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2009.01.26

「帰ってきました」と、宇宙基本計画について

 種子島から帰還しました。お騒がせしましたが、H-IIA15号機については宇宙作家クラブニュース掲示板をご覧下さい。まだ、種子島ゴールデン・ラズベリー賞が残っていますが。

 仕事が溜まっているので、ちょっと遅れますが、宇宙基本計画の件については、もう少し書きます。

この件は、無関心が一番まずいです。私の意見に賛成であれ反対であれ、なるべく多くの人が考え、自分の意見を明確にし、パブリックコメントに投稿することが必要です。

 宇宙基本法により、日本の宇宙開発は大きな曲がり角にさしかかっています。物事が大きく変わる時は、“望ましい向き”に物事を方向付けるチャンスでもあるのです。

 パブリックコメントなどしても無駄だと考える人もいるでしょう。実際、パブリックコメントを実施する官庁の側の意識は「パブリックコメントを実施することで“国民から広く意見を聞いた”という形を作る」というところにあります。

 「国民からの意見を宇宙基本計画に反映する」ことが重要なのではなく、「聞いたからね」という形を作って、自分たちの作った書類に正当性を与えることが必要なのです。議論を尽くしたことにするためには、パブリックコメントが必要——といえばいいでしょうか。
 もしも、パブリックコメントなしでも“議論を尽くした形にできる”なら、彼らはパブリックコメントそのものを実施しないでしょう。

 それでも、パブリックコメントには大きな意味があります。特に応募してくる数が、1000を超えると、それは“国民は見ているぞ”という無形の圧力となります。応募総数はとても重要です。

 なるべく多様な人々が、それぞれの意見を政策決定の過程に投げることが、今後の日本の宇宙開発にとって、決定的な意味を持ちます。

 官庁の権勢のためでも、航空宇宙産業の収益のためでも、JAXAの組織と仕事の維持のためでも、もちろん政治家の権力のためでもない、本当の意味で誰もが「宇宙を知り」「宇宙を利用し」「宇宙に出て行く」ための宇宙開発のために——個人個人はほんの小さな力であっても、実際に行使することでチャンスを拡げる方策が見えてくるものなのです。

 この件に関するネットに出てきた様々な意見は読んでいます。以後、なるべく私としても答えていきます。

 繰り返すと、私の意見に賛成、反対というよりも、より多くの人が日本の宇宙開発の未来について考え、意見を表明することが大事なのです。

2009.01.23

H-IIA15号機打ち上げ成功

 現在種子島に来ています。H-IIAロケット15号機打ち上げの様子を宇宙作家クラブニュース掲示板に流していましたが、プロバイダーの帯域制限にひっかかったようで、アップできなくなってしました。

 取り急ぎ当blogに情報をアップします。

 ストリーミングをごらんの方は先刻承知でしょうが、12時54分にロケットは打ち上げられ、温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」は無事に軌道へ投入されました。


Liftofff




Liftoff2

 午後2時半頃から記者会見の予定です。

2009.01.20

宇宙基本計画についての記事を書いた

 nikkeibpに宇宙基本計画の記事を5回に分けて書いた。

宇宙基本計画策定に向けて(1)
利害関係者の意見を寄せ集める従来パターンから抜けられない方針

宇宙基本計画策定に向けて(2)
目指すべきはブートストラップ方式の産業立ち上げ、
初期段階での安全保障分野への傾斜は最悪の選択

宇宙基本計画策定に向けて(3)
宇宙科学・探査を“最初の靴ひも”として
宇宙開発全体の浮揚を

宇宙基本計画策定に向けて(4)
宇宙科学と有人探査の有機的連携を
人類の宇宙進出を念頭に長期的戦略を

宇宙基本計画策定に向けて(5)
“理工一体”の宇宙科学推進体制の再構築を
世界一線級の尖った計画を推進できる体制が必要


 宣伝と言うよりもお願いだ。ぜひともこれらの記事を読んでもらいたい。そして、私の意見に賛成でも反対でもかまわないから、自分なりにどうすればいいのかを考えてもらいたい。

 おそらくこの春には宇宙基本計画に対するパブリックコメントの募集があるはずだ。可能な限り多くの人たちにパブリックコメントへの募集をお願いしたいのである。


 昨年8月に宇宙基本法が成立し、宇宙開発の中枢は、内閣メンバーで構成される宇宙開発戦略本部へと移った。宇宙開発戦略本部は、宇宙基本法に定められた通り、今、日本の宇宙開発の基本となる宇宙基本計画の策定を行っている。

 今回が宇宙基本計画の初めての策定であり、ここで決まったことは後々の日本の宇宙開発に大きな影響を与えることになる。

 ところが、それが今や、なにやらわけの分からない形で決まりそうな雰囲気になりつつある。
 宇宙基本法は、宇宙開発の方針を政治が決めるという方向性を打ち出したが、今まさに政治状況は流動化しており、政治家が腰を据えて宇宙に取り組む状況ではなくなりつつある。経済状況もご存じの通りで、「宇宙は後回し」になってもおかしくない形勢であり、実際そうなりつつある。

 それではこれまでの宇宙政策を引き回してきた官僚は、といえば、これまた「政治優先」を明記した宇宙基本法があるので、なかなか動けないでいる。彼らは政治家とは異なり、それ専門に働けるので、それなりに動いてはいるが。


 私が恐れるのは、このようなぐちゃぐちゃの状況の中で、自民党の「軍備を持つ普通の国」を求める」姿勢と、官需で業界を支えたい産業界との思惑が一致して、宇宙の安全保障用途の利用が、無節操に進むことである。

  「真にコストパフォーマンスにすぐれた宇宙の安全保障利用」を目指すのではなく、「機密の壁の向こう側で国民の監視の目を逃れた形で、巨額の公共投資ができるアイテム」として、安全保障が使われるかもしれないのだ。

 私は、宇宙の安全保障利用に反対しているのではない。宇宙開発にまつわるあれこれが、国家安全保障に巻き込むことで、機密の向こう側に行ってしまい、その結果、日本の宇宙開発が停滞してしまうことを危惧しているのである。

 技術は広く使われてこそ社会に利益をもたらす。知識は共有されてこそ、未来への道しるべとなる。宇宙開発のための開発した技術は、広く使われてこそ宇宙開発をさらに前に進める力となる。得られた知識は共有され、議論のベースとなってこそ、私たちの未来を切り開く道具となる。

