Web検索


Twitter

ネットで読める松浦の記事

My Photo

« April 2007 | Main | June 2007 »

2007.05.20

食の極端を極める

「極」が重なった変てこなタイトルだが、別にあの親子の「究極」とか「至高」には関係ない。そういえばビッグコミック・スピリッツも長い間読んでいないが、彼らの献立は少しは確定したのだろうか?

Th_img_0139_1

 19日、週遅れの母の日ということで、母と我ら兄弟で、葉山の日陰茶屋に行く。
 出てくるのは、一目で手間のかかっていることが分かる小鉢料理。ひとつ出てくるたびに、「おいしいねえ」と言いつつ頂く。

 質の良い季節の食材を選び、一手間を掛け、一つの食器に一つの料理を盛りつけ、流れるように給仕する。和食は手間を食べるという言葉通りの一席。
 がつがつ食うのではなく、心静かにゆっくりと食べる、幸福な時間。

Th_img_0186

 20日、お台場海浜公園に、6インチタイヤの小径車のオーナーで集まり、乗り比べをする。A-Bikeも、Handy-6も、KOMAも、それぞれに性格が異なり、なかなか面白い。

「ハンバーガー食おうぜ」という話になって、KUA`AINAの「アボガドバーガー1/2ポンド」を食べる。
 佐世保バーガーは食べたことがあるが、ハワイアン・バーガーは初めて。「いや、もっとでかい立川バーガーってものもあるんですよ」などという話を聞きつつ、がつがつ食う。

Th_img_0244

 これとマクドナルドのハンバーガーを一緒にしてはいけない。マクドナルドのハンバーガーに挟まっているのは「マクドナルドのパティ」であり、「肉」ではない。
 KUA`AINAのバーガーに挟まっているのは、まごうことなき「肉」だ。分厚い、炭焼きのハンバーグ・パティ。中はレア。噛むと肉の脂が口の中に広がる。

 問題は、味付けが基本的に付属のチューブに入ったケチャップとのマスタードだということ。この味が単調で、食べきる頃には「すいません、しばらくは食いに来ません」という気分になる。

 自転車と巨大ハンバーガーで満ち足りた気分になり、東海道線で帰る。茅ヶ崎の駅を降りると、やや、もう腹が減っているではないか。

 ふらふらと吉野家に入り、「豚丼並卵」を注文する。

 ここんところ、野尻ボードでジャンクフードな話題をしていたからかも知れないが、久し振りに学生の頃やっていた、ジャンキーな食い方をしてしまう。

Th_img_0264

 まず生卵を肉の下のご飯と念入りに混ぜる。次いで紅ショウガを山盛りにし、さらにその上から思いっきり七味唐辛子をかける。

 最後にこれを肉ごとぐりぐりとかき混ぜ、すべてをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせてかき込む。途中で、遠慮無く紅ショウガと七味唐辛子を追加する。

 「船が7分に海が3分」ではないが「米が7分に紅ショウガが3分。七味唐辛子数知れず」ぐらいに混ぜるのがコツ。もちろん、がつがつと短期決戦水際防御でかき込むのである。

 ああ、日陰茶屋から大分遠くに来ちゃったなあ、と思いつつ、今、胸焼けをかかえてこの文章をかいております。

 ぐええ…

2007.05.18

夢の残骸を見つける

1988list1

 資料の整理をしていて、とんでもないものを見つけてしまった。上の写真をクリックすると大版の写真が表示される。

 宇宙開発事業団(NASDA)の計画管理部の手による「人工衛星等打ち上げスケジュール(一部想定)」という表だ。日付は昭和63年(1988年)6月8日。今から19年前である。


1988list2
 色々見慣れない略語が出てくるが、略語の一覧表はこちら。

 実際の打ち上げ実績(2001年以前はこちら)と、比較してもらいたい。

 涙が出てはこないだろうか。

 これが当時の夢だった。

 現実との差を考えるならば——残酷なようではあるが——夢の残骸としか呼びようがない。

 この表に従えば、H-IIは1991年度冬期、つまり1992年の2月に打ち上がることになっている。実際にはLE-7エンジンの開発が難航したことで、スケジュールは2回、1年ずつ延期された。

 H--IIロケットの1号機は1994年2月4日に打ち上げられている。

 編集長に「俺は、絶対に行きますからね」と、1年前から言い続けて、休暇を取って種子島に行ったこと、そしてプレスセンターで初めて笹本祐一さんやあさりよしとおさんと遭遇したこと(あくまで遭遇だ、親しく話をする機会を得るにはさらに3年の月日が必要だった)など思い出すが、これは別の話だ。

 H-IIをどんなペースで打ち上げるつもりだったか、そしてH-IIAを含めた実績がどう推移したかを比べてみると以下の表になる(H-Iロケットの打ち上げは省略した)。






















































年度表中の打ち上げ回数実際の打ち上げ回数
1991年度1機0機
1992年度3機0機
1993年度4機1機
1994年度4機2機
1995年度4機0機
1996年度6機1機
1997年度6機2機(うち1機打ち上げ失敗)
1998年度5機0機
1999年度表に記載なし1機(打ち上げ失敗)
2000年度表に記載なし0機
2001年度表に記載なし2機(H-IIからH-IIAに移行)
2002年度表に記載なし3機
2003年度表に記載なし1機(打ち上げ失敗)
2004年度表に記載なし1機
2005年度表に記載なし2機
2006年度表に記載なし3機

 表と現実の落差には泣くしかない。1996年度に実現するはずだった年6機の打ち上げは、未だ実現したことがない。この表では1991年から1998年までの8年間でH-IIを22機打ち上げることになっているが、2007年現在、H-IIとH-IIAを合わせても19機の実績しかない。しかも、うち3機が失敗だ。

