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2008.04.16

訃報:柴藤羊二さん

 宇宙開発事業団(NASDA)、そして宇宙航空研究開発機構(JAXA)でH-II、H-IIAロケット開発において大きな役割を果たした柴藤羊二さんが15日、この世を去った。享年65歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 NASDAの前身である宇宙開発推進本部の時代からロケット開発に参加し、特にH-II、H-IIAでは計画の中心で力を発揮した方である。

「未年生まれの次男ですよ。ひでえ親です。安易な名前をつけてくれて」——珍しいお名前ですね、と問うた私に対する答えはこれだった。
 私はてっきりご両親がキリスト教徒で神の子羊といった宗教的モチーフに基づいたお名前かと、というと、柴藤さんは「違う違う、そんなしゃれたもんじゃない」と手を振り、あっはあ、と笑った。

 あっはあ、と笑う人だった。

 私が1988年に日経エアロスペース編集部に放り込まれて、宇宙開発分野に関わりだした頃、すでに柴藤さんはこの世界の有名人だった。先輩記者達は五代富文さんとまとめて、「五代柴藤悪人コンビ」と言っていた。悪人、というのは、NASDAで動き出すめぼしい計画を記者の側から探っていくと、いつも中心に2人の連携プレーがあったという意味である。
 何を策動しているんだ?この2人は??、という意識が、「悪人コンビ」と言う呼び方の裏にはあった。「五代さんの思慮と柴藤さんのパワーだろ」と先輩は教えてくれた。

 その後、会ってみると実際柴藤さんはパワフルで陽気な人だった。柴藤さんの取材は、いつも予定よりも長くなった。1時間の予定だと2時間になり、「2時間ぐらい…」とお願いすると3時間を超えた。しかも後半は取材目的とは別の、「これからこういうことをしたいんだ」という話になった。アイデアは次々に出てきたが、出てきたアイデアは玉石混淆で、記者の目から見ても「柴藤さん、それちょっと…」というものもあった。それでも押し出すような口調の説明を聞いていると、「ひょっとするとひょっとするのかも」と思わされてしまったりもした。

 H-IIの取材をしていたときのことだ。ミニシャトルHOPEに向けて飛行試験を行った再突入実験機HYFLEXで、軌道からの再突入と着陸を行えないものか、という話に脱線した。ご存知の通り、HYFLEXは翼を持っていない。リフティングボディとしても、亜音速以下の速度では大した揚力を発生しそうもない形状をしている。さすがにそれで着陸は無理ではないか。そう柴藤さんにいったら、「アイデア次第ではできるはずだ」と返された。
 どうするのか——「ぎりぎりまで降りてきたら、思い切り機首を上げるんです。で、機尾に付けたロケットエンジンを噴射して降下速度をゼロにする。そのまま機尾からすとんと着陸すればいいでしょう」そして言った。「できます!簡単ですよ!!」

 思えば、この「できます!簡単ですよ!!」に振りまわされ、苦労した人も多かったのではないだろうか。

 しかし、NからHへ、H-IからH-IIへ、次々と大きなロケットを開発していく過程では、柴藤さんの人格的パワーと楽観主義が大きな推進力となったのだった。

 H-IIやH-IIAには沢山の「この人がこのような力を発揮しなければロケットは完成しなかった」という事柄が集積している。その中の一つに、間違いなく柴藤さんのパワーと楽観主義があった。玉石混淆で吹き上がるアイデアは、パワーの証しでもあった。

 病を得て、理事を退いてからも、若手技術者を集めて有人ロケットの検討会を開催したり、超低コスト小型ロケットの設計を検討したりしていた。骨の髄からのロケット野郎だった。「我々は宇宙開発委員会の決めた事柄を粛々と実行していくのが仕事でして」というような考えを、柴藤さんは全く持っていなかった、その発想は常に「次に自分たちは何をすべきか、何をしたいのか」というところから出発していた。

 それにしても、65歳。自分が天空に駆け上がってしまうにはあまりにも早すぎますよ。もっと色々と聞いておきたいことがあったのに。タイミングを見計らって、ロフトプラスワンにも出演してもらえないものか、と思っていたのに。

 柴藤さん、どうもありがとうございました。

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