 そもそも、安全保障は知識の秘匿を旨とする。国民生活にとって大変大切な事柄だが、本質的に反未来的な指向を持っているものだ。だから、安全保障は「宇宙開発の技術的成果を利用するもの」であり、「それを通じて産業を支えたり、技術を開発するものではない」というのが、私の意見である。

 とにかく、きちんと情報を仕入れて、自分の頭で考えてもらいたい。新たな宇宙基本計画が動き出す今は、日本の宇宙開発を良い方向に向けるチャンスなのだ。そのためには、あなたの考えをきちんと政府に、内閣に、宇宙開発戦略本部に表明することが必要なのである。

 宇宙開発は国民のものだ。宇宙開発の成果も未来も、税金を支払う国民のものだ。関心をもってほしい。無関心が一番いけない。

 お願いいたします。

2009.01.18

ニコニコ動画の影響力、遂に中国に及ぶか?

 うははははは。こ、これは!…面白いじゃないか。

 もちろんオリジナルは、初音ミク初期の大ヒット作である「みくみくにしてあげる♪」

 どこから見つけてくるのか、どうやって録音しているのかは知らないけれども、よく見つけてアップする人がいるものだ。これがネット時代というものなのだろう。「日本のものをパクっても、向こうには伝わらないから大丈夫」から、「あっという間に伝わって笑われる」へ。

 ただ嘲笑するのも芸がないというか、笑いが足りないというか、すでに「偽音シナ」なるタグが付いているので、後は誰か絵の描ける者が、みんなが納得する萌え系「偽音シナ」の絵をかけば、ここにもう一人、ボーカロイド派生キャラ一丁あがりということになる。

 同じく派生キャラクターの亞北ネル誕生のエピソードを思い出す話だ。こんな経緯だったのですよ。

 この件、単に「だから中国は」というヒステリックな嫌中ネタにせずに、是非とも笑いと共に向こうにボールを投げ返したいものだな。

 中国人——とひとくくりに考えてはいけないぐらい、向こうは人種も社会階層も多様なわけだが——少なくとも向こうのネットユーザーには、「こういう情報は、あっという間に世界を流通してワールドワイドにお笑いを増幅していくぜ、どうするよ?」というところをぶつけてみたいところではある。

 そもそも「みくみくにしてあげる♪」はニコニコ動画で生まれたヒット曲なのだから、出自の時点でJASRAC流のがちがちの著作権管理とは異なる、著作権的にはゆるいところがあるわけだ。

 では、この中国版パクリのどこがいけないのかといえば、「オリジナルに対する敬意なしに、ものすごく安易に『日本で流行っているものをちょっともって来ればこっちでも受ける』と考えている」らしきところだろう。要するに志が低いのだ。
 自分たちの頭を使って、もっとひねりを入れればよかったのに。


 このあたりのパクリについては、日本も中国のこと言えた義理ではなくて、日本のポップス歌謡曲の世界が、かつては(今も??)洋楽からのパクリいっぱいであったことは、割と知られているところではある。
 
 個人的に今でも忘れられない件としては、ニック・カーショウの「The riddle」が流行ったら、小泉今日子がそっくりというのも愚かな程にそのものの「木枯しに抱かれて」を歌ったなどということもあった。1986年の話である。
 これは、ひどかった。本当にひどかった。作曲者は誰かと思えば…なんだ、「THE ALFEE」の高見沢俊彦ではないか。

 個人的にインパクトの強かった件を、思い出すままに書き出すと、リプチンスキーが、アナログ時代のハイビジョン合成を駆使した映像絵巻「オーケストラ」を発表したと思ったら、日本のCM業界に「オーケストラ」もどきの合成映像が溢れたとか(これは1990年頃)、三善晃の「ピアノソナタ」の第2楽章冒頭は、アンリ・ディディユーの「ピアノソナタ」第2楽章冒頭とそっくりだとか(1965年のことだ)。
 「レスペクト」とも「パクリ」とも、「傾倒するあまりについつい似てしまった」とも付かない事例はいくらでも存在する。

 「学ぶ」の語源は「真似ぶ」なんだそうで、真似を排除すると次の世代が育たない。とはいえ、安易なウケを狙っての志の低い真似は、「そういうのは軽蔑されるぜ」という雰囲気を作っておくのは悪くない。

 13億を超える中国で、ネットユーザー人口は2億を超えているとのこと。この2億の中は、それなりにきちんと思考する人々がいる——私は、日経ビジネスオンラインに遠藤誉さんが書いた「開幕式の「まやかし」が傷つけたもの ネットに溢れる中国国民の怒り」という記事を読んでから、そのように考えるようになった(日経ビジネスオンラインの全文を読むには、無料登録が必要である。私としては、遠藤さんの記事が読めるだけでも、登録する価値はあると考えている)。

 まあ…日本のネットも玉石混淆なのだから、向こうは人口が多い分、もっと玉石混淆なのだろうが——それにしても、今回の件をうまく笑いで投げ返すとどんな反応が出るのだろう。そして、そんなドタバタを繰り返しながら、ネット時代は進んでいくのだろう、ね。


22:15追記:さっそく来た来た。

 この調子、この調子。

19日5:00追記:どうやら、単なるパクリではないという雰囲気になっている。

ニコニコ大百科:偽音シナ(コットンファーザーアキヨシ)

コットンファーザーアキヨシとは、長渕がいつも一人でいると思っている中国人(らしい)人である。

概要 

事の発端は2009年1月18日に投稿された動画(sm5874126)である。

中国語放送のラジオ番組「ニコニコ大ニッポン語FM」にて「みくみくにしてあげる♪」に似た曲が
歪みなく歌われている。
どういうことなの・・・

 当初はパクリだとして「偽音シナ」との蔑称がつけられたが、動画内で明確に「ニコニコ」と
聞き取れる部分があるため、歌いやすくアレンジされた「歌ってみた」シリーズの可能性もあり、
今後の経緯が期待される。
編集者が表示用記事名を直そうとしたが無理だった。仕方ないね。

