のぞみとメイブン、はやぶさ2とオシリス-レックス
昨日、秋山演亮さんが書いた「呆れた事態」は回避されたわけではないようだが、少なくとも先送りはされた模様。当面、秋山さんの有人宇宙港をめぐる冒険は、宇宙に興味を持つ人にとって目を離せないということになりそうだ。
昨日の私の投稿に対して、色々と御意見をありがとうございました。霞ヶ関の動きを変えることが出来たのかどうかはまだ良くわかりませんが、弛まず慌てず、一歩一歩これからも進んで行きたいと思います。 (中略) 今年、8月31日に、40億なり50億なりの開発費が付かなかったとしたら、2014年・2015年のウィンドウで日本が小天体探査機を飛ばすことは不可能になります。日本が小天体探査機を飛ばせば、おそらくその影で失敗することを恐れてアメリカは小天体探査機を飛ばさないでしょう。しかし日本がやらなければ、アメリカが現時点で伝え聞いている日本の「はやぶさ」の技術・ノウハウを思う存分使って、失敗を恐れずに彼等は探査機を飛ばすでしょう。(有人宇宙港をめぐる冒険 2010年6月30日付。もしも「はやぶさ」計画が失敗だったとしたらより)人類の英知と言う意味ではそれは幸せな事ですが、しかし「諸国民の中で尊敬される日本」という国を考えた時、「はやぶさ2」を実施しないことは「はやぶさ」ミッションを失敗に追いやり国費の無駄を産み出す重大な誤りであり、また国民に対する大きな裏切りになると、私は思います。
「小惑星探査もアメリカに任せればいいじゃないか」という意見に対して、いくつか判断の材料を提示することにする。
宇宙科学の世界では、かなり熾烈な競争が存在する。その結果、科学的成果が最大になると予想されるテーマでは、一種の棲み分けが発生している。どこかが探査機計画を立ち上げると、他の国は同様の探査機を避けて、別の分野を探すのだ。
その典型例が、日本の火星探査機「のぞみ」周辺で起きていた。「のぞみ」は、火星大気を観測するための探査機だった。1990年代以降、この分野の探査計画はアメリカでも欧州でもロシアでも立ち上がることはなかった。「日本がやるのだから、わざわざ巨額の予算を付けてバッティングする計画を立ち上げる必要はない」というわけだ。
2003年に「のぞみ」が失敗した後も、しばらく同様の探査機計画が立ち上がることはなかった。つまり諸外国は当然日本が「のぞみ2」を立ち上げるだろうと判断していたのである。
しかし、「のぞみ2」が動き出すことはなかった。そして「のぞみ」が目指した科学観測は今なお、世界一線級の価値を持っている。遠慮する必要がなくなれば、資金的余裕のある国が探査計画を立ち上げることになる。
アメリカは一昨年、MAVEN(メイヴン Mars Atmosphere and Volatile Evolution Mission)という火星探査機計画を立ち上げた。リンク先を見てもらえればわかるが、メイブンはまったくもって「大きなのぞみ」といった形状をしており、科学観測の内容もほぼ一致している。打ち上げは2013年。
これで、日本が「のぞみ2」を打ち上げる意義はなくなった。先にメイブンが火星に到達し、のぞみが行うはずだった観測を実施するからだ。アメリカにすれば「いつまでも次の計画を立ち上げないから、俺たちでやっちゃうよ。観測内容には大きな意義があるんだから、いつまでも待つ必要は感じないしね」ということだろう。
ちなみに計画が一国で行うには予算規模的に大きすぎるということになると、今度は各国の科学者達は一転して協調し、国際協力計画を模索し始める。例えば、例えば巨大なX線観測衛星IXO計画は、その方向で進んでいる。
しかし、小規模・中規模の探査計画では、科学者達はお互いの様子を探り合い、どの分野を狙ってどのような計画を立ち上げるかで熾烈に争っているのが実情である。「のぞみ」「はやぶさ」クラスの計画は、国際協力ではなく国際競争で事態が動いている。
さて、とにもかくにも帰ってきた「はやぶさ」も、結果として失敗した「のぞみ」と同じ結果に終わらすのは、日本にとって良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。「のぞみ」だって失敗とは言え、日本初の惑星探査機として非常に大きな意義があった。「のぞみ2」があれば、リベンジは十分可能だったはずだ。世界的に見れば同型探査機を2機打ち上げるのはごく普通のことである。
「のぞみ2」がなかったのは、科学観測の価値ではない。科学的価値は、はからずもアメリカがメイブンで追従したことにより証明されている。
「のぞみ2」が立ち上がらなかったのは、主に予算のせいだった。
「はやぶさ2」がなければ、同じことがおこるだろう。
小惑星に対するアメリカの興味は、火星大気観測に対する興味より明らかに強い。アメリカは一昨年の科学探査機セレクションに小惑星からのサンプルリターンを行う「OSIRIS(オシリス)」を提出した。この時オシリスはセレクションに落ちた。選ばれたのは月の重力場を精密計測するGRAIL(グレイル)である。この選択には、多分にブッシュ有人月探査計画の意向が働いていたようである。月周回軌道で、有人宇宙船を安全に運用するためには、月の重力場の精密計測データが必須である。
しかし、一度落選したぐらいでは、アメリカの探査機計画は消えない。現在オシリスはOSIRIS-REx(オシリス-レックス)という名称で復活してきている。目標天体は、1999RQ36という小惑星だ。「はやぶさ2」と同じ1999JU3だ。7/7訂正:事実誤認をしていたので訂正する。
そしてオシリス-レックスは、NASAの次期探査計画のセレクションで最終候補に残っている。最終選定は2011年中旬に予定されており、ライバルは金星探査機「SAGE」と月面サンプルリターンの「MoonRise」だ。
有人月探査計画がなくなった今、アメリカの月への興味は、明らかに薄れてきている。
私の予想だが、アメリカは日本の出方を見守っているのだろう。「はやぶさ2」が消えても、はやぶさ2の目指すサイエンスの価値は消えない。だから、「はやぶさ2」がなくなればアメリカは「オシリス-レックス」を選定する可能性が高いと考える。
アメリカにとってオシリス-レックスは未だやったことのない“危ない”ミッションだ。すでに一度やった実績を持つ「はやぶさ2」が動き出せば、「それは経験者の日本に任せておけ」ということになる。となれば、通信網など別の利便を日本に提供し、その見返りとしてサンプルを手に入れることを考えるだろう。それはアメリカにとって日本を対等のパートナーと位置付けることを意味する。
しかし「はやぶさ2」がなくなれば、アメリカにとってオシリス-レックスは、「リスクをとってでもやるだけの科学的価値のあるミッション」となる。
それでいいのか、ということだ。「アメリカが探査をやってくれればいいじゃないか」と、開発開始から14年にもわたって積み上げた「はやぶさ」の成果を未来に引き継ぐことなく放擲することが、正しい戦略的判断か、ということである。
しかも放擲の理由が、正しい戦略的・科学的判断ではなく、組織内部の力学的なものであったなら(もちろんその場合、正しい科学的判断の下で「はやぶさ2」 を放擲したという形を取り繕うために一部関係者が走り回ることになる)——それは国民に「宇宙開発を支持して欲しい」といっても「顔洗って出直してこい」と言われる状況を作り上げるための近道であろう。