Web検索


Twitter

ネットで読める松浦の記事

My Photo

« イプシロンの小型液体推進系が意味すること | Main | 山川宏京大教授、宇宙開発戦略本部事務局長に就任 »

2010.07.19

M-Vの打ち上げ能力向上策

 もう一つ、M-Vの話を書こう。

 前回の記事で、M-Vは衛星と組み合わせた一体で、はじめて打ち上げシーケンスが完結するという話を書いた。実はこのような打ち上げはごく一般的に行われている。静止軌道への打ち上げだ。

 標準的な静止軌道への打ち上げでは、最初にロケットが近地点高度250km程度、遠地点高度3万6000kmの静止トランスファー軌道に衛星を投入する。ついで、遠地点で衛星に装着したアポジモーターを噴射して、高度3万6000kmの静止軌道に入る。ロケットが行うのは静止トランスファー軌道投入まで。衛星に装着したエンジンで静止軌道に入る。これは、M-Vの「最終的な軌道投入精度は、衛星側スラスターで補正する」というのと基本的に同じである。

 つまりM-Vでは、衛星側スラスターにより大きな仕事をさせて、最終軌道への投入を担わせるという打ち上げ手法も可能ということだ。実際、M-Vではそのような打ち上げも実施された。

 というよりも、衛星側スラスターで最終軌道に投入、というのがM-Vの標準的な打ち上げシーケンスだったのである。

 JAXAの資料(pdfファイル)を見ると、M-Vロケットの打ち上げ能力として、1800kg(1〜4号機)とか1850kg(5号機以降)と書いてある。この数値は、3段式で、内之浦からまっすぐ打ち上げられる軌道傾斜角31度、高度250kmの円軌道に打ち上げた場合の数値だ。実際にはこのような打ち上げが行われたことは一度もない。

 では、実際にはどんな打ち上げ手法が採用されたのか。ここでは、X線観測衛星ASTRO-EII「すざく」の打ち上げ(2005年7月10日打ち上げ)を例にとって見てみよう。M-Vはキックモーターを使わない3段式。すざくは軌道傾斜角31.4度、高度570kmの円軌道に投入された。
 しかし、すざくはM-Vロケットによってこの軌道に直接運ばれたわけではない。1700kgもあるすざくを、直接この軌道に投入する能力をM-Vは持っていない。
 M-Vは第3段までの燃焼ですざくを軌道傾斜角31.4度、遠地点高度570km、近地点高度247kmの楕円軌道に投入したのである。ついで、すざく搭載のスラスターが遠地点で噴射を行い、遠地点高度を560kmまで引き上げて、円軌道に入ったのだ。遠地点はちょうど内之浦から見て地球の裏側に相当するので、遠地点噴射は衛星に仕込んだ自動シーケンスで実施した。

 なぜ、このような方式を採用したかというと、トータルで見た打ち上げ能力を向上させるためである。ロケットの3段までで目標軌道に投入するとなると、第3段のドンガラまでが軌道に入ることになる。それだけデッドウエイトを抱えているということになり打ち上げられる衛星の重量は減る。
 それを目標軌道一歩手前の楕円軌道に入れておいて、最終的な軌道投入を衛星側スラスターで実施すると、第3段ドンガラを加速しないで済む分、目標軌道に投入できる衛星の重量が増える。どうせ、軌道投入精度を確保するために、衛星側にはそれなりのスラスターを搭載しなければならないのだから、そのスラスターに最後の一押しをやらせれば、打ち上げ能力が向上する道理である。

 ちなみに、当初の計画では、楕円軌道投入後、衛星の機能チェックを行ってから、遠地点噴射を行って、衛星を予定軌道に投入することになっていた。ところが、2000年2月の、M-V4号機/ASTRO-Eの打ち上げ失敗では、第1段ノズルスロート部が破損したことで第1段の獲得高度が足りなくなり、衛星を近地点高度100km以下の楕円軌道に投入してしまった。100kmあたりに残存する高層大気が抵抗となって、ASTRO-Eは落下してしまったのである。

 この時、もしも最初の遠地点で衛星スラスターを噴射できれば、近地点高度を引き上げて衛星を救うことができた、という反省が残った。そこでASTRO-EIIでは、第3段燃焼終了後に、第3段の姿勢制御スラスターで姿勢を180度反転させて、衛星スラスターを噴射する方向に向けてから第3段を分離、打ち上げ直後の最初の遠地点で、衛星搭載スラスターを噴射して遠地点を引き上げるというシーケンスが採用された。

 M-Vは、衛星側にスラスターを搭載することが前提という設計を生かして、打ち上げシーケンスを設計することで、ロケット/衛星というトータルのシステムでみた打ち上げ能力を向上させていたのである。

 ちなみに、最近の静止軌道への打ち上げは、複数回再着火可能な上段を使用して、静止トランスファー軌道の近地点を5000kmあたりまで引き上げたり、あるいはロシアの場合は上段で直接静止軌道に投入するということが行われている。
 上段のドンガラまでもが近地点高度の高いトランスファー軌道、あるいは静止軌道に入ってしまうので、ロケットの打ち上げ能力に余裕があることが前提となる。が、静止衛星側は推進剤を節約できるという利点がある。

 静止衛星の寿命は、静止軌道位置制御に使うスラスターの推進剤残量で決まるので、衛星側スラスターの推進剤を節約することは、即衛星寿命が延びるということを意味する。これは、商業静止衛星にしてみれば、より長期にわたって利潤を生み出すことが可能になるということだ。

 H-IIAが商業打ち上げ市場で苦戦している理由のひとつ(あくまで一つだが)には、H-IIAがこのような、衛星側推進剤を節約する打ち上げシーケンスに対応していないということがある。

« イプシロンの小型液体推進系が意味すること | Main | 山川宏京大教授、宇宙開発戦略本部事務局長に就任 »

宇宙開発」カテゴリの記事

はやぶさリンク」カテゴリの記事

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference M-Vの打ち上げ能力向上策:

» ここは酷いドイツ物理学ですね [障害報告@webry]
第三帝国下の科学―ナチズムの犠牲者か、加担者か (叢書・ウニベルシタス)法政大学出版局 ユーザレビュー:総統は暴走する科学の ...Amazonアソシエイト by 研究者同士の支援や予算権限拡大の野心が 科学の世界にナチを引き入れた、ということであろうか 物理学に於いては量子力学に反発してそういのを認めないという 「ドイツ物理学」というのがあって、ドイツの物理学の世界は混乱していた 特にアインシュタインを筆頭に物理学にユダヤ人の貢献が大きかったために 反ユダヤの論調とともに「...... [Read More]

« イプシロンの小型液体推進系が意味すること | Main | 山川宏京大教授、宇宙開発戦略本部事務局長に就任 »