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2008.07.21

コンサート:「101年目からの松平頼則」

 先週の水曜日に行ってきた。

101年目からの松平頼則
2008年07月16日(19:15 開演) 杉並公会堂小ホール

第24回<東京の夏>音楽祭2008 関連公演
後援:上野学園大学
協賛:SONIC ARTS
助成:財団法人 アサヒビール芸術文化財団 財団法人 ローム・ミュージック・ファンデーション 

演奏曲目(全曲松平頼則作品):

「フリュートとピアノのためのソナチネ」(1936)
木ノ脇道元(fl)、井上郷子(pf)

「ピアノ・トリオ」(1948)
阪中美幸(vn)、 多井智紀(vc)、 萩森英明(pf)

「蘇莫者」(1961) 木ノ脇道元(fl)

「呂旋法によるピアノのための3つの調子」(1987/91 第2.3曲は独奏版世界初演)
井上郷子(pf)

「音取、品玄、入調」(1987)
木ノ脇道元(fl)、神田佳子(perc)

 素晴らしいコンサートだった。

 松平頼則(まつだいら・よりつね 1907〜2001 Wikipedia)は、特異かつオンリーワンの作曲家だった。松平の殿様の家に生まれ音楽を志す。ところが実家の破産により一転。戦中戦後と極限の貧乏生活を強いられ、その中で独自の音楽語法を磨いていく。

 初期はドビュッシーからフランス6人組、特にプーランクを思わせる美しい和声と日本民謡が融合した音楽を書いていたが、1952年の「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」が海外で演奏されたあたりから、作風が先鋭化していく。素材は日本民謡から雅楽へと移り変わり、作風もフランス風な優美な和声から12音技法に代表される前衛的なものへと急速に変貌していった。

 ちなみに「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」は、よく知られた雅楽「越天楽」のメロディを変奏曲に仕立てたもの。ヘルベルト・フォン・カラヤンがその生涯で演奏した唯一の邦人作品となった。

 その後最晩年に至るまで、一貫して第二次世界大戦後の前衛音楽の技術と、雅楽とを結合した、他に類のない、「これは松平の曲だ!」としか形容のしようのない作品を次々に生み出していったのである。

 この日の演目は、やわらかな和声が美しい「フリュートとピアノのためのソナチネ」から始まって、フランス風語法の集大成である「ピアノ・トリオ」、そして前衛と雅楽を結合した晩年にかけての3作品というもの。

 どの演奏も素晴らしかったが、びっくりしたのは「ピアノ・トリオ」。
 美しく、洒脱で、なおかつ風格を感じさせる大変な傑作だった。この一曲を聴けただけでも行った価値があった。雅楽と前衛に近づく以前の段階で、これだけの傑作をものにしていたのか。

 後半は、フルーティストのセヴィリーノ・ガッゼローニが世界中で演奏しまくって有名になった「蘇莫者」から。前衛の極北のような厳しい音が連続する「呂旋法によるピアノのための3つの調子」が続き、締めが一番雅楽風の音がする「音取、品玄、入調」。

 「音取、品玄、入調」が面白かった。ピッコロが雅楽の龍笛、打楽器が鞨鼓を模していくのだけれど、もちろんピッコロは雅楽の旋律を解析した12音の音列だし、打楽器は、鞨鼓のアチェレランドの連打を思わせつつも柔軟に伸び縮みするリズムをたたき出す。前衛か否かとは全く別の観点から、「とても面白い音楽」だった。

 松平は、94歳でこの世を去る直前まで日々作曲を続けた。委嘱があるわけではなく、誰かが演奏してくれるあてがあるわけでもない。それでも喜々として作曲にいそしんだという。作曲は彼にとって仕事ではなく、生きることそのものだったのだろう。

 誰に頼まれるわけでもなく、オンリーワンの超絶的な音楽をエネルギッシュに生産し続ける作曲家というプロフィールは、どこか中井紀夫「山の上の交響楽」を思わせる。

 結果として、今なお演奏されたことのない曲がかなりの数残っているのだそうで、これは是非とも今後徐々にコンサートにかけ、録音を発売してもらいたいところ。かくも特異、かつ優れた作曲家の仕事が埋もれていていいはずがない。

 松平頼則については、今回のコンサートを企画した音楽評論家の石塚潤一氏が、精力的に紹介を続けている。

松平頼則を聴いてみませんか?:松平本人とその音楽の簡単な紹介
松平頼則が残したもの同pdfファイル:2002年度 <柴田南雄音楽評論賞>奨励賞。本格的な評論。
松平頼則と総音列技法(pdfファイル):松平が使用した音楽的な技法の一端を分析している。

