宇宙基本計画パブコメにむけて:笹本祐一さんの意見(1) 日本独自の有人月探査計画に見えた月の裏側
もう読んでいる方もおられるだろうが、日本の有人月計画について、SF作家の笹本祐一さんが、3月に宇宙作家クラブニュース掲示板に投稿している。
宇宙作家クラブニュース掲示板は、かなり設計が古くて(もう10年経ってしまった)、トラックバックもコメントもRSSフィードもないし、そもそも個別記事へのリンクもない。これでは不便なので、ご本人の了解を得て、全3回を、ここに転載することにした。
今月末にも宇宙基本計画に対するパブリックコメントの募集が始まる。この件に関しては一人でも多くの人が情報を収集し、自分で考え、パブリックコメントを投稿することが重要だと考えている。笹本さんの意見を、自分が日本の宇宙開発の将来を考える上での参考にしてもらえればと思う。
No.1322 :日本独自の有人月探査計画に見えた月の裏側 投稿日 2009年3月7日(土)02時09分 投稿者 笹本祐一宇宙開発戦略調査会という会合が、これからの日本の国家としての宇宙戦略を決定するために首相官邸で開かれている。
これは、2009年5月に宇宙開発基本法の策定などへの提言を行う有識者による専門会議で、日本経団連会長御手洗富士夫、宇宙飛行士毛利衛、まんが家松本零士もメンバーである。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080912/acd0809121218007-n1.htm3月6日に行なわれた第5回会合において、これから日本が目指すべき宇宙開発の方針として、有人による月探査、その前段階としての二足歩行ロボットによる月探査が毛利衛氏によって提案された。これは委員によって好評のうちに受け入れられ、報道もされたので御存知の方も多いと思う。
今、笹本の手許にこの時に使われた資料の一部がある。
今まで、独自の有人宇宙飛行に対して背を向け続けてきた日本が、文科省主導のこの会議においてなぜ突然有人探査と言いだしたのか。
2003年初頭に笹本が聞いた「なぜ日本独自の有人宇宙飛行をやらないのか」という質問に対し、宇宙開発委員会のお歴々はこう答えた。
「もし有人宇宙飛行やって誰か死んだらいい訳が出来ない」
それがなぜ今になって、莫大な予算を必要とするはずの独自の有人飛行、のみならずその先の月探査などという野心的な提案が行なわれたのか。
この席上で配られ、近日中にはネット上で公開もされるはずの資料3、「戦端的な宇宙開発の推進について」を注意深く読み解いていくと、そこには日本の宇宙開発に於ける宇宙科学と政治の奇妙な混在に気付く。宇宙科学については我が国が独自に探求し、成果を上げてきたという意義を認め、さらなる研究の必要を説いている。
しかしながら、有人宇宙については、「将来に亘って有人宇宙活動を自在に行う能力を、現在のISSでの活動を基盤として更に高めていくことは、宇宙先進国としての我が国の地位を確固たるものとするために極めて重要である」
との文言がある。これは、スペースシャトル、国際宇宙ステーションにのみ頼ってNASAを追従する形で有人宇宙を続けてきた日本の宇宙開発に於ける政治的立場の確認であり、日本の有人宇宙に関する成果も意義の確認もそこにはない。
では、日本の宇宙開発の戦略のためになぜ政治的な思考が必要になるのか。
宇宙開発には莫大な予算が必要となる。
笹本は、日本独自の有人宇宙開発に関わった際、もし当時のNASDAが有人宇宙飛行に乗り出すとしたらいくらくらいの予算を要求するか考えたことがある。
H-IIロケットは、2000億の予算で開発された。最終的に2700億の巨費がかけられたが、これは世界的には「クレイジー」といわれるほどの低予算である。
その次のビッグプロジェクトであるHOPEは、中止されたとはいえ5000億の開発予算を見込まれていた。
だとすれば、宇宙開発の究極目標といえる有人宇宙飛行のためにNASDAが要求する予算はおそらく一兆。逆に言えば、それだけの予算が獲れなければ、NASDAにとって巨大プロジェクトとしての有人宇宙計画の意味はない。
一兆円の予算があれば、組織もメーカーもしばらくは潤沢な予算のもとに安心して計画を進めることが出来る。
