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2010.07.02

2003年5月7日・内之浦

 はやぶさが打ち上げられた日、私は、宇宙作家クラブの取材メンバーと共に内之浦にいた。今回は5月7日に行われたプレス・ツアーの写真を中心に掲載する。

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 5月7日早朝に行われた打ち上げリハーサルの様子。電波テストという。この写真は私が撮影したものではなく、関係者として一足先に内之浦入りしていた秋山演亮さんから提供を受けて、宇宙作家クラブニュース掲示板にアップしたもの。

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 記者らに向かって説明を行う的川泰宣教授。ホワイトボードにはM-Vロケット第1段のノズルの絵が描いてある。前回2000年の打ち上げは第1段ノズルが破損したために失敗した。はやぶさを打ち上げたM-V5号機は、第1段ノズルの一番狭くなる部分(スロート[のど]という)をグラファイトからカーボン・カーボンに変更した他、第2段を大幅に改良した、事実上M-V Mark2というべきものだった。4〜5機打ち上げたところで改良を加えるというのは、宇宙研ロケットの常道である。

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 プレスツアー、ブロックハウス内の様子。Mロケットのブロックハウスは射点のすぐ横の地下に設置されている。昔々、後の大先生、当時は大学院生2人が「爆発したらぱっと隠れればいいんだよな」といって、、ここの出入り口屋根から飛んでいくロケットを見送った——というのは知る人ぞ知るエピソード。

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 これも有名な、アナログの針が走るスケジュール表。1960年代から使われていた。はやぶさ打ち上げ時はさすがに針は走らなくなっていたが、現役だった。的川先生によれば、「職人仕事で作られておりもう作れない逸品」ということだった。

P1010512
 スケジュール表の部分拡大。こんな感じに良い具合によれて風格を放っていた。

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 当時はまだかなりの数のPC-98が打ち上げ設備で使われていた。

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 ピンぼけで申し訳ないが、打ち上げ後のシーケンス。ドットインパクトプリンター用の連続用紙に手書きで壁に貼ってあった。

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 当時やっと新設なったばかりだった34mアンテナ。内之浦は、壊れたパラボラアンテナの取り壊し予算が出なくて台風のたびに崩壊に怯えたとか、歩く度にきしむ通称「うぐいす張り廊下」とか、入ると必ず風邪を引くすきま風いっぱいの風呂だとか、電子機器関連の部屋には雨漏りに備えるビニールシートが常備されているとか——とにかく貧乏ネタには事欠かなかった。来日して内之浦を訪れたフォン・ブラウン曰く「マリリン・モンローが襤褸を着ているようだ」。

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 まあ、建物の壁面からしてこれだ。多くは1970年代の鉄板波板構造プレハブで、手入れが行き届かずにかなり痛んでいた。

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 構内の自動販売機も、微妙に時代遅れのものが…

 いくらボロでも、この時の内之浦では精神が生きていた。「自分たちの探査機を自分たちで打ち上げる」という精神が。

続く


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Comments

「マリリン・モンローが襤褸を着ているようだ」と言ったのはW.ハントレス博士ではないでしょうか。
http://www.isas.jaxa.jp/ISASnews/No.191/isas.html(的川先生の★NASA宇宙科学局長のKSC来訪 の記事)

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