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2007.04.26

帰還開始にあたって補足

 はやぶさ帰還開始の報に、少し補足を。

 打ち上げ直後の運用初期は、よくイオンエンジンが異常を検出して自動的に動作を停止していた。が、現在、イオンエンジンの運転は安定している。

 地上側の臼田局は、地球が自転しているので1日8時間しか、「はやぶさ」と通信できない。通信不可能な16時間の間にイオンエンジンが停止しても、再起動は次の通信時間に行うしかない。それだけ時間を消費し、加速に使える時間が減ることになる。

 イトカワへの行程では、イオンエンジンを安定させて、時間のロスを減らすことが重大な課題だった。

 現在、Dエンジンはもちろん、ややおかしくなりかけているBエンジンも、動作は安定しており、連続運転をしても問題を起こすことはほとんどないという。これは帰還成功に向けての明るい側面だ。

 一方、今後、はやぶさが帰ってくるか、それとも帰還不可能となりミッションを終了するか、そのどちらかの結果を迎えるまで、運用チームには常以上の負担がかかることになる。

 通常、惑星間空間を航行する探査機の運用は淡々としたものだ。ほとんどの機器は電源を落として眠っているし、軌道もロケットエンジンの噴射が終了した時点でほぼ確定している。探査機とそのミッションを脅かす要素はほとんどない。
 通信を確立すれば、後は通信不可能時間帯に何が起きたかの記録をダウンロードし、場合によっては今後の動作に向けたコマンド列を送信する。時折機器に通電してチェックを行う。どれもそんなに大変な作業ではない。

 しかし、イオンエンジンを搭載した「はやぶさ」の運用は違う。常にイオンエンジンは稼働しており、探査機を加速している。だから、探査機の軌道は常に変化しており、もしも軌道がずれてしまえば、ミッションの遂行は困難になる。
 特に現状の「はやぶさ」は、化学推進剤のスラスターも使えず、ホイールは1基のみが動いている。姿勢制御が難しくなっているわけだ。探査機の姿勢が崩れれば、イオンエンジンの噴射方向が狂い、軌道に影響がでる。
 だから衛星の姿勢についても毎回の運用で調べ、地上から対応して行かなくてはならない。

 「はやぶさ」の運用では、毎回イオンエンジンの動作状態を確認し、通信不可能時間帯に何か起きていないかを調べ、場合によってはコマンドを送って動作を修正する必要がある。さらに、時折エンジンを停止して、軌道を精密測定し、今後の軌道計画を修正し、修正に合わせてイオンエンジンの運転計画を策定し、それに合わせたコマンドを送信しなくてはならない。
 姿勢に問題が出た場合も、元に戻すのに使えるのは、イオンエンジンの噴射方向だけである(緊急時には、例の生キセノンガス噴射も使うだろうが)。

 姿勢が定まらないために、高速のハイゲイン・アンテナによる通信は使えない。32bpsで通信できるミディアム・ゲイン・アンテナは姿勢によっては使えなくなる。探査機の姿勢は、あくまで太陽電池パドルに当たる太陽光の方向、そしてイオンエンジンの噴射方向が優先される。

 従って最悪の場合、8bpsの速度しか出ないローゲインアンテナで通信を行うことになる。それで、イオンエンジンの状態や姿勢を調べ、対策を立て、コマンドを送信しなくてはならない。8kbpsではない。8bps、1秒に8ビットだ。

 これは運用チームに多大な負荷をかける事態だ。これから最長で3年、運用チームは土日祝日関係なく、毎日気の遠くなるような低ビット通信で「はやぶさ」と格闘しなくてはならない。

 イオンエンジンで探査機を地球に戻すということそのものが、過去に例のないミッションだ。まして、難破しかけた探査機を、イオンエンジンをあやつりつつ帰還させるというのは、とんでもない無茶であり、成功すればアーネスト・シャックルトン隊の漂流と生還をも超える偉業となるだろう。

 運用チームの人数は決して多くない。正直、メンバーの健康が心配だ。計画的に人材を育成して投入し、一人ずつの負荷を軽減し、常にクリアな頭で判断できる状態を保てるだろうか。

