初音ミクとJASRAC
初音ミクと日本音楽著作権協会(JASRAC)の話。
8年前の取材経験に基づいて書くので、事実誤認が紛れ込むかもしれない。それでも記者として知り得たことはネットに還元しておいたほうがいいと判断するので、以下書いていきます。
間違いに気が付いた方は、コメント欄で指摘して下さい。
「カスラック」という蔑称に代表されるように、ネットにおけるJASRACの評判は極めて悪い。
例えばJASRACは「放送通信融合」の敵か味方か--菅原常任理事に聞くというCNET Japanの記事に対するはてなブックマークの反応を見ると…「JASRACの負の部分が凝縮された、ある意味永久保存版の記事。見識の無さをここまで披露してくれてありがとうと言いたい。」「ラスボスらし過ぎるwww」「そりゃ日本の音楽が衰退していく訳だわ」などなど、JASRAC非難のオンパレードだ。
ただし、ここで注意しなくてはならない。JASRACのような組織がないと立ち行かないこともまた存在する。
例えば日本人作品に対する海外からの権利金徴収だ。JASRACは世界各国の音楽著作権管理団体と協定を結んで、日本での海外作品の著作権料を送金すると共に、海外からの著作権料を受け取り、国内の権利者に分配している。このような業務はJASRACのような組織でなくては難しい。
初音ミクと終わりのはじまりに付いたぴょんきちさんのコメントにあるように、JASRACがあることでルールが明確化され、フェアユースが可能になる案件も存在する。
それでは、なぜJASRACがかくもネットで嫌われるのかといえば、ネットが出現したことにより、これまで存在し得なかったような新たな創造的な場が出現しつつあることに対して、従来の著作権の考えをそのまま拡張し、押しつけようとしているからだろう。
つまりJASRACは新たなテクノロジーの出現に対して、どのように対応すれば、よりみんなが音楽を楽しむことができるようなるか」という発想ではなく、「従来の著作権の考えに、いかにしてネットのような新しい媒体を組み込むか」という発想しか持てないでいるのだ。
その背景はCNET Japanの記事に現れていると、私は思う。
この記事の中で、菅原瑞夫常任理事は、徹頭徹尾、お金の話しかしていない。CNET Japan側がインタビュー内容を取捨選択した可能性もあるが、読んだ印象では「金に関する部分の話が圧倒的に多かったのでそこを中心にインタビュー記事を構成した」のではないかと思う。
菅原理事がお金の話しかしていない理由を私なりに推察すると、菅原理事が、事務方出身だからではないだろうか。
JASRACの議決機関、そして組織図を見てもらいたい。なぜか会長と理事長が存在し、総会、評議員会、理事会と3つの議決機関が存在している。総会は言ってみれば株主総会のようなものだから、ここでは除こう。日常的な意志決定は評議員会と理事会が行っている。
実はJASRACの意志決定のシステムは二重底になっている。会長と評議員会は会員、つまりクリエイターや所属する法人の関係者で構成される。
一方、理事長と理事会は事務方、つまりクリエイターだけではなくJASRACの社員も入って構成されている。定款によると最大29人以内とされる理事のうち、18人以内は評議会で選ばれるクリエイターだ。しかし実際問題として、理事の中から理事長が選ぶ常務理事及び常任理事が強い力を持っている。これらの席はほとんどJASRAC社員、つまり事務方が占めている。
定款を見るとそれぞれの議決機関の役割分担が書いてある。簡単に言うと、クリエイター側の評議員会はお金の分配方法を決め、一方事務方主導の理事会は、お金の徴収方法を決定している。
とはいえ1つの組織に2つの意志決定の仕組みがあるので、そこには力関係が存在する。
ここからは8年前に取材していた時の実感となる。実際問題として、理事会と評議員会とのどちらが力があるかというと、圧倒的に理事会だった。
まず、クリエイターの集まりである評議員会は、まとまらない。もともと一匹狼気質の強いクリエイターが集まるのだから、議論百出でまとまるものもまとまらなくなるのが当然だ。
さらに、クリエイター側には、演歌関係者とそれ以外という内部対立も存在する。いわゆる古賀問題だ。
JASRACは1994年に新橋から現在の代々木上原に移転した。その時に、JASRACから古賀政男音楽文化振興財団へ、ビル建設費用78億円が無利子で融資され、しかも完成後のビルにJASRACが入居したのだった(このあたりやこのあたりを参考にしてほしい)。現在、JASRACと同じ敷地には古賀政男音楽博物館が入っている。
私も詳細は知らないのだが、8年前に関係者から聞いた時の口ぶりでは、先生-弟子の人間関係が非常に強い演歌関係者が「古賀先生のために」と、JASRACの資金を一部理事の協力を得て、その他のクリエイターに無断で古賀政男を記念する施設を作るために、不明朗ななあなあの意志決定で使ってしまったらしい。当時、カラオケ施設からの著作権料聴取が進み、演歌関係者はかなり潤っており、同時にJASRACでの発言権も増していた。
演歌以外からすれば「俺たちの著作権料をなんてことに使ってくれたんだ」ということになる。このことは、演歌とそれ以外のクリエイターの間に深刻な対立を引き起こした。結果、ただでさえまとまらない評議員会は、ますますまとまらなくなってしまった。
