国際宇宙ステーション日本モジュール「きぼう」を巡って、野尻抱介さんにたまには元気の出る記事も書いてやりましょうよ>松浦さん。と書かれてしまった。
いや、まったくその通り。私だって辛辣な話ばっかり書きたい訳じゃない。現場の人たちが頑張っていることは分かっている。「きぼう」関係者の皆さん、ごくろうさまでした。
が、「きぼう」開発と運用の現場が、なんとか目的を達成しようとして努力しているということと、国際宇宙ステーション計画が妙なところにはまり込んでにっちもさっちもいかなくなっているということは別問題だ。
どんなに耳に痛いことでも、事実なら書くしかないし、指摘すべきことがあれば指摘するしかない。私のような立場の者が、よいしょに走れば、事態はもっと悪くなるだろう。
と、大上段に振りかぶってから、またも「暗くて後ろ向きの話」を。
この半月ぐらい、「MRJ、三菱リージョナルジェット」の検索で当ページを訪れる人が急増している。去年の秋に書いたMRJ、大丈夫か?と続・MRJ、大丈夫か?が引っかかるらしい。
三菱重工業が開発を目指す国産旅客機「MRJ」を巡る情勢は急速に動いている。本日、全日空が25機を発注してローンチカスタマーになると発表した。ベトナムや中東への売り込みを行っているというニュースも流れている。
この写真は、地下鉄浅草線の車内広告。携帯電話で撮影したので画質は悪い。三菱重工業の航空部門が大々的に求人を出している。人まで集めるとなると、これは開発開始確定だろう。
YS-11以来の国産旅客機の開発だ。もちろん喜ばしい。
しかし、私にはどうにも引っかかることがある。それは「三菱の技術者は本当に旅客機を設計できるのか」ということだ。
「何を失礼なことを言っているのか」と怒らずに、以下読み進めて欲しい。三菱の航空技術者の質を疑っているわけではない。経験値が足りているかどうかを気にしているのである。
閑話休題——
オリンポスというとても小さな航空機メーカーがある。重工業系とは別の独立系航空機メーカーとしては、おそらくは日本で唯一の会社だ。八谷和彦さんのOpenSkyプロジェクト、通称「メーヴェのようなもの」の、機体を設計・製造したところである。
宇宙作家クラブでは昨年、八谷さんの紹介でオリンポスの工場を見学し、さらに後日の例会で、オリンポス社長の四戸哲さんに講演してもらった。四戸さんは飛行機が作りたい一心で大学を出てすぐに自分で飛行機を作る会社を興してしまった(しかもこの日本で!!)という、筋金入りの方だ。
四戸さんの話は、とても面白かった。「メーヴェのようなもの」の設計方針と具体的な機体の構造とか、同じ先尾翼機でもビーチ・スターシップはなぜ失敗し、ビアッジオ・アヴァンティは成功したのかとか、YS-11の設計の詳細部分「ここがこうなっているのは、こういう理由からで、そうなるにあたってはこの部分にこんな問題があったんです」とか——自分で手を動かしている人にしかわからないであろう、飛行機という道具の機微を色々と聞かせて貰った。
四戸さんの話を自分なりにまとめてみるに、どうも、飛行機の設計に当たってには、自分で飛行機に親しみ、経験を積み重ねていかないと、どうしようもない部分があるようなのだ。自分で設計、開発することでしか得られない、航空機開発者にとって必須の“なにか”があるようなのだ。
それが何に由来するものかは分からない。とにかく経験とか勘とかが、設計に非常に大きな影響を与えるらしい。
ここでまた別の話、今度は三菱重工業のOBから聞いた話である。
三菱重工がボンバルディアのパートナーとしてグローバル・エクスプレスの開発に参加した頃、というから多分1991年か92年か、そんな時期の話だ。
三菱重工は、グローバル・エクスプレスにことのほか力を入れて、ボンバルディアに独自の設計案を提示しようとしたのだそうだ。三菱社内で検討して機体のアウトラインを作成し、YS-11の設計に参加したOBを招いて社内の審査会を開いた。
やってきたOBは図面を一目見て言った。「この設計じゃダメだ。悪性の失速を起こす」
失速というのは飛行機が機首を上げて迎え角を大きくしていくと、あるところで翼の上面の気流がはがれて、翼が浮く力——揚力——を発生しなくなる現象のことだ。詳細は省くが、失速には適切な機体コントロールで揚力を回復できるものもあれば、容易には機体のコントロールを取り戻せないたちの悪いものもある。
この時の三菱の設計は、たちの悪い失速を起こしやすい——OBは一目で見抜いたのだった。
ここで問題は、YS-11の設計に参加していたOBが一目で見抜けた問題を、なぜ三菱重工の現役技術者達が見抜けなかったのか、ということだ。同じ三菱に採用され、働いていた、あるいは働いている人たちだ、資質にそんな差があるはずがない。
となれば、その理由は実際に飛ぶ飛行機を設計した経験の有無ではないかではないかと思われるのである。
そういった航空機設計の機微の部分、すなわち設計者が持たねばならない感覚は、スポーツや楽器演奏における身体機能のように、日々の鍛錬を続けないと簡単に退化するのではないかという気がする。