 ニコニコ動画が4カ国語対応になったことを考えると、アレンジバージョンの登場は
やや遅くさえ考えられる。

正しい歌詞なのか、どのような経緯で歌われたのかはまったく不明。シャランQのファンらしい。
あまり裕福ではないらしく、生のピーマンを食べたり、「食材があるときに食事にする」と発言し、
サンタマン(サンタクロース?)のプレゼントを期待しているようだ。歌詞も食べ物についての内容が多い。

 いやもう、ネットでは話が早いことよ。

19日23:OO追記:そもそも元の動画が中国のラジオ放送を模した偽造だということが明らかになった。

ニコニコ大百科:偽音シナ

事の発端は2009年1月18日に投稿された動画(sm5874126)である。

「みくみくにしてあげる♪」に似た曲(通称「ニコに関して頑張る♪」)が歪みなく歌われている。

会話部分の音源はニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の学内放送であるWUSBの
「China Blue」という中国人向け番組で流れたもの。
番組表

しかし元音源(Youtubeより引用)の4:02~4:23あたりのDJコメントに後から曲を乗せ編集されている。
つまりラジオ放送において「ニコに関して頑張る♪」が歌われたという事実はない。

動画タイトルと投稿者コメント以外に情報がない現状では「中国に対する差別感情を煽る」という意図しか
伝わらない釣り動画という評価が妥当である。投稿者も現在まで一切コメントしていない。。

 「「中国に対する差別感情を煽る」という意図しか伝わらない釣り動画という評価が妥当」ということで、たちの悪い歪んだいたずらということで落ち着きそうだ。

 それにしてもあっという間に関連動画がどんどんアップされるのは相関だ。しかもそれらが「また中国www」的なものではなく、きちんと笑いを取ろうとしたものだったのは良かったと思う。とりあえず元の動画をアップした者には「釣り乙」ということで、いいのかな。

2009.01.17

世界記録樹立のチャンス

Gokurakutonbo1_3

 今年の鳥人間コンテストが中止となった。来年、2010年は実施するとのこと。

2009年開催休止と2010年開催のお知らせ

 さて、2009年の大会ですが、残念ながら休止することが決定しました。
 昨今の厳しい経済環境はテレビ業界も同様で、番組制作費の見直しが検討されております。その中で、「鳥人間コンテスト」は参加者の安全な飛行を重視して大掛かりなセットや救助システムを組んでおり、予算削減を理由に安全面を軽視することは考えられません。事務局としても、大会開催にむけて検討を重ねてまいりましたが、上記の理由で09年の開催休止を選択しました。バードマン、また関係者の皆さまには、何とぞご理解を承りたくお願いいたします。

 これを受けてmixiの鳥人間コミュ(閲覧にはmixiのアカウントが必要)では、色々な意見が飛び交っている。「つまらないバラエティー番組から切ってほしかった」とか、「会社の上のほうは何が適切な費用かを判断できていない」と、怒りの声も出ている。

 しかし、これはチャンスではないか。

 世界記録に挑戦するチャンスなのだ。

 現在の鳥人間コンテストに参加する上位チームの実力は、私の見るところ、人力飛行機の飛行距離世界記録を狙えるところまで来ている。
 しかし、鳥人間コンテストに参加する限り、いくら飛行距離を伸ばしても、世界記録としては認められない。人力飛行機の世界記録のレギュレーションには、「自力で地上から離陸すること」という条件が付いている。湖面から10mのカタパルトから離陸する鳥人間コンテストでは、いくら長距離を飛んでも世界記録として公認されないのだ。

 私は2003年8月に、鳥人間コンテスト常連だったヤマハ発動機の「チーム・エアロセプシー」が琵琶湖で日本記録を目指して飛行を行った時、随伴ボートに乗って取材した。この時、エアロセプシーのリーダーである鈴木正人さんから、記録と鳥人間コンテストの関係を色々とお聞きした。

 当時の取材メモを引っぱりだして、要約すると以下の通り。

・日本の機体の水準は世界トップクラス。世界記録が狙えるところまで来ている。
・世界記録を出すためには、機体、パイロット(操縦技術と体力)、飛行に向いた良いコンディションの天候の3つが必要。このうち、良いコンディションの天候が一番難しい。アメリカが世界記録を出した時は、天候が飛行に向いたギリシャにチームが乗り込み、1ヶ月間も風待ちをして最高のコンディションの天候で飛行を実施した。
・自分たちサラリーマンの挑戦では、風の良いコンディションを1ヶ月も待つということができない。

Gokurakutonbo2_2

 実際、この時のエアロセプシーの飛行は、琵琶湖上空の空気が最高のコンディションとなる7月末から8月始めの2週間の週末土日4日間だけが飛行のチャンスだった。かならずしも最高の風ではない状態で飛んだ「極楽とんぼ」だが、10.9kmという当時の日本記録を樹立した。

 私は、鳥人間トップクラスの大学生チームが、最高の飛行コンディションが狙える土地に乗り込み、1ヶ月の風待ちをするなら、マサチューセッツ工科大学(MIT)の記録を破ることだって夢ではないと思う。

 MITの世界記録は1989年4月23日に達成。場所はギリシャ・クレタ島、機体は「ダイダロス」、パイロットはK. Kanelopoulos。飛行距離は119kmだ。
 一方、日本記録は日本大学航空研究会の「Möwe21」が2005年8月6日に、静岡県庵原郡蒲原町・富士川滑空場〜駿河湾で出した49.172kmである。パイロットは、増田成幸。

 もちろん記録への挑戦は容易なことではない。まず、機体を自力離陸可能なように改造する必要がある。チーム・エアロセプシーの機体「極楽とんぼ」は、一部の動力を車輪に回して、地上離陸を容易にする工夫がしてあった。
 また、鳥人間コンテストのように、飛行環境を全部テレビ局が整えてくれるのではなく、関係官庁や地方自治体、地域住民などに説明に回って、記録飛行を行える環境を整える必要がある。これはかなりの負担だ。

 それでも、得られるものは大きい。鳥人間コンテストは、基本的にテレビ局主催のショーなので、風や天候の条件が最高ではなくとも、主催者が飛べると判断したならば飛ばなくてはならない。世界記録を狙うなら、記録飛行に適した最高の土地、最高の天候を選ぶことができるのである。