さらに困ったことに、演歌関係者の多くは技術革新に見事なぐらいに疎かった。つまり評議会で「新たなネット社会に合わせた著作権のあり方を考える」としても、かなりの勢力を持っていた演歌関係者は「なにそれ? そんなこと必要なの?」状態だったのだ。
ちょうど私が取材していた頃は、「こんなことではいけない」と、カシオペアの向谷実さんや、「うる星やつら」の音楽で知られる安西史孝さんなどが、評議員として活動を開始した時期だった。しかし、今のJASRACを見ると、どうもこの活動はなかなかうまくいかなかったように思える。
クリエイター側がこのような状態である一方で、事務方が力を持つ理事会は、基本的な体質が官僚である。つまり「権限を大きくする」という意識が先に立ち、事業目的にある「音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に資する」という部分への配慮が足りない。
権限第一の官僚的思考をJASRACに当てはめると、著作権の強化もネットからの徴収も、JASRACに集まる著作権料を増加させるので組織にとっての正義であるということになる。「取ることは、著作権者のためだ、その分著作権者にお金が回るのだから正義である」という大義名分もある。
この結果、JASRACは「取れるところからどんどん取る」というコワモテ体質になってしまい、今やネットでカスラックと罵られるようになっている——これが私の現状判断である。
今回の初音ミクの問題をJASRACとネットの関係で見ると、「ネットに出現した新たな創造の場をどう見るか」という問題に帰着するように思う。JASRACの事業目的に「音楽文化の普及発展に資する」とある。ネットに対してこれまでのやり方を押しつけるだけでは、事業目的に違反することは明らかだ。JASRACは、どう振る舞うことが音楽文化の普及発展に資するのかをよくよく考えたほうがいい。
それが絵画であれ音楽であれ、創造は模倣から始まる。模倣無くして創造はあり得ない。今、ネットに誕生しつつあるのは模倣と相互評価による世界規模の切磋琢磨の場ではないだろうか。
私には、これを著作権を楯にして、潰していいとはとても思えない。
菅原理事は、CNET Japanのインタビューで、「切り貼り”は創造にあらず」などという、不見識をさらしてしまっている。引用とコラージュが現代芸術の一大問題であることを、音楽に関係する組織の管理職が知らないとしたら、それは職務怠慢ですらある。
一つ、私が希望を見るのは、現在の理事長が加藤衛氏であることだ。この人は文部官僚の天下りではなくJASRAC生え抜きで、私が取材していた頃は理事になったばかりだった。かなりのやり手であり音楽書誌の電子データ化やオンライン登録・徴収システムの整備に積極的に取り組んでいた、
当時は記者会見などで唯一まともなことを言う理事という印象だった。この8年間、彼が気骨を貫いていたら、あるいは良い解決法を打ち出してくれるかもしれない。
まあ、加藤理事長が今のコワモテの姿勢を指示している可能性も否定はできないのだけれども。このあたりは、現在取材をしていないので、私にはなんとも言えない。
なお、JASRACの評議員会の様子は、作曲家でヴァイオリニストでもある玉木宏樹氏のホームページ内の、音楽著作権のJASRAC問題というページで、そのいくらかを知ることができる。
以下は余談。本題とは関係ないのだが、JASRACに関連して思い出したので、備忘録としてここに書き記しておく。
JASRAC60周年のパーティでのことだ。何日だったかは忘れたが、1999年11月15日にH-IIロケット8号機が打ち上げに失敗した直後だった。
ホテルオークラの大きな宴会場には、音楽関係者だけではなく官僚も政治家も来ていた。当時、JASRACの理事長は文部省からの天下りの加戸守行氏(理事長を退任後、愛媛県知事選に出馬して当選)から、小野清子氏に変わったばかりであり、パーティは新理事長のお披露目も兼ねていた。小野理事長の横には風船を付けたJASRACの職員が付いていた。風船は、新理事長に挨拶に来る人に居場所を知らせる目印で、似たような風船は、会場に集まった文教族の政治家の後ろにも立っていた。
当時取材で付き合いのあったとある音楽プロの社長が、理事長の風船を指さして声を潜めて言った。
「見なさい。いくらオリンピックで銅メダルを取った体操選手だからと言って、音楽のことが分かっているわけではない。まるで無知ですよ。誰か偉い人が言ったんでしょう。『JASRACあたりで次の選挙まで腰掛けしておきなさい』って。ふざけてますよ!」
小野清子理事長はその前年の参議院選挙で落選し、浪人中の身だった。就任当初は「腰掛けではなく3年の任期を全うする」と発言していたが、2001年には選挙に出馬するため任期を18ヶ月残してJASRAC理事長を辞職している。その間の年俸は3700万円。退職金は1000万円だったそうだ。
私は小野新理事長に近づき、話しかけた。どんな人にも名刺一枚で話しかけられるのは記者の特権である。すぐに分かったのは、新理事長が著作権のなんたるかを理解していないということだった。こちらの質問に対する返答に詰まると、お付きのJASRAC職員がこしょこしょと後ろから耳打ちしていた。「まるで二人羽織だな」と私は思った。
この人に何を聞いてもニュースは取れないと判断した私は、そこから離れたのだった。
その場には小野理事長を押し込んだ“偉い人”らしき人物も来ていた。小渕恵三内閣総理大臣である。この時私は、小渕総理と数語言葉を交わし、かなりのショックを受けたのだが、これはまた別の話になるのでいずれ。