Web検索


Twitter

ネットで読める松浦の記事

My Photo

« 6月24日のキュレーション記者会見(前半) | Main | 6月24日のキュレーション記者会見(後半) »

2010.06.26

月に行って、で、それでどうするの?

 連日忙しい。今日も午後11時を過ぎてこれを書いている。昨日の記者会見の続きだが、まだメモを整理する時間をとれていない。明日以降に掲載いたします。

 和歌山大の秋山演亮さんが、以下のような記事を書いている。

我が国にとって月探査は最優先事項か?(有人宇宙港を巡る冒険 2010年6月25日)

 

 私は我が国にとって、月探査は最優先事項ではないと思う。今やるべきは小天体探査機の後継機をさっさと決めて来年度予算化することだ。そのために必要な「比較検討」の議論が行われ、その過程が広く公開されることを、心から願う。

 ところで、野田司令こと野田篤司さんも、月探査に関して全く同じ趣旨の文章を発表している。

月に行くのは、より道・遠回り・行き止まり(2010年6月3日)

 秋山さんと野田さんが示し合わせたということではなく、私が取材した範囲では、きちんと考えているプロの間では、両者の考え方が一般的なのだ。
 野田さんのほうが項目立てして整理された形で月探査の問題点を整理している。

  • 月に行くメリットはない
    • 月も物資は無い。正確に言えば、あるのは岩と砂だけだ。水は科学的な研究対象で分析できる程度の量しか無いだろう。人間が生きていくのに必要な量は無い。
  • 月に行くのは難しい
    • 月に行く困難さは方向性が違いすぎて練習にならないのだ。

  • 月に行くのは遠回り

    • 地球から全て物資を送るなら、月の重力に逆らって着陸して離陸するのは無駄以外の何者でも無い。

  • なぜ、月に行きたがるのか?

    • 心理的なもの。子供の頃に刷り込まれた憧れとか、そう言うものが潜在意識的な欲求として働いているとしか思えない。
       つまり、アポロの月着陸を子供や若い時代に体験して、それが刷り込まれてしまったというわけ。


 より詳しい内容は、秋山さんと野田さんの文章を直接読んでもらいたい。

 秋山さんは冒頭で、「月探査懇談会の報告書(案)が提示され、パブリックコメントの募集が6/17〆切で行われた。」と書いている。私も取材の過程で、「そろそろパブリックコメントに対する返事がまとまっている時期だよ」「どうやら、一般の人は月探査やるべきというコメントを書いていて、それを受けて宇宙開発戦略本部は月探査やるべしという方向に持っていくようなまとめを出すようだよ」と聞いている。

 しかし、実際にはきちんと考えているプロたちは、月探査はより遠くに行くための方法論として筋が悪いと考えているわけだ。

 「はやぶさ」の飛行が見せてくれたことの一つに、「太陽系は地上から見ているのとは違う実態をしている」ということがある。地上から見ると月は大きく見えるし、惑星は明るく輝いて見える。目立つところには行きたいと思うものだし、月や惑星こそが太陽系の主要構成要員だと思い込みがちだ。
 しかし、「はやぶさ」は、実際には差し渡し500mほどの小さな小惑星でも全く想像もしていなかった複雑で豊かな表情をしており、科学探査を行うに足る謎を秘めていることことを直接的に示してくれた。大きな月や目立つ惑星だけが太陽系ではない。多数の小惑星や彗星、あるいは黄道光のような星間ダストなども月や惑星などと同等の太陽系の一部なのだ。私たちは地上の常識に縛られているのである(「重力に魂を引かれている」と形容してもいいのかもしれない)。
 だからこれから人類がどこに向かうかは、地上の常識を離れて、ありのままの太陽系を観察して決めなくてはいけない。「はやぶさ」はそのための判断材料のひとつを提供したといえるだろう。
 
