ももらった。その中には無視できないものもあった。いくつかを紹介し、注釈を加えることにする。

 まず、「はやぶさがとにもかくにもあそこまで行ったのだからはやぶさ2を」というのは、あまりに長期的な計画不在の、出たとこ勝負の考えじゃないのか、という意見があった。小惑星探査はもっと長期的な計画に基づいて着実に実施すべきものであって、グランドデザインなしに、わんこそばを椀に放り込むように「次、次」と言っているようじゃダメじゃないか、ということだ。

 確かに政府の正式文書によるグランドデザインは存在しない。しかし、研究者レベルからボトムアップで組んだ小惑星探査に関する長期戦略なら存在する。2000年頃から小天体探査フォーラム(MEF)で議論したもので、現在は例えば以下のような形で概要が公開されている。

太陽系始原天体探査の将来像

 MEFの議論を踏まえた上で、現在はISAS内の正式組織である「小天体探査ワーキンググループ」で、探査構想の具体化が行われており、その一環として「はやぶさ2」が浮上してきたわけだ。

 ただし、それは国の文書に「このような具体的計画で探査を進める」という形で明記されるというところにまでは至っていない。おそらく今回の予算案の「次世代小惑星探査機」が初めてではないだろうか。

 少なくとも、研究者達は考えなしに、「はやぶさ」がうまくいったから反射神経的に「はやぶさ2」と考えているわけではない。


 もうひとつの意見は、より具体的で重い。

 主に旧NASDA関係の衛星の仕事に長年従事してきた人から出てくる意見で、「はやぶさの探査は、実際問題として失敗じゃないか」というものだ。
 彼らの感覚では、あれだけのトラブルを出したということは「はやぶさ」の設計が間違っている、ということになる。つまり、一昨年11月に「はやぶさ」が実施したイトカワへの降下を「設計上のミスから、トラブルの連続になった」と分析する。
 その観点からすると、いくら問題点を改善すると言っても、そんな「はやぶさ」の同型機を飛ばすということは、同じ失敗を繰り返すつもりだろうか、ということになる。
 本当ならば、今回の教訓を基に、きちんと資金を投入して根本から設計をやり直し、より確実性の高い次世代探査機をゼロから考え直すのが、国民に対する責務だろうというわけである。

 「はやぶさ」が正確には小惑星探査機ではなく、技術試験機であったことを思い出そう。「はやぶさ」が先行している以上、「はやぶさ2」は技術試験機ではあり得ないだろう。それはC型小惑星のサンプルを採取することを目的とした小惑星探査機だ。

 とするなら、「はやぶさ2」に「はやぶさ」のような綱渡り運用は許されない。すでに技術は確認できているから——ということになる。

 彼らは、打ち上げ機もどうせH-IIAになるだろうことだし、1t級のより大きな余裕を見込んだ探査機で次の目標に向かうべきとする。この場合、「はやぶさ2」を省いて「はやぶさマーク2」を実施することになる。

 この意見を聞いて思ったのは、旧NASDA系とISAS系の置かれてきた環境の違い、そして成功に対する感覚の違いだった。このような意見を出してくる旧NASDA系衛星に関係した人たちにとっての成功とは、はらはらする綱渡りやその場その場の工夫の連続ではなく、十分な余裕を持って予定通りにミッションが遂行されることなのだ。設計した通りの余裕が、事前の試験で確認できなければ、スケジュールを後ろにずらしていくことになる。

 一方、ISAS系の感覚だと、「そんな余裕があるぐらいなら、探査の成果が最大になるようにする」ということになる。実際、端から見ていてISAS系の衛星や探査機の基本ポリシーは、「最小予算から成果最大を狙う」であるように見える。
 彼らは、成果が見込めると判断したならば、無茶に思えるスケジュールだって組むし連日の徹夜だってやる。旧NASDA系なら「そんなことをしたら成功率が下がる/安全が見込めない。もっと予算と時間をかけないといけない」と考えるところも「こうやって工夫すれば大丈夫」と頭をひねって突破してしまう。

 NASDA系の衛星を主に担当してきた技術者が、ISAS衛星を「危ない」と感じる裏返しで、ISAS側はNASDA衛星を「高い」と感じる。私は「我々なら彼らの衛星を1/3のコストで作りますよ」というのを聞いたことがある。

 この「安い」ということは、実のところJAXAの存在理由にも関わるかなり重大な問題につながっているのだが、この件はまた記事を改めて書くことにする。
 
 それが良いとか悪いとかではないことには注意してもらいたい。とにかく違うのだ。
 私には、良くも悪くもISAS系はそのメンタリティが「研究者」であり、旧NASDA系は「サラリーマン/ビジネスマン」であるように思える。

