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2008.05.18

すべてのCDをポケットに

Ipod_cd

 3月末頃から、個人的なプロジェクトを少しずつ実行していた。

 「自分の持っているCDをすべてiPodに落とし込む」というものだ。

 1990年代の初め、ノートパソコンが市場に現れた頃から、「デジタル遊牧民」というコンセプトを漠然と考えていた。

 1986年に大学卒業旅行で行った北京の故宮博物館には、清朝歴代皇帝の肖像画があった。
 清朝は遊牧民の作った王朝だ。清朝貴族はやがて漢民族の文化に感化されて定住するようになったが、ファッションには遊牧民の習慣を残した。貴金属や玉をめいっぱい身につけて、肖像画のモデルとなったのである。
 移動し続ける遊牧民は、全財産を身につける。

 遊牧民の財産は宝玉。では、記者の財産は何か——当然のことながら自分の収拾した情報だ。

 ノートパソコンが出現した時、自分が持つデータをすべてノートパソコンに収めて常に持ち歩き移動するというライフスタイルがあり得る、と思ったのである。

 1990年当時でも、自分の書いた文章は持ち歩きが可能だった。1990年代半ばにはデジカメが出現して、自分の撮った写真を常時持ち歩くことも可能になった。1990年代半ばから、私はメインマシンをノートパソコンに切り替え、なるべく持ち歩くようにした。

 2001年、5GBの初代iPodが発売された。となれば、自分の持っているCDをすべて持ち歩き、聴きたいと思った瞬間に音楽を呼び出せたら素晴らしいのではないだろうか。

 2001年時点では、自分の収拾した音楽をすべて持ち歩くのは無理だった。保有するCDの数が多すぎた。

 128kbpsの圧縮音声も、聴いても分からない程度とはいえ、音声の質は悪化している。なにか「自分のビット資産が目減りする」ようで嫌だった。

 これはいけるかも、と思ったのは80GBのHDDを搭載したiPodが出た2006年のことだった。この時点でAppleは独自のロスレスコーデックもリリースしていたので、目減りなしのビット資産をiPodに詰め込めむことが可能になっていた。しかし、簡単な計算をしてみると、私の持つCDの枚数は、すでにAppleロスレス圧縮をもってしても、80GBには収まらないことが判明した。

 私はもう少し待つことにした。2007年9月、遂にAppleは160GBの容量を持つiPod Classicを発表した。世間では、同時発表のiPod Touchのほうが話題になっていたが、私にとっては「160GB」という容量のほうがよほどの大事件だった。

 半年ほど、買うたやめた音頭を踊った後、私はAppleの軍門に下った。


 私のPowerBookG4は、160GBのHDDを内蔵しているが、これでは容量が足りない。バックアップ用に1TBの外付けHDDを調達し、これまでバックアップに使っていた500GBの外付けHDDを音楽専用にすることにした。もちろん音楽データに関しても、最終的にはバックアップを作っておかなくてならないだろう。デジタルデータは、事故で一瞬にして失われる可能性がある。

 4月から5月にかけて毎日仕事の合間を縫って、デジタル化を進めていった。まいったのはCDの書誌データを集めたCDDBのデータが統一したフォーマットを持っていなかったことだ。CDDBは世界中のネットユーザーがボランティアで入力しているのだそうで、結果としてデータ・フォーマットはばらばらだ。例えば、作曲家の名前も「武満徹」「武満 徹」「Toru Takemitsu」「Takemisu, Toru」「Toru Takemitsu(1930-1996)」などなど。

 これらは自分の都合に合わせて入力しなおさなければならなかった。

Ipoddata
 1ヶ月以上の入力作業の後、私は自分のコレクションが160GBのiPodに収まりきらないことを発見した。30枚ほどの単品CDと全50枚以上の武満徹全集がはみ出してしまったのだ。256kbpsのAACに圧縮しておけば良かったのだろうが、そもそも圧縮音声は嫌だというところから出発しているので、いたしかたない。

 床の上に広げたCDの山のうえに、iPodを置くと、なんともいえない感慨に打たれた。これだけのCDを買うのに20年以上かかっった。それが今、ポケットに入る大きさのiPodの中にすべて入っている。20年分の記憶、「あの曲、この曲を聴いた時の自分」がiPodの中に入っている。

 音楽販売の形態が変わるわけだ。これだけのCDの山が、ロスレス圧縮ファイルでiPodに収まってしまうのだ。音楽コンテンツ販売の形態が変化しないと考えられるのは、よほど鈍感な人だけだろう。

