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2009.10.16

有人宇宙活動と世界システム

 これまでタブー視されていたり、予算獲得のテクニック上の養成からか、月探査と絡めて議論されたりと、ろくなことがなかった日本独自の有人宇宙活動を巡る議論だが、政権が代わったことで少しはまともな議論ができる環境になってきたような気がする。

 ここで、大変示唆的で、またきちんと議論しなければならないことが、北海道大学の永田晴紀教授から提起されている。永田先生は、言うまでもなくCAMUIロケットの開発者だ。

(カムイスペースワークスブログより)


 野口氏によると、何のために宇宙開発をやるのか、という議論にかけては、日本ほど真面目にやっている国は他に無いそうです。米国では、それは言うまでも無く安全保障であり、軍がその活動の一環として秘境探検を行うのは当り前なのだそうです。軍の仕事は国家の活動領域を守り、更には広げることで、その意味においては、戦争と秘境探検は同列に語られます。宇宙開発に限らず、平時における軍の運用方法としては探検が最も優れているというのが、欧米諸国の常識だとも言っていました。
(中略)
有人宇宙機を打上げるとなると、不具合発生時に指令破壊をするわけには行きません。ミッションを中断して機体を戻すという作業が必要になります。このような飛行をアボート飛行と言いますが、アボート飛行は事前に計画された軌道ではありませんので、地球上のどこに降ろすことになるか判りません。このため、いざとなれば地球上のどこにでも艦船や部隊を派遣することができるような体制を準備する必要があります。このような機動力と指揮系統を備えた組織を、安全保障以外の名目で整備することは不可能です。「宇宙開発専用の新たな部隊を整備すべきだ」などとどこかの党の幹事長が口走る前に書いておきますが、そんなの無理です。
(続・有人宇宙開発に進むための戦略 より)

有人宇宙開発を行うためには機動力と指揮系統を備えた軍隊を運用する必要があるという話をしました。我が国においてはこれが有人に進むための最大の障壁になるのではなかろうかと思います。有人宇宙開発をやるべきか否か自体に議論が有るところですが、やるとなれば、この障壁を何とかして取り除く必要があるわけです。
(軍事は賎業か、より)


 この論点は、日本独自の有人宇宙活動を考えるにあたって、とても重要だと思う。

 私も十分に考えがまとまっているわけではないのだが、以下覚え書き的に書いていくと。

 まず、重要なのは「必要なのは軍隊ではない」ということだ。必要なのは全世界をカバーし、機能するシステムだ。仮にそれを「世界システム」と呼ぶことにする。永田先生は、「宇宙機のレスキューに関する世界システムは軍隊以外考えられない」と言っているわけだ。

 実のところ、有人宇宙開発に必要な世界システムは、レスキュー組織だけではない。地球を回り続ける宇宙機の管制システムは、必然的に世界システムになる。軌道上のどこにいても通信を可能にするシステムも世界システムだし、最近では宇宙機の軌道制御にGPSを使うが、GPSも世界システムだ。

 永田先生の主張は「世界システムは必然的に覇権的傾向を帯びるが、日本には有人宇宙飛行のために世界システムを組み上げる覚悟はあるか」と書き換えうると思う。

 実のところ、私は軍隊による宇宙開発には疑問を感じる。むしろ「アメリカが今の停滞状況に陥る背景には、軍隊への過度の依存がある」とすら思う。最初に赴くのは軍人だとしても、宇宙開発が進めば、軍人は引くべきなのだ。多種多様な有象無象が宇宙に行くようになってこそ、宇宙は人間の土地となる。その意味では、民間人が行かない有人宇宙開発は無意味だとさえ考えている。

 いつまでも「特別に選ばれた人が行く特別な場所」ではダメなのだ。「有象無象がいく当たり前の場所」にしていかなくては、その次の展開は望めない。
 有人宇宙飛行の実施にあたっては、有象無象が行けるような未来へともっていく長期戦略がなくてはならない(軍人が最前線の探検を担うものなら、有象無象が宇宙に行けるようになった時、軍人主体の宇宙船が小惑星なり火星なり木星なりを目指しているべきだろう)。

 だが、軍組織か否かを別としても、有人宇宙飛行に複数の世界システム、世界を覆うインフラストラクチャが必要になることは間違いない。レスキューシステムはそのうちの一つということになる。

 だから、問題は「日本が、本質的に覇権的傾向を帯びる世界システムを構築する覚悟があるか」、あるいは「本質的に非覇権的な世界システムの構築は可能か」というところにあるのではないだろうか。