 探査機に余裕がないなら、今からでも手配できる地上側の体制に余裕を持たせるべきなのだ。

 JAXA予算には理事長裁量経費も予備費もあるので、それを「はやぶさ」運用のための人件費にまわせればいいのだが。


 1914年、イギリスのアーネスト・シャックルトンは、南極大陸横断をめざし、27名の隊員と共に探検船エンデュアランス号で南極へと向かった。しかしエンデュアランス号は流氷に閉じこめられ、やがて氷の圧力で破壊されてしまう。脱出した隊員達は、無人島のエレファント島にたどり着いて救助を待つが、一向に救助船が訪れる気配はない。このままでは全滅すると判断したシャックルトンは、選抜した隊員と共に、小さな救難ボートで荒れ狂う南極の海を渡り、イギリスの捕鯨基地があるサウス・ジョージア島に救援を求めることを決意する——20世紀初頭に本当にこんな事が可能だったとは信じがたい、驚異の冒険の記録。



 シャックルトン自身の記録と合わせて、アルフレッド ランシングによる迫真のノンフィクションを推薦しておく。



 シャックルトンは、この途方もない危難に果敢に立ち向かい、超人的リーダーシップで隊員を統率する。そして遂に一人の死者をだすことなく、全員が生還した。

 南極海で船を失うだけでも大変なのに、その後小さな救命ボートで頑張り抜いてエレファント島にたどり着き、さらに荒海を1300km以上渡ってサウス・ジョージア島へ向かった精神力には絶句する。



 しかも、サウス・ジョージア島では捕鯨基地のある海岸と反対側に漂着してしまう。シャックルトンらは、前人未踏の島内部の山岳氷河を不十分な装備で越えたのだった。



 ノルウェーのアムンセン隊による南極点到達が、十分な準備が探検をどれほど容易なものにするかという例ならば、シャックルトン隊の漂流は、あきらめないことがいかに重要かを示している。


 シャックルトン隊の漂流を描いたテレビドラマ。基本的に汚い男共と、海と雪と氷と岩しか出てこないが、ラストの感動は圧倒的である。



 シャックルトンの名前は、探検隊員募集の文句と共に永遠に記憶されるだろう。



"MEN WANTED FOR HAZARDOUS JOURNEY. SMALL WAGES, BITTER COLD, LONG MONTHS OF COMPLETE DARKNESS, CONSTANT DANGER, SAFE RETURN DOUBTFUL. HONOR AND RECOGNITION IN CASE OF SUCCESS."



「危険な旅に男求む。低報酬、厳寒、何ヶ月もの完全な闇、常なる危険。生還は疑問。成功すれば名誉と名声あり」



 その通りの旅を、シャックルトン以下28人は、一人として欠けることなく完遂したのだった。



 だが、運命は過酷だ。生還した隊員達のほとんどは、そのまま第一次世界大戦に従軍し、その多くは戦死した。シャックルトンはさらに南極探検に執念を燃やすが、1922年、新たな探検に向かう途上、サウス・ジョージア島で、心臓発作のために急逝した。



 どうせ危難が避けられないなら、シャックルトンを超えたいと思う。締めくくりは「そして、みんな幸せに暮らしましたとさ」でありたい。


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Comments

いつも素晴らしい情報と記事をありがとうございます。typoのご連絡です。

> 通信でで「はやぶさ」と格闘しなくてはならない。

「で」トルツメでしょうか。指摘が重なっていた場合はご容赦ください。

これからも楽しみにしております。
# コメントの掲載,返信不要です。

 直しておきました。ありがとうございます。

拝啓、ハヤブサ関係各位様

ハヤブサ管制のための直勤務体制をこなすため4チーム体制を構成することをお勧めします。実働3チーム(各8時間勤務)+休養1チームでクロスチェックのため2名以上となると最低8名となります。

ただトラブル発生時には全員の招集となりシフトが維持できるかどうか・・・
管制担当者の健康面の問題もありますので、できるだけ早くシフト体制に移行することをお勧めします。

この際NASAのDSN(Deep Space Network)のアンテナ利用も考慮すべきでしょう。トラブル後の対応が素早くできると思いますし、コンタクトロスも防ぐことができるのでは。


私は、はやぶさを応援してきましたけれど、健康が心配されるほどの負荷がチームにかかるのでしたら、このミッションを続行すべきでしょうか? もう、はやぶさは、十分、成果をあげたではありませんか?
 予備費のことも言及されていましたけれど、宇宙科学本部のミッションでJAXA統合のあおりで資金的手当てが不十分な分野はほかにもたくさんあります。人的資金的資源は、次のミッションの開発に投入するほうが、日本の宇宙開発、宇宙科学にとって有効なのではありませんか?

