3月末頃から、個人的なプロジェクトを少しずつ実行していた。
「自分の持っているCDをすべてiPodに落とし込む」というものだ。
1990年代の初め、ノートパソコンが市場に現れた頃から、「デジタル遊牧民」というコンセプトを漠然と考えていた。
1986年に大学卒業旅行で行った北京の故宮博物館には、清朝歴代皇帝の肖像画があった。
清朝は遊牧民の作った王朝だ。清朝貴族はやがて漢民族の文化に感化されて定住するようになったが、ファッションには遊牧民の習慣を残した。貴金属や玉をめいっぱい身につけて、肖像画のモデルとなったのである。
移動し続ける遊牧民は、全財産を身につける。
遊牧民の財産は宝玉。では、記者の財産は何か——当然のことながら自分の収拾した情報だ。
ノートパソコンが出現した時、自分が持つデータをすべてノートパソコンに収めて常に持ち歩き移動するというライフスタイルがあり得る、と思ったのである。
1990年当時でも、自分の書いた文章は持ち歩きが可能だった。1990年代半ばにはデジカメが出現して、自分の撮った写真を常時持ち歩くことも可能になった。1990年代半ばから、私はメインマシンをノートパソコンに切り替え、なるべく持ち歩くようにした。
2001年、5GBの初代iPodが発売された。となれば、自分の持っているCDをすべて持ち歩き、聴きたいと思った瞬間に音楽を呼び出せたら素晴らしいのではないだろうか。
2001年時点では、自分の収拾した音楽をすべて持ち歩くのは無理だった。保有するCDの数が多すぎた。
128kbpsの圧縮音声も、聴いても分からない程度とはいえ、音声の質は悪化している。なにか「自分のビット資産が目減りする」ようで嫌だった。
これはいけるかも、と思ったのは80GBのHDDを搭載したiPodが出た2006年のことだった。この時点でAppleは独自のロスレスコーデックもリリースしていたので、目減りなしのビット資産をiPodに詰め込めむことが可能になっていた。しかし、簡単な計算をしてみると、私の持つCDの枚数は、すでにAppleロスレス圧縮をもってしても、80GBには収まらないことが判明した。
私はもう少し待つことにした。2007年9月、遂にAppleは160GBの容量を持つiPod Classicを発表した。世間では、同時発表のiPod Touchのほうが話題になっていたが、私にとっては「160GB」という容量のほうがよほどの大事件だった。
半年ほど、買うたやめた音頭を踊った後、私はAppleの軍門に下った。
私のPowerBookG4は、160GBのHDDを内蔵しているが、これでは容量が足りない。バックアップ用に1TBの外付けHDDを調達し、これまでバックアップに使っていた500GBの外付けHDDを音楽専用にすることにした。もちろん音楽データに関しても、最終的にはバックアップを作っておかなくてならないだろう。デジタルデータは、事故で一瞬にして失われる可能性がある。
4月から5月にかけて毎日仕事の合間を縫って、デジタル化を進めていった。まいったのはCDの書誌データを集めたCDDBのデータが統一したフォーマットを持っていなかったことだ。CDDBは世界中のネットユーザーがボランティアで入力しているのだそうで、結果としてデータ・フォーマットはばらばらだ。例えば、作曲家の名前も「武満徹」「武満 徹」「Toru Takemitsu」「Takemisu, Toru」「Toru Takemitsu(1930-1996)」などなど。
これらは自分の都合に合わせて入力しなおさなければならなかった。
1ヶ月以上の入力作業の後、私は自分のコレクションが160GBのiPodに収まりきらないことを発見した。30枚ほどの単品CDと全50枚以上の武満徹全集がはみ出してしまったのだ。256kbpsのAACに圧縮しておけば良かったのだろうが、そもそも圧縮音声は嫌だというところから出発しているので、いたしかたない。
床の上に広げたCDの山のうえに、iPodを置くと、なんともいえない感慨に打たれた。これだけのCDを買うのに20年以上かかっった。それが今、ポケットに入る大きさのiPodの中にすべて入っている。20年分の記憶、「あの曲、この曲を聴いた時の自分」がiPodの中に入っている。
音楽販売の形態が変わるわけだ。これだけのCDの山が、ロスレス圧縮ファイルでiPodに収まってしまうのだ。音楽コンテンツ販売の形態が変化しないと考えられるのは、よほど鈍感な人だけだろう。
今、私はiPodを持ち歩いて音楽を聴いている。過去、気に入っていた曲も、突如思い出した曲も、すぐに呼び出して聴くことができる。
こうなると、「懐メロ」という概念は消滅するのだろう。懐メロは、世間にその音楽が流通しなくなり、記憶からも薄れていって初めて懐メロとなる。いつでも思い出した時に、すぐに聴くことができるならばそれは懐メロではない。
たとえ自分のiPodの中に曲がなかったとしても、オンラインストアからすぐにデータを買ってくることができる。オンラインストアに品切れはない。
この先、ますますデジタル・ストレージの容量は大きくなっていくのだろう。自分の書いた文章、書籍、音楽、インタビュー音声、写真、動画像などを全て持ち歩く未来も、そう遠いことではないと思う。
一つはっきりしていることがある。もしもAppleが320GBや500GBのiPodを発売したら、私は喜んで買うだろう。収まりきれないCDは残っているし、iPodにはデジカメ画像も収めることもできる。今現在2万5000枚、60GBを超えているデジカメ画像をも、できれば私はiPodで持ち歩きたいと思っている。
250GBのHDDレコーダーに入っているテレビ番組の録画を加えるならば、ストレージの容量はいくらあっても足りない。
データを吸い出した後のCDは、お気に入りの数十枚を除いて段ボール箱に詰めて押し入れにしまった。これ自身がバックアップ最後の砦というわけだ。本棚は大分空いたのだけれども、空の本棚を眺めつつ、私は「これでまたCDが買える」などと考えているのであった。
さあ、SACDプレーヤーを買って、次はSACDを集めるかな。
というわけで、iPod160GB。圧縮音声でいいと割り切れば、ほとんどの人は自分の所有するすべてのCDの音声データを持ち歩くことができるだろう。
良いSACDプレーヤーはないかと捜して、このパイオニアのDV0-800AVに行き着いた。デジタル時代に入り、AV機器の音質は、ますます価格に依存しなくなりつつある。
これはいい、と買おうとしたものの、どうやらそろそろ次期モデルが出るらしい。というわけで、私は今、アマゾンで買うたやめた音頭を踊っているのです。