 今、私はiPodを持ち歩いて音楽を聴いている。過去、気に入っていた曲も、突如思い出した曲も、すぐに呼び出して聴くことができる。
 こうなると、「懐メロ」という概念は消滅するのだろう。懐メロは、世間にその音楽が流通しなくなり、記憶からも薄れていって初めて懐メロとなる。いつでも思い出した時に、すぐに聴くことができるならばそれは懐メロではない。
 たとえ自分のiPodの中に曲がなかったとしても、オンラインストアからすぐにデータを買ってくることができる。オンラインストアに品切れはない。

 この先、ますますデジタル・ストレージの容量は大きくなっていくのだろう。自分の書いた文章、書籍、音楽、インタビュー音声、写真、動画像などを全て持ち歩く未来も、そう遠いことではないと思う。

 一つはっきりしていることがある。もしもAppleが320GBや500GBのiPodを発売したら、私は喜んで買うだろう。収まりきれないCDは残っているし、iPodにはデジカメ画像も収めることもできる。今現在2万5000枚、60GBを超えているデジカメ画像をも、できれば私はiPodで持ち歩きたいと思っている。
 250GBのHDDレコーダーに入っているテレビ番組の録画を加えるならば、ストレージの容量はいくらあっても足りない。

 データを吸い出した後のCDは、お気に入りの数十枚を除いて段ボール箱に詰めて押し入れにしまった。これ自身がバックアップ最後の砦というわけだ。本棚は大分空いたのだけれども、空の本棚を眺めつつ、私は「これでまたCDが買える」などと考えているのであった。

 さあ、SACDプレーヤーを買って、次はSACDを集めるかな。


 というわけで、iPod160GB。圧縮音声でいいと割り切れば、ほとんどの人は自分の所有するすべてのCDの音声データを持ち歩くことができるだろう。


良いSACDプレーヤーはないかと捜して、このパイオニアのDV0-800AVに行き着いた。デジタル時代に入り、AV機器の音質は、ますます価格に依存しなくなりつつある。

 これはいい、と買おうとしたものの、どうやらそろそろ次期モデルが出るらしい。というわけで、私は今、アマゾンで買うたやめた音頭を踊っているのです。

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Comments

自分も圧縮したくない派なので、松浦さんのこの記事に同感しきりです。
大学授業用資料に自分の趣味用音楽(非クラシック)&「のだめ」用の音源は、プレイリストに編集してiPodに入れています。
自分はタイトル数約2500(総枚数は5000枚以上だと思います)ほどCDを持っているので、250GBはおろか、1TBでも2TBでも、とにかく大容量で持ち運びが出来るiPodを出して欲しいです。
あまり聴かないであろうCDは段ボール箱に入れ、最近借りたトランクルームにSF本と共に保管していますが、やはり、それで本棚に空きが出来ると新しいCDを買ってしまうのでした。
無間地獄ですなぁ。

写真中のCD、手前左端「武満徹」のは、サントリーで生で聴き、CDも手に入れました。
右から2枚めアイヴズのCDは、ティルソン=トーマス指揮のものと並んで演奏が優れたものですね。

CDを買ってラジカセで聴いたり
カセットに移してウォークマンで聴いていた頃は
曲順や歌詞を暗記できるくらい聞き込んでいたのに
最近は買ったCDをすぐパソコンでデータ化し、それをDAPに同期させると
作業のように数回ちょろっと聴いただけで興味が失せてしまいます。
デジタルが音楽を聴くという行為を手軽を通り越して薄っぺらくしてるのか、
それとも単に自分が音楽がそれほど好きじゃなくなっただけなのか・・・

 5000枚!、プロは違いますねえ。私は700枚ほどでしたが、それでも取り込みには一ヶ月近くかかりました。「1TBでも2TBでも」というのは同感です。実際ぼくらはデータに囲まれて生きておりますね。

 武満の個展はサントリー音楽財団主催でしたけれど、東京文化会館じゃなかったでしたっけ。私も行っていました。「オリオンとプレヤデス」の日本初演でしたよね。
 以前書いたはず…これです。
https://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2006/06/post_87e0.html

 いやもう、電車の中でiPodを使い、アイブスの交響曲4番あたりを聞いていると、つくづく21世紀やなあ、と実感します。

>デジタルが音楽を聴くという行為を手軽を通り越して薄っぺらくしてるのか
 確かに私もザッピングは増えました。これが本当に「薄っぺらくなっているのか」、視聴環境を色々変えて確かめてみようと思っています。

2年前になりますが、ふと思い立って手持ちのCDをパソコンのHDに落としました。皆さんに比べると数は少なく250枚くらいです。20年前のCDが出てくると、作業の合間にコピーしているつもりが、つい聞き入ってしまいます。懐かしいです。
ですが残念なことも。
1枚は完全に聞けない。1枚は取り込みに1時間以上要しました。どうやらCDの腐食が始まっているようです。当時の部屋の湿度が高く、ケースを平積みしたのがまずかったかな?