 いったいなぜこんなことになってしまったのか。

 この表を入手した経緯は、ありありと思い出せる。この表は、NASDA計画管理部の内部資料だったが、日経産業新聞にすっぱ抜かれたのだった。

 1988年、私は日経エアロスペース編集部に勤務していた。26歳で、ひたすらこき使われる下積み記者生活を送っていた。

 日経産業を読んだ職場の先輩が、NASDA広報に「こっちにもよこせ」と電話したのだった。広報は「これは内部資料であってそもそも外部に出す性質のものではなく…」とかなんとか言ったのだが、「一度新聞に載ってしまったのだから公開資料も同然だろう」といって、ファクシミリで送ってもらうことに成功したのである。私はといえば、先輩と広報との電話を通じたせめぎ合いを、横で聞いていた。

 編集部内の反応は、「こんな夢みたいな資料作っているからNASDAはダメなんだ。予算の裏付けのない計画を並べるだけ並べて、奴らはバカか?」というものだった。

 実際、表の中にはかなり怪しいものが、一杯入っている。1994年度のTRMMぐらいまでは、一応当時、具体的な衛星計画として検討をしていたものだが、そこから後は、「民間通信衛星」などという曖昧なもの(SCCやJSATあたりの衛星を受注するつもりだったのだろうか)が入っていたり、1996年には「月探査衛星」などいうものが入っていたり(あの頃、月探査は筑波で細々とI氏が検討をしていた。後にセレーネにつながるものだが、つまり当時の思惑からするとセレーネの現状は11年遅れということになる)、1996年以降、ミニシャトルHOPEの打ち上げが年1〜2回入っていたり——要は当時の筑波宇宙センターにおける将来検討を、とにかくあるだけ並べてみたというのがはっきりと分かる。

 1996年度には、JEM、つまり国際宇宙ステーションの日本モジュール「きぼう」が打ち上げられ、1997年度には最初の補給フライト、つまりHTV打ち上げが行われることになっている。ここまでくると、怒りを通り越して脱力感すら感じてしまう。

 1997年度には軌道間輸送機(OTV)やら、テレロボティックの無人作業機(OSV)まで打ち上げることになっている。これらは今現在、検討すらされていない(必要なくなったから、というのが大きな理由なのだが)。

 1988年6月という時期がどんなものだったかといえば、H-IIロケットの開発が4年目に入り、液体酸素・液体水素を使う二段燃焼サイクルを採用したLE-7エンジンの開発が容易なことではないと分かり始めた頃だ。1987年7月にLE-7は田代試験場で最初の爆発を起こしている。液体水素ターボポンプは、NASDA角田で高温ガスでタービンを駆動しての試験を繰り返していたが、振動が出てなかなか定格回転数を達成できずにいた。
 この表が作成された直後の1988年7月には、LE-7の最初の原型エンジン「EG101」が、田代試験場で燃焼試験に投入されており、試験開始直後に、さっそく燃焼室内部の焼損という事故を起こしている。

 直前の5月、私はNASDA角田とNAL角田(現在は統合されて角田宇宙センター)に出張取材に赴いて、液体水素ターボポンプ開発が容易ならざる困難に突き当たっていることを聞いている。確か「オフレコですよ」という条件付きだった。

 当時、浜松町の本社広報で話を聞くと、「順調です、大丈夫です、問題ないです」という中身のない返事が返ってくるばかりで、そのこともマスコミの間でNASDAの信頼度を下げていた。
 まだ、生活の中にインターネットは影も形もない。パソコン通信がようやく立ち上がった時期で、もちろん「正直が最高の広報」という常識が確立する以前である。

 だが、19年を経てこの表を見ると、とてもではないが「夢物語をかきあつめて、意味のない表を作りやがって」と非難する気にはならない。

 あの当時の雰囲気は、「今は苦しいが、ここを乗り越えれば1990年代に一層の飛躍が可能だ」というものだった。

 今見れば、それこそ学童疎開の子供がひもじさをまぎらすために、画用紙に書いたお菓子の絵のように思える。
 しかし当時は「ここで頑張れば、こんなに輝かしい未来があるんだよ」という、難航するH-II開発に対する道しるべの意味があったのだろう。

 そして道しるべが、反故の手形と化すにあたっては、NASDA自身の責任以外の要因もあった。翌1989年にアメリカ通商代表部(USTR)は、スーパー301で衛星市場開放を日本に迫る。当時の自民党政権は、アメリカのごり押しをそのまま呑んだ。結果として日本の衛星産業は壊滅的打撃を被り、H-IIは打ち上げるべき官需ペイロードを失ってしまった。

 この表は、夢の残骸だ。だが、残骸を直視せずして、未来はない——少なくとも私はそう思い、ここに公開するものである。

2007.05.17

PowerBookのHDDを交換する

Hdd160gb

 やや旧聞に属する話だがゴールデン・ウィークを使って、PowerBookG4のハードディスクを交換した。オリジナルは80GBのHDDが入っていたが、すでに残りが数GBになっていたのだった。ただでさえOSやアプリのキャッシュがGBオーダーになることが珍しくない。そろそろシステムの安定稼働が危うくなる。

 調べるとやはりデジカメのデータが一番大きい。デジカメを本格的に使い始めた2001年以降で写真2万枚以上、総容量は30GBを超えている。

 まず、検索で、PowerBookG4の開け方と、HDDのデータ移行法を調べる。こういうとき、インターネットは本当に便利だ。

 PowerBookの開け方は、こちらを参考にした。データ移行はUSBのハードディスクケースをつないで、OSインストールディスクから起動。純正の「ディスクユーティリティ」でOS本体から設定にいたるまで、すべてをコピーする。
 クリーンインストールですべてを再設定する必要がないのがありがたい。