 MITの「ダイダロス」は、例えばギアをマグネシウム合金から削り出すというようにすべての部品に惜しみなく予算を投じて軽量化した機体だった。その機体と、競輪選手並みの脚力のパイロットを組み合わせ、最高の天候が見込めるギリシャに乗り込んで、ぎりぎりまで風待ちをして出した記録だ。

 しかし、その記録もすでに樹立から20年経っている。その間の技術の進歩は著しい。鳥人間コンテストでさんざん鍛えられてきた日本のチームが世界記録を狙える可能性は十分あるだろう。

 「当事者でもないのに無責任なことを言うな」と言われそうだが、どうせテレビ番組が中止になったのだ。ならば、テレビに関わっていてはできないことをすればいい。世界記録を出して、読売テレビに「やはり他の番組を潰しても、鳥人間コンテストを開催しておくべきだった」と後悔させてやればいい。

 番組がなくともやれることはある。がんばれ、バードマン達。

 写真は、2003年8月3日、琵琶湖におけるチーム・エアロセプシー「極楽とんぼ」記録飛行の様子。早朝の風待ち(上)と記録飛行(下)。撮影:松浦晋也


 過去30年の歴史をまとめたDVD。鳥人間コンテスト30年の記録だ。

 鳥人間コンテストが、日本の航空界に与えた影響は莫大だったと言わねばならない。三菱重工ですらろくに新型機が作れない状況下で、規模こそ異なるものの、参加者達は毎年1回、必ず新型機を作り、30年以上に渡って琵琶湖に集まってきたのだ。どんどん新しいものを作るということが、物事を進めるのにどれほど大切なことか。



 ずっとテレビ番組で見てきたが、残念なのは年を追う毎に番組が演出過多になっていったこと。本人はろくに飛行機に興味を持ってもいないお笑い芸人など不要だ。狙って演技するアナウンサーの絶叫も邪魔以外の何者でもない。お涙頂戴のビデオ編集はうっとうしいだけである。



 私はただただ、飛行機が見たいのだ。琵琶湖上空を晴れ晴れと飛ぶ、バードマン達の飛行機が見たいのである。

2009.01.16

巡音ルカを予約してしまった


 予約してしまった。



 以前も書いたかもしれないけれども、30歳の頃に描いた曲が5曲あって、それをぼつぼつと初音ミクに歌わせてはニコニコ動画にアップしている。今、3曲目をいじくっているが、この後の4曲目と5曲目には、ミク以外の声が必要になるのだ。

 少々早いが、ええい買ってしまえ、というわけ。



 5曲をアップし終えたら、当時スケッチだけ書いて、完成させなかった曲を作り上げようと思っている。これが3曲ほど。その後は、これまた当時、詩を選ぶだけ選んで、そのまま放置していたものにあらためて曲を付けてみようと思っている。半年に1曲のアップのペースで、一体どうなることやらではあるが。



 では、その次は…



 野望はある。まず、オーケストラ伴奏付きの歌曲。いや、歌曲というよりも、オーケストラと声の曲。できれば5つに分割したオーケストラが聴衆を囲むように配置され、音列技法かなにかを使って、思い切りかつてのアバンギャルドのような響きで、歌う詩はもちろんシュールレアリズム——というような曲だ。



 ピエール・ブーレーズに、「プリ・スロン・プリ」という曲がある。オーケストラにソプラノが付いて、ステファン・マラルメの詩を歌うという、1時間以上かかる大作だ。

 「プリ・スロン・プリ」の影響をうけたのかどうかは分からないが、武満徹にも、「ソプラノとオーケストラのための環礁」という曲がある。こちらの詩は大岡信。



 そんな曲を書いてみたい。詩は、西脇順三郎か、それとも滝口修造か。



 その先は、オペラだな。かつて、サン・テクジュペリの「星の王子さま」と「人間の土地」を混ぜて、オペラの台本を書きかけてほったらかしにしてあるので、まずはこれは完成させ、曲を書いてMIkuMikuDanceでボーカロイドにバーチャルオペラを演らせる。


 器楽は室内楽レベルに小さな編成。登場人物は男声3人に女声2人。男は、サン・テクジュペリ(僕)と、アンリ・ギヨメ、そしてジャン・メルモーズ。女は、王子様(中性の扱いとなる)、薔薇の花(コンスエロと一人二役)。サン・テクジュペリが、ナチスドイツ迫るパリで、「世界に対する愛情の不足の罪」で裁判にかけられるというシーンがクライマックスとなる(裁判官がメルモーズ、弁護士がギヨメなのだ)。



 …まあ、言うだけは自由だからね。

 それはさておき、朗々と響く声の男声ボーカロイドが欲しいな。クリプトン・フューチャー・メディアに対しては「藤山一郎ロイド」とか、「フランク永井ロイド」を希望するものである。


 色々毀誉褒貶はあれどブーレーズが20世紀を代表する大作曲家であり、同時に指揮者であることは間違いない。そんな人物だから、自作も何度となく録音しており、しかも録音毎に自作にも手を入れたりしている。私が四半世紀前に入手して、何度となく聞いたのは、この1969年の録音だった。

 この曲はソプラノの扱いもさりながら、オーケストラの鳴らし方も面白い。特に終曲の“墓”でのぎしぎしきしみながらカタストロフに突進する音楽は、20歳になったばかりの自分を魅了したものだった。若さ故の悩みに煩悶する若者を魅了する苦さにあふれている——とでも言いましょうか。



 武満徹というよりも、指揮の外山雄三の卓越した曲の解釈を聴くための一枚。外山は自らも作曲家だが、このCDでは指揮者として素晴らしい演奏を聴かせてくれる。

 このCDは武満の死後2年目の彼の命日、すなわち三回忌に発売された。おそらく外山は、友人であった武満に最高の演奏を手向けるべく、相当の覚悟を持って演奏に挑んだのだろう。譜面を徹底的に研究し抜いたという印象だ。名曲「地平線のドーリア」の演奏も素晴らしいが、なによりも、ろくに演奏される機会がない「環礁」で、心に沁みるような演奏をしているのは、天晴れというほかない。ソプラノの浜田理恵も、音程から発音に至るまで、完璧と形容できる声を披露している。

2009.01.12

三菱重工、KOMPSAT-3打ち上げを正式に受注

 来た。が、これで一安心ではなく、ここからがまた大変なのだ。

韓国の多目的実用衛星KOMPSAT-3の打上げ輸送サービスを受注(三菱重工リリース:2009年1月12日)

