今回の独自有人月探査実施という報道の元となった政府資料を分析している。
3月6日の宇宙開発戦略本部・宇宙開発戦略専門調査会に、宇宙開発戦略本部事務局が提出した「先端的な宇宙開発利用の推進について(宇宙科学、有人宇宙活動、宇宙太陽光発電等)」という文書だ。
この手の文書は、官僚が一言一句に注意して作成する。そして今回のような公的会合に提出されると一定の拘束力を発揮し始める。従って、よほど注意して文章のニュアンスを読み取り、周辺状況を考え合わせて読み進まなければ、真意をつかみ損ねる。以前「公文書を読む」で書いた通り。
有人宇宙探査に限って今の所の感想を述べるなら、「これはダメだ」。この文書は、「独自をやるのかも」という期待感を抱かせつつ、実はどこにも「日本独自の有人月探査」なとどは書いていない。
以下、これまでのところの分析の一部分を書いておく。
この文書は、まず「先端的宇宙科学、有人宇宙活動の推進」という括りで、1)宇宙天文学(通称、“望遠鏡宇宙科学”、X線天文衛星とか赤外線天文衛星とか)、2)太陽系探査、3)月探査・有人宇宙利用、4)宇宙環境利用——の4つに分類して今後の活動目標を提案している。
しかし——
まず、なぜ「先端的宇宙科学」と「有人宇宙活動」がひとまとめなのだろうか。この2つが、なぜリンクするのだろう。「先端的な宇宙科学で得た知見に基づいて、有人宇宙活動を実施する」というのなら意味があるが、日本はそもそも今現在、有人宇宙活動についてろくな経験がないのである。
また、多くの場合、このようなくくりは「一緒の予算枠で考えますよ」という意志と表裏一体である。有人宇宙活動には、いくら節約しても相応の予算がかかるものだから、このままだと「有人宇宙活動をやりますから、先端的宇宙科学はお金でませんよ」ということになりかねない。
さらには、なぜ太陽系探査と月探査を分離するのだろうか。そして月探査と有人宇宙利用が一体なのだろうか。
ここから見えるのは、きちんとした議論をした上で、月探査と有人宇宙利用を一体化したのではなく、外からそれらを一体化する力が働いているということである。
つまり、暗黙のうちに「アメリカの有人月探査に付いていきます」という意志が前提になっているわけだ。
ちなみにこの文書には、どこにも「独自の有人探査」という文言は入っていない。「独自」という単語が入っているのは一ヵ所だけ。文書の8ページ「1.3 月探査。有人宇宙活動 (4)考えられる進め方」というところに以下の文章があるのみである。
○検討に当たっては、JAXA、大学、民間企業等の総力を挙げた体制により、1〜2年程度書けて、意義、目標、目指す成果、重要な技術開発項目、中長期的スケジュール、資金繰りなどの明確化を図る。必要に応じ、我が国独自の目標を維持しつつ、主要なメンバとして実施する国際協力の可能性も検討する。
本文の分析に入ると、さらなる怪しさが読み手を待っている。
月探査・有人宇宙活動について、以下のように書いている(資料7ページ)。
(1)月探査計画の検討
我が国が世界をリードして月の起源と進化を解明し、資源利用の可能性を探るため、本格的かつ長期的な月探査計画を、具体的なスケジュールも含めて検討することが考えられる。
第1段階(2020年頃)
科学探査拠点構築に向けた準備として、我が国の得意とするロボット技術による高度な無人探査
(詳細は略)
第2段階(2025〜2030年頃)
有人対応の科学探査拠点を活用し、人とロボットの連携による本格的な探査
(詳細は略)
文尾では「検討することが考えられる」とトーンダウンしている。これは、文章を起草する官僚が責任を取らないよ、委員の皆さんで議論して下さいよ、というエクスキューズであると当時に、委員会を経ると、この文尾を取って、規定方針にしますよ、ということを意味する。
そして、この部分には、「独自」という単語は出てこない。マスメディアの報道は、「我が国の得意とする」という言葉で、「独自」へとミスリードされていたわけだ。
ともあれ、いきなりこの文章が出てくるのだ。「人間は月に向かうべきなのか。そうではないのか」、「行くべきは月なのか、月以外の場所なのか」といった根源的議論なしに、頭ごなしに「月に行く」ということになっている。
なぜ月なのか? 月探査機「かぐや」の観測結果からは、これまで有人基地建設に有望と思われていた極地域が、さほど好条件ではないということが判明しつつある。日照率100%の地域は存在せず、クレーターの底に氷の湖も存在しなかった。
その状況では、普通は「いやまてよ。本当は月に行くのがいいのか、もうちょっと無人探査で詳しく調べたほうがいいぞ」となるのが自然だ。
ところが、頭越しに「月に行く」なのである??