 秋葉原に出かけた時に、現在最もコストパフォーマンスが良い160GBのHDDとUSB2.0のディスクケースを買ってきた。少々手間取ったものの、無事交換終了。起動もOK。OSやネットワーク周りの設定もすべて引き継ぐことができた。

 写真では148GBとでており、160GBではないが、これは確か記憶容量の数え方の違いからくるものだったはず。キロ、メガ、ギガと単位を上がる時に、1000倍と考えるか1024倍と取るかの違いだったと覚えている。しかしそうであったとして、なぜ統一しないのだろうね。

 これでPowerBookをあと2年は使い続けることができる。

 常用マシンのハードディスクの寿命は、経験上2年半程度だ。それを過ぎると夏の暑さなどで壊れる可能性がぐっと高くなる。3年前には、バックアップを怠っていたところにハードディスクが破損し、約半年分のデータを失ったことがあった。

 同時に500GBのUSBハードディスクを買ってきた。新たなバックアップ用である。

 さて、これで当面PowerBookG4はいいとして、次はレッツノートだ。CF-R5はHDDが60GBと小さい(初めて使ったHDDが30MBだったことを考えると夢のようだが)。
 メーカー保証が切れる来年の頭あたりをメドに、HDDを交換してやろうと思っている。おそらく、次は200GBか250GBか、それぐらいのディスクと入れ替えることになるだろう。その前に、パナソニックからWindowsXPのインストールディスクを入手しないといけない。

 しかし本当にいい時代になったものだ。と、ここでFM-7とかMZ-700あたりのカセットテープインタフェースの話をするようなら、それは年寄りの証拠なのだろう。ピー、ガガガガガ、シュルラシュルラシュル…。

2007.05.16

デジタルカメラを買う

Ixyl4

 3年振りにコンパクトデジカメを更新した。

 前回の更新記録はこれ。コニカ・ミノルタのDimage Xgの代替機は、キヤノンのIXY DIGITAL L4。選択基準は、起動とフォーカスのレスポンスの双方が速いこと、そしてなによりも小さいこと。

 私はずっとDimage Xgに首からさげるストラップを付け、シャツの胸ポケットに入れて持ち歩いていた。ところが昨年auに携帯電話を切り替えて以降、胸ポケットを携帯電話が占拠するようになった。

 色々デジカメの持ち歩き方を考えてみたが、どうにも落ち着かない。胸ポケットに携帯電話とデジカメを入れるとかさばって仕方がない。カメラだけズボンのポケットに入れることも考えたが、歩くのに邪魔になる。かといって、カメラをカバンに入れてしまえば、気軽に自分の生活を記録する体制ではなくなってしまう。
 携帯電話に付属のカメラをメインとすることも考えたが、カメラのレスポンスがいまひとつで、チャンスを逃しがちだ。

 今回の切り替えに当たっては、胸ポケットに携帯電話と一緒に入れておいてもかさばらないことを条件にした。最後に残ったのはIXY DIGITAL10とL4の2機種だ。性能と機能は10のほうが上だが、ほんの少しL4より大きい。
 その少しが使い勝手にどの程度影響するか。さんざん店頭で迷ったあげく、私はL4の小ささを選択した。

 選択は間違っていなかった、と思う。L4は小さなシャツの胸ポケットに、携帯電話と並べて入れておくことができる。必要に応じて、迷わず携帯電話とカメラを取り出すこともできる。起動とフォーカスのレスポンスも文句ない。3年前にDimage Xgを選択した理由は、「どのカメラよりもレスポンスが良い」というものだったが、L4の反応速度は、軽くDimageを凌駕している。しかも画素数は300万から710万に増えているのだから、3年分の技術進歩には驚いてしまう。

 その3年の間に、コニカ・ミノルタは、カメラ事業をソニーに売却してしまった。コニカもミノルタもとうになく、今やコニカ・ミノルタはカメラメーカーではない…

 いや、これは感傷だ。

 栄枯盛衰は世の習いであり、コニカ・ミノルタは、必要な選択をしたに過ぎない。

 私が最初に手にした一眼レフは、ミノルタのSR-1だった。父が私の誕生に合わせて買ったカメラ。

 おそらく新しいL4も寿命は3年だ。3年後、自分はどのようなカメラを使っているだろうか。

 そして、3年後のカメラは何を写すだろうか。

2007.05.15

A-Bikeに乗る その7 A-Bikeの使い方

 A-Bikeの特徴——気楽に持ち歩き、どこでも走り回れる軽快さは、確かに今までの折り畳み自転車にはなかった。

 輪行で、ちょっとしたサイクリングで観光地を回るには好適だろう。それも小京都と呼ばれるような小さな町を回るのにはちょうど良い。遊びの道具としては、かなり使えるものだということは断言してもいいだろう。

 では、実用品としてはどうだろう。

 当初のコンセプトである都市内コミューターとしてはかなり使えるといっていいのではないかと思う。いつでも持って歩いて必要に応じて使うには、まだ少々重いが、持って歩くことで新しいライフスタイルを作り出せそうな気分になってくる。


 大地震のような大規模災害時に備えた仕事先からの帰宅用はどうだろうか。A-Bikeは小さいので、職場に常備してもかさばらない。

 3つ問題がある。

a)通常の自転車と走行感覚が異なるので、普段から使用して体を慣らしておく必要があること。
b)少なくともタイヤの空気圧は日常的に点検しておく必要があること。
c)小さな6インチタイヤで、ガラスの破片などが散らかっているであろう路上を、パンクせずに走行可能かということ。

 最初の2つは運用面で解決できるが、6インチタイヤの走破性の低さは、根本的な問題である。パンクに関してはタイヤ内に発泡樹脂を充填するという解決法があるが、それで乗り心地がどう変わるかは未知数である。

