JPOPのワンパターン
もうすこし音楽の話を。
最近、JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話という記事が話題になっている。
30年前に和声法の勉強を途中で放り投げた私でも、これは理解できる。
問題のコード進行は、IV△7→V7→III7→VIというもの。サブドミナント→ドミナントと動いて、基本ならばその後に主和音が来るところを、主和音の根音を抜いてさらに上に7thを重ねて調性を曖昧にしたIII7をもってきて、短調であった場合にはIII和音がドミナントの役割を果たすことを使って、短調の主和音であるIVにもってくるというわけだ。
記事では「メジャーとマイナーの中間を漂う浮遊感」と書いているけれどもまさにその通り。
以下自分なりにもっと簡単な説明を試みてみよう。
長調とか短調といった調的な音楽の場合、「こういう風に和音が並ぶと音楽がきちんとしめくくられるような感覚を聞き手に与えられるぞ」という和音の並びがある。
その一番基本となる並びが、IV→V→Iというものだ。
一番簡単なハ長調、ピアノの白鍵だけでドレミファソラシドの音階で説明すると。Iというのはド。同時にドの上に音階の音を3度で積み上げたドミソの和音を意味する。IVというのはドから数えて4つ目の音であるファであり、同時にファの上に積み重ねたファラドという和音である。同様にVは5つめの音であるソでありソシレという和音のことだ。
この3つの和音は主音であるドを中心に音程でいうと5度の関係にある。5度というのは鍵盤5つめの音だと思っておいてもらいたい。
ドから上に5度がソ、下に5度がファだ。
ドの主音に対してソを属音(ドミナント)、ファを下属音(サブドミナント)という。これら3つの和音が、長調における一番基本の和音であって、そのまた一番基本の並びが、ファラド、ソシレ、ドミソ、つまりIV→V→Iなのだ。
細かい理由は抜きにするがV和音はもうひとつ音を積み重ねてソシレファとして使うことが非常に多い。記号で書くとV7である。
さて、ここでドレミファソラシドの長調は、音階の出発点を変えるとラシドレミファソラの短調になる。主音はラになるわけだ。ここでもさっきと同じ5度の関係を作ることができて、ラドミの主和音に、ミソシのドミナント、レファラのサブドミナントが存在する。これでさっきの長調と同じ基本の和音の並びを作ると、レファラ、ミソシ、ラドミ、となる。記号で書くとII→III→IVだ(本当はもっともっと色々あるのだけれど、とりあえずは省略)。
ここで、問題の和声進行「IV△7→V7→III7→VI」に戻る。7とか△とかは、簡単に言えば和音に独特の彩りをつけるフレーバーみたいなものだから、とりあえず無視する。するとこの和声進行は「IV→V→III→VI」となる。ハ長調の音階で書くと、ファラド、ソシレ、ミソシ、ラドミ、となる。
これを、一番基本となる和声進行「IV→V→I」と比べると、IV→Vと来たものが、Iに行かずにまずIIIに行ってしまっている。Iはドミソ、IIIはミソシだから、音は2つ共通だ。でも肝心かなめの主音であるドがなくなってしまっている。
これは聞き手の耳の印象からすると、「あれ?ドが鳴って音楽が一段落付くはずが、なんか落ち着かないぞ。でもミとソは鳴っているよな。一段落ついたようなつかないような変な気分だぞ」ということになる。
そしてIIIの和音は短調で考えるとドミナントだ。だから短調の基本の和音の並びに従って、次は短調の主和音VIとつながる。
すると聞き手の耳は「あれれ、ここまで長調だと思っていたけれども、短調で収まりよく音楽が落ち着いちゃったようだなあ」と感じるわけだ。
人間の耳は和音一つや二つ程度の音の並びでは「これは長調だ、短調だ」と断言することができない。せいぜい「なんか長調っぽいぞ、短調みたいじゃないか」と感じる程度である。つまりこの和音の並びは、それまで長調で来た音楽に一瞬長調と短調との間で、宙ぶらりんになった印象を与えることができる。
その一瞬の曖昧さが、日本人好みである、というわけだ。
もちろんこの和声の並びに引き続いて本格的に短調に転調してしまってもいいわけだが、JPOPはそうはせずに、また長調へと戻っていく。長調基調の曲に一瞬の曖昧さを与えるためにこの和声進行を使っているというわけである。ほんの一瞬、ウエットな印象の短調へと音楽が振れるのを「なんかいいなあ」と感じているのだね。
(ということでよろしいでしょうか、大澤先生!)