 第二次世界大戦に負けた日本は、これまで一貫して、世界システムの構築には手を出してこなかった。気象衛星をほぼ唯一の例外として、通信衛星は国内通信用、放送衛星も国内用だった。地球観測衛星も、例えばNOAAのような誰でもデータ受信可能なものではなかったし、GPSは、「準天頂衛星」のように日本周辺に機能を限定したサービスしか考えてこなかった。周辺国家から覇権的と見られることを、徹底的に避けてきた。

 それではダメで態度を変える必要があるのか、あるいは、それでもやっていける道はあるのか、ということだ。

 実のところ、私の思考も、ここで止まっている。が、私は案外「非覇権的な世界システム」を組み上げられるんじゃないかという気がしている。早い話、インターネットは非覇権的な世界システムだ。
 割と緩くてへらへらしたシステムだが、そこに参加することでなにか楽しいこと、得なことが起こるようなシステムならば、どんどん人々を巻き込んで世界システムに成長していくような気がする。

「有人宇宙活動を支える、緩くてへらへらしたシステムとは、具体的にどんなものか」と問われれば、まったく答えられないのだけれども。

 有人宇宙船そのものの検討も大事だが、それを支えるインフラストラクチャを考えることは、さらに重要だ。惑星探査機を考える時に、地球全体をカバーする地上局網が必須なのと同じ構図である。ボイジャーの前にはDSNが必要なのだ。

 その意味で、永田先生の問題提起は、皆が考えるに値するものだと思う。

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Comments

>緩くてへらへらしたシステム
うちは違いまっせ(海上保安庁)
http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/article/578/
「[しきしま]の知られていない重要な任務」
民間航空救難だって、へらへらでは立ち行きません。
御巣鷹だってね。

 ちゃんと考えがまとまっているわけではないですが、日本が覇権を望まないと同時に、日本以外の誰かが覇権を握るのも望まない。つまり宇宙システムで日本を含めて一強を作らせないという方向性もあるのではないか。

すでに他の方が書かれていますが、JALは世界規模の覇権的救難システムを持っているわけではないです。また軍隊でも、信頼醸成の第一歩は相互救難訓練です。宇宙開発に必要なのは非覇権的救難体制、相互援助によるインフラ構築でしょう。その意味で、ISSで各国の有人モジュールのインターオペラビリティが確立された意味は大きいと思います。アポロ・ソユーズドッキング飛行の精神が今になって意味を持ってきたと。

>実のところ、私は軍隊による宇宙開発には疑問を感じる。
で始まって
>実のところ、私の思考も、ここで止まっている。
で終わってるのは単に軍事、軍隊に対する個人的なアレルギーじゃないですか?
覇権的なシステムの拒絶を勝手に前提とするから思考停止してインターネットとのアナロジーを夢想してしまうんだと思います。

>だから、問題は「日本が、本質的に覇権的傾向を帯びる世界システムを構築する覚悟があるか」、
>あるいは「本質的に非覇権的な世界システムの構築は可能か」というところにあるのではないだろうか。
日米同盟を活用する道もあると思います。民主党政権の『対等な日米関係』が単なる反米の
誤魔化しでないのなら模索する価値はあると思います。

 へらへらという形容は誤解をまねきやすかったかも知れません。ベストエフォート型自発的組織の連なり、ぐらいの意味です。

 気をつけねばならないのは、例えば洋上回収に空母を含む大艦隊が出動する必要はないということです。アポロ計画の時の回収陣容をイメージして、「だから軍隊」と考えると、間違った方向に話が進んでしまう可能性があります。
 しんかい6500は、重量約26トン、母船よこすかは総トン数4439トンです。せいぜい2t程度のカプセルを回収するだけなら1000t程度の船で十分なのです。

 日本は狭いからノミナルシーケンスが洋上回収、というのも先入観でしょう。技術開発でカプセルのピンポイント着陸がどの程度可能か検討しないと。飛行場にパラフォイルを展開したカプセルを降ろすということもあり得るでしょう。

 偏見を持たずに技術面、法制面、組織面など各方面から検討しなくてはいけないことだと思います。

>宇宙システムで日本を含めて一強を作らせない
>宇宙開発に必要なのは非覇権的救難体制、相互援助によるインフラ構築

 これはかなり近い発想ですね。アメリカ主導のインテルサットに対して、欧州がインマルサットを立ち上げた手法など参考になるかも知れません。


 レスキューという大義名分は強力ですから、様々なやりようがあるように思えますね。今後、スペースXはアルマズのような民間による有人周回軌道打ち上げが本格化すれば、当然検討課題として俎上に上がるでしょう。