 現状で言えるのは、「あれば、ないよりはましだろう」といったっところではないか。歩けば12時間かかるところを4時間程度で帰宅できるとなれば、これは装備する意味がある。しかし、すぐにパンクしてしまって役に立たない可能性も否定できない。

 現状のA-Bikeは、生活に入り込んできた「まだ使い方が分からない珍妙な機械」だ。これをどうやって使いこなすかは、これからの僕らにかかっている。色々やってみて、使い方を見つけて行かなくてはならない。

 ここで一つ、あまり気張らなくてもできることを提案したい。

 A-Bikeの5.7kgを持ってみて重いと感じる人もいるだろう。そして、かなりの人が高校の時と比べて5.7kgどころではなく体重が増えているのではないだろうか(威張れた話ではないが私もそうだ)。

 そこでだ。
 A-Bikeを買って、同時に5.7kgだけ体重を減らすことを試みてはどうだろう。減量の暁には、かつての自分と、A-Bikeを抱えた自分が同じ重さになる。A-Bikeのない太った自分と、A-Bike込みの自分とを比べてみて、どれほどモビリティ(移動する能力)が向上するかを試してみるのである。

 もちろん全身に付く贅肉と、体の一部でかかええるA-Bikeでは体感的な重さが違う。それでも、重量は同じだ。タイヤなしの自分と、タイヤとフレームとペダルとが付いた自分とは、どれほど違うのだろうか。それを自分で体感してみるのである。

 面白いと思うのだけど、どうだろう。

——まずは、自分でやってみようかと思う。うまくいったならばあらためて報告する。いつまでも報告がない場合は、減量に失敗したということで。

2007.05.14

A-Bikeに乗る その6 改造とライトについて

Abikelight

 私のA-Bikeの主な情報源は、mixiのコミュニティだ。

A-bike 折りたたみ自転車

 mixiのアカウントを持っている人は上記のリンクで読むことができる。

 mixiではすでにいくつかの改造事例が報告されている。ギアを交換して、より高速よりのギア比にしてみたり、ハンドル周りやサドルを交換してみたり。
 およそ改造は不可能なように見えるA-Bikeではあるが、マニアの手にかかるとさまざまな技が生み出されるものではある。

 私としては、A-Bikeを改造するつもりはない。ギリギリまで煮詰められた設計のA-Bikeは、どこをどういじっても悪くなる可能性がある。むしろ、A-Bikeの使い方を試行錯誤していくことで、今までにない自転車の可能性を探っていこうと思っている。

 そこで夕方から夜にかけてでも走れるように、ライトを装着した。自転車のライトは、前を照らすというよりも、自分の存在を周囲に知らせる意味のほうが強い。

 A-Bikeのハンドルバーはかなり太いので、通常の自転車用のライトでは取り付けられない可能性がある。太いハンドルに取り付けられる、バンド取り付け型のライトを選ばなければならない。


 A-Bikeの軽量性を損なわないということを基準に、私はCATEYEの「SL-LD100-W」を購入した。高輝度白色LED2つで光る、コイン型の小型ライトだ。

 「SL-LD100-W」は、磁石でスイッチングする。ゴムバンド端の黒い留め具の中に磁石が内蔵されており、これで発光面をこすると内蔵センサーが磁場の変化を検知してスイッチをオンオフする。つまり外部に機械的なスイッチが露出しておらず、本体は完全に密閉されている。
 スイッチ周りに水が入ることがトラブルの大きな原因になることを考えると、とても賢い設計だと思う。

 現在、私はフロントにしかライトを付けていない。暗くなってからはなるべく走らないつもりだからだが、本当はリアに赤の点滅灯も付けておくべきだろう

 他、mixiでは、以下のようなライトを装着した事例が報告されている。



 ・TOPEAKの「ホワイトライトLPF031」



 ・KNOGの「NEW 1 LED LIGHT」



 ・KNOGのTOAD 5LED LIGHT


2007.05.13

A-Bikeに乗る その5 持ち運びを考える

 A-Bikeは小さく、軽い。そもそもの開発コンセプトが「A-Bikeを持って公共交通機関に乗り、駅やバス停から先を高速に動く」ということだから当然だ。では、どの程度小さく、運びやすいのだろうか。

 持ち運びにあたって、私は付属のバッグを利用している。このバッグは香港の販売サイトから購入した場合に付いてきたものらしい。大きさは、まあちょっと大きなスポーツバッグ程度。

Abikepak

 持ち歩きは、これまでの折り畳み自転車に比べるとずっと楽。「これは輪行だ!」と構えることなく、ちょっと大きな普通の荷物を持っている感覚で、電車に乗ることができる。ラッシュアワー時は、さすがにごつごつ他人に当たるとまずいので包み方を考えねばならないだろうが、その他の時間帯では、ごく当たり前の荷物として持ち運び可能だ。もちろん荷物のためにグリーン車を利用する、なんてことも必要ない。

 5.7kgという重さはちょっと微妙。色々な人に持ってもらい印象を聞いてみたが、これが自転車だと知っている人は、皆「軽いですね」と言った。一方、中身を知らせずに持たせた人は「何こんな重いものを持ち歩いているんだ?」という反応だった、つまり、日常的に持ち歩く荷物の中で、「重い」「軽い」の中間ぐらいに位置するらしい。

 店などに寄るときは、畳んで中に持ち込む必要がある。その場合も短時間で折りたため、そのままむきだしで持ち込んでもさほど違和感はない。自転車を店内持ち込むというと、泥で店内が汚れるのではと思うかも知れない。しかし、実際問題としては乳母車を持ち込むのと大差はない。