 作曲家、特に真に新しい音楽を書く作曲家には、理解者、紹介者が不可欠なのだろう。バッハにメンデルスゾーンがいたように。マーラーにワルターやスプリングハイムがいたように。
 石塚氏の活動から始まって、もっと松平音楽が演奏されるようになるのを心から願う。

ピアニストの野平一郎氏による追悼文:死の直前まで旺盛な意欲で作曲をしていたというエピソードが披露されている。
 94歳でピアノ協奏曲を書き上げるというのは、信じがたいバイタリティだ。だって、89歳まで生きたストラヴィンスキーでも85歳以降はほとんど仕事をしていないし、“グランド・オールドマン”と尊敬されたヴォーン・ウィリアムズの最後の交響曲9番にしても死の前年、85歳の作なんだよ!
 ちなみにこの曲(ピアノ協奏曲3番)はいまだに演奏されていない。


 かつてのように「松平の音楽聴きたしと思へども音盤なし」という状況ではないが、それでも録音で聴くことができる作品は決して多くはない。



 松平入門の一枚としては、ナクソスの「日本作曲家選輯」に収録されたこの1枚ということになる。松平にとって音楽作法の転回点になった「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」、そして雅楽と十二音技法を結びつけた代表作の「右舞」「左舞」が収録されている。

 「主題と変奏」はフランス風の和声を駆使した美しい音楽から、尖った前衛的音楽へと傾斜していく過程の曲で、作曲者としても色々と試行錯誤している最中だったのだろう。第5変奏ではなんと「越天楽」のメロディがブギウギのリズムで演奏される。松平がポピュラー・ミュージックのイディオムを採用したのは長い生涯でこれ一度きりだったが、今となっては越天楽からフランス風の優美な和声、ブギウギから十二音技法までというごちゃごちゃさ加減がなんとも面白い。

 一転して「右舞」「左舞」「ダンス・サクレとダンス・フィナル」は十二音技法の厳しい音が続く曲だが、音楽の基本形状が雅楽なので、前衛音楽という意識を持たずにするりと聴くことができる。



 ナクソスは、音楽のネット販売にも積極的であり、このアルバムもiTunes Music Storeで購入することができる。

Matsudaira Bugaku Dance Suite:iTMSへのリンク

 こちらは900円とCDよりも安いし、試聴することもできる。


 松平は最晩年、ソプラノ歌手の奈良ゆみのために多数の声の作品を作曲した。奈良は、ポルタメントを多用する特異な唱法の歌い手で、その歌声に惚れ込んだ松平はモノオペラ「源氏物語」、オペラ「宇治十帖」といった平安時代を題材にした大作を世に送り出していく(しかしながら「宇治十帖」は今なお上演されてはいない)。

 奈良は、松平作品のみを収録した2枚のCDを出しているが、ここではその「源氏物語」からの抜粋と、初期の日本民謡を素材とした歌曲を収めた盤を推薦する。特に南部民謡を素材とした「南部民謡集 第1集」は、松平二十代前半の若き日の作品でありながら、彼が人並み外れた鋭い和声感覚の持ち主であったことが分かる貴重な録音だ。

 「源氏物語」から抜粋したアリアをまとめた「朧月夜」では、奈良のポルタメント唱法を生かした、日本的でありながら“松平的”としか形容のしようがない、未知の音空間が現出する。

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Comments

いま,おすすめのNAXOSからのアルバムを聴いています.
ピアノとオーケストラのための主題と変奏,
こ,これは,何度も聞いたことのあるデジャヴ感ばりばり
なんですが,すくなくともCDやレコードをかけて
自分で聞こうとした経験はないはず..

すると,昭和の時代には,
こういう雅楽と融合させた,あるいは雅楽をオケに演奏された試みが
他にもあったのでしょうか.あるいは,松平さんの曲があちこちで使われていたのでしょうか.

自分の子供のころの人生経験からして,
聞いたことがあるという感じのモトは,NHKのTVだろうとおもうのですが..

ちなみに,どうしても絵も見たくて,
未来への遺産のDVDを,中古を必死で探して,中古が出ていないのは新品で,
大枚はたいて全部揃えてしまいました.
自分の音楽の価値観は,これらNHKのドキュメンタリーで形成されたことを
再確認しました..

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