 衛星は直径2.0m、高さ3.5m。打上げに際しては、韓国から船で鹿児島県種子島に運ばれ、宇宙航空研究開発機構(JAXA)種子島宇宙センターから H-IIAロケットにより、地球環境変動観測のためのJAXAの水循環変動観測衛星(GCOM-W)と相乗りで太陽同期軌道へ投入されることとなる。

 これでGCOM-W1(pdfファイル)は開発遅延が許されなくなった。

 衛星は韓国から海路で種子島に運ぶ。ということは南種子町の島間港に揚げて、種子島宇宙センターに搬入するのだな。


 この件については、三菱重工が韓国航空宇宙研究院(KARI:Korea Aerospace Research Institute)との優先交渉権を獲得した段階で、nikkeibp.jpに記事を書いた。

三菱重工、初の商業打ち上げ受注(1) 山積する課題をどう解決するのか
三菱重工、初の商業打ち上げ受注(2) 静止軌道投入のエネルギー削減が必須

 これらを読んでもらえれば分かるが、これからが大変なのだ。特に2回目の原稿で書いた静止軌道投入のエネルギー削減は、重大な問題。本来ならば種子島よりも高緯度で静止軌道打ち上げが不利になるはずのロシアが、複数回着火可能の上段ロケットで、北緯5度から打ち上げるアリアンよりも効率的な打ち上げを行っている。日本は地理的にも技術的にも不利な状況に置かれている。

 ただし、今更始まった話ではない。20年前に今は無きロケットシステムが設立された当初から言われていたことが、やっと検討課題に上るところまできたというわけだ。

 私は今、「H-IIAのために複数回着火可能、かつ精密な誘導航法装置を備えた上段ロケットを開発する」という意見に傾いている。事実上の第3段を作れということだ。
 やるのなら、GX用のLNGエンジン開発で得たノウハウを使って、推力3tf程度の小さなLNGエンジンを作るべきだろう。そのエンジンは、次期固体ロケットに組み込むこともできる。
 上段を付ければ、その分打ち上げコストは上昇する。しかし、静止軌道への打ち上げ能力は2段式の場合に比べて増加するし、様々な軌道への打ち上げの柔軟性は大きく向上する。

 H-IIAは、種子島からの静止軌道/地球低軌道打ち上げに、徹底的に最適化されたロケットで、ほとんど融通が利かない。金星探査機PLANET-CをH-IIAで打ち上げる検討の過程では、それまでISASのM-Vによる科学衛星打ち上げの検討してきた技術者が、H-IIAのあまりの制約の多さと融通の利かなさに、頭を抱えたという話だ(逆に筑波や三菱の技術者は、自分たちが惑星間軌道への打ち上げの実際について、ほとんどなにも知らないことに気が付いて驚いたらしい)。

 上段があれば、必ずや三菱重工の商業打ち上げビジネスにもプラスになると思う。

 実際には、フェアリング内に、打ち上げ時の衛星の荷重に耐える強度を持った上段ロケットを組み込むのはかなり難しいだろう。それでも、検討に値すると思うのだけれども。

2009.01.06

“c”か“o”か“f”か“e”

 ネットをさ迷っていて見つけた記事。

朝鮮日報の特集「部活と学業」は衝撃的だ
 韓国における、スポーツ選手の教育におけるかなり悲惨な状況を、朝鮮日報がレポートしているという話だ。

 代表的な記事一本へのリンク。

部活と学業:スポーツ部所属は全体の1%、10万2899人

2007年末の時点で大韓体育会に登録された小・中・高校生および大学生のスポーツ選手は1万7471チームの10万2899人だった。これは児童・生徒および学生総数1064万人の約1%に当たる。(中略)
 これら10万人以上の登録選手は、学生でありながら勉学を行う機会がほとんどないまま放置されている。1986年にソウルで行われたアジア大会や88年のソウル五輪を契機として、競技力の向上に向けた施策が国家レベルで推進された。そのためスポーツ選手が勉学を行う機会はほぼ失われ、それが今に至るまで続いている。
(中略)
 学生選手たちは「合宿所は軍隊と変らない」「合宿所で勉強すると変わり者扱いされる」などと語る。

 なるほどなあ。

 大韓民国の人口は5000万人弱。すぐれた素質の持ち主が出る確率は人口に比例するから、少ない人口で多数の強い選手を育てるには相当な無理をしなくてはならないわけだ。

 これらの記事から推し量るに旧東欧圏のステートアマも相当ひどい状況だったのだろう。

 そこで思い出したアメリカンジョーク。マッチョの国アメリカでも、体育系学生の教育は悩ましい問題のようだ。
 確か大分以前に読んだ藤原正彦「若き数学者のアメリカ」に載っていたと記憶している。以下のジョークも、記憶違いより変形されている可能性が大きいことを付記しておく。

コーチ「先生、なんとかこの学生を卒業させることはできませんか。彼は我が校アメフトチームのエースなんです。卒業後はプロチームに入ることが決まっています。卒業させないなんてことはできません」
先生「とはいえ、あれほど成績が悪いと…」
コーチ「そこをなんとか」
先生「いいでしょう、どうすればいいですか」
コーチ「簡単な文章の書き取りテスト、例えば“私はコーヒーを飲みます”と書ければ合格、というのはどうでしょう」
先生「では、それで…」
コーチ「いやいやっ、先生、彼はきっとそれすら出来ないかも知れません。単語の一つが正確に書ければ合格にしてください。例えばcoffeeと書ければ合格というように」
先生「…それでよろしいですか」
コーチ「…ああっ、やっぱりダメです。私には彼が正しくcoffeeと綴ることができるという自信がありません。とりあえず、答案用紙に書いた単語に、“c”か“o”か“f”か“e”か、どれでもひとつ入っていたら合格ということにしてください」
先生「いいでしょう、その条件で彼にテストを受けてもらいます」

 後日、コーチは「不合格です」という宣告と共に、答案用紙を見せられた。アメフトのエースが提出した答案用紙には以下のように書き込んであった。すなわち、“kauphy”