やあ、いいことを聞いたぞ。この和声進行を使って、次は自分がヒットメーカーだ!――ではなくて。
JPOPは、この和声進行が聴衆から受けることに気が付いた結果、「なんでもいいからこの和声進行を使っちゃえ。そうすれば売れる音楽を量産できて儲かるぞ」という思考停止に陥ってしまったということなのである。
音楽というのは面白いメディアで、こういう安易さはじわじわと伝わる。特に色々な音楽を多数聴き込んでいる人ほど、敏感にこの手の「ま、こんなもんだろ」的な音楽作りに気が付く。つまり趣味の良い分かった聴衆ほど「けっ、ふざけんじゃねえや」と、離れていって、後にはあまり耳を鍛えていない、普段は音楽をマニアックに聴くことがない人が残っていくことになる。
もちろん商売としては一部マニアよりも大多数を相手にしたほうが儲かるわけだから、当面はそれでもそろばん勘定は回っていく。だが、何度も繰り返せば、いかに「普通の人」であっても、徐々に気が付いていくのだ。
同時に「普通の人だけ相手にしてりゃいい」的態度は、作り手の中から真剣さを失わせる。どんどん安易へと流れていくのだ。
私はクラシックマニアであり現代音楽オタなので、JPOPが滅亡しても全く痛痒を感じないし惜しいとも思わないのだが、それでも「少しは考え直したほうがいいのじゃないか」と思う。かつて演歌が大ブームの後に同様の思考停止に陥って衰退したことを考えると、音楽ビジネスの維持のためには今のうちになんとかしたほうがいいのは明白だ。
もっとも、過激に言ってしまうならば、JPOPなどというものが高収益ビジネスとして回転している状況のほうがどうかしているのかも知れない。音楽なんてものはほっといても作り手の中から泉のごとくあふれ出てくるのが本来であり、それは作り手の衣食住を支えれば十分だったはずだから(クラシックの世界の食えなさっぷりを考えると、ね)。
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おおむねこの説明でよいかと思います。
ただこの和声進行は、バロック時代に機能和声が確立されて、その中で反復進行(ゼクエンツ)という技法と非和声音の関係の両面から成立したのではないか、と考えます。
Iには行かずにIIIというのも、もともとは正格旋法変格旋法の扱いの違いに起因しています。
この手のパターン化された和声進行は、バロック以来いくつか定型があって、ヴィーン古典派の作曲家たちも、いわゆる定型化された和声進行を多用しています。さらにはこの進行の上に、メロディもかなり定型化されたものがあります。もちろんいろいろ修飾されるのがメロディの常ですので、その余分なものを削ぎ落としてみると、と言うことになりますが。
J-POPにおける問題点は演歌よりも根が深いような気がしていて、それはデスクトップ上でおいてのみ発想された、ライヴ感覚の欠如した音の扱いに一番の原因があるような気がします。
リズムセクションの用法は、この問題を端的に表していると思います。
アコースティックな昔のロックバンドなど聴いていますと、ドラムがイレギュラーにいろいろやったり、ドラムセット以外のパーカッションが上手く使われていたり、弦や管楽器セクションにアクセントが付けられたりして、全体で一つのグルーヴ感を作っていますが、今の音楽にそれらは希薄です。
一カ所間違いが。
次は短調の主和音IVとつながる。
のIVは、VIですね。
主和音(I)に行かずに、IIIに進行するというのは、バッハがいくつかやっています。しかもその時のIIIは9の和音、ハ長調ですと、ミ、ソ、シ、レ、ファ!という和音に進んでしまいます。属七と合体してしまった、偶成和音の特殊な用法です。これはカンタータ第147番(最後のコラールが有名な「主よ、人の望みの喜びよ」)の第1曲目のオーケストラの前奏部分その他で行っています。
バッハは結構アヴァンギャルドです。
Posted by: 大澤徹訓@大澤先生 | 2008.10.29 11:18 PM
おお、どうもありがとうございます。
>正格旋法変格旋法の扱いの違い
このあたり勉強しなくては、もっと偉そうなことは書けなそうですね。…やめとこう。ボロが出そうです。そもそもこの王道進行にしても、素朴なサブドミナントとドミナントからトニカへの進行で解釈するのも冒険だったかも、と思っています。
>ライヴ感覚の欠如した音の扱い
これは、突き詰めていくと「音楽にとって肉体がもたらす揺らぎはどんな意味があるのか」というところに行き着きますよね。リズムマシンで刻むリズムで音楽が出来るかといえば、出来る。でも限定されるわけです(初期のYMOとかクラフトワークとか)。
肉体が持つカオス的特性って、音楽にとって何の意味があるのでしょうね。
意味があるのは痛感します。でも、それをグルーヴ感という言葉で総称してしまっていいのか、それとももっと分析すべきなのか、迷うところではあります。
JPOPの場合には、そこに「スタジオ借りてみんな一斉に集まるより、リズムマシンに合わせて適当に録音するほうが安い」という経済学が働いているのが悲しいですけれども。
Posted by: 松浦晋也 | 2008.11.01 03:23 AM