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2008.01.17

知っていることと知りたいこと、知らないこと

 12月の話だが、日経新聞の先輩Tさんと忘年会をした。科学技術報道の先輩なのだが、昨年、ひょんなことから2人ともクラシックファン、しかもショスタコーヴィチが好きということが判明し、「一度飲みますか」ということになった。

 昨年11月から12月にかけて、記念碑的コンサートが開催された。指揮者の井上道義がショスタコーヴィチの交響曲、全15曲を8回の連続演奏会ですべて演奏したのだ。

「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」

 私はこれにすべて通った。Tさんも仕事が許す限り通った。「いやあ、すばらしかったね」とワインを飲みつつ盛り上がる。

 話は、テレビドラマやアニメで盛り上がっている「のだめカンタービレ」へと流れた。

「松浦さんねえ、クラシックの側から見た『のだめ』の功績って、ベートーベンの7番を一般に知らしめたことだと思わないか」

 ここでいう7番というのは第7交響曲のこと。5番の「運命」、6番の「田園」に続く曲だが、前2曲のようなニックネームを持たない。

「そうですねえ。みんな『運命』も『田園』も一応知ってますけれど、その次の7番を聴いたことがある人は意外に少ないですね」
「良い曲なんだけどねえ」
「大傑作ですよ。あのリズムの取り方はベートーベンが書いたロックとかダンスミュージックとか、そうといってもいいでしょ」

「本当になあ」
と、Tさんが言う。
「みんな知っているものは知りたがるんだ。知っているのに聴きたがるんだ」
「そして知らないものは聴きたがらない。知りたがらない」と私。
「5番の『運命』はじゃじゃじゃじゃーんで知っていて、6番の『田園』はたーらーたーたーららたったーで知っている。でも次に7番があるなんてことを思いもしない」
「ちゃんと9番『合唱』があることは知っているのにね」
「そうなんだ」
「8番も知られてませんね。いい曲なんですけどね」
「他人事じゃないよなあ。僕らの仕事も同じだ。知っていることしか知りたがらない人たちに、知らないことを伝えて行かなくちゃならない」

 2人でため息をつく

 Tさんはずっと科学技術報道に携わってきた。私は今、宇宙分野で物を書いてどうやら生きている。「人間、知っていることしか知りたがらない」というのはまったくもって実感だ。

 人間は本質的に保守的な生き物だ。知っていることを確認して安心することを好む。新しいことを知って楽しむ「好奇心」という属性も持っているが、どちらかといえば「知っていることだけを、知る」傾向の方が強い。

 例えばベートーベンの第5交響曲、通称「運命」だが、冒頭の「ジャジャジャジャーン」は知っているとして、あの曇天から晴れ間がのぞくような第2楽章のメロディを思い出せる人はどれぐらいいるだろう。なかなか格好良い第3楽章のフーガは、あるいは第3楽章からトンネルのような暗い接続部を経て、昂然と鳴り出す晴れやかな第4楽章の冒頭はどうだろう。
 知らないとしたらなぜ知らないのか。興味がないのか。「この道はどこに続いているんだろう」と同じような、「このメロディはどこにつながっていくのだろう」という好奇心がなぜ働かないのか。

 そう、たとえ冒頭の「ジャジャジャジャーン」を知っていても、その続きに好奇心が働く人はわずかだ。曲の全体にベートーベンが込めた深い創意にたどり着く人は、「クラシックマニア」と呼ばれてしまう。

 あるいは、「歓喜の歌」の第9交響曲。あのメロディは覚えているとして、では付点付きのリズムが力強い第1楽章冒頭はどうか。ティンパニのオクターブ跳躍が付点付き音符の3拍子で響く第2楽章は、あの天国的な平穏さに満ちた第3楽章は。あなたは覚えているだろうか。きちんと聴いているだろうか。
 ひょっとして、「あのメロディが出てくるまで退屈でたまらん」とか言って、演奏会に行くと寝てはいないか。そして第4楽章のバリトンが「おお友よ」と歌い出すところで、「やあ、そろそろだ」と起き出して、すでに知っているメロディを聴いてはいないか。

「だってつまらなそうだから」という人もいる。そんな人でもベートーベンが楽聖と呼ばれる存在であることは学校で習っていたりする。
 楽聖とまで呼ばれる男が全力を尽くして作った作品が面白いかつまらないか、試してみる。それだけの好奇心が働く人は、数少ない。