 著者の出世作。新田次郎を父に持ち、藤原ていを母にもつ数学者の著者が、1970年代にアメリカの大学で教師を務めた体験をまとめたもの。若々しい感性と両親譲りの端正で分かりやすい文体とが、とても魅力的な作品だ。この著者も、今や「国家の品格」の人だ。歳月は人を変えるのか、それとも変わらないものが歳月の摩滅に従って表に出てきたのか。ともあれ、本書が描き出すのは「内実を国家の権威で支えて貰う弱い人」ではなく、「一人の人間として品格を保ちつつアメリカの大学生活を鋭く観察し、同時に自分の内面を省みる若者」である。

2009.01.05

ディスカバリーチャンネル「怪しい伝説」で月着陸捏造説が論破されている

 ただいま、5日の午後11時半、ディスカバリーチャンネルの名物番組「怪しい伝説」で、「月着陸のウソ、ホント」をやっている。月着陸はNASAの捏造だったという説が、実証的に論破されている。
 お正月期間に「ベスト オブ 怪しい伝説」と題して、過去のプログラムを放送しており、そのうちの一つとのこと。

 今、番組が終わった。月着陸捏造説は、完全に「BUSTED!」(ウソや!)だった。つまりは「よくある怪しい伝説だった」ということだ。

シリーズ:怪しい伝説
怪しい伝説:月面着陸の嘘ホント

怪しい伝説:月面着陸の嘘ホント
【HV制作】人類の偉業のひとつ月面着陸。全世界で放映された映像は、巨大なPRでNASAによるねつ造だったのか。陰謀説は山ほどあるが、それを検証して確かめた人は誰もいない。それなら伝説バスターズの出番だ。アダムとジェイミーが最初に注目したのは、月面着陸を撮影した写真だった。有名な2枚の写真からわかることとは。そして、彼らは当時の映像に疑いの目を向け、スタジオで撮影したもフィルムの速度を落としたのではないかと考えた。

放送日 放送時刻
12/15 (月) 04:00〜05:00
01/05 (月) 23:00〜00:00
01/06 (火) 05:00〜06:00
01/12 (月) 13:00〜14:00

 あと2回、明日の午前5時と12日の昼13時からも放送する。

 少なくとも「あれはNASAの捏造だ」と思っている人は是非とも見よう。見て、自分で考えてみよう。

 なかんづく、この記事で取り上げた2冊の本の著者である、副島隆彦氏、エム・ハーガこと芳賀正光氏と原著出版時の朝日新聞社出版局局長、及び担当編集者は必見と言わねばならない。
 彼らから、なんらかの申し開きが聴ければうれしいが…まあないだろう。

2009.01.04

ニコ動プレミアム推進に見るジャーナリズムの未来


 遅ればせながら「ユリイカ」の初音ミク特集を読んだ。よくまとまった論考だ。ただし…

 哲学という学問は自分の立ち位置を確認するのには有効だ。しかし当たり前のことながら「では何をすればいいか」は教えてくれない。それは自分で考えるべきことである。そういう意味で、「初音ミク現象のど真ん中に飛び込んでみようぜ」的なアジテーションの文章がなかったのは残念。

 自分で動画を投稿して、反応に一喜一憂してこそ見えてくることもあると思う(と、2本しか投稿していないのに、偉そうなことをまあ…)。
 

 さて。

 年末年始とニコニコ動画がらみの記事ばかりを書いていたのは、はまっているというだけではなくて、「ニコニコ動画に、プロのジャーナリズムで今後とも食っていくきっかけがあるかな」と感じているからでもある。

 ご存知の通り、昨年からマスメディアの崩壊がいよいよ現実のものとなりだした。朝日、毎日、産経新聞が赤字に、テレビ局も在京キー局が日本テレビを除いてすべて赤字になり、今年も状況が好転する見込みはない。出版業界は何年も前から右肩下がりだ。

 1994年にインターネットの一般開放が実施され、誰でもWWWを読めるようになりホームページを公開できるようにもなり、写真も動画もなにもかもまとめてネットで配信できるようになった時点で、技術的には新聞とテレビの未来は決まっていた。社会的に「いつ終わりが来るか」がはっきりと分からなかっただけだ。
 その「終わり」が今、到来しつつある。同時に「始まり」も。

 おそらく、今後ジャーナリズムは2層分化するだろうと、私は予想している。
 一つは、世界のあちこちで生成する事象を、そのまま伝えるという通信社的形態だ。例えばインプレスWatchITmediaのように、企業が発表するリリースをそのまま記事に仕立てたり、記者会見やイベントの様子をそのまま余分な判断を可能な限り交えずに記事化するというやり方である。記事を書くのは若くてフットワークの良い外部ライターで、収益は主にネット広告で得る。
 この業態は現状でも、この先どのようにしてネットでビジネスを成立させるかがはっきりと見えてきている。
 おそらく、新聞やテレビニュースの機能のかなりの部分は、ここに吸収されるはずだ。速い話、インプレスが「政界Watch」を立ち上げないのは、単に内閣記者会(記者クラブ)が首相記者会見を独占しているからだろう。

 もう一つは、集めた情報を加工・分析し、新たな視点を提示する調査報道系のジャーナリズムだ。こちらの未来は大問題である。

 調査報道は地味で手間が掛かるし、すぐに読者が関心を持ってくれるとは限らない。事前の投資が大きく、投資の回収期間が長期にわたる。しかも、ネット社会の進展の中で、「どこから投資を回収するのか」という問題も抱えている。例えば、どこかの大企業の問題点を指摘するならば、そのメディアは広告の大幅減収を覚悟しなくてはならない。
 一つの解は、Google Adのような、人間の意向や意志を介さない、純粋に広告効果だけをアルゴリズムで算出する広告出稿システムだろう。しかしGoogle Adにしても、その他のネット広告にしても巨大クライアントの意向を無視できるとは限らない。

 健全なジャーナリズムには、何物にも依存しない健全な財政基盤が必要だ。逆に言えば、全ての人に広く薄く依存することが望ましい。それは同時に、メディアが一部の広告主や権力ではなしに、全ての人々によって実効的に監視されるということでもある。

 私はそろそろ、「情報のエンドユーザーが無形の情報に価値を認めて対価を支払う」ことを一般化する時期に来つつあるのではないかという気がしている。
 もしも、「インターネットの時代にも健全で深いジャーナリズムが必要だ」と考えるなら、「ポケットの中の小銭をきちんと無形の情報の対価として投げることが習慣になるべきではないのかと思っているのである。