 野田さんはアポロ計画を例に挙げているけれども、私が思い出すのは子供の頃に見たテレビ番組「キャプテンウルトラ」の主題歌冒頭だ。勇壮な富田勲作曲の主題歌は「月も火星も遙かに超えて」と歌い出す。
 キャプテンウルトラの主題歌は今でも大好きだ。しかし、私たちが超えていくのは月や火星ではないのかもしれない。小惑星や彗星や、フォボス・ダイモスや木星の諸衛星なのかもしれない。

 実は自分も、2年前にこんな文章を書いていたのを思い出した。

さらば水金地火木土天海冥(人と技術と情報の界面を探る、PC Online2008年4月15日掲載 読むためには登録が必要)

 日本は今、米国の有人月探査計画に参加する方向で検討しているが、本当にそれでいいののだろうか。私達はどこに向かうべきなのか、最新の情報に基づいてよくよく考えてから決めるべきだろう。でなければ、「月に莫大なお金をかけていったはいいが、なにもなかった」ということになる可能性があるのだ。


 実はこのあたりは、ブッシュ米前大統領が2004年1月に有人月探査構想を打ち出した頃から、さんざん仲間内で議論して、「やっぱり月はダメだろ」という結論が出ていたのだった。議論の一部は、笹本祐一さんの「宇宙へのパスポート3」にも書いた。

 さあ、宇宙開発戦略本部は、パブリックコメントにどんな返答をしてくるだろうか。

追記:ちなみに私は、月探査懇談会報告書(案)へのパブリックコメントとして、以下のような文章を送付した。

 月には科学的探査の価値がある。これは間違いない。しかし、それ以遠への展開を考えると一点集中投資するほどの価値はない、というのが私の意見である。

 月探査は月探査のみで独立した分野ではなく、広く太陽系探査全体の中に位置づけられるものである。それをなぜ月のみを突出して宇宙開発戦略本部の懇談会を立てて審議したのだろうか。


 アメリカの有人月探査計画に呼応したものと推察する。が、今年初めにオバマ米大統領は有人月探査計画のキャンセルを発表した。正式決定はまだだが、米有人月探査計画に呼応した日本の月探査構想は、この段階で「梯子を外された」と考えるべきである。



 米計画がなくなった以上、日本の月探査は日本の宇宙戦略の一環として企画立案する必要がある。


 日本の宇宙戦略にもっとも必要なのは、現実と見据えた合理性である。その意味では月探査には、科学的意味以上のものは見いだせない。科学探査には意味がある。太陽系全域探査に向けた技術開発は意味がある。しかし国際政治的な意味は、米の方針転換で消失した。



 従って、日本の月探査は、1)太陽系探査の枠組みの中で、2)科学的探査と技術開発の両面で合理性を持った形で、実施する必要がある。



 上記の観点からすると、月探査に関する懇談会報告案に記載された月探査計画は2つの問題点がある。



1)予算規模が大きすぎる。現行の予算規模の中で実施すると、他の太陽系探査計画を圧迫しかねない。これは本末転倒だ。太陽系探査の中の月探査であって、月探査のみが科学目標として突出しているわけではない。

 この規模で実施するならば政治的判断による予算増額が必須である。予算規模が全体として増えない場合は、探査の小規模化すべきと考える。



2)2020年の計画については、果たして月の南極を目標とすべきか、その科学的意義を最優先に再考すべきである。南極については水資源存在の可能性が指摘されており、米有人月探査計画でも着陸候補地・基地建設候補地であった。しかし、米計画がなくなった今、極域を目指す理由は何なのだろうか。月の水については、その存在はほぼ確認できたものの量は少なく広く薄く分布していることが分かっている。これまでの探査では資源として有望なだけの量がまとまって存在する確証は見つかっていない。

 月探査機「かぐや」の観測で発見された溶岩チューブに通じるらしき縦穴も、探査目標の候補として、ミッションの科学的価値の視点から論証すべきであろう。

 技術開発の面でも、再考すべきところは多々ある。本当に精度100mでしか着陸できないのだろうか。むしろ「科学側の要求が100mでしかないから、工学側もそれ以上のモチベーションが出ない」という可能性はないか。縦穴縁への着陸、あるいは縦穴への降下まで考えることはできないのだろうか。