 知られていないから、皆知りたがらない。だからますます知られない――クラシック音楽はいつもこんなマイナスのスパイラルと戦っている。

 そして科学報道も。

 知らないものを知りたがらない人々に、新しい物を知らしめる方法は存在する。マスメディアでヘヴィ・ローテーションをかけて、無意識のうちにその情報にふれている状態を作り出す。つまり、知らないものをいつのまにか「知っていること」に割り込ませてしまうのである。

 音楽業界ではよく使われる手法だ。テレビドラマの主題歌タイアップというのもこの手法の一つである。ドラマを見ている人に、音楽を刷り込んでしまうわけである。

 しかし、科学報道で同じ手法は使えない。結局、Tさんも私も延々と匍匐前進を続けるしかないのだろう。

 「のだめ」でベートーベンの7番を初めて知った方は、ぜひともCDを買って7番の全曲を聴いてもらいたい。とても楽しい曲だから。あなたは、音楽を楽しむにあたっての、すばらしいチャンスを手に入れたのだ。

 その上で、できれば同じベートーベンの8番とか(冒頭、弦楽器が「あーくたびれたー」と演奏を始める。本当だよ!)、あるいは最終楽章でファゴットが超絶技巧を発揮する4番など聴いてみてもらえれば… ちょっとばかりうれしいね。


 ベートーベン7番だが、ここではベタにカラヤン・ベルリンフィルの1983年録音盤を推薦しておくことにする。クラシックファンはうるさ方が多くて、「カラヤンなんて流麗なだけで中身がない」という人も多いのだけれど、私はカラヤンの演奏をバカにしてはいけないと思う。

 流麗に演奏するのは実のところとっても難しいのだ。最初に聴く人には、彼のような演奏のほうがなじみやすいのではないだろうか。


 もう一枚、カラヤンと同時期に活躍したカール・ベームが壮年期に入れた録音を。この録音ではそうでもないのだけれど、晩年になるにつれてベームの演奏は、音楽の本質のみを取り出した、それこそ「音楽の骨格」としか言いようのないものになっていった。最後の来日時に演奏したチャイコフスキーの「悲壮」、私はNHKの放送でしか聴いていないけれど、あれはすごかった。本来ふくよかなはずのチャイコフスキーの音楽から、柔らかな表情が一切そぎ落とされ、ホネホネの厳しい、しかし音楽の本質だけが結晶したかのような響きだった。

 一説によると、最晩年になって体が動かなくなり、どんどん不明確になっていったベームの指揮棒に、オケが必死になって合わせていった結果そんな音楽になってしまったそうなのだが、本当にそうなのか、私は知らない。


 クラシック系の音楽は、知られていないが故に知られない、ということを実証した曲。ポーランドの作曲家ヘンリク・ミコワイ・グレツキの「交響曲3番・悲歌のシンフォニー」。1976年に作曲された。全3楽章で、ソプラノの独唱が付く。すべての楽章がゆっくりとしたテンポで、人生をおそう悲しみを歌う。第2楽章の歌詞は、ナチスの収容所の壁に残された犠牲者の言葉だ。巨大で、悲しく、最後に淡いなぐさめを感じさせる美しい曲である。

 この地味な曲は、傑作ではあるがそのままでは忘れ去れて終わりだったろう。しかしイギリスのとある放送局が番組のテーマ曲として、第2楽章をヘヴィローテーションしたところ、欧州を中心に人気が爆発し、1980年代半ばには世界的な大ヒットとなった。ウィキペディアにも一項目が立っているほどだ。

 そうだ、傑作はいつだって存在するし、聴かれるのを待っている。知っていることしか知りたがらない私たちの耳は、数多くの傑作を忘却の森の中に置き去りにしているのだろう。

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Comments

ううむ、お見事。子供の頃、はじめて『運命』を終わりまで聴いた時の驚きと感動を思い出しました。
僕はロボット屋ですが、研究の実態とは無関係に人間型ロボットばかりがメディアで持てはやされる理由も、同じ理屈で説明できますね。

ベートーヴェンの交響曲第5番の第1楽章の第1主題が他の楽章にどう反映しているか、第2主題がどう対応しているか、楽章構成はどうしてあのようになっているか、交響曲第1番から第9番に至る道はどうであるか、9番を書いちゃったベートーヴェンはどんな道を目指したか、ピアノソナタや弦楽四重奏曲との関連で考え出すと、止まらなくなるってもんですよね(職業柄私はそうです)。
3月あたり発売予定「のだめ」第20巻では、そういう話が肝だったりしますんで。お楽しみに!