 私にとってありがたいのは、狭いAZ-1の中にも悠々持ち込むことができるということ。どうやらシート後ろに2台は積むことができそうだ。

Abikeaz1a_1

Abikeaz1b_1



 結論として、「これで新しいライフスタイルを試してみよう」と思える人ならば、気楽に持ち歩くことができるだろう。要は気分次第で重くも感じ、軽くも感じる微妙な重さとサイズなのである。
 日常的に持ち歩くのは一般的ではないが、ちょっと面白がることができる人なら、気楽に持ち歩ける程度には軽い。面白がって持ち歩いて、それでどんな世界が開けるかは、まだ私にも分かっていないけれども。

 おそらく——あと2kg軽ければ、かなりの人数の人が喜んで日常的に持ち歩くようになると思う。東京の地下鉄は大深度化が進み、乗り降りが大変になってきている。それぐらいなら、A-Bikeを持ち歩いて地下鉄数駅間をA-Bikeで移動したほうがずっといい。

 もちろん、ぎりぎりまで削って5.7kgに納めた機械を、さらに2kg軽量化するのは容易なことではない。

2007.05.12

A-Bikeに乗る その4 乗り心地を語る

Abikeenoshima

 A-Bikeに乗る前に、一つやっておくべきことがある。

 A-Bikeのステアリングはとても硬い。

 普通自転車のステアリング部にはボールベアリングが入っており、スムーズに回るようになっている。しかし、A-Bikeのステアリグは、軽量化のためか折り畳みの都合上か、金属とプラスチックがこすれ合うすべり軸受となっている。一応、摩擦抵抗が少ない材質のさやを挟み込んであるようなのだが、それでも回転はしぶい。

 このため、そのままではかなり意識して力を入れ、ハンドルを切らねばならず、乗りにくい。

 当然給油して、摩擦を減らすことを考えるが、問題はすべり軸受け部がプラスチックであるということだ。材質を浸食しないような潤滑剤を選ぶ必要がある。すぐに思いつくのはCRC56だが、これはプラスチックの材質によっては浸食する。

 私は自転車専門店に行って、テフロンを含み、合成樹脂やゴムを浸食しないとする潤滑剤を買ってきた。動かすことでテフロンコーティングされ、潤滑効果が長続きするだろうと考えたからだ。

 テフロン含有潤滑剤を吹き込むと、ステアリングの動きは大分良くなった。同時に、乗り心地も大きく向上した。従って、以下の印象は、「ステアリング部にテフロン潤滑剤を吹き込んだ場合」である。

簡単に乗れるの?
 簡単だ。自転車に乗れる人ならば、少々の練習で大した苦労もなく乗れるはず。

走りはスムーズ?
 スムーズだ。高圧6インチタイヤの転がり抵抗は思ったほど大きくない。また各部の加工精度も高いようで、安物の自転車にありがちの車体そのものが抵抗になるような感覚はいっさいない。

安全に乗れるの?
 通常の自転車よりも気をつけることが多い。

 まず、組立時にすべてのロック箇所をきちんとロックすること。

 次に段差に注意すること。タイヤが6インチと小さく、またホイルベース(前輪と後輪の間の距離)が短いので、通常の自転車より転倒しやすいことは間違いない。段差を乗り越えられないと思ったら、すなおに自転車を降りて押して歩くべき。

 どの程度の段差なら乗り越えられるかを、すこしずつ見極めて、自分をA-Bikeに慣らしていく必要がある。

 しかしむやみに怖がる必要はない。要は慣れである。

どれぐらいのスピードが出るの
 必死に飛ばせば25km/hぐらいまで出るようだが、15km/hぐらいまでで使うのが適当。だいたい、そこら辺を走っているママチャリ程度のスピードで使うといい。
 つまり、普通のおじさんおばさんが乗るママチャリ程度の速度は楽に出る。もちろん歩くよりはずっと速い。
 なお、クランクが短いので、力を込めて踏み込む漕ぎ方では疲れてしまう。ロードレーサーのように力を抜いて丸く足を回す乗り方をするほうが、疲れないし速い。

坂は上れるの?
 ギアが軽いのでまあまあ上れる。ただし通常の乗車姿勢ではかなり重心が後ろにあるので、えいやと踏み込むと、ウィリーして後ろに降りてしまう可能性がある。ホイールベースが短いので上り下り共に、重心位置に気をつけて、体を前後させる必要がある。

下り道をすっ飛ばすことはできる?
 命が惜しければやめておいた方がいい。下りは前のめりの姿勢になりがちだ。ホイールベースが短いので前転して転倒する危険性が大きくなる。

未舗装路は走れる?
 やめておいた方がいい。タイヤが小さいために、石畳の道でもがたがた揺れて運転しにくい。舗装路専用と思うべき。

サドルが小さいけれどお尻は痛くならない?
 きちんと座骨を座面に乗せて走る限りは大丈夫。ただし、これで数十kmを走るのはつらいと思う。

どれぐらいの距離を走れるの
 普通のママチャリの行動半径なら、間違いなくカバーできる。今まで、15km程度までなら走ったことがあるが、気楽に使えるのは10kmぐらいまでだろう。つまり片道5km程度まではさほど構えることなく使うことができる。