あるいは、「我が国の得意とするロボット技術による高度な無人探査」とは何だろうか。JAXAの月・惑星探査プログラムグループでは、月に無人探査機を着陸させ、ローバーを走らせるSELENE-2を、開発開始寸前のプリプロジェクトとして準備している。SELENE-2は立派なロボットだが 「第1段階(2020年頃)にロボット探査」という文面は、SELENE-2を2020年までやらない、とも読める内容である。
第2段階は、もっとあやしい。ISS計画は、現状では2015年まで続く予定なので、ISS計画終了後、日本は10〜15年をかけて有人月探査を実施するということを意味する。
しかし、日本はISSにおいて、「取りあえず宇宙で人間が使うことができる実験室を作りました」という技術しか入手できていない。安全に人間を宇宙に送り、安全に滞在させ、安全に帰還させる技術はまったく手つかずなのである。これらはほとんどゼロから開発しなくてはならない。
10〜15年で、これらの技術を開発するということは、2015年以降、日本はアメリカがアポロ計画に注ぎ込んだのと同等に近い予算を有人宇宙開発に注ぎ込むということにもなるのだが、本当にそんな覚悟が宇宙開発戦略本部にはあるのだろうか。
それとも、何か「安全に人間を宇宙に送り、安全に滞在させ、安全に帰還させる技術」を、非常に低コストで開発できるメドが存在するのだろうか。存在するなら、文書中にきちんと書いておくべきである。
実は、この文書7ページにの最後には以下の文言が入っている。
(3)主な課題
○一国で全てを賄うには巨額の資金
○有人活動に伴うリスク
資金が問題であることは、事務局も認識している。それも「一国で全てを賄うには巨額」という形でだ。つまり国際協力で技術を貰うというISSと同じ下心が透けて見える。
どこから技術を貰うのか。ロシアからか?、中国からか?、インドからか?
おそらくアメリカしか念頭にないのだろう。
なにも分からないままに大統領が「月に行く」と宣言してしまったアポロ計画の時代とは違う。有人月探査に至る技術開発のロードマップもなしに、有人月探査を出してくるというのはどういうことだろうか。
私は、文書に一切の具体性がなく、「後で検討します」としてしまっている点で、有人月探査への本気を感じない。
こんな文書なら過去に何度も観た。宇宙開発委員会が出した長期ビジョンやら、JAXAの長期ビジョンやら…
他にもつっこみどころは色々ある。例えば、日本のロボット技術は 本当に「我が国の得意」なのだろうか。地上のロボット技術はそうだとしても、だから宇宙ロボットだって「我が国の得意」だ、とは限らないのだろうか。宇宙ロボットアームの分野では、カナダが世界の最先進国なのである。ちなみに、日本が最後に開発した宇宙用ロボットアームは、1997年に打ち上げたランデブー・ドッキング実験衛星「きく7号」のロボットアームだ(「きぼう」のロボットアームは、基本設計が1980年代〜90年代前半)。もう10年以上経っている。
この10年間、少なくとも宇宙ロボットアームの技術で、日本は進歩していない。
その他、この文書には非常に奇妙な文面も組み込んである。「太陽系探査」の項目(文書P.5)の最後に以下の文面が書いてある。
○特に大規模な探査プロジェクトに関する今後の計画立案にあたっては、研究者からのボトムアップによる科学目的を保持しつつ、トップダウンによる国家戦略としての政策的な観点のすり合わせも踏まえ、決定する必要がある(これらを勘案した月探査計画は次項に示す)。
この文面が、「月探査・有人宇宙利用」に入っているなら、理解できる。月探査はアメリカとの関係が入ってくる高度に政治的な問題だから、政治のトップダウンによる意志決定が入る、というならまあ分かる。
しかし、なぜ「太陽系探査」に、わざわざ「政治からトップダウンの意志決定が介入するぞ」と書き込むのか。
通常、このような不自然に割り込んでくる文面には何か裏の意志が隠されているものだ。
素直に考えるなら、「月探査・有人宇宙活動は、太陽系探査で一体である」ということだ。そしてトップダウンの介入として、現状の日本では「アメリカとの有人月探査を優先せよ」以外のことは考えにくい。
つまり、この文面は「日本は太陽系探査はやりませんよ。お金は全部アメリカとの付き合いのある有人月探査に振り向けますよ」とも解釈できる。
この文面を根拠に、官僚が「だから太陽系探査には残念ながら予算を出せません」と主張したら、それで小惑星探査も火星探査もおしまいにできる構造が仕組まれているわけだ。
はて、小惑星探査は、「はやぶさ」によって、日本のお家芸となりつつあるのだが、宇宙開発戦略本部の事務局は、何を考えているのだろう。お家芸を捨ててまでアメリカに付いていくとでも??
近日中にこの文書は宇宙開発戦略本部のページで公開されるはずである。
是非とも自分で読み、自分なりに分析してもらいたい。
なおこの日、会合には6種類の文書が提出されている。
・「安全保障分野における宇宙開発利用について」(宇宙開発戦略本部事務局)
・「防衛省の宇宙開発利用の取り組み〜宇宙開発利用に関する基本方針について」(防衛省)
・「宇宙外交・国際協力について」(宇宙開発戦略本部事務局)
・「先端的な宇宙開発利用の推進について(宇宙科学、有人宇宙活動、宇宙太陽光発電等)」(宇宙開発戦略本部事務局)
・「ニーズに対応した宇宙開発利用について〜実効性のある国際社会への貢献と国民生活の質の向上から」(宇宙開発戦略本部事務局)
・「日本の有人宇宙開発シナリオ」(宇宙開発専門調査委員 毛利衛)
つまりこの日は、安全保障、外交、そして先端宇宙開発利用という名目の元に「宇宙科学、有人宇宙活動、宇宙太陽光発電等」が審議されたというわけだ。
たかだか2時間程度の時間で、これだけの議題を詰め込むということは、委員間の議論が不十分だということ。つまりこの場での議論を事務局、すなわち官僚が提出書類の文書を起草することで、主導していることを意味する。
…宇宙基本法の成立で、政治が宇宙開発を政策ツールとして活用するのではなかったのか??
そんな形態で議論を進め、公文書に言葉を定着し、それを規定方針とする——その結果何が起きるか。正直、ろくなことにはならないだろう、と思う。
このまま日本の宇宙開発はずぶずぶに沈むのだろうか。当事者達は「さあ、これで前に進むぞ」という意識のまま、実際には沈んでいくとすると、なんとも悲しい。
今後も、文書の分析を進めていくことにする。