 私としては、そんなISASの研究者達が「はやぶさ」で経験を積んだ以上、「はやぶさ2」の失敗はない、と踏んでいる。ただし、この論理は、旧NASDA系には受け入れがたいかも知れない。

 実際のところ、安全が見込めないから延期という論理だと、探査自体が時機を失する可能性もある。科学の世界はいつまでも実験を延期してもその価値が失われないというような世界ではない。科学探査は、宇宙開発委員会の評価部会あたりの公文書に「上記を持って計画は成功したものと判断される」と記載しておしまい、というわけにはいかない(過去の旧NASDAミッションには、けっこうこのパターンで終わったものがあった)。

 旧NASDA系にも優れた技術者はたくさんいて、ISASと違うのはメンタリティだけだ。その意味で、私としては「はやぶさ2」を通じて、相互不信が解消され、真の組織統合が進むことを望んでいる。
 統合された結果が、視野を広く持ち、挑戦を恐れないアグレッシブな組織となることを希望している。

 しかしながら、真の統合を望むというような精神論だけでは済まない現実も存在する。

 まだ書きたいことはあるので、「はやぶさ2」関連の話題をもう少し続けることにする。

2007.01.10

「はやぶさ2」その3:5億円の、それ以上の資金の集め方

 今回の呼びかけに対して、もっとも辛辣かつ本質的な指摘をしたのは、ロボット関連で活躍しているサイエンス・ライターの某氏だった。

 彼の指摘の概要は以下の通り。

・5億円あれば、1年引き延ばせるのだろう。

・だったら当事者があちこち頭を下げて5億円をあつめ、次年度予算編成で改めて財務省と交渉するのが筋のはず。

・プロジェクトを進めるにあたって、1)まず必要なカネを取りあえず集める、2)その後、必要になったときに必要な分だけ投資していく、3)投資を行うかどうかも時々刻々判断して、ダメだったら思い切って損切りする——というほうが、ごく普通の考え方。

・最初から5年計画で、何があろうが変化せずにとにかくカネを寄こせ、というほうがおかしい。

・「はやぶさ」よりも知名度の低い「ROBO-ONE宇宙大会」でさえ、2億円を自前で集めようとしてる。

・現状では、「前回、技術者は頑張った。イマイチだったけど。また頑張るためにカネをくれ」という話にしかなってない。虫が良すぎ。

・科学的成果が出るんだったら、別にアメリカがやろうがなんだろうが、別に困らない。

・松浦さんのやっていることは、企業が支援していたスポーツチームが潰れたときにみんなで嘆願署名を出そうとかってやってる人たちと50歩100歩でしかないような気がする。

 正直、彼の意見に、かなりむかっと来たのも事実だ。

 しかし、上記の指摘は看過し得ない問題を含んでいる。

 現在の宇宙開発は、独立行政法人のJAXAが5年ごとに策定する中期計画に従って予算要求をしていき、政府から必要な予算を得るという形態を取っている。そして実際問題として、技術開発とサイエンスという分野で考えると、年間1000億円以上の予算を、事実上の予算枠として持っている事業はそう多くない。

 そんな分野から、5億円が出ないといって、周囲が騒ぐ事態になっているのは、それ以外の技術開発やサイエンスの現場からすれば「ふざけている」というふうにも見えるのだ。「さんざん金を使っているのだから内部でなんとかしろ。これ以上金よこせなんて言うんじゃない」というように。統合してしまった以上、「さんざん金を使っているのはNASDAのいつまでも上がらない宇宙ステーションであって」というような理屈は通らない。
 しかもJAXAは独立行政法人であって、予算の使途については、かつてのNASDAやISAS以上に広範囲な自由裁量の権利を持っている。予備費だってきちんと項目として計上されている。

 「1000億円以上貰っている組織が5億円がなんとかできないとしたら、それは組織内の問題だ。勝手にしろ」と言われた場合、JAXA/ISASには反論のより所がない。

 5億円は、つまるところその先数年に渡って100億円以上を支出するということを意味するので、そう簡単な話ではないのだけれども、それにしてもJAXA内部の予算の使い方の問題だという意見は一定の説得力を持つ。

 もちろん、「はやぶさ2」問題に興味を持つ人は、JAXAの中の旧NASDAとISASの縦割り構造、さらには組織内で主導権を握ったのが人数と予算の多い旧NASDAだったということが問題だということを理解しているだろう。しかし、それもまたJAXA内部の問題であって、JAXAの一部であるISASが、いくら予算を欲しても、上記の反論を論理として打破できるわけではない。

