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2007.10.27

「NASAを築いた人と技術 巨大システム開発の技術文化」


 「NASAを築いた人と技術」(佐藤靖著、東京大学出版会)を読み終えた。NASAのパートはだいぶ前に読んでいたのだけれども、最後の日本の歴史を書いた章をしばらく放置していた次第。

 これは宇宙開発の歴史をきちんとまとめた、大変に意味のある本だ。歴史学の手法と資料評価の視点をもって、いままであまり知られることがなかったアポロ計画を初めとしたアメリカの宇宙計画の内幕を描いている。

 アポロ計画はあれほどまでに巨大でセンセーショナルであったが、誰が計画をどのように主導したか、意外なぐらいに知られていない。一番有名なのはフォン・ブラウンだが、彼はマーシャル宇宙飛行センターに集まった技術者を率いて、サターンVロケットの開発をまとめ上げたのであり、アポロ宇宙船や月着陸船には関与していない。
 映画「ライトスタッフ」以降、各宇宙飛行士には光があたるようにもなり、少しマニアックに宇宙関係を調べている人ならば、宇宙飛行士の選抜に当たったオリジナル・セブンのひとりであるディーク・スレイトンあたりを手がかりに、2代目NASA長官のジェイムズ・ウェッブや飛行運用本部長のクリス・クラフトといった人名にたどり着いているだろう。

 では、誰がどんなことをして、それが組織的にどんな意味があって、アポロ計画が進行したのか。本書はその疑問に答えてくれる。

 特に、組織文化についてはかなりの紙幅を費やしており、NASAの各セクションの組織文化が、アポロ計画の基本構想やハードウエア、ソフトウエアの構成にどんな影響を与えたかを、順を追ってきちんとまとめてある。
 日本から見ていると一枚岩に見えるNASAという組織が、各フィールドセンターごとに大きく異なる組織文化を持っているということ、さらにマニュアル第一主義に思われがちなアメリカの組織が、意外なぐらいに属人的な要素を抱えていることなど、興味深い知見が一杯に詰め込まれている。

 第5章では、日本の宇宙科学研究所と宇宙開発事業団の組織文化について、考察を行っている。特に宇宙研の属人的文化への考察はかなり納得できる。

 高価だがそれだけの価値がある本だ。宇宙開発に興味があるなら必読。できれば手元に置いておくべきであろう。

 著者の佐藤さんは、この本を、NASAのヒストリーアーカイブを駆使することで書き上げたそうだ。
 次の目標は日本の宇宙開発に関してこのような著作をまとめることなのだそうだが、NASAがきちんとヒストリアンをおいて、自らの歴史の一次資料を収拾し、保存しているのに対して、日本はそのような組織体制がないので難しいと言っていた。

 是非とも日本の宇宙開発についても、この本のような歴史学的にきちんとした手法と視点をもった本を書いてもらいたいと思う。過去をきちんとまとめておかないと同じ間違いを犯す可能性が増える。日本の宇宙開発が、間違いを繰り返さずに進むために、佐藤さんのような仕事はとても重要だ。


 ずっと以前のことだが、某霞が関OBから「君の仕事は稗史(はいし)だね」と言われたことがある。

 稗史——辞書を引くと「民間の言い伝え。小説風に書いた歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。」と出てくる。古代中国に、民間の人々から聞き取りを行って文書にまとめる稗官という役職があった。彼らが民間の側から綴った歴史が稗史である。
 稗史には対立概念として「正史」という言葉がある。国家が編纂する正式の歴史という意味だ。

 これらは相互に補う概念である。正史と稗史の両方なくして歴史は把握できない。と、同時に正史から稗史への差別感覚も存在する。

 その霞が関OBは、「日本ロケット物語」(大澤弘之監修、誠文堂新光社)が正史であるという感覚でいた。元科学技術庁事務次官で宇宙開発事業団の理事長をも務めた大澤氏のまとめたものだから正史というわけだ。