ブレーキは効く?
 効く。普通の自転車と変わらないと思っていい。

雨の日の安全性はどう?
 乗ったことがないので分からない。ただしブレーキの構造からして乗らない方が無難ではないだろうか。

壊れない?耐久性はある?
 長期間乗ってみないことには、なんとも言えない。ただし、mixiの関連コミュでは、ギア破損の事例が報告されている。

特別なメンテナンスは必要?
 タイヤが小さく、空気が抜けやすい。タイヤの空気圧チェックはまめに行うべきである。

 要するに走行性能は、変速機のないママチャリ程度。ただし乗るに当たってそれなりの注意と慣れを必要とする。その代わり、軽量で持って歩くことができるわけだ。

 では、持ち歩きの実際は——次回に続きます。

 写真は江ノ島にて。

2007.05.11

A-Bikeに乗る その3 A-Bikeを観察する

 A-Bikeを子細に観ていくと、ずいぶんと細かいところまで気を遣った設計をしていることが分かる。同時に、6kg以下という軽さは、構造材に大胆に樹脂製品を使った結果であることが見えてくる。樹脂製品はガラス繊維で強化したFRPだそうだ。母材がなにかは分からなかったが、おそらくは高強度のエンジニアリング・プラスチックを使っているのだろう。


Pict4772 タイヤ周り。タイヤは6インチの小径。ホイールにドラムが付いており、外側から締め付ける簡素なドラムブレーキを採用している。部品点数削減のための設計だろう。ブレーキの効きはよく、タッチも通常の自転車と変わりない。ただし雨天でどうなるかは、雨中走行をしたことがないので分からない。


Pict4773 分割式のハンドル周辺。ハンドルは左右から差し込む。ガイド溝がついていることから分かるように、ハンドルはピンとガイドで半分固定されており、完全に分離することはない。左右のハンドルを受けるハンドル中央部は、下部がえぐってあり、同時に樹脂製の支持部品がついていることに注目。これはおそらく応力が集中してハンドルが分割部付け根から破断するのを防ぐためだろう。同時にえぐった部分からハンドルは下に折れ曲がるようになっている。


Pict4777 ちょっとピンぼけの写真だが、サドル部分。畳んだ状態から引き起こしたところ。サドルを支える金属のポストと、ポストを固定する樹脂製のサポートの基部ヒンジが同軸になっていることに注目。


Pict4778 縦フレームを伸ばしている。サドルは必要最小限の大きさしかない。いい加減な座り方をすると、お尻が痛くなる。もちろん、きちんと座骨を座面にあてて座れば尻が痛くなることはない。とはいえ、これで数十kmも走るのはちょっと勘弁して欲しいところ。


Pict4780
 車軸を支えるのは驚いたことに、FRPの部品。金属製ではない。よほど強度に自信があるのだろう。それぞれの部品の内側には強度を保つためのリブが一体成型されている。


Pict4786
 わかりにくいかもしれないが、前輪のホイール、ペダル軸の直後、そして後ろ縦フレームの3ヵ所に反射材が取り付けてあり、視認性を上げている。特に左右側面の白丸の反射材は強烈に光を反射する。交通の安全性という面でも、しっかりした配慮がなされている。


Abiketire1 空気を注入するバルブ部分。タイヤに空気を入れるのは少々難しい。折れ曲がった口を外にひっぱりだす必要がある。タイヤチューブに直づけされている口をこじることになるので、チューブを破損しないように注意しなくてはならない。


Abiketire2 バルブの規格は、ママチャリなどが使っている英式でも、スポーツ車が使う仏式でもなく、米式である。自動車やバイクと同じ規格だ。米式バルブに対応したポンプを持っていない場合は、新たに購入する必要がある。
 空気圧は90psi(6.2KPa=6.2気圧)。通常の自転車は4〜5気圧程度なので、それよりも高い。もっともタイヤ自体が小さく空気量も少ないので、空気を入れる事自体は大した仕事でもない。


 A-Bikeは、5月現在で、日本代理店(大作商事)が決まり、もうすぐ国内販売が始まるという状況になっている。

 日本語の販売ページもできた。

 価格は5万6000円(税別)。税込みで5万8800円だ。香港からの個人輸入では4万円そこそこだったので高く感じるが、英国からの個人輸入は税金によって7万円近くかかったので、まあ妥当なところかも知れない。

 楽天でも取り扱いが始まっている。



  

 11日現在、一番安いところで、税込み5万2500円である。


 ところが現在、A-Bikeの格安類似品が日本に流入している。あえて掲載はしないが、楽天でも「A-Ride」「A-Bikeタイプ」といった名称で1万5000円程度で売られている。

 これは、開発元のシンクレア・リサーチが中国の製造工場を選定する過程で、図面が流出したためらしい。儲かるならば知的所有権など知ったことかの中国企業が、売れると見てイミテーションを安く製造しているのである。

 私はこれら偽物を直接さわったことはないが、買うべきではないと判断する。もちろん、知的所有権侵害の製品を買うなという意味もあるが、それ以上に、偽物は危険であると考えるからだ。

 同じものを半値以下で作ろうとするならば、1)工作精度を下げる、2)材料を手抜きした安いものをつかう——しかあり得ない。
 同じ中国で作っているのだから、人件費その他が大きく変わるとも思えない。開発コストの回収が不要ではあるが、それだけでここまで安くなるわけではない。

 つまり偽物は安い低強度の材料と低精度加工で作られている可能性が高い。

 A-Bikeは、適切な材料の選定と巧妙な設計によって成立している。精度と材料のグレードダウンは、即致命的な故障につながる可能性が高い。壊れて損をするだけならまだしも、走行中の破壊で搭乗者が大けがをする可能性もある。中国製品なので、製造物責任で賠償を求めようにも相手が見つからない火も知れないし、見つかっても賠償に応じるとは限らない。