 既存の紙の新聞やNHKには、情報のエンドユーザーからの購読費(受信料)として料金を徴収している。しかし、ネットでは「情報はタダ」という観念が浸透しているので、過去有料化に挑んだ媒体のかなりの部分が失敗している。
 また、エンドユーザーが支払う対価は、NHKの受信料のように法的に強制されるべきものではない。あくまで「面白いから」「意味があるから」「意気を感じるから」「応援したいから」支払うべきものだ。


 広告による無料の情報提供というビジネスモデルでは、広告主が経費を負担する。しかしよくよく考えてみると広告主が支払う資金は、エンドユーザーへの何らかのビジネスで働きかけて得た収益の一部が回っている。エンドユーザーは広告主が支払う広告コスト込みの価格で諸々のサービスを購入しているわけだ。

 つまり、メディアに直接購読費を支払うのも、その分を、日常購入する物品やサービスの価格に上乗せして支払うのも、社会全体で見ると同じなのだ。

 違う点は2つ。一つはメディアを支える費用が、広告主を通じて広く薄く徴収されるということ。もう一つは、広告主がコストを支払うことで、広告主はメディアへの影響力を持つことだ。

 となると、エンドユーザーがメディアへの影響力を行使するためには、積極的にメディアに経費を支払うのが合理的ということになる。

 さて、ここで話は本文冒頭で触れたニコニコ動画に戻ってくる。野尻さんのアピールに始まった「プレミアム推進ユーザーアピール」は、単に「ニコニコ動画で楽しんでいるのだから、運営に金を払おう」という道義的なものではない。そのことによって、ネットで結ばれたユーザーが、ニコニコ動画を運営するニワンゴに影響力を及ぼし、同時に広告主の恣意的な影響を排除する可能性を持つということなのだ。

 ニコニコ動画のユーザーは他ならぬニコニコ動画において、四六時中インタラクティブに結びついている。運営側がなにかやらかしたらすぐに「ニコニコ動画プレミアム退会ユーザーアピール」で、運営に揺さぶりをかけられるポジションにいるわけだ。

 一部の広告主のためではなく、わずかなプレミアム料金を支払う多数のユーザーのためのメディア——これは理想のマスメディアではないだろうか。

 広告に依存しない一般向け媒体というのは、出版界長年の理想だったが実現し、継続したのは花森安治の「暮らしの手帖」誌ぐらいではないだろうか。それがネット時代の進展で可能性が見えてきている——と、私には思えるのである。

 このことは野尻アピールにもきちんと書いてある。

 もしプレミアム会員の収入で自活できれば、ニコニコ動画はせこい商売をしなくてすむ。わずらわしい広告もなくなる
 スポンサー企業ではなくユーザーの意見が反映されるようになる。文句を言うなら金を払おう。動画作者への還元も期待できる。  ユーザー提案のプロジェクトに出資させることだってできるだろう。わずかな出資ですべてうまくいく。
いま20万人いるプレミアム会員が100万人になれば、毎月3億円の黒字になる。
その金はプレミアム会員が握っているも同然だ。運営に注文をつけて、世界を面白くしようではないか
(強調部分は松浦による)

 これは、株主でも広告主でもなく、プレミアム料金を払うユーザーによるニコニコ動画簒奪の試みといえるだろう。ニコ動としてもユーザーに簒奪されることにより、よりネットユーザーに密着したサービスを展開することが可能になるわけだ。巨大企業が広告主について、これらの企業に批判的な動画を投稿できなくなるよりも、ユーザーが広く薄くプレミアム料金を支払って、自由な投稿の場を確保した方が、はるかに健全である。


 そして、「コンテンツを生成するライターの取材経費と生活費」というものも必要だ。ニコニコ動画が記者やライターを雇用するならともかく、投稿によって成立するとなると、投稿者へも適正な報酬が配分されるようになるのが望ましい。

 こちらも私は、ニコニコ動画に希望を見ている。その理由は「振り込めない詐欺」タグの存在にある。もちろんこのタグはよく出来た動画への称賛の意味であり、本当に振り込む人がいるかどうかは分からない。それでも、このタグの存在によって、「素晴らしいと思ったものを金銭的に支える精神」が準備されつつあるように思うのだ。

 1円、10円、100円オーダーの決済をネット上で行うために必要なマイクロペイメントの技術も、いよいよ準備が整ってきつつあるように見える。そろそろ、「後は誰かビジネスとしてやるだけ」という状況になっているのではないだろうか。書いた文章に対する対価が多くの人々から広く薄く入るならば、「書く」という行為の基盤は非常に強くなる。
 ひとつの組織、ひとりの人間に圧力をかけることはできても、社会に分散する多種多様の人々にまとめて圧力をかけて従わせるのは容易ではない。

 もちろん、理想がそんなに簡単に実現するはずがない。理想が実現したとしても、そこで自分がジャーナリズムの端っこに引っかかって生き残ることが保障されるわけでもない。多くの人々から広く薄くとなると、「多くの人にとって身近な話題」「知っていること」「理解しやすいこと」にのみお金があつまり、本当の意味で知のフロンティアを開拓する言論にはお金が回らないということも考え得る(ああ、宇宙開発の話題にならなさといったら!これが「科学技術」全体に広げても状況は似たようなものなのだよな)。

 「ニコ動はマスゴミじゃねーぞ」と声がかかりそうだな。

 それでも、私は、現状のニコニコ動画を、自分の未来に引き寄せて、「これは面白いぞ」と思っているのである。

2009.01.01

人力ボーカロイドはさえずり機械の夢を見るか

 あけましておめでとうございます。

 以前も書きましたが、もう年賀状を出さなくなって何年も経ちます。このblogが生存証明ということになります。

 新年最初の更新もニコニコ動画絡みです。ネタは人力ボーカロイド。

 初音ミク以下のボーカロイドは、あらかじめサンプリングした音声波形をモーフィングをかけることでスムーズに接続するという手法で、比較的自然な歌声を作り出している。初音ミクの場合は藤田咲さんという声優の声が歌声を発生させるためのデータとして使われている。しかし、ユーザーの間では、「自分の好きな声優の声で歌を歌わせたい」という欲求が存在する。