 ところが、「日本ロケット物語」は、以前三田出版会から出ていた版と現行の誠文堂新光社版には内容的な差がある。この件について、私はNASDAのOBから「●●さんが、色々書き直してしまってかえって事実から離れてしまった」ということも聞いている。要は、執筆者内にも異なる思惑があったということだろう。

 私が書くものが稗史であることに異論はない。むしろ積極的にそうありたいと思う。ただし「日本ロケット物語」が正史というのには異論がある。貴重な資料であることは間違いないが、関係者が自分に都合良く書く可能性を考えると正史と呼ぶのはためらわれる。

 佐藤さんのように、歴史学の手法を身につけた者がまとめる歴史こそが、正史であろう。

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Comments

稗史と正史・・・

ふむ、事実と公式見解の差ですがこれは後世の歴史が決めるものでありましょう。
だからこそ事実を書き続けて行かなければならないと思います。

権力者からは、耳障りのバレッジジャミング(広域帯妨害)と受け取られるとは思いますが、
まあ都合のいい正史を読んで、そのヨタ話を信じる人が減ればよしとすべきでしょう。

アラモから失礼!

チャイナ的な発想からすれば、ヘロドトスの「歴史」も、トゥキディデスの「戦史」も、稗史でしょう。

稗史と正史を区分する、そういうチャイナ的な発想で、
著述を区分分けする人間が官僚OBだということに、
日本の官僚、いや日本人の限界を見たくなってしまいます。(統計上、問題のある発想ですが。)

だからこそ、多くの組織で、組織の歴史を生かす形で資料・体験を体系化して残す発想が無いのかもしれません。

確かにH-IIは高価で国際競争力もない、
だがそれはその後進んだ円高のせいであって
当時の判断は間違ってなかった
みたいな主張には思わずズッコケ・・・
当事者は常に「正しい」決断を繰り返してきたからこそ
自らの残した歴史への冷静な評価は難しい・・・?

そもそも正史というのは、王朝の正統性を喧伝するためのもの。都合の悪い事実は隠蔽もしくは改竄されますね。

米国では宇宙政策史はひとつのメジャーな公共政策の一分野で、英語の文献を当たれば、アポロ計画の裏にあった思惑や、アイゼンハワー政権とケネディ政権の考え方の違い、リンドン・ジョンソン副大統領の画策、米国がなぜIGYで人工衛星を打ち上げることを決めたのか、米空軍とNASAとの水面下の争い、などなど、いろいろとおもしろい話が出てきます。
米国の場合は大統領の側近が書いたメモなどもきちんと国立公文書館に保管され、年限が過ぎると公開されるため、裏事情についてもかなり正確に把握できるようです。
特に、米国が宇宙開発を開始するきっかけとなったNSC5520という国家安全保障会議(National Security Council)の報告は、米国も結局きなくさい意図で宇宙を始めたのであって、科学的目的は「トロイの木馬」として政治的に使われていた、ということがよくわかります。
英語に抵抗がなければ、アメリカン大学のマッカーディ教授や元NASAのチーフ・ヒストリアンで現在は国立航空宇宙博物館の学芸員をしているローニアス氏、ジョージ・ワシントン大学のログズドン教授などの著書を当たると非常にわかりやすくまとめてあると思います。

初めてコメントします。
(某出版社に勤めていたマツヤマです。以前にお目にかかっていますが、覚えていらっしゃいますでしょうか。ご挨拶を兼ねて、トラックバックでなくコメントとして入れさせていただきました。)

NASAのような組織の事例研究は、経営マネジメントの視点からも相当に参考になります。日本語でこうした突っ込んだ内容をまとめられていると、本当に役立ちますね。「マニュアル主義」「属人的な要素」とのバランスが、プロジェクト推進に大きく影響していることがわかります。

本書に関するそんな感想を、私のサイトのほうでも記事として書きました。
http://mir.biz/2007/11/0118-5826.html
当方では技術の話はまったくなく、マネジメントの視点のみからの感想としてまとめています。

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