YS-11は、1962年8月30日に初飛行している。敗戦後17年という時期だから、かつて軍用機を設計、製造していた人材が沢山いた。それでもYS-11は空力特性が劣悪で、特に横安定の不足はどうしようもなかった。このため初飛行後、垂直尾翼の面積を増やし、さらに主翼上半角を増すなどの、機体設計の根幹に関わる部分の大改造を受けねばならなかった。
航空機設計の経験者が集まってこの状態ということは、17年もの空白があれば、設計の機微の感覚は失われるということを意味しているのではないだろうか。ましてMRJは、2012年就航予定ということは、1964年就航のYS-11から48年もの空白があるのだ。
もちろんその間、三菱重工としてはMU-2、MU-300も開発したし、F-15のようなアメリカの機体の生産、さらにはF-2のような自衛隊向けの機体の開発を行っている。しかし、旅客機の設計となると、それらの経験が通じる部分と通じない部分とがあるだろう。
果たしてボンバルディアやボーイングの旅客機で開発パートナーとして積んだ経験は、それら軍用機開発の経験に欠けている部分をどこまでおぎなえるのだろうか。
経験不足を確実におぎなう方法は存在する。まず実験機を開発して経験を積み、しかる後に本番の機体を開発するのである。
ホンダは航空機産業への参入にあたって、この手法を採用した。1986年から航空機事業への参入を目指した研究を開始。この前後に優秀な航空工学科の学生をかなり採用したそうだ。アメリカで実験機「MH02」を開発し、1993年に初飛行。
MH02(ホンダミュージアムにて)
この機体は現在、ツインリンクもてぎのホンダミュージアムに展示されている。炭素系複合材料を大胆に使用した機体だ。
この経験の上に、同社はホンダジェットを開発し、ビジネスジェット市場への参入を果たしたわけだ。20年越しの息の長い開発プロジェクトだった。
同じことを、ボーイングも最初のジェット旅客機「707」の開発で行っている。まず、実験機の「367ダッシュ80」を開発し、その成果に基づいて707を開発した。
この前紹介したジョー・サッターの「747 ジャンボをつくった男」
で、サッターはダッシュ80の開発がボーイングにとって大きな賭けであり、ボーイングはその賭けに勝ったと述べている。
賭けというのは、開発に少なからぬ自己資金が必要であることを意味する。賭けに勝ったというのは、ダッシュ80を開発したことで得られた知見やノウハウが、707やその後の旅客機開発でライバルに対する決定的なアドバンテージとなるほどに役立ったということだ。
三菱重工も1990年代に、若手の技術者を多数アメリカに派遣して実験機を開発し、実際に飛ばすところまでやっていれば、私は安心してMRJを見ていることができたろう。
四戸さんによれば、実験機として最適なサイズは実機の75%だそうだから、全長32.8mのMRJの場合は25mほどの機体ということになる。決して小さくはない。
その開発費は、三菱重工の経営にかなり重くのしかかることになったろう。しかし、得られる無形の財産はそれ以上のものになったのではないだろうか。
実際問題として、1990年代の三菱重工の経営は、そんな贅沢を許すものではなかった。とはいえあの頃、本気で旅客機市場に参入するつもりがあったなら、通産省相手に補助金を要求する以外にもっと色々とできることがあったろうにと思うのである。
長々と書いてきたが、私はMRJが失敗すればいいなどとは決して思っていない。おそらくMRJが失敗すれば、日本の航空機産業は半永久的に旅客機参入の機会を失ってしまうだろう。その意味では、MRJは失敗を許されないプロジェクトとなっている。
ただただ、心配なのだ。営業面も技術面も。
旅客機産業は、コストを積み上げていけば自動的に5%程度の利益が上がる官需とは全く異なる、日々の経営判断が賭けの連続のような水物商売だ。そこに官需主体でやってきた三菱重工が参入しようというのだから、成功に向けてくぐらねばならない荒波は半端ではない。
三菱重工は荒海に乗り出すつもりらしい。その意気や良し。すべからく企業というものは、そのように進取の気性を発揮すべきであろう。
しかし事前にリスクを軽減できる方策があるなら、すべて打っておくぐらいの慎重さが必要だと思うのだけれど、どうもそうはなっていないところが非常に不安なのである。
MRJが成功するなら、私は空港に行って土下座したっていいと思っている。私の土下座にいかほどの意味も価値もないことを知ってはいるけれども。
新たな開発が始まる時には、過去の開発を振り返っておくことが、同じ失敗を繰り返さないためにも必要だ。YS-11については前間孝則氏が、いくつも著書を出している。とりあえず概要だけでも押さえるというのなら、この新書を読むといいだろう。YS-11を結局失敗に終わらせてしまった組織の問題まで踏み込んでいる。
本格的な開発ストーリーとしてはこの上下二巻がお薦めだ。YS-11を作った人たちだけではなく、販売担当者や整備担当にまで光をあてている。ただし、YS-11開発の影の部分にまでは踏み込んでいない。
こちらはYS-11開発の闇の部分に光を当てた本だ。初飛行当時、東京新聞記者としてYS-11関連の報道に携わった著者が、特殊法人という日本特有の無責任を生むシステムを分析し、それがどのようにしてYS-11の失敗につながっていったかを具体的に検証した本だ。