底抜けに明るくて、かつ大規模なアレグロ——原博の「交響曲」
懐かしくなり、久し振りに聴きたくなって、アマゾンで検索をかけたらば品切れになっていた。在庫を探してHMVで「ダメもと」で注文したら届いたので、このところ繰り返し聴いている。
原博の「交響曲」である。
アマゾンでは一時的な品切れで、版元では在庫があるようなので、注文すれば届くだろう。急ぐならば、HMVで注文すればいい。
原博(1933〜2002)は、孤高の作曲家だった。1950年代から1960年代にかけての前衛の時代を、バッハとモーツアルトを理想として一切の前衛的技法に見向きもせず古典的機能和声と対位法を追求した。12音技法とそれに続く一連の技法を否定しただけではなく、ドビュッシー以降の旋法的音楽にも目を向けなかった。その意味では、伊福部昭や別宮貞雄といった調性に基づいた音楽を主張する作曲家よりも保守的とすら言えた。
といっても実作ではモーツアルトの模写に留まらず、機能和声の限界を追求する行き方をとった——そうなのだが、私はそんなに原の音楽をきちんと追っかけて聴いているわけではない。交響曲の他にピアノ協奏曲など数曲をCDで聴いているだけである。
だから、ここは、いかにして私が彼の交響曲に出会ったかを書くべきだろう。
原博の交響曲(彼は生涯にこの一曲しか大規模な交響曲を書いていない)は1979年に完成し、1980年夏に、渡邉暁雄指揮のNHK交響楽団あにより放送向けに録音された。放送初演はNHK-FMで1981年2月5日に行われた。
私はこの放送をエアチェックしたのである。
1981年2月というと、私は浪人中で大学入試真っ盛りだったはずだが、NHK-FMでめぼしい邦人作品のエアチェックは欠かさなかったのだった。今にして思えばろくでもない受験生だ。
当時既に武満徹のファンだった私にとって、原の交響曲は妙な曲だな、と聞こえた。当時、私が欲していたのは「いまだ聴いたことがないすごい音楽」だった。その意味では、作曲年代は関係なかった。当時すごいなと思った交響曲は、セザール・フランクの交響曲ニ短調だったり、グスタフ・マーラーの6番と10番だったり、ストラヴィンスキーの詩編交響曲だったり、ショスタコーヴィチの4番であったり、アントン・フォン・ウェーベルンの「交響曲」だったり、あるいは松村禎三の「交響曲」だったりした。これらの曲に感じた「すごさ」は、原の交響曲にはなかった。
しかし、それとは別に、原の交響曲、特にフィナーレの第4楽章は、私を魅了した。がっちりと構成された古典的フーガであるにもかかわらず、アレグロで疾走する音楽は、底抜けの明るさに溢れていた。こんなにも明朗な音楽、しかも明朗快活の裏にがっちりとした構造を持った音楽は聴いたことがなかった。
音楽のすべてが明るくて、愉快で、しかもその輝きが決してくどくなく、わざとらしいいやらしさもなかったのである。
両面120分のカセットテープの片面一杯に録音した交響曲。私はその第4楽章だけを繰り返し、繰り返し聴いた。忘れられない19歳の思い出だ。
演奏時間50分もの長大な交響曲の1から3楽章は、暗く抑圧された情熱の連続だ。しかし、3つの楽章で鬱積した気分は、ラスト、10分以上の演奏時間をアレグロ・ジョコーソ(快活なアレグロ)で突っ走る第4楽章で、すべて昇華する。
その明朗快活さは、例えば芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」(1950)の第2楽章に近い。シンバル一発の響きと共に金管楽器が朗々とテーマを吹き鳴らし、弦楽器が調子よくリズムを刻み始める芥川の曲は、かなり原のフィナーレに近い。が、芥川也寸志25歳の快活さと、原博46歳の快活さは自ずと異なる。なんといったらいいのか、芥川にはない、そしてないことが魅力になっているわずかな陰りが、原の交響曲にはある。そして、うっすらとした陰りのあることが、逆になんともいえない魅力になっているのだ。ラスト間近、一瞬だけ引用される秩父音頭がなんと効果的であることか。
この曲は、NHK-FMの放送初演のあと、長らく演奏の機会に恵まれなかった。舞台初演は、作曲者の死後、作曲から25年を経た2004年6月7日に「追悼 原博作品展 VOL.2」というコンサートで行われた。
無調と前衛を攻撃し、機能和声にこだわり、調性にこだわった原は、一定数のファンを演奏家と聴衆の両方に獲得しているようだ。この追悼コンサートは2008年までに4回開催されている。
実のところ、私には原の機能和声へのこだわりは、よく分からない。機能性といっても、それは18世紀ドイツの耳の趣味の組織化でしかないだろうと思えるためだ。そこにあるのは正当性ではなく地方性ではないかと。
しかしそんな私の疑念はこの曲の価値を損ねるものではない。私にとっては「日本人が書いた、もっとも明朗快活かつ大規模なアレグロの音楽」、もうそれだけで十分である。
比較対象というのは、芥川也寸志にも原博にも失礼だろうが、原の交響曲のアレグロと、芥川「交響管弦楽のための音楽」のアレグロを比べると、確かに芥川のほうがポピュラリティの面では上だな、と感じる。芥川の音楽は、「交響三章」(1947)であっても、「交響管弦楽のための音楽」(1950)であっても、「弦楽のためのトリプティーク」(1953)であっても、あるいは「交響曲1番」(1954/1955)であっても、さらには作風が変わり、より混沌としてマッシブな音響性を増した「エローラ交響曲」(1958)であっても、作曲者本人がそうであったような、ダンディさ、格好良さがある。
原の音楽は誠実ではあるが、決して格好良くはない。その原が、もっとも芥川的な格好良さに近づいたのが、交響曲の第4楽章だと言えるのかもしれない。
原には、遺作となった「ミニシンフォニー変ホ長調」(2001)という曲がある。日本吹奏楽コンクールの課題曲で、6分ほどの短い演奏時間の中に、古典的な4楽章の交響曲を詰め込んだ、まさに原の技巧の到達点を示す作品らしい。機会があれば聴いてみたい。