今どきの人たちは、知っているか知っていないかさえ自分で知らない人がいますね。。。

>人間型ロボットばかりがメディアで持てはやされる理由
 ああ、そうかも知れませんね。なんでも人間の脳のかなりの部分は他の人の表情や感情を読むのに使われているそうです。それだけ人間の生存にとって、他の人との関係は大切だということらしいです。人間は人間に感心があるし良く知っているから、人型に反応する——でも、それは虚心に自然に向かい合うためには、一種のフィルターとして作用してしまうのでしょう。

 そういえば、自動車のデザインなどでも「顔」ということを言いますよね。ヘッドライトが目でフロントグリルが口。「つり目の自動車」とか普通に言います。私達はあれを「顔」と認識しているわけです。

>3月あたり発売予定「のだめ」第20巻では、そういう話が肝
 おお、それは楽しみです。私は上野樹里の演技にいまいち乗れなかった原作ファンです。のだめは変な奴ではあるけれどもバカじゃないですよね。どうも樹里のだめは、藤山寛美の丁稚どんに見えてしまって…

戦争と密接だったんですよね。

ベートーベンの「運命」はモールス符号の「・・・-」つまり「V」に近く、
ヨーロッパ戦線でチャーチルが好んで流したとして有名です。
Vはビクトリーの頭文字ですね。

一方、同じくベートーベンの7番は日本では戦果の広報時にバックで流されました。

私が7番を聞くようになったのは学生時代で実験で疲れて下宿に帰ってきて、
夜は家庭教師のバイトって時に良く聞いてました。
最後の最後でダダッダ!ダダン!で終わって「よっしゃぁ!行くかぁ」と何度も背中押されたものです。

就職して実家から会社に通うようになって、休日など7番を聞いていると今はもう亡くなった父が「その曲はあまり聴きたくない」と言ってきました。

上記のような理由だったのです。

ベートーベンも戦時中に世の東西で使われるとは不本意だったでしょうね。

>ベートーベンと戦争
 そんなことがあったんですか。不勉強にして知りませんでした。

 日本の戦中の、文化統制では、ジャズはアメリカのものだから不可、でもタンゴ、ルンバ、マンボなど南米の音楽はOK。もちろんベートーベンは推奨。ガムランなど東南アジアの音楽は、大東亜共栄圏の音楽だからおおいにやるべし、だったそうです。

 フランスのシャンソンはどうだったんでしょうね。唱歌に一杯はいっていたスコットランド民謡は?(まあ音楽を統制すること事体が大バカですが)

 戦争中、タンゴやルンバが具体的にどんな風に扱われていたか知りたいところです。

 大澤さんの師匠でもある黛敏郎は、もろにそんな環境で育っていまして、最初の本格的オーケストラ曲が「ルンバ・ラプソディ」。戦後すぐにはオーケストラでガムランを模擬した「シンフォニックムード」を作曲しています。

「シンフォニック・ムード」の他にも「エクトプラズム」という曲は、ガムランの音響空間に通じるものがあります。この作品のすごいところは、ルイ・アームストロングが最初とされるスキャットをアームストロングより20年も早くやっているところです。
トーン・プレロマス’50でもマンボが出てきますね。黛先生はブルー・コーツのピアニストを学生時代務めており、生前「僕は、秋吉敏子より先にここでピアノを弾いていたんだよ」と自慢していましたっけ。
少年(まだ十代半ば)時代の黛先生、横浜で音楽の最新流行をまともに受けていたんでしょうねぇ。その影響はいかばかりか。

上野樹里さんは、個人的に非常にセンスのある女優だと思っています。連続ドラマの収録時、2度ほど会って話をしましたが、頭の回転も良くて、非凡なものを感じました。今回のSPドラマでも「道化師の朝の歌」を弾く演技は、実に曲の躍動感を表していて、連れ合いともども感心して見ておりました。
ドラマ的には、強引な話の流れが??でしたが。。。

音楽と戦争は、歴史的には切っても切り離せないもので、直接戦争を描写した音楽も、モンテヴェルディの「タンクレディとクロリンダの戦い」やベートーヴェンの「戦争交響曲(ウェリントンの勝利)」や、チャイコフスキー「1812年」などいくつもあります。モンテヴェルディ以外は、はっきり言って凡作ですが。