CDを取り込んだ後は縦置き、新たに購入した専用ケースに収納、そして温湿度の低い場所に置いてますが、今後の保管場所に悩みます。

私の記憶違いでした。武満は「サントリー音楽財団主催 作曲家の個展」コンサートで、会場は松浦さんの仰るとおり東京文化会館でした。プログラムを引っ張り出してきました。
この時は「地平線のドーリア」「ノヴェンバー・ステップス」「鳥は星形の庭に降りる」「ドリームタイム」そして「オリオンとプレアデス」でしたねぇ。
てんこ盛りのプログラム!
帰り際に聴きに来ていらした松村禎三先生が、
「これで当分武満は聴かなくてもすむ!」
と皮肉混じりに話していたのが、なぜか曲の内容よりも記憶に残っています(爆)。

>「これで当分武満は聴かなくてもすむ!」
 うはは。確かチェロ協奏曲が同じ年ではなかったでしたっけ。

 初演記録を調べてみました。

武満「オリオンとプレヤデス」 1984年5月7日、パリ・シャンゼリゼ劇場で初演。チェロ:堤剛、尾高忠明指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。

松村「チェロ協奏曲」 1984年2月27日、日比谷公会堂で初演。チェロ:安田謙一郎、渡辺暁雄指揮、日本フィルハーモニー交響楽団。

 お互い意識していたのでしょうか。

この武満と松村先生のチェロの曲の初演後の顛末。
松村門下の人から聞いたところによると、松村先生「あいつの曲はゴミだ」、それに対して武満も松村先生の協奏曲を「聴くに値しない曲」と罵倒しあったそうで。。。
なんだかんだ言いながら、二人は相手の曲をキチンと聴いている
音楽の深いところでは、非常に意識しあって、また尊敬しあってもいたのだと思います。

 そんなことがあったんですね。面白いエピソードありがとうございました。

>松村先生「あいつの曲はゴミだ」
 これまた的確な。私思うに武満の創作力の波は1980年から81年にかけて「遠い呼び声の彼方に」「海に向かって」あたりてひとつの頂点に達し、「オリオンとプレヤデス」では階段を半歩降りはじめている印象があるのです。80年代後半から90年代にかけての武満、特に「系図」「ハウ・スロー・ザ・ウインド」あたりは、音楽として弱いような。
 最晩年、「精霊の庭」あたりで音楽に力が戻ってきて、もう一回あたらしい展開があるか、と期待させたところで病に倒れて、武満は去ってしまいました。

>武満も松村先生の協奏曲を「聴くに値しない曲」
 これも分かります。というのは、その前に「ピアノ協奏曲2番」という、もう聴く者すべてがひれ伏すしかない大傑作をものにしているから。あれと比べるとチェロ協奏曲はどうしても霞んでしまう部分があります。
 武満とは違って、その後にオペラ「沈黙」というもう一度の創作力の頂点があったのですが。

 「交響曲2番」は、もう一度聞いてみたいです。初演を聴いたのですが、正直「あの松村がこんなに力のない曲を書くのか」とショックだったのです。同じコンサートで力の塊のような1番も演奏されたので、なおさらでした。

 でも、本人はこんなことも話しています。どうも私が初演では聞き逃した要素がいっぱいあったようで。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~onbukai/HP-tosyo/onse1999/matumura.htm

 あの時一回だけしか聴いていないので、もう一度聴いて、きちんと理解してみたいと思っています。

大容量のiPodを出して欲しいという気持ちはよく分かります。全ての保有音楽を持ち歩けるというのがiPodの特徴ですからね。1T,10Tと出していって欲しいものです。Classicと名前がついたApple製品はそれが最後になるので「iPod Classic」がHDDタイプ最後のiPodだという人も居るようですが、ぜひその予想を裏切ってもらいたいものです。ただ、私は持っているCDがそれほど多くないので10Gぐらいで全部入るのではないかと思っています。なかなか、昔買ったCDの取り込みが進まないので実際のところはよく分かりません。今は4GのiPod nanoを愛用しています。

ところで、非圧縮にこだわる人の気持ちがよく分かりません。というのも私にとってCD化というのは圧縮以外なにものでもないからです。結局聞いて判別できないならどんな圧縮形式でもいいと考えています。なぜCDはよくMP3がダメなのか理解できません。ましてやあまり音質のよくないiPodで音楽を聴くわけですからね。圧縮して全部持ち歩いた方がよいと私は思ってしまいます。

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