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2007.09.30

スイングバイ

 月探査機「かぐや」は、10月4日の月周回軌道投入へと、順調に飛行している。

 運用現場の雰囲気はとても良いそうだ。実際に探査機が飛ぶというのはとても重要なことなのだな、と感じる。

 オーマイニュースに、「かぐや」は月軌道まで達した!を、中山 正志さんという市民記者が投稿している。その中の、以下の部分が一部で議論になっているようだ。

ロケット噴射して高度を上げたのでしょうか。実は、地球の重力を利用して「地球スイングバイ」を行ったのです。

 図中左の水色の円弧が、地球の公転軌道です。「かぐや」が1周目の間に地球は、公転で図の下に移動します。1周目の終わりに、地球に落下してくる時に、打ち上げの時点より地球は、下に進んでいます。

 すると「かぐや」の地球への落下時間(距離)はその分多くなり、地球を離れる2週目には、1周目より加速され、衛星速度が上がるのです。そのため、いっきに高度38万6000キロメートルまで到達しました。これが、9月24日の朝のことです。空中ブランコのようですが、スイングバイが使われてるのです。

 この記述は明らかな誤りである。スイングバイとは、重力場を介して大質量の星と探査機が運動エネルギーと運動量のやりとりを行い、探査機を加速・減速する軌道変更手法だ。地球を周回する探査機は、地球の重力場を利用したスイングバイを行うことはできない。

 拙著「恐るべき旅路」から、該当部分を抜粋し、以下に掲載しておく。

 月でも地球でもいい、とにかく星が一つ、宇宙空間に浮かんでいるところを想像してみてほしい。そこに遠くから探査機が飛んでくる。別に探査機でなくても隕石でもなんでもいい。とにかく星に向かって遠くからなにかが飛んでくると考えてみよう。

 星に近づいた探査機は、星の重力場に引かれて、ぐるりと星を回って向きを変え、また遠ざかっていく。この時、探査機の速度は向きが変わっただけで変化しない。プラスマイナスゼロだ。イメージとしては、抵抗がゼロの台車に乗って、同じだけの高さの坂道を降りてまた登るのと同じだ。台車は探査機、坂道は星の周囲の重力場というわけである。

 しかし実際には星は動いている。月なら地球の周りを回っているし、惑星ならば太陽の周りを回っている。つまり探査機を振り回す重力場も星と一緒に動いている。つまり、先ほどのたとえで言えば、降りて登る坂道自体が動いているのだ。

 坂道が動くとどうなるか。坂道を降りて上る台車の速度に坂道が動く速度が加わる。台車は坂道が動く分の速度を得て加速することになる。

 「坂道が動くなんて考えにくい」と妙な例えに困惑する人もいるだろう。しかし地球には動く坂道を利用するスポーツが存在する。サーフィンだ。サーフィンは大波、つまり動く坂道を滑り降り続けながら波の移動でサーフィンボードと上に乗るボーダーが前に進む。

 サーフィンの場合は空気や水が抵抗となるので、抵抗によるエネルギー損失と、波の移動から得るエネルギーが釣り合ったところでサーファーは波と共に同じ速度で移動する。しかし探査機と星の場合には、抵抗となる空気も水も存在しない。「移動する坂道」である星から得られたエネルギーのすべてが探査機を加速することになる。

 スイングバイとは、月や惑星を大波に見立てた、宇宙のサーフィンでもある。

 ところで、高校で物理を習った人は、「速度はベクトルである」ということを思い出して欲しい。ベクトルとは「向き」と「大きさ」を持つ量のこと。速度は単に「時速4km」というような大きさだけではなく、例えば「東に時速4km」というように「向き」と「大きさ」の両方を本質的に兼ね備えているのだ。だから、より正確に言うならば、スイングバイでは、探査機の速度ベクトルと星の速度ベクトルが足し算されることになる。スイングバイは単なる探査機の加速減速ではなく、速度ベクトルの足し算で、探査機の速度ベクトルが変化するということだ。

 「速度ベクトルの足し算」ということを、もう少しくだいて言うと、スイングバイでは、探査機の速さと向かう向きが変化するのである。

 スイングバイの原則は以下の3つだ。
・惑星や衛星の進行方向の後ろを探査機が通過する場合には、探査機は加速する。
・惑星や衛星の進行方向の前を探査機が通過する場合には、探査機は減速する。
・探査機自身が惑星や衛星の周囲を回っている場合、その惑星や衛星の重力場を使ったスイングバイはできない。