>JALは世界規模の覇権的救難システムを持っているわけではない
 そう、既存の航空機や船舶の救難システムの利用も考え得るでしょう。救難体制に関しては完璧はありえないと考えるべきかとも思います。「できる限り」というところで、まずは動き出すべきかと。
 このあたり、技術と社会制度が交錯しますから、文理の区別ない知識と経験を結集する必要があるでしょう。

>単に軍事、軍隊に対する個人的なアレルギー
 というよりも、いつまでも国が選抜した飛行士を打ち上げるやり方が続いていることに対してそれでいいのか、と感じているということです。今まで、アメリカから中国に至るまで同じ方法をとっているとしても、これから先も同じ方法でないといけない、と考える理由はありません。

 TwitterでPriusさんが面白い考察をしていますね

(リンク張っちゃっていいかな、
http://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi
 です)。

 私は今や、軍事技術は最後の破壊の部分のみが軍事特有のものであり、それ以外はすべて民生と同じであると見ています。その意味では防衛省・自衛隊の参加・活用をことさらに避けることは無意味でしょう。

カプセル回収船には、それなりのセンサー(レーダー等)や通信装置が必要で、洋上滞在の能力も重要です。
1000t程度の船は、無理では?

ふじのパラフォイルはバックアップというかフェイルセーフはどうしてたのでしょうか
パラグライダーのようにパラシュートが予備で入ってるとか?
制御された落下をするつもりから制御されない落下に切り替わると
面倒なことになりそうな・・・

ま。
これも「枯れた技術と先進技術」という問題ですね。
「その先」の理想、考え方や行く筋道は色々あっても。
「現行世界」では、宇宙開発のバックアップが出来るのは「軍隊」だけである。と。
永田氏は現在の現実の中で現行の開発を「進める」のにはどうしたらいいか?と、問いかけているわけですから。

何にしろ。
「国連」がもう少し「使える」組織にならないと、「非軍事」の宇宙開発バックアップは、まさに「画餅」。

漫画で出て来た話(沈黙の艦隊)とはいえ、「自衛隊を国連直轄に」てのはいいアイディアかもしれませんね。
始めの一歩的に……。

松浦さん、取り上げて頂いていたのですね。有難うございます。自分の考えを纏めるのに参考になりました。

>「宇宙機のレスキューに関する世界システムは軍隊以外考えられない」
>「世界システムは必然的に覇権的傾向を帯びるが、日本には有人宇宙飛行のために世界システムを組み上げる覚悟はあるか」と書き換えうる

その纏めでOKです。現状では自衛隊も世界システムとしては整備されていませんので、「自衛隊を使おう」以上の覚悟が必要です。

簡単に端折って書くと、必要な機能を自衛隊が持っているのなら、使えばいいではないか。それでも足りないのであれば、増強すればいいではないか。ということです。「緩くてへらへらしたシステム」の構築にも反対ではありませんが、何を選択するかは、結局、どのような国造りをしたいのかに依存すると思います。有人宇宙開発は目的ではなく、単なる手段ですので。宇宙開発を考えることと国家を考えることは、一体不可分だと思います。

有翼往還機を全否定したために、このような議論になっているのではないでしょうか。
カプセル+パラシュートというシステムは低軌道からのスカイダイビングを伴うものですので、有象無象が参加できるシステムではなく、ライトスタッフ+αの範囲までをカバーするものでしょう。
貨物と人員を同時に運ぶというシステムは不合理で否定すべきでしょうが、大気中を飛行するのに最適な「翼」を「デッドウェイト」として否定したがために、世界システムが必要になっているのです。
有人宇宙システムとは、「航空機を宇宙空間で人工衛星として運用する」と同時に、「人工衛星を大気中で航空機として運用する」という、矛盾に挑むものなのです。

いま問題にしているのは緊急時のアボートシステムなのでLazy_8さんの仰る有翼機では解決できないと思います。民間の航空機でも緊急用にパラシュートを装備しているはずですし、緊急時は「ローテクこそ最善」だと思います。そうすると最悪の場合には緊急着陸位置の把握すら困難な場合を考える必要があるのでは。

「正確な位置が不明な洋上漂流物を回収する」となるとかなり広範囲をカバーできる捜索システムが必要になるので、数千トンの船程度ではとても無理じゃないですか。深海調査船の母船は無人調査船を太平洋に流してしまい見つけられなかった実績がありますし。