 あるいは、越夜技術について。プルトニウムを使えば簡単に問題解決可能なのだから、無理筋の技術開発を行うよりも、プルトニウム搭載が可能な体制を作るほうが、正論ではないか。それは検討されたのか。あるいは、そもそも越夜技術の将来の太陽系探査への展開の可能性が乏しいならば、ぱっさりあきらめるという選択肢も考慮する必要があるだろう。



追記:我が国独自の有人宇宙計画について、このような公文書に記載されたことは高く評価できる。しかし、有人宇宙計画と月探査をリンクさせるのは、米有人月探査に引っ張られた大きな間違いだ。有人宇宙計画と月探査は独立した別物として扱うべきである。

 なぜ、我が国は米有人月探査との絡みでしか、独自有人計画を議論できなかったのか。どこに日本という国の自主性があるのか、よほどきちんと反省する必要がある。



以上

« 6月24日のキュレーション記者会見(前半) | Main | 6月24日のキュレーション記者会見(後半) »

ウェブログ・ココログ関連」カテゴリの記事

宇宙開発」カテゴリの記事

はやぶさリンク」カテゴリの記事

Comments

多くの人を巻き込むのであれば、太陽系探査全般から、個別のそれぞれの惑星探査の重要性を整理し、その上で小惑星の必要性(他の探査よりも緊急かつ重要)をいろいろな視点から導くべきでしょう。ある切り口で考察すると、小惑星探査を後回しにすべきことも出てくると思います。他は筋は悪いが、小惑星探査はいいことばかりなんてことは無いと思います。

「月探査が重要でない」と「月探査に過大な予算を集中すべきでない」は別の事柄です。今回の本文(追伸以外の部分)の主張は前者に読めます。月探査をするぐらいなら、小惑星探査をしようと。直近の予算ははやぶさ2に予算を割き、その後は従来の規模での月&惑星探査を進めようとすべきではないでしょうか。特に月にはいつでもいけるのですから。

私信の公開については、やはり間違いだと考えます。秋山先生の対応と比較してみると、同じ情報をどう処理したか、何をとって何を捨てたかは明らかではないでしょうか。

私は宇宙開発や政策や詳しくは無い一般人(?)ですが
月を目指したがるのが無駄というのは納得できます。

「プラネテス」のようなコミックや、「MOON LIGHT MILE」のようなコミックが好きですが、月は人類が宇宙基地を築いて、まるでスペースコロニー、移民地、新天地のようなイメージが、これらのコミックだけに関わらず、ほとんどの人の中に漠然とあるのではないかと思います。

ですが、月開発が無駄かどうかを真面目に考えたことがあるひと、追求してみたひとは少ないのではないでしょうか。

メキシコ湾での油井の暴走を止められず、温暖化問題も、ほかにもたくさん、地球での人類の生きる環境と自然を維持していくことさえできていないのに、宇宙開発の莫大な予算をつぎ込む先が間違っていないでしょうか。

月も火星もなくならないけど、先ばかり見ているうちに、大事な足元が無くなってしまうのではないでしょうか。

宇宙(地球の周りの空間)を利用するのは無駄じゃないと思います。観測衛星だって、測位衛星だって、偵察衛星だって、地球のことをよく知って、見守っていく宇宙開発だって、大事なジャンルです。

毎日の更新大変だと思います。
これから暑くなります、体調に気をつけてください。

>時間は限られているが、できることをひとつずつ。
私も署名してきました。
小惑星探査は日本が「これから1番をめざす」のではなく、
「すでに1番であることを示した」分野です。ここに投資して、
予算増⇒トップ維持⇒産業育成⇒他国輸出⇒景気回復、
と行きたいところですね。

毎日更新も応援しています!
頑張っていきましょう。

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 月に行って、で、それでどうするの?:

« 6月24日のキュレーション記者会見(前半) | Main | 6月24日のキュレーション記者会見(後半) »