閑話休題

 このサイエンス・ライター氏の「当事者が金を集める」という一言に触発されて、松浦と笹本祐一は、一般から「はやぶさ2」に対して募金を集めることの可能性を調べてみた。
 まず、募金とJAXA/ISASが受け取ることが可能なのかが問題になる。それは可能であるということだった。金を集めた側が使途を指定できるかどうかまでは分からなかったが、指定できなければ募金に応募してくれた人に返金するまでのことだ。

 あるいは、宇宙開発に関して優れた活動をしているにも関わらず、資金不足に悩んでいる組織に回すのもいいだろう。
 官が絡む世界では、天下りを引き受けない団体には公の金が回らないというふざけた現状がある。そのような公金を使った官僚支配を打破するのに使うのもいいだろう。このあたりは、事前に募金の枠組みをどのように組むかという問題だ。

 返金可能な募金、しかも可能な限りオープンな募金が可能かということについて、色々検討してみたが、技術的には可能だという結論に達した。
 どこかの銀行を説得して専用のプログラムを組んで貰えば、振り込みの名義と金額、累積金額をリアルタイムでインターネットにて公開することはそう難しくはないだろう。手数料さえ払えば、一括返還を銀行に頼むこともできるはずだ。

 募金の累積金額をリアルタイムでオープンにしておけば、横領のチェックにもなる。

 今回は、予算案決定までの時間が短かったことと、そもそも「はやぶさ2」が5億円で終わるプロジェクトでなかったことから、実施は断念した。

 しかし、官の予算が効率的に執行されていないのなら、宇宙開発を望む一般の人たちから宇宙開発の現場に、資金を流すパイパスを作ることを考えるべきなのかも知れない。国があてにならないなら、民が勝手に動けばいいだけの話なのかも知れない。

 「はやぶさ2」関連の話、まだまだ続きます。


 以前にも紹介したが、国家プロジェクトではなく、自分の研究の必要性からハワイに望遠鏡を建設した東京大学教授の記録。この「マグナム」望遠鏡の開発資金は6億円ほどだった、著者はその金額を捻出するために、想像を絶するほどの苦難を重ねている。

 おそらく「はやぶさ2」ならば、「マグナム」よりもはるかに容易に5億円を集めることができたろう。しかし5億円では「はやぶさ2」を作り、打ち上げることはできない。5億円ならば、5万人が一人1万円を支払えば集まる。だが、100億円となると、100万人がいなくてはならない。一昨年の「はやぶさ」のイトカワ着陸が、果たして100万人の日本人の心に届いたのかどうか。

 サイエンス・ライター氏なら「でも、音楽業界は100万人にアルバムを売ることをビジネスにしているわけですよ。宇宙にそれができないとしたら怠慢ですね」ぐらいは言いそうな気がする。こういう意見にどう答えていくか——考え、行動していかなくてはならない。未来が見たいのならば。

2007.01.09

「はやぶさ2」その2:政治や行政に意見を出すということ

 今回のことで、痛感したのは行政なり政治なりに我々が意見を言うことの重要性だった。

 実は昨年の半ば頃から、実際に政治に携わる人たちに会う機会が何回かあった。それで分かったのは、彼らは意外なぐらいに情報のパイプが限られているということだった。

 行くと分かるが、永田町という場所はかなり閉鎖的である。主要設備は物々しく警備されているし、喫茶店やらレストランがあちこちにあるわけでもない。何処に行くにしても、歩くには少々遠く、自動車を出すには大げさだ。
 そんな場所に日本の政治家は事務所を持ち、国会に通い、政党間で衝突しつつ法案を審議している。非常に忙しく、うかうかしていると永田町の中だけですべてが終わってしまう。
 もちろん議員は国政調査権というものを持っているわけだが、その権利も「何を調べるべきか」が分かっていないと、的確には使えない。
 「永田町は村だ」などと言われる理由である。場所的にも、情報的にも閉じている。

 だから、本当は国民の側から、政治家へのきちんとした働きかけが必要なのだ。

 日本は土建国家だなどと言われる。
 なぜ土建国家かといえば、土建屋、つまり建設業がせっせと政治家に働きかけてきたからだ。
 なぜ建設業が政治家に働きかけてきたかといえば、彼らの収益が国の事業を受注できるかどうかで大きく変化するからだ。
 だからこそ建設業は必死になって政治にアクセスし、働きかけてきたわけだ。
 その結果政治家が持つ、建設業以外からの情報パイプは相対的に細り、政治家の思考を建設業経由の情報が左右するようになっていったわけだ。土建国家の完成である。