 一番目と二番目は、つまり最終的な探査機の向かう方向が、坂道の動く方向、つまりは星の進行方向と同じだと探査機は加速する。逆に探査機が向かう方向が星の進行方向と反対なら探査機は減速するということである。スイングバイを使えば加速するだけではなく、減速することもできるのだ。

 三番目の原則の意味は、例えば地球の周りを回っている科学衛星は、地球の重力場を使ったスイングバイはできないということである。地球の周囲を回るということは地球と同じ速度で太陽の周りを回っているということだ。だから地球の移動速度を使って自身の速度を変えられるはずがない。もちろん、地球の周りを回りつつ、月を使ったスイングバイは可能である。

 この件に関しては、色々な指摘があったようだ。中山さんはコメント欄で「地球周回軌道上でスイングバイが可能かどうかは調査中ですが(これも2chで宙ぶらりんになってるので、資料探します)今回の2周目の軌道修正は△Vc2によるロケットエンジンによる軌道変更でした。」と書いている。

 まだ納得はしていないようだが、自分が事実誤認をしたというのは認めた。

 実のところ、中山さんのような人は貴重だ。宇宙開発にとって、非難よりも無関心のほうが問題である。

 「勉強してから書け」という考え方もあるが、オーマイニュースは市民メディアとして書き手を広く募る媒体だ。「書きながらつまずきつつ、覚えていく」のは許されるべきだと思う。その分、オーマイという媒体の信頼度は下がるが、それは市民メディアを標榜した以上、甘受すべきデメリットであろう。

 実際、自分も駆け出し記者時代からどれほどつまずいてきたかを思い出すと、のたうち回りたくなる。私の場合は、先輩記者や編集長などがフォローしてくれたわけだが、オーマイでは、書いた本人が間違いに対する非難を直接受け取ることになる。それは、かなり厳しい試練だろう。

 中山さんには、きちんと勉強をして、今後とも宇宙関係の記事を出していって貰いたいな、と思う。

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Comments

その記事を書いた中山です。
貴重なアドバイスありがとうございます。
スイングバイについては完全に私のミスでした。

ただ、いいわけをさせていただくとjaxaの説明は1周目と2周目の「かぐや」の高度が同じになっている資料が多く、3Dシミュレーションの衛星軌道を見たときに「なんじゃ、この高度の変化は」と感じ、勝手に妄想を始めたことに起因します。

地球周回軌道での衛星と地球の関係は同一の場であり相互に均衡していてスイングバイが作用しないのは理解しました。
もっとも、それ以前に「かぐや」の周回軌道の方向に着目すべきでした(太陽からみてマイナス120度方向ですからスイングバイが効く軌道では無いです)

貴重なアドバイスありがとうございます。

スイングバイとは直接関係なく、宇宙作家クラブの掲示板での発言についてのコメントです。場違いであれば松浦様、削除をお願いします。

題:タンタルコンデンサの件

宇宙作家クラブの掲示板にて柴田氏が取材されてコメントされている件について補足させていただきます。

的川教授にタンタルコンデンサの取り付け間違いは旧NASDAでは極性確認をしていないかったからであり、今後教訓として生かされるであろう
。と、取材されております。

柴田氏は今後の教訓にするのは良いが過去(旧NASDA衛星)はどうだったのか不安であるとの発言をされています。

日本の衛星メーカである三菱電機、NECともにJAXA向けもNASDA向けも多数の装置開発及び飛翔実績を有しております。

旧JAXA向けであろうと旧NASDA向けであろうと極性確認は重要な位置づけであり顧客が変わることにより検査を省くことはないと考えます。

過去どのメーカでも極性間違いにより痛い目にあっているわけであり是正処置は採られています。

今回の間違いがどの様に発生してしまったのか知る由もありませんが的川教授の発言は政治的に旧NASDAは極性確認をやっていなかったと発言されたのか不確かな情報(的川教授が旧NASDA向け装置について詳しいとは思えません)で発言されたかのどちらかかと考えております。

以上


http://www.sacj.org/openbbs/

進め宇宙開発 さま。
リンク先を拝見したのですが、私は

・衛星の納入後に、受け入れ検査の一環としての極性確認を、
 ISASでは行っていたが、NASDAでは行っていなかった

ということか、と理解しました。
もちろん、メーカーでの極性確認は必ず行っていたのでしょうが、
それでも起こるかも知れない、万一のためのクロスチェック体制
についての話だと。
私には、このような組織によるスタンスの相違は、ありうることだ
と思えるのですが……。

しかし、こういう間違いは、起きるときは起きてしまうものなん
ですねえ。なんだか身につまされます。
「逆接続すると即座に破壊するタンタルコンデンサ」が
あるとよいのかも知れませんが(^_^;)。

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