 自転車は自分の命を預ける乗り物だ。形が同じだけの安物を選ぶべきではない。

 それでは、A-Bikeの乗り心地はどんなものなのか、というわけで次回に続きます。

2007.05.10

A-BIkeに乗る その2 A-Bikeを展開する

 すでにネットのあちこちにでてきているし、なるほどれおなるどさんが、こんな動画も公開しているが、いろいろ興味深いので、組み立ての手順を掲載する。


Pict4220 これが畳まれた状態。


Pict4221 まず、左右分割のハンドルを組み立てて、前輪を180°回転させる。ハンドルは差し込み式。真ん中だけが金属製で、左右のグリップ部分は樹脂製。


Pict4222 前輪を回転させて、前に向けた状態。


Pict4223 次に、折りたたんであったシートポストを持ち上げる。見て分かるように、畳んだ状態でシートポスト根本のヒンジは同軸になるようになっている。ここが畳まれていると、スライド式の縦フレーム伸長はできない。シートポストが畳んだ状態のロック機構を兼ねているわけだ。巧妙な設計である。


Pict4224 シートポストを持ち上げた状態で上部の黒い横フレームをつかってちょっと振ると、簡単に縦方向のフレームをスライド式に伸長することができる。所定の長さまで伸ばすと、内側からばねに押されたロックピンが飛び出して、縦フレームを伸ばした状態で固定する。


Pict4225 タイヤの間に足の甲を押し込むと、簡単に下の横フレームが広がる。完全に伸ばして、中央のヒンジのロックを確認する。


Pict4226 2本の縦フレームにあるレバーを締めてロックする。ロックピンが効いているので、これを締めなくても一応は走れるが、特に後ろのレバーは絶対に締めること。後ろのレバー部には、シートポストが着いている。ここをロックしないと、シートポストがぐらぐらして、最悪の場合、シートポストを支える樹脂製部品が破損する可能性がある。


Pict4227 シートポストを伸ばす。自分の体格に合わせて目印をつけておくといいだろう。シートポスト表面は細かいヘアライン処理を施してあってざらざらになっており、体重をかけてもすべって縮まってしまうということはない。


Pict4228 最後に折りたたみ式ペダルを開いて完成だ。



 最初はとまどうかもしれないが、慣れると10秒以下で展開することができる。折りたたむ時も同様だ。機構を相当考え抜いた上で、試作を繰り返して詰めていったのではないかと思う。

2007.05.09

A-Bikeに乗る その1

Abikeinogasira_1

 昨年、A-Bikeのことを書いた。5.7kgの軽量折り畳み自転車だ。アクセスログを見ると、A-BIkeの記事にはコンスタントなアクセスがある。世間的にも注目度が高いらしい。

 実は私は今年の1月、ひょんなことからA-Bikeを入手し、実際に使い込んできた。結論から言えば、これはかなり使える革新的な道具だ。設計は隅から隅まで考え抜かれており、どこをとっても独創的な工夫が盛り込まれている。車体を観察して、「ここはどうしてこのようになっているのだろう」と考えていくだけでも楽しい。

 ただし、普通の自転車に乗るつもりで扱うと、満足は得られないだろうし、危険ですらある。

 A-Bikeは自転車の一種ではなく、A-Bikeという別の乗り物である。そのような認識をもって自分を乗り物に慣らすようにして乗るならば、これは楽しい乗り物だ。
 新しいものが好きで、かつ機械いじりが苦痛ではない人ならば、A-Bikeは買いだと思う。A-Bikeは新しい世界を見せてくれるだろう。

 ただし耐久性については未知数である。mixiの関連コミュニティでは、ギアの破損も報告されている。これが初期トラブルのせいなのか、製造ミスなのか、構造的欠陥なのかは不明である。

 一方、生活を安楽にする道具として、「ちょっと小さな折り畳み自転車が欲しい」という程度の興味ならば買うべきではない。もっと安全かつ高速に走れる自転車がほかにいくらでもある。

 以下数回に分けて、A-Bikeを実際に使ってみての印象を書いていくことにする。

 なお、冒頭の写真は、井の頭公園にて。

その1:A-Bikeを入手する

 そもそもの始まりは、Mさんという方から「A-Bikeを引き取りませんか」というメールをもらったことだった。私の記事を見てたまらず海外通販で買ったものの、自分には扱いきれないので引き取ってもらいたいというのである。

 Mさんには大変申し訳ないのだが、最初は「詐欺か?」と思った。が、メールを交換するうちにそうではないことがわかってきた。Mさんは、当ブログを読んで早速A-Bikeを個人輸入したものの、乗っていて大転倒し、顔面に結構な怪我を負ってしまったとのこと。このため、自分にはとても扱いきれないと断念し、それならいかにも欲しげな記事を書いていた私にゆずろうと考えたのだそうだ。

 都内某所で待ち合わせたMさんは、巨大な絆創膏を顔に貼っていた。手持ちのバンドエイドでどうこうできるような小さな傷ではなかったそうで、血を流しつつ医者を捜したという。

 これは自分もよほど注意しなくてはと思い、事故時の状況を聞いた。歩道を走行し、交差点で歩道を降り、横断して対面の歩道に乗り上げる時、そのほんの小さな段差に前輪がひっかかり、前転して顔から落ちたそうだ。

 他人の不幸に乗じるようで気が引けるが、ともあれ実物のA-Bikeが目の前にある。ちょっと目にも興味深いメカニズムであることはわかる。

 これは入手するしかない。というわけで、私はMさんから新品も同然のA-Bikeをほぼ半値で入手したのであった。

 Mさん、どうもありがとうございます。うれしいのは確かなのですが、なんだか不幸につけ込んだようで申し訳ないです。

その2:A-Bikeで転ぶ

 受け取り時、Mさんからは何度も「注意してください」と言われた。「転んだらしゃれになりませんから」

 しかし、白状するなら私もやってしまったのだ。それも2回。しかも最初は受け取った当日だった。

 A-Bikeを手に入れた当日、私は夜遅くに茅ヶ崎に帰り着いた。駅から家までの夜道、安全を考えるならば、当然A-Bikeに乗らずにかついで帰るべきだった。足下が見えない暗い夜道で、初めての自転車。しかも、6インチの小さなタイヤのいかにも癖のありそうな自転車だ。