 本来の冷静な松浦さんにもどっての論評を期待します。

>ノルウェーのアムンセン隊による南極点到達が、十分な準備が探検をどれほど容易なものにするかという例ならば、シャックルトン隊の漂流は、あきらめないことがいかに重要かを示している。

いつもながら松浦さんの素晴らしい例えですね。困難に直面してもあきらめないということは重要です。

一方で、次以降について言えば、「充分な準備」が出来るよ、と言っているのにわざわざ(いままでと同じような)リスキーな船で航海に乗り出すのはどうかと思いますね。そうせざるを得なかった今までと、より十分な装備が出来るはずなのにわざわざ苦しい設計のままで行くのは違う。

具体的にはアンテナやパドルには駆動機構をつけること。ホイールは4つ積むこと。4台中3台にトラブルが発生したマイクロ波式のイオンエンジンは不安定要素をはっきりさせること。など考えてほしいところです。

ミッションがリスキーであるほど観衆は熱狂し、美談となりますが、宇宙と云うのは充分な準備をしてもなお何があるか分からないところ。それこそ20世紀初頭における南極と同じようなもの。一番乗りを目指すのなら、リスキーなまま焦って同型機を飛ばすより、アムンゼンになるべきではないのでしょうか??

私はこの経験が次に「改善」と云う形で生かされるならば、今回のあらゆることは全く失敗だと思いません。しかし、何も改善せず、2度同じ愚を犯すようであれば深く失望します。

神社に参拝してはやぶさの加護を女神様に祈ってきました。

数年前ですがここの神社に参拝した直後にRESTECでランドサットの衛星画像を検索してもらったのです。
運用開始以来一度も晴れの映像が撮影できたためしがないという南米のアマゾン地域で見事に雲量ゼロの画像を入手できました。
それも先週撮影されたばかりのデータを。
「探せばあるもんですねえ」と担当の方もびっくりしているようでした。
はやぶさに関しても御利益を期待したいところです。

それにしても自分には神頼みしかできないというのが歯がゆい限り。
SETI計画のデータ解析みたいに有志のパソコンではやぶさ運用のサポートができたらいいのに。

シャックルトン隊の生還について書いておられますが、はやぶさの帰還運用が将来の有人宇宙船事故において貴重なデータとなるような気がするのですよ。


>nqさま。
>人的資金的資源は、次のミッションの開発に投入するほうが、
>日本の宇宙開発、宇宙科学にとって有効なのではありませんか

主旨は解るのですが、次のミッション「はやぶさ2」の
開発が決定するまでは、この事については何とも言えないと思います。

また、工学的見地から言うと、「はやぶさ」は、これからが成果の出し所かも知れません。

「のぞみ」で、1bit通信を開発出来なければ、はやぶさはここに居ません。
そして、はやぶさは、既に「光圧制御」を開発して、その成果は、後の探査機に生かされるかも知れないと思います。
そう考えれば、工学実験機としての「はやぶさ」は、(言い方は悪いですが)
今後、他動的ながら数々の工学的な実験課題が到来してくる訳で、
まだまだ、やることがあると考えます。

ただ、nqさまが指摘なさった「労働環境の過酷さ」については、
同意します。でも、この問題は、日本の理系研究者全般(特に大学院生)
に付随する普遍的な問題だと思うので、
一つのBBSの一つのスレッドで論じる課題としては、重すぎると思いますよ。

 HAYABUSAに関して記事を書かれるからには、いつかはシャックルトンの話題が出るだろうと思っていましたが、こうして見るとこの二つの旅路の偉大さにぐっときます。

 さて、前々から思っていた事をこの機会に吐露してしまいます。
 HAYABUSAについて本を書かれる時には、タイトルはぜひ「エンデュアランス」となさってください。 忍耐を重ねたこれまでとこれからの日々を表すため、そして無事帰ることを祈念する意味も込めて。

予算を途中で打ち切るという意見の方、私のように「はやぶさ」の帰りを待っている人も大勢いますよ。まだ生きている探査機を殺すのは関係者の無念さも大きく今後のためにならないのではないですか。情緒的な話ですがこれだけ偉大な探査機ですからミッションを打ち切るときは国民にそれ相応の意見を聞いて決めるべきでしょう。惑星間往復の偉業も可能性を残したまま国家意志の発動で止められてしまうのは納得できない方もいます。運はまだ味方しているのにもったいない。

補足少々!

はやぶさ2の開発についての議論の他に、はやぶさ2を含む将来の外宇宙探査機打ち上げ手段について明確になっていないと思います。

既にM-Vは生産を中止し、H2シリーズ又は海外のロケットが運搬手段として惑星間に探査機を投入できる現状をどう考えるかについて議論していただければと思います。

それとはやぶさとのコンタクトは途絶した訳ではありません。実存するハードウエアをどう運用するかは運用者の腕の見せ所ではないでしょうか?

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