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2007.06.20

生存報告を兼ねて「水からの伝言」のことなど

 うかうかしていると、ここの更新も簡単に一ヶ月も空いてしまう。
 仕事しています。ええ、しておりますとも。

 日経BPのSAFTY JAPANに書評欄を持っているのだが、そこに「水はなんにも知らないよ」の書評を書いた。以前こんな記事も書いているが、私としては「水からの伝言」のようなニセ科学には広がってもらいたくはないのだ。

 あんなものを信じる人が増えると、行ける星にも行けなくなってしまうではないか。

 どういうわけか、この書評は2ちゃんねる紹介サイトの痛いニュースに掲載されてしまった。ということは、2ちゃんねるのどこかで話題になったのだろう。

 ちなみに書評では、話の流れ上割愛したのだが、ニセ科学系の人は、おたがいつながっていることが非常に多い。さらには、ディプロマ・ミルと呼ばれる、金で学位を出す大学(アメリカにはそういう商売がある)の学位を持っている、そして発行する主体が非常にあやしげな賞を受賞している、という共通点も存在する。

 このあたりのニセ科学人脈と、あやしげな学位や賞については、菊池誠さんのkikulog中、このエントリについたコメントあたりを参照するといいだろう。

 偶発ではあるが、同時期に前野[いろもの物理学者]昌弘さんの娘さんが通う学校で、水伝大戦が勃発している

 前野さんが描くところの「ごめんなさい以後気をつけます」でその場を逃れようとする先生に対する評価は、野尻抱介さんによる「あなたは間違い方まで間違っているので教員免許剥奪です」というものが一番適切だろう。

 「信じ切っている人に、何を言っても無駄」という考えもある。だが、折に触れて「あれはインチキだよ」と言っておくことは決して無駄ではない——私はそのように考える。

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Comments

ご指摘のとおり、科学でもないのにまるでまるであたかも科学であるかのように振舞う「似非科学」(ニセ科学)が広まることは百害あって一理なしです。
松浦さんのような方がこうして啓蒙してくださることはよいことと思います。
しかしながら、書評を拝見して一点だけ気になることが。
「宗教がニセ科学の温床」といったご趣旨の記述がありますが、これはいかがなものでしょうか?
宗教における世界観はそれでひとつのパラダイムを形成しており、基本的には科学の言葉や論理を援用するようなこともありません。
インテリジェント・デザインの例は少し怪しいですが(ピーナッツバターは、生命誕生理論で言うところのアミノ酸や炭水化物が混ざったもので、それが適度な温度で攪拌されるものだが、これまでそこから生命が誕生した例はない、などという反証をするので)、キリスト教の聖書世界は聖書にすべてがあるとするので、その世界に閉じています。
それぞれ聖書と科学という独立したパラダイムであって、元来比較不可能なはずです。

科学の言葉で聖書を否定するのも無意味なことですし、聖書によって科学を否定するのもおかしな話ではないでしょうか?
もともと、この世界の仕組みや成り立ちを説明するためのパラダイムとして構築されたものであって、聖書は聖書というパラダイムの中では破綻しません。
なぜなら、最後は「神がそのように創ったから」と言えばおしまいだからです。
これは科学の論理では否定できないことを如実に示すものと思います。

問題なのは、本来科学でないものが科学であるかのように振舞って惑わすところにあるのであって、異なるパラダイムのことを持ち出すのはあまり適切でないような気がしました。
失礼な物言いもあるかもしれませんが、その際はご容赦ください。

アポロ計画陰謀論なんてのもありましたね
あれだけひどく論破されたものは無いのに
一向に反論は世間に広まってない感じですね
「あるある」みたいに我が身に影響を及ぼすものでないと
ばら撒かれた残骸の回収は無理なんでしょうか

水伝をまだ使っているのは問題というか、論外ですが、その一事でもって学校の先生を切って捨てるのは、言い過ぎではないですか?

政府の○×委員会、大手マスコミ、評論家、他多数の教育議論で欠落しているのは、「学校の先生というのは、比較的安価な給与で全国で数十万人ぐらい揃えないといけない存在だ」という意識だと思います。つまり学校の先生は極々普通の人。

一般家庭では1人2人の子供を育てるのに大騒ぎして、学校の先生にはプロなんだから30~40人を同時に面倒見ろと要求しているわけです。学校システムが明治以来機能してきたことの方がむしろ奇跡に近い。

支離滅裂で申し訳ないのですが、切って捨てるのではなく、包括的に支援する方向で何とかならないですかね。

一部宗教家が「++の奇跡」や「**の水」系統の話で信者を獲得し、お布施/寄進を要求しているのは周知の事実です。

困っているとき、不幸に見舞われているいるときこうした話はパコっと心に入り込みます。

あえて言えば、他人の不幸を利用して利益を得ている集団の活動は調査報道や取材で究明すべきでしょう。

似非科学には
「何でそーなるん?」というツッコミと実証主義で追求する道しかないようです。

初めてコメントさせて頂きます。

SAFTY JAPANの書評欄拝見いたしました。随分盛り沢山でしたが、的確な書評であると思いました。

特にTOSSの話題にも言及されたのはよかった。日経BPのサイトの読者のように比較的科学リテラシがある人間は、いわゆるニセ科学については、「バカバカしい」「騙されるヤツが悪い」で済ませてしまうことがよくあります。私自身もそうだったのですが、これが教育現場にも入りつつあるという実態を知って、自分の子供にも直接関係することと悟った次第です。

ただ、日経BPだから記者もみんな科学通だろうと思っていると、ときどき???な記事を見かけますので、松浦さんもご用心を。

> Lazy_8 さま
現場の先生が大変なのは解るつもりですが・・・

>「学校の先生というのは、比較的安価な給与で
>>全国で数十万人ぐらい揃えないといけない存在だ」という
>意識だと思います。つまり学校の先生は極々普通の人。

これは、あくまで、僕の考えですが、
「給料が安いから、大量に揃える必要があるから」

これは、事実だと思います。でも、だからと言って、
それが、「教師としてのレベル」を求められず、
教師なのに「極々普通の人レベル」での仕事を許される免罪符には
ならないと思います。

>切って捨てるのではなく、
>包括的に支援する方向で何とかならないですかね。

この主旨は解ります!

 ニセ科学と相性がいいのは、「宗教」ではなくて「カルト」の方ですよね。
教義に科学的根拠がある、などと言い出したら危ない。

 あとは、「一発逆転大穴狙い」の心理でしょうか。その内容を信じることによって、すごくいいメリットがもたらされ、これまでの自分とは違う自分、違う未来がありそうだ、という幻想によってニセの方を受け入れているケースがありそうです。

教授法そのものが正しいかというと、「昔水道方式:今百マス」という戯れ言が口をついてしまいます。
滝山コミューン:原武史 ISBN 978-4-06-213939-7 C0095
を読んでも、科学的指導法というのが如何に非科学的かというのが胸をつきます。

くだんの記事を読ませていただきました。失礼ながら、これは「書評」ではないように思われます。水伝やニセ科学に関しての思いは伝わるのですが、「水はなんにも知らないよ」に述べられている部分と評者の意見が判然としていないように見えました。
この、「ソースを明確にせず、思いだけを強く伝える」のはニセ科学的言論の形態そのものです。本書の書評にはふさわしくないと思われますが、いかがでしょうか。

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