>緩くてへらへらしたシステム

インターネットは(当初は米国政府がかかわったプロジェクトであったとはいえ)「どこの政府も積極的に関与せずに自然発生的に発達した」からこそ出来上がったシステムだと思います。日本にしろ米国にしろ、どこかの政府がかかわって目的を持って構築しようとしてもできないシステムでしょう。(インターネットのような)非覇権的救難システムを考えるのなら、有人宇宙飛行計画自体を非国家的で国際的な民間主導のものにしないと無理でしょう。

Twitterへのリンク、ありがとうございます。

yagさん:
>民間の航空機でも緊急用にパラシュートを装備しているはず

いや、装備してないですよ。パラシュート降下の実際を考えれば、墜落が避けられない飛行機で脱出に必要な高度と速度を維持し、乗員乗客全員が脱出することはあり得ません。

旅客機でもスペースシャトルでも、不時着(陸、水)時はGPSを利用して救難信号を発信する程度のことしかできないはずです。無人機は故障すればおしまいですが、有人機はそれこそハンディGPSとイリジウム携帯電話でも救助要請ができる。レーダーがないと捜索できないのは、要救助者側の装備が著しく貧弱であるか失われている場合ですから、有人宇宙船であればそういった事態は考えにくいです。個人装備でも足りる程度の話です。

 永田先生、コメントありがとうございます。「有人宇宙開発は目的ではなく、単なる手段ですので。宇宙開発を考えることと国家を考えることは、一体不可分」ということはその通りだと思います。

 宇宙開発の場合に面白いのは、さらにその向こうに「有人宇宙開発を考えることは、人類社会全体の未来を考えることと不可分」という事実があることでしょう。一足飛びに国家の融解する未来を夢想するのは愚行ですし危険でもありますが、国家利権の向こう側には、人類という大きなフレームワークが見えているというところに、私は面白さを感じます。

 それとは別に、日本はどうすべきか、ということを考えねばなりませんが、もう一つ面白いことに、この問題は、宇宙技術という地上の常識で推し量ると判断を誤るような、そんな技術と、地上の組織・法制度などとをまとめて判断しなければならないのです。
 その意味でLazy_8さんのコメントは、有翼往還機の理解では間違っていると思いますが、技術が大きなファクターになるという点では正鵠を射ていると考えます。

 よっぽど勉強して、よっぽど先入観なしに考えないといけないのでしょう。

 気になるのは、すでにスペースXやエクスカリバー・アルマズで民間有人飛行の動きが進んでいることですね。エクスカリバーは、「必要なものは世界中からかき集める」という方針のようなのですが。

飛行機にパラシュートを付けた奴はあるし、軽飛行機なら買える。
http://www.cirrus-jp.com/safety/
しかし、それは解ではない。
日本ではどうしてもその下に人家があるか、それとも着陸に適さない山林か、しか想定できない。搭乗者の命ではなく、地べたを這いずる人の命を忘れてはいけない。
http://www.mizuhoto.org/seisaku/07back/shuisho/jet.html
着陸は外地でなければ海洋を想定せざるを得ない。
はやぶさも「日本」には還って来ない。
なおさら、そこに営みを持つ人の命を忘れてはいけなくなる。
やはり有翼再使用の航空機が空から宙に出て行く、大気圏内で移動の自由度が大きいものでないと、立ち行かない。
逆に、本当に弾道学が優秀なら、百発百中着陸点に着弾するだろうが、大和の大砲だって風になびく、軟着陸させようとすれば尚更のこと風にあがない着陸する必要が増す。

 有人宇宙飛行を国が実施するにあたって、もう一つ考え、準備しておくべきことがあるように思います。
 万が一の事故が発生し人命が失われた時、各種補償はもちろんとして、亡くなられた方に対する国・国民による慰霊の方法。
(ちなみに、合衆国ではあのアーリントン墓地を利用して以下のような形で記念がなされているようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Challenger_Memorial1.JPG

 そして、そういった尊い損失が出ても、なお、宇宙開発を進めていく、という国・国民の覚悟。(事故の際の合衆国大統領のスピーチは皆さんよくご存じでしょう。)

もちろん、上記の準備が出来たからといって、人命損失あたりまえの計画がされてはたまりません。しかし、確率を零に出来ない以上、また、宇宙開発において国が果たす役割が、当面の間、大きいものであらざるをえない以上、国・国民の様々な利益・欲望の追求による人命の損失が万一発生する場合を真剣に考慮・準備しておき、その万が一の場合に、なお先に進む覚悟を決めておくことは国・国民の義務だと思う次第です。

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