 ところが新しいブツを手に入れた私は、興奮していたのだろう。「乗ってやるぞ」と、階段の手すりを滑り降りた老グレイストーク伯爵(映画「グレイストーク」参照のこと。ちなみに、クリストファー・ランバート主演のターザン映画)のごとく、私は初めてのA-Bikeにまたがり、夜道を走り出したのだった。

 興奮のまましゃこしゃことこぎ続け、家の近く、道の状態が悪くて段差になっているところに来た。そこを徐行して乗り切ろうとした私は、見事に前転して放り出された。

 幸いなことに速度を落としていた上に、手袋をしていたのでいっさい怪我をせずにすんだ。痛いことは痛かったがどこを切ったわけでもない。「より、きちんと体を慣らして乗りこなしてやろう」という気持ちがいや増しに高まった(ま、バカとも言いますが)。

 2回目は、A-Bikeを都内に持ち出し、乗り回していた時だった。神宮球場から信濃町に抜ける途中、代々木の体育館の裏あたりで、横断歩道をわたって歩道に上がるところの段差でつまづいて転んだ。

 しかし、この時は下を向いていたので、転倒の原因をはっきりと自分の目で確かめることができた。おそらくMさんも、これと同じ原因で転倒したのだと思う。

 以後、私は注意するようにし、その後一回も転倒していない。

Abikelock これは図を見たほうがわかりやすいだろう(図は、ネットで公開されている A-Bikeマニュアルから作成した。矢印以外の赤文字は松浦による)。A-BikeはA字型のフレームの横棒が2つに折れることで折り畳まれる。折り畳みのヒンジにはロック機構がついており、使用時にヒンジが曲がるのを防止している。しかし、このロック機構はロックしたかどうかの確認がちょっとばかり難しいのだ。
 ロック機構はばねによって、展開すれば自動的にロックする仕組みになっている。ところがバネが少々弱く、いいかげんな展開をするとロックがかからない。

 この部分がロックせずに走るとどうなるか。平地なら問題ない。A字型フレームは搭乗者の体重で上から押しつけられるので安定している。しかし段差にかかると前輪に前から押す力がかかる。通常ならばヒンジはロックしているので曲がることはない。が、もしロックしていなければヒンジは曲がり、半分畳まれた状態になった車体から、搭乗者が放り出されることになる。

 対策は組み立て時に、ロック機構がかかったことをきちんと確認する、これに尽きる。
 この他に、A-Bikeには組み立て時に締めるレバーが3カ所あり、うち2箇所にはロック機構がついている。どの部分もおろそかにすると非常に危険であり、危険とまでもいかない場合もA-Bike本体を破損することにもつながる。

 A-Bikeは極力部品を減らすような設計を採用している。逆に言えば一つの部品が複数の役割を担っている。どの部分の破損も、走行不可能につながる可能性が大きい。

 取り扱いに当たっては、漫然と自転車に乗るのではなく、A-Bikeという別の乗り物に乗るという心構えが必要である。

 以下、続きます。

2007.05.08

本日(5/8火)、エルピーダの坂本社長がNHKに出演します

5/9追記:再放送は総合とデジタル総合で2007年 5月14日(月)の深夜、翌日午前2:20~翌日午前3:05です。つまり15日(火)の早朝です。


 本日NHK第一、午後10時からの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にエルピーダメモリ社長の坂本幸雄氏が出演します。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」
放送予定
常識とは。——5月8日(火)放送予定「経営者・坂本幸雄」さんのスタジオ収録。:同番組、スタッフのブログ

 拙著「エルピーダは蘇った」の主人公です。少なくとも従来の経営者の枠には収まらない新しいタイプの経営者であることは間違いありません。


 テレビを見て坂本氏の姿勢と思考に興味を持った方に読んでもらえればと思います。


2007.05.06

「ぼく、オタリーマン。」に紹介される

Otaliman

 ちょっとうれしい話。

 拙著「恐るべき旅路」が、このところ人気急上昇のマンガ「ぼく、オタリーマン。」(よしたに著 中経出版)に紹介されていた。新聞や雑誌の書評欄にとり上げて貰ったことはあるが、マンガで紹介されたのは初めてだ。

 一番最後のページというなかなか目立つ場所に1ページ「ぼくと理系男」と題して、

「恐るべき旅路——火星探査機『のぞみ』のたどった12年——」(朝日ソノラマ)という本を読みました。
有人宇宙船ばかりが宇宙開発だと思っている方に、ぜひ読んでほしい一冊です。泣ける宇宙本という、珍しいジャンル。
面白いですよー。

と、紹介してくれている。

Otaliman2

 ああ、ここにも読んでくれる人がいたんだな——とうれしくなった。力を込めて書いた本がよんでもらえるのはうれしい。こうやって紹介してもらえるのはもっとうれしい。きちんと読んで、内容をくみ取ってもらえた上での紹介ならなおさらだ。

 著者のよしたにさんはダンシング☆カンパニヰというホームページからデビューした、SE兼業の漫画家さんだそうだ。「ぼく、オタリーマン」は、若いSEの日常を笑いとペーソスで描いたもの、というまとめでいいだろうか。

 思わず買って、一気読みしてしまった。なかなか面白かった。

 現役SEの皆さんが読むと、身につまされる話なのかも知れない。


 私がどうこう紹介するよりも、amazonに掲載されている著者自身による紹介マンガ(amazonに自薦マンガが載ったのは初めてじゃないだろうか)を読んだ方が、中身は良く分かると思う。なんでも増刷に次ぐ増刷だそうで、是非ともあやかりたい。


 そして拙著もよろしくお願いいたします。


« April 2007 | Main | June 2007 »