 せっかく、インターネットというものができて、様々な政治家や政府機関に意見を、メールの形で簡単に出せるようになっているのだ。我々はもっと自分の意見をきちんと政治家に届けるべきなのである。

 建設業だけに、あるいは一部企業だけに、政治家への意見をいわせておくいわれはない。

 政治家に届くメールは、だいたいの場合、秘書によってスクリーニングされる。出したからと言って議員本人がすぐに読んでくれると思わないほうがいい。それでも、同傾向のメールがまとまって届けば、秘書はそれをまとめて議員に上げる。
 また、大抵の場合、簡単なお礼が帰ってくる。議員にとって、意見をくれた人は有権者であり、悪印象を与えると選挙に響く可能性があるからだ。

 もちろん、面白がってスパムを投げるようなことや、失礼なメールを送ることは厳に慎まなくてはならない。そんなことをしたら政治家の側が、メールによる投稿に正面から向かい合わなくなってしまう。

 インターネットが開いた大きな可能性を賢く使っていきたいと思うのである。

 実は、今、私は宇宙関連以外で、意見表明を呼びかけなくてはならないと感じている問題を2つ抱えている。それらについては、「はやぶさ2」関係の話題が終わってから書くことにする。

 というわけで、まだ「はやぶさ2」関連の話題は少し続く。

2007.01.08

「はやぶさ2」その1:来年度予算折衝の結果

 「はやぶさ2」予算化の話だ。メール投稿を呼びかけた手前、これを書かないわけにはいかない。

 昨年末、予算案が出た。

・予算要求約5億円に対して、2007年度予算で「次世代小惑星探査機」の名目で5000万円が付いた。

 要求の1/10だ。この額をが出てくるにあたっての経緯は、私が聞いた限りにおいて以下の通り。

・JAXAと財務省の折衝の過程で、一度「はやぶさ2」予算はゼロになった。JAXA側が財務省に出す要求において、自発的に落としてゼロにした予算案を提出した。

・文部科学省が「はやぶさ2」予算を得るべく、財務省とねばり強く折衝した。

・しかしながら、一度JAXAが自発的にゼロとしたものを復活させるのは至難の業で、結局次世代小惑星探査機という名目で5000万円が予算化された。

 これをどう解釈すべきか。

 JAXAは、「はやぶさ2」に4番目の優先順位を与えていたが、実際問題として財務省との交渉過程で、取引の材料に使うための捨て駒として考えていたらしい。一端引っ込めたというところからして、「はやぶさ2の予算を引っ込めますから他の予算を通して下さい」という形で利用しようとしたと解釈するのが合理的である。
 おそらく、「旧ISASは、ASTRO-Gの予算が通ればいいだろう」という、旧三機関縦割りの思考から脱していないものと思われる。内部で、どの予算項目が緊急かという評価ができていないのだろう。

 文部科学省が押したのは、宇宙基本法絡みの思惑があったのではないか。宇宙基本法では、宇宙開発の中心は内閣府に移り、各官庁は独自に宇宙利用計画を進めることになる。そうなった暁、文部科学省に残る宇宙分野の管轄は、宇宙科学と技術開発のみとなる。ここで、宇宙科学を大きくしておかないと、文部科学省としては、権限縮小を避けられない。
 とはいえ、単なる権益がらみではなく、本当に「はやぶさ2」を必要と思った官僚がいた、と思いたいところだ。本当に権益拡大のみを狙うなら、より多額の予算を消費する有人宇宙開発を前面に打ち出すはずだから。

 予算要求の5億円は、輸出の事務手続きが難しく、先行して発注しなくては間に合わない部品を先行して発注するのに必要な額だった。5000万円では調査費程度にしかならない。

 しかし「はやぶさ2」の2010年打ち上げが頓挫したわけではないようだ。私が会った関係者は、具体的なことを話してはくれなかったものの、誰一人として諦めてはいなかった。あの途方もない「はやぶさ」運用を続けている人たちだ。なにかウルトラCを考えているのだと思いたい。

 実際問題として財務省査定で「次世代小惑星探査機」という項目が立ったことは大きな意味がある。これは「次の小惑星探査がある」ということを意味するからだ。

 あちこちに送られたであろう、皆さんの「はやぶさ2」支援のメールが、どの程度の効果を発揮したかは分からない。しかし、この5000万円が出るにあたって、幾分かの力となったと思いたい。なにより、今まで宇宙計画で政治や行政に投稿が集まったことなどなかったはずなのだ。その意味は小さくない。