 欲求の赴くところ試行錯誤も存在するわけで、初音ミクの登場以降、一部ユーザーが好みの声優の音声データを切り貼りして、歌わせるという試みにチャレンジしはじめた。例えば「歌う」という言葉ならば、1)どこかからその声優が「歌う」と発音しているデータを見つけてきて、デジタル的に音の長さや音程を整える、2)「う」「た」「う」と3つのデータを用意してデジタル的に音程と音長を整形してつなぎ合わせる——という作業を延々と繰り返すわけだ。

 恐ろしく手間のかかる作業だが、同じ「あ」でも、様々な表情を持つ「あ」を吟味し、選ぶことができる。限られたデータから歌声を生成するボーカロイドよりも、実際の歌声に近い歌を作り得る可能性がある。

 で、現時点での成果がどんなものかというと…


 これがつぎはぎで作られた人力ボーカロイドだと信じられるだろうか。
 初音ミクによるニコ動100万アクセス超えのヒット曲 「ブラック★ロックシューター」:(Supercellという音楽集団の作品)。それを、ハロPが「アイドルマスター」の登場キャラクターの一人、高槻やよいの音声を切り貼りして人力ボーカロイド化。さらに矢夜雨Pが、キャラクターの画像を入れてビデオ化したものだ。
 高槻やよいの声は、仁後真耶子さんという声優が演じているが、この人が「ブラック★ロックシューター」を歌ったことは(多分)ない。この曲は高槻やよいを演じる仁後真耶子さんの声をサンプリングし、切り貼りして構成されている。それで、ここまでできてしまうのだ。


 こちらは、同じく「アイドルマスター」のキャラクターである秋月律子の声を切り貼りしてacousticPが音源を作成、それにヤマネコPが映像をつけたもの。もちろん秋月律子の声を演じる若林直美さんが歌ったわけではなく、その声をサンプリングして切った貼ったで作り上げたわけだ。
 すいません、私、冒頭の「ハイはーい、りっちゃんですよ〜」という声でけっこうくらっと来ました。


 これまた秋月律子の声の切った貼ったで、ニコ動屈指のヒット曲「メルト」を歌わせたもの。


 これは、同じく「アイドルマスター」のキャラ、菊池誠…じゃない菊地真の声を切り貼りして作成したもの。ちなみに「鳥の詩」という曲は、「AIR」というゲームのテーマソングで、年若きオタク達の間で圧倒的な支持を得ている。
 私は歳若き友人から、初めて「『鳥の詩』がいいんですよ!」と聞かされた時、「なんで、パブロ・カザルスが弾いた『鳥の歌』が、現代日本で若い連中に受けているんだ??」とびっくりしたのであった。いうまでもなく、後者はチェリストのカザルスが帰るに帰れぬ(当時フランコ政権でしたからね)スペインへの望郷の念を込めて演奏したカタロニア民謡です。


 こちらは、「アイドルマスター」の星井美希というキャラクターの声で構成した、ニコ動ヒット曲。

 ユーザーの莫大な手作業が、ある面では専用ソフトウエアである初音ミクの表現力を超えた結果を生み出しているわけで、これはまったくもって面白い現象だ。

 しかし、これらの動画像のもっとも恐ろしい点は、その完成度ではない。ユーザーがせっせと手で行っている作業が、将来的にはパソコンのプログラムで代替される可能性があるということである。現在でもすでに、いくつかの人力ボーカロイド作成を支援するソフトが出回っているが、最終的には歌詞を入力すると、自動的に大量の音声データから、当該人物の声色で歌を作成するソフトウエアができるであろう。

 そうなった場合、悪用の方法も色々考えられる。ひょっとすると電話の音声通話などは、もっとも信用ならないコミュニケーション手段として衰退するかもしれない。歌手や声優などは、まさに「声を盗まれる」可能性すら考えられる。

追記(2008.1.1)

 とかなんとか言っているうちに、こんなものまで出現しているのに気がついた。Perfumeの歌声を切り刻んで、新たな歌詞を歌わせてしまっている。もちろん生身の三人はこの歌詞を歌っているはずはないのだ。

2008.1.3追記
 この動画の音声は、Perfumeの歌声の切り貼りではなく、ボーカロイドの声にエフェクトをかけたものだ、という指摘があった。あるいはそうかも…だがそうだとすると、今度はPerfumeの歌は、Perfumeが歌うということには意味が無くボーカロイドで代替可能ということになる。


 とはいえ、私としては楽しい未来を考えたいところだ。例えばあれこれ残っている田中角栄の演説の音声データを使ってバーチャル角栄ロイドを作り、「びゅわーん、びゅわーん、は・し・るー、走るひかりの…」と歌わせるとか。

 ところで、このようなシミュレーションの精密化を目指す方向とは別に、ニコニコ動画には、SofTalkという音声読み上げソフトで棒読み音声を楽しむという行き方も存在する。「棒歌ロイド」というタグがついているので、色々検索すると面白い動画に行き当たるだろう。


 棒歌ロイドのとんでもない傑作。聞いているとへにゃへにゃと全身の力が抜けていく。厨房的発想ではあるが、今まさに、この歌をイスラエルの首脳部に聴かせたいと思ってしまう(「ゆっくりしていってね」って、ヘブライ語ではどう言うのだろうか)。

 まあ…「表現は技巧につれ、技巧もまた表現につれ。しかし技巧は表現にあらず、技巧に過ぎぬ」…ということで。



 ところで今回のタイトルは、もちろんフィリップ・K・ディックの本歌取り。「さえずり機械(Twittering Machine)」というのは、1980年代に作曲家の吉松隆氏が提唱していた「すべての鳥の歌声をサンプリングして、ありとあらゆる声でさえずるデジタルバード」
というコンセプトからの引用である。

 同コンセプトに基づく作品としては「デジタルバード組曲」「ランダムバード変奏曲」などがある。「デジタルバード組曲」は、このCDで聴くことができる。若き日の吉松作品は、どこを切っても血が出るぐらいの真摯さがほとばしっている。「デジタルバード組曲」も傑作だ。どこか孤独でひねくれた「鳥恐怖症」から始まり、愛らしく美しい「夕暮れの鳥」、幻想と怪奇の「さえずり機械」、メカニカルな「真昼の鳥」と続き、ラストの「鳥回路」では音楽が感傷を引きちぎって疾走する。


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