音楽と戦争の様々な側面、このあたりの関係も調べていくと、なかなか面白いものがありますが、まぁやっぱりほとんどの人は興味ないよなぁ。日本でも信時潔なんて、音大生はもとより、音楽やってる人でも名前すら知らないからなぁ。

 エクトプラズム、聞いたことないのですよ。聞きたいのですが。トーン・プレロマスは、見事なぐらい格好良い曲ですよね。私のお気に入りです。

 生前、岩城宏之が「俺が死んでも武満は演奏されるだろうけれど、黛が心配だ」といっていたそうですが、そうなりつつあるようで、どうにも心配しています。「金閣寺」は日本では一回上演されだけでしたっけ。「古事記」も演奏会形式で演奏されたっきりです(もちろん行っておりました)。
 あんなすごい才能を埋もれさせちゃいけません。

>上野樹里さんは、個人的に非常にセンスのある女優
 そうなんですか。とすると、あの演技は演出に指示されたものなんでしょうか。それでも、パリの下宿の階段で、千秋にぶーたれるところはなかなか良かったです。

>音楽と戦争の様々な側面
 やはり片山杜秀さんの研究待ちですかねえ。なにか色々面白そうな事実が埋もれている予感があるのですけれど。
「信時潔なんて、音大生はもとより、音楽やってる人でも名前すら知らない」ってのはひどいですね。音楽やってんなら、「海道東征」ぐらい押さえておけって(CDだって出たんだし)。

 それ以前に「海行かば」が歌えなければ、戦争物のドラマだって理解できないはず。

 Sea you Hippopotamus〜(海、you 河馬〜)
(というネタは、大澤さんなら通じるかな)

戦争と歌と言えば「リリーマルレーン」ですね。

ヨーロッパ戦線で敵味方無く唄われたそうです。
ドイツ側の曲ですが、連合国も聞いていたようです。

30年ほど前に日本でも取り上げられましたが、その後、歴史の中に埋もれてしまったようです。

最近映画「碇を上げて」のCDを廉価で入手出来まして、
あの映画でトムとジェリーのジェリーがCGも無い
時代(1951年)にジーン・ケリーと踊っているのに驚きました。
どんな手法を用いたか想像するだけて楽しいです。(一画像毎に書き込んだ?)

CGが無い時代、音楽と映像で夢を作ることが出来たのでしょうね。見たことはありませんが、日本にも「狸御殿」ってファンタジーがあったそうです。

雪の積もらない地域の人には解らないですが、初代のゴジラと戦ったのは北国の除雪車でした。
これが、妙に兵器に見えるのですよね。
当時、小学生の私にはゴジラの冷凍ガスって雪を降らせるのだと思いました。

#あ、脱線で失礼します。

>Sea you Hippopotamus〜(海、you 河馬〜)
ぎゃはははは、ひぃひぃ!
失礼。
しかし、最近若い人ほど何にも知らないし、知ろうとしないので、こちとら何かにつけて説教するんですが、もう耳にタコが出来てそこからまた耳が生えて、またそこからタコがはい出してくる(タコ違い!)くらいですからなぁ〜。
音楽も科学技術も伝えていかないと滅びるものですから、少しでもその魅力を伝えていかねば。
「のだめ」は音楽の魅力をありのままに描いてくれているので、音楽を少しでも知ってもらうきっかけになったら、といつも思っております。

ベートーヴェンの第9ですが、あの曲はわざと渾身の力を込めないで、第1から第3楽章を書いてますね。
並行して書いていた「ミサ・ソレムニス」の方がベートーヴェンにとっては渾身の力を込めて書いていて、実際作曲料も「ミサ・ソレ」の方がずっと高いです。
この2曲はベートーヴェンの集大成。これらの前に後期の3大ピアノソナタがあり、あとに後期弦楽四重奏曲が来て、この弦楽四重奏曲で、ベートーヴェンは作曲における人跡未踏の地を目指します。
ここらあたりが本当に面白い。しかし本当に難しい。私はまだ上っ面しか理解できません。


(実は、的川先生「のだめ」の大ファンで、鍵盤バッグ持ってますよ。私が二ノ宮知子さんと親しいと話したら、「今度は宇宙科学をテーマに漫画を描いてほしい」と結構熱入ってましたねぇ)

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