訂正です。
前回「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ、「踊ってみた」というビデオがアップされる状況になっていない。」と書いたが、これは事実誤認だった。
コメント欄でcocoonPさんから指摘され、確認したのだが、まず「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ」という部分は、オリジナルの振り付けがかなりの数、投稿されている。MMD振り付けというタグが、オリジナルの振り付けを探す鍵だった。
「『踊ってみた』というビデオがアップされる状況」については、まだきちんと探せてはいないのだが、いくつかMMDで発表された振り付けを実際に踊った例を確認した。
私の事実誤認である。
何が間抜けって、MMD杯の動画をチェックしている時に、この動画もちゃんと観ていたのだ。
ところがLove and Joy関連の動画を追っかけているうちにすっかり記憶から抜け落ちしてしまっていたのであった。我ながら全くもって情けない。
cocoonPさんのコメントには、「実際にモーションを作っているMMD界隈の仲間たちが、あなたのこのエントリを見て悲しんだり怒ったりしている」とあるが、もしもそのような方がおられるなら、大変申し訳ありませんでした。
なぜこういうことになったかを考えてみるに、「音を扱う音楽=ミクオリジナル曲と、体の動きを扱う振り付け=MMDによるオリジナル舞踏との間に、なにか人間の側の情報処理の仕組みに大きな違いがあるのではないか」ということを考えていたからだろう。
ラマチャンドランによる幻肢痛の治療に見るように、「自分で、自分の体を『これは自分のものである』と認識するメカニズム」は、なかなか一筋縄ではいかないものだ。新たな振り付けの創造にあたっては、そこに「自己の肉体を自己として認識する仕組み」が大きく影響しているのだろう。
ボーカロイドは、「歌う」という行為を仮想化してパソコン上で(ある程度の精度で、ではあるが)再現することに成功し、その結果ボーカロイドによるオリジナル曲がアップされ、さらに「歌ってみた」という形で現実の歌声に遡上するという現象が起きた。
では、MMDは「踊る」という行為を仮想化してパソコン上で再現することに成功しているのか。その結果オリジナルの振り付けがアップされ、さらに「踊ってみた」という形で現実の舞踏に遡上しているのか?
そこで、「人体における歌声と舞踏との自己認識が異なるなら、現象として違うことが起きているのではないか」というのが、私の作業仮説だったのだ。ところが、Love and Joy関連の動画を追っかけているうちに、「違っているに違いない」という先入観に陥ってしまったようである。
そこには、自分がMMDをいじったときに手こずった経験も投影されているようだ。実際、自分でやってみるとミクが思っていたように動いてくれなくて、ずいぶんと苦労した。
ただ、ここまで短時間でざっと見ただけなのだが、確かにMMDによる投稿は、ボーカロイド曲の投稿に比べて数が少ない。そして「歌ってみた」と「踊ってみた」を比べると、「踊ってみた」はずっと少ない。
どのタグで比較するかによるのだが——
2009年6月24日時点で、
- 初音ミク:50,319件
- MikuMikuDance:5,544件
- 歌ってみた:128,738件
- 踊ってみた:16,209件
- ミクオリジナル曲:1,036件
- MMD:221件
だいたい規模として、1/10から1/5程度と判断していいようだ。大まかに言って「桁が違う」わけである。
これが、cocoonPさんの指摘したような敷居の高さのせいなのか、それとも私が考えていたような「人間の自己認識の仕組みの違い」のせいなのかは、現状ではなんともいえない。そもそも「自己認識の仕組みが違うから敷居が高くなる」のかもしれないし——これ以上は、別の切り口のデータが必要になるだろう。例えば、ミクを使ってDAWで作曲している時と、MMDで新しい動きを考えている時にそれぞれ脳波の多点計測をするとか。
「歌と踊り」とまとめられることも多いし、実際これらは切り離しがたいものではあるのだが、このような差異が存在する。それもニコニコ動画ではっきりと見えてくる。その差が、私にとって面白かったのだけれど、でも、先入観で事実を誤っては話にならない。反省しきりだ。
罪滅ぼしの意味も込めて、ラジPによるオリジナルの振り付けをいくつか紹介する。これは手練れの作品だ。なかなかMMDでこうは動かせない。
ラマチャンドランが、自らの研究を一般向けに解説した本。人間の脳が、自分や世界をどのようにして認識しているかを、彼は独創的な数々の実験を通じて明らかにしてきた。ものすごく面白く、かつエキサイティングである。読んでない人は是非とも読むべき名著だと思う。