 そしてここでお詫びしなくてはならない。私自身が投稿すると書いたにもかかわらず、私は予算案確定までに投稿することができなかった。

 こういうことを書くと、「何思い上がっているのか」と言われそうだが、昨年後半から私自身のマスコミ露出が増えた。そんな者が市民として投書するのは悪しきプロ市民的ではないかとか、よりきちんと自分の職分であるメディアを通じて動くべきではないかとか色々考え込んでしまったためである。
 その一環として私は、1月6日付けの朝日新聞「視点」欄に、小惑星探査の必要性を指摘した文章を寄稿した。

 私は、これに終わることなく、様々なフォローをすべきだろうと思っている。その手始めとして年が明けてから、財務省に以下の意見を投稿した。

主計局文部科学省担当御中

 過日、小惑星探査機「はやぶさ2」の予算化を願うという投稿をした者です。

 年末の予算折衝の経過を聞きました。5億円の要求に対して、5000万円とはいえ、予算原案において次期小惑星探査機への予算が付いたとのこと。御礼申し上げます。

 おそらく、そちらには複数の「はやぶさ2」予算化を願う投書が届いたものと思います。一部は私が行ったインターネットでの呼びかけ(https://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2006/10/post_eeef.html)に応じたものであるでしょう。

 最終的にそちらに何通の投書が届き、それがどのように心証に影響したかは知りません。しかし、ここで強調しておきたいのは「過去の日本の宇宙開発において、財務省(旧大蔵省を含む)にこのような投書が集まったプロジェクトがあったか」ということです。

 宇宙飛行士のスペースシャトル搭乗で、国際宇宙ステーションで、巨大ロケット開発で、巨大通信実験衛星や巨大地球観測衛星で、このような投書が集まった例がかつてあったでしょうか。

 小惑星探査機「はやぶさ」で、日本の宇宙開発は初めて、真に国民の共感を集めるプロジェクトを為したといえるのではないでしょうか。

 「はやぶさ」自体はひっそりと始まったプロジェクトでした。「はやぶさ」に共感した人は、たまさか「はやぶさ」に気が付いた人でした。それでも、財務省に複数の投書が届くほどの数の、専門家ではない、ごく普通の人々が「はやぶさ」に共感し、「自分も『はやぶさ』と共に、もっと遠くを、宇宙の彼方を見てみたい、行ってみたい」と思ったのです。

 これはとても重要なことです。

 今後「はやぶさ」を知る人は増えていくでしょうし、「はやぶさ」をサポートしようとする人もまた増えていくでしょう。それらの人々は財務省が何をするかを興味を持って見ていくことになるでしょう。

 お願いがあります。今後とも、この分野、「はやぶさ」と、「はやぶさ」後継機の小惑星探査から始まる深宇宙探査を頭の隅にてあっても入れておき、常に意識して頂けませんでしょうか。

 国家財政全体から見ればごく小さな額ではありますが、その小さな金額で作られた探査機が、かくも人々の注目を集めたことの意味を、考え続けてもらえればと思うものです。


 ひとつ、気になる話を聞いた。どうやら財務省が、JAXAの予算要求に対してかなりの不満と不信感を抱き始めているらしい。「無駄な公共事業的仕事をしているのではないか」と考えているとのこと。

 JAXAが財務省に対して、具体的にどのような説明を行っているかは分からない。が、「今後ともあのやり方が通ると思っているのか」というような話を聞くにつけ、JAXAの将来に不安が募るのである。

 私自身、今回のことでは、様々な意見を聞いたし、また考えることも多々あった。そのあたりについては次の記事でまとめることにする。

2007.01.04

宣伝: 1月5日(金曜日)、新宿・ロフトプラスワンのトークライブ「新年、あけましてロケットまつり!」に出演します

 あけましておめでとうございます。

 「はやぶさ2」関連であれこれここに書くべきものがいっぱいあるのですが、明日になってしまったので、宣伝を優先して掲載します。

 申し訳ないです。一部は明日話しますし、もちろんきちんとこの場でも書くことをお約束します。

宇宙作家クラブpresents

「新年、あけましてロケットまつり!」

 2007年宇宙の年!? 御好評頂いているロケットまつり、新年早々開催致します。正月明けの会社帰り、学校帰り等等。お寄り下さると幸いです。
今回は初期ロケットまつりのように、映像等を交えつつ最近の宇宙開発、ロケット打ち上げを語って頂きたいと思っております。
【出演】松浦晋也(ノンフィクション・ライター)、笹本祐一(作家/来ます!)、他

1月5日(金曜日)
Open18:30/Start19:30
¥1000(飲食別)
※当日のみ

ロフトプラスワン :新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2 TEL 03-3205-6864
(地図)

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