しかしながら、現在の技術を持ってすれば有人宇宙システムの開発にはそれほどの巨費は必要ない。半世紀近くも前の技術で成し遂げられた有人飛行は、今ならばはるかに安上がりに行うことが出来る。
つまり、当時のNASDAにとって有人宇宙飛行はネームバリューの割に予算が獲れない、しかも失敗すれば日本の宇宙開発すら止められかねない火中の栗だったのである。
今回提案された有人月探査のための予算規模は、二兆円という数字を漏れ聞いている。年間2000億円を切れるような日本の宇宙開発予算から見れば夢のような巨費であり、それは宇宙基本法によって宇宙開発の主導権を首相官邸に持って行かれそうな文科省にとってはたとえようもなく魅力的な題目だろう。
月探査、しかも有人。アポロを子供のころに体験している世代なら、それは再現すべき夢であり、実現すべきミッションである。
しかし、宇宙開発が国家事業として予算の枠に縛られている限り、払われる金額は有限である。巨額の予算を持ってくるなら、どこか別の計画を止めなければならない。
資料3、先端的な宇宙開発利用の推進についてというPDFを注意深く読んでいくと、1.2 太陽系探査の中に以下のような文言があることに気付く。○ 特に大規模な探査プロジェクトに関する今後の計画立案にあたっては、研究者からのボトムアップによる科学目的を保持しつつ、トップダウンによる国家戦略としての政策的な観点とのすり合わせも踏まえ、決定する必要がある。
関係者によれば、これは日本が今世界のトップを走り、今も成果を上げつつある地球外小惑星探査計画を、まず有人月探査の生贄に捧げるための第一歩だそうである。
リソースの集中的運用でも、予算の効果的投入でも、美名はなんでもよろしい。
これは、有人月探査の実現のためにはやぶさ2以降の計画をすべて中止するということであり、じっさい現在も地球に帰還するためのはやぶさを運用しているスタッフにもそのような話が回っているらしい。
わかりやすく言い換えれば、有人月探査というトップダウンのために、研究者のボトムアップを捨てる必要がある、という宣言である。
そして、おそらく話はそこに留まらない。莫大な予算を必要とする有人月探査があるのに、日本の宇宙村の中でわずかな人数しか占めない宇宙科学関係の計画がこれから先も今のように続けられる保証はない。次の言い訳が必要となれば、即座に「政治的判断」による切り捨てが行なわれるようになるかもしれない。先例があれば、それは簡単である。有人月探査は、「日本独自」と冠詞を付けようが付けまいが現時点でさえアメリカ、中国が進めつつある計画である。ここにいまさら日本が潤沢でもない予算を付けて参加したところで月レースで実績のあるアメリカ、すでに有人宇宙飛行を実現している中国に対して単独でいい勝負が出来るとは思えない。それは、月面有人探査計画においてかつてソ連が犯したような科学的判断を必要とする宇宙開発に政治的判断を持ち込むという典型的な失敗の第一歩である。
今、日本は小惑星探査に於いて世界トップレベルの技術と実績を上げている。また、他の宇宙科学、天文学に於いても恵まれていない環境で費用対効果の高い成果を上げてきた。
日本独自の有人月探査は、宇宙開発のための資源集中と称して、ペンシルロケット以来MVロケットまで積み上げられてきた全ての成果をまるごと葬る毒性を秘めた、きわめて刺激の強い新提案である。
宇宙科学は、世界で一番であることがなによりも重要視される。二番手以降の成果は、そこでは意味を持たない。
しかし、政治は一番であることを重要視しない。そこで重要なのは、潤沢な予算を取り、多人数に充分な報酬を出して組織を維持することであり、宇宙開発の成果も有人宇宙の意義も単なる言い訳として扱われる。日本の宇宙開発が目指すべき方向はどこなのか。
それを決定する権利は、我々日本国民にある。
同時に、どこを目指すべきか、それは日本人として考えなければならない義務でもある。あなたは、日本の宇宙開発になにを求めますか?
それは、自分で納めた税金の納得がいく使い途ですか?
それは、日本でなければ出来ないことですか?
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