帰還開始にあたって補足
はやぶさ帰還開始の報に、少し補足を。
打ち上げ直後の運用初期は、よくイオンエンジンが異常を検出して自動的に動作を停止していた。が、現在、イオンエンジンの運転は安定している。
地上側の臼田局は、地球が自転しているので1日8時間しか、「はやぶさ」と通信できない。通信不可能な16時間の間にイオンエンジンが停止しても、再起動は次の通信時間に行うしかない。それだけ時間を消費し、加速に使える時間が減ることになる。
イトカワへの行程では、イオンエンジンを安定させて、時間のロスを減らすことが重大な課題だった。
現在、Dエンジンはもちろん、ややおかしくなりかけているBエンジンも、動作は安定しており、連続運転をしても問題を起こすことはほとんどないという。これは帰還成功に向けての明るい側面だ。
一方、今後、はやぶさが帰ってくるか、それとも帰還不可能となりミッションを終了するか、そのどちらかの結果を迎えるまで、運用チームには常以上の負担がかかることになる。
通常、惑星間空間を航行する探査機の運用は淡々としたものだ。ほとんどの機器は電源を落として眠っているし、軌道もロケットエンジンの噴射が終了した時点でほぼ確定している。探査機とそのミッションを脅かす要素はほとんどない。
通信を確立すれば、後は通信不可能時間帯に何が起きたかの記録をダウンロードし、場合によっては今後の動作に向けたコマンド列を送信する。時折機器に通電してチェックを行う。どれもそんなに大変な作業ではない。
しかし、イオンエンジンを搭載した「はやぶさ」の運用は違う。常にイオンエンジンは稼働しており、探査機を加速している。だから、探査機の軌道は常に変化しており、もしも軌道がずれてしまえば、ミッションの遂行は困難になる。
特に現状の「はやぶさ」は、化学推進剤のスラスターも使えず、ホイールは1基のみが動いている。姿勢制御が難しくなっているわけだ。探査機の姿勢が崩れれば、イオンエンジンの噴射方向が狂い、軌道に影響がでる。
だから衛星の姿勢についても毎回の運用で調べ、地上から対応して行かなくてはならない。
「はやぶさ」の運用では、毎回イオンエンジンの動作状態を確認し、通信不可能時間帯に何か起きていないかを調べ、場合によってはコマンドを送って動作を修正する必要がある。さらに、時折エンジンを停止して、軌道を精密測定し、今後の軌道計画を修正し、修正に合わせてイオンエンジンの運転計画を策定し、それに合わせたコマンドを送信しなくてはならない。
姿勢に問題が出た場合も、元に戻すのに使えるのは、イオンエンジンの噴射方向だけである(緊急時には、例の生キセノンガス噴射も使うだろうが)。
姿勢が定まらないために、高速のハイゲイン・アンテナによる通信は使えない。32bpsで通信できるミディアム・ゲイン・アンテナは姿勢によっては使えなくなる。探査機の姿勢は、あくまで太陽電池パドルに当たる太陽光の方向、そしてイオンエンジンの噴射方向が優先される。
従って最悪の場合、8bpsの速度しか出ないローゲインアンテナで通信を行うことになる。それで、イオンエンジンの状態や姿勢を調べ、対策を立て、コマンドを送信しなくてはならない。8kbpsではない。8bps、1秒に8ビットだ。
これは運用チームに多大な負荷をかける事態だ。これから最長で3年、運用チームは土日祝日関係なく、毎日気の遠くなるような低ビット通信で「はやぶさ」と格闘しなくてはならない。
イオンエンジンで探査機を地球に戻すということそのものが、過去に例のないミッションだ。まして、難破しかけた探査機を、イオンエンジンをあやつりつつ帰還させるというのは、とんでもない無茶であり、成功すればアーネスト・シャックルトン隊の漂流と生還をも超える偉業となるだろう。
運用チームの人数は決して多くない。正直、メンバーの健康が心配だ。計画的に人材を育成して投入し、一人ずつの負荷を軽減し、常にクリアな頭で判断できる状態を保てるだろうか。
探査機に余裕がないなら、今からでも手配できる地上側の体制に余裕を持たせるべきなのだ。
JAXA予算には理事長裁量経費も予備費もあるので、それを「はやぶさ」運用のための人件費にまわせればいいのだが。
1914年、イギリスのアーネスト・シャックルトンは、南極大陸横断をめざし、27名の隊員と共に探検船エンデュアランス号で南極へと向かった。しかしエンデュアランス号は流氷に閉じこめられ、やがて氷の圧力で破壊されてしまう。脱出した隊員達は、無人島のエレファント島にたどり着いて救助を待つが、一向に救助船が訪れる気配はない。このままでは全滅すると判断したシャックルトンは、選抜した隊員と共に、小さな救難ボートで荒れ狂う南極の海を渡り、イギリスの捕鯨基地があるサウス・ジョージア島に救援を求めることを決意する——20世紀初頭に本当にこんな事が可能だったとは信じがたい、驚異の冒険の記録。
シャックルトン自身の記録と合わせて、アルフレッド ランシングによる迫真のノンフィクションを推薦しておく。
シャックルトンは、この途方もない危難に果敢に立ち向かい、超人的リーダーシップで隊員を統率する。そして遂に一人の死者をだすことなく、全員が生還した。
南極海で船を失うだけでも大変なのに、その後小さな救命ボートで頑張り抜いてエレファント島にたどり着き、さらに荒海を1300km以上渡ってサウス・ジョージア島へ向かった精神力には絶句する。
しかも、サウス・ジョージア島では捕鯨基地のある海岸と反対側に漂着してしまう。シャックルトンらは、前人未踏の島内部の山岳氷河を不十分な装備で越えたのだった。
ノルウェーのアムンセン隊による南極点到達が、十分な準備が探検をどれほど容易なものにするかという例ならば、シャックルトン隊の漂流は、あきらめないことがいかに重要かを示している。
シャックルトン隊の漂流を描いたテレビドラマ。基本的に汚い男共と、海と雪と氷と岩しか出てこないが、ラストの感動は圧倒的である。
シャックルトンの名前は、探検隊員募集の文句と共に永遠に記憶されるだろう。
"MEN WANTED FOR HAZARDOUS JOURNEY. SMALL WAGES, BITTER COLD, LONG MONTHS OF COMPLETE DARKNESS, CONSTANT DANGER, SAFE RETURN DOUBTFUL. HONOR AND RECOGNITION IN CASE OF SUCCESS."
「危険な旅に男求む。低報酬、厳寒、何ヶ月もの完全な闇、常なる危険。生還は疑問。成功すれば名誉と名声あり」
その通りの旅を、シャックルトン以下28人は、一人として欠けることなく完遂したのだった。
だが、運命は過酷だ。生還した隊員達のほとんどは、そのまま第一次世界大戦に従軍し、その多くは戦死した。シャックルトンはさらに南極探検に執念を燃やすが、1922年、新たな探検に向かう途上、サウス・ジョージア島で、心臓発作のために急逝した。
どうせ危難が避けられないなら、シャックルトンを超えたいと思う。締めくくりは「そして、みんな幸せに暮らしましたとさ」でありたい。