M-Vロケットの振動
M-Vというロケットには色々な誤解がまとわりついている。その一部には私が本に書いたことが拡散してしまったものもある。きちんと訂正していかなくてはと思う次第だ。
それらの誤解の一つに、「M-Vは振動が大きくて、衛星にとって“乗り心地”が悪いロケットだ」というものがある。
実は私も、「恐るべき旅路」でそのようなことを書いてしまっている。
「しかし、PLANET-B程度の程度の探査機を火星に送れるか送れないかぎりぎりの打ち上げ能力、そして繊細な探査機に影響を与えかねない打ち上げ時の大きな加速と振動と音響がM-Vの実際だった。」(「恐るべき旅路」朝日ソノラマ版p.190より)。
あながちそうでもないよ、ということを教えてくれたのはISAS関係者ではなく、角田の研究者の方だった。
「松浦さん、H-IIAにもSRB-Aが2本ついているよね。それぞれM-Vの第1段と同じぐらいの大きさがある。これが振動を発生しないと思う?M-Vと同じようなものだよ」
「しかし、M-Vの第1段のほうが高速燃焼をするから、振動も大きいのでは?」
「それは絶対的な差ではないよ。M-VとH-IIAの振動環境の差は、ランチャーにあるんだよ」
この写真がM-Vのランチャーの根元だ。通常ロケットの発射台の下は、煙道という噴射煙が抜けるトンネルが掘ってあるが、このランチャーにはない。その代わりフレームデフレクターと呼ばれる、噴射の炎を受け止める斜面が作ってある。
こちらは、わかりづらいと思うが、種子島宇宙センターのH-IIA用吉信射点の下にある煙道を、上からのぞき込んだところ。LE-7Aエンジンと固体ロケットブースターSRB-Aの噴射ガスは斜面を下って海側に抜けていく。
煙道の役割は、単に噴射ガスを逃がすというだけではない。エンジン始動時には一気にガスが噴射するので衝撃波が発生する。煙道は、衝撃波が反射でロケット側に戻るのを防いでいる。ガスが抜ける側に大きく広い空間が確保されていれば、衝撃波は反射せずに拡散していく。
ところで、M-Vのランチャーには煙道がない。ということは第1段点火時の衝撃波はもろにフレームデフレクターで反射し、ロケット側に戻っていって搭載した衛星を思いきり揺さぶることになる。打ち上げの間に衛星が受けるショックの中で、この衝撃波が一番強烈なので、衛星はこれに耐えるように設計製作しなくてはならない。
「M-Vの強烈な振動」とは、第1段点火時に反射で戻ってくる衝撃波だったのである。つまり、ロケットの問題ではなく、発射設備の問題だったのだ。M-V開発時には、M-3SIIのランチャーとM-Vランチャーを並べ2機種を並行運用することも検討されたが、ランチャー設備をゼロから揃える予算がないという理由から、M-3SIIを退役させてランチャーをM-V用に改修することとなった。当然、煙道を掘って、衝撃波の反射を防ぐだけの予算も確保できなかったとのことである。
気は心の対策として、M-Vのフレームデフレクターはいくぶんえぐってある。M-3SIIロケットまでは、このえぐりすらなかった。
この件に関して、とあるISAS衛星の開発に携わった技術者から聞いた話。
「あの反射波に耐える設計のために、どれだけ衛星開発に苦労したことか。衛星にかける追加の試験費用を考えると、実は煙道を掘り抜いたほうがトータルでは安く付いたのではないですか」
ちなみに、ロケット発射時の衝撃波の研究が一番進んでいるのは、ご多分に漏れずロシアなのだそうだ。ロシアの発射設備をどれもかなり大きく余裕を取った煙道を持っているとのこと。
« 微粒子など持ち帰った物質を確認、イトカワ由来かどうかはまだ不明 | Main | 理学と工学 »
「メカニズム」カテゴリの記事
- 八谷さんのOpenSky(通称メーヴェ)(2018.12.10)
- ドッペルギャンガー続報(2014.02.12)
- 内部告発と、「自転車はきちんとコストをかけて選ぶ」ということ(2014.02.11)
- 【宣伝】コミケ85三日目に参加します(東P-37b)(2013.12.30)
- bipod-ant:Frogとは対照的な折り畳み自転車(2013.05.07)
「宇宙開発」カテゴリの記事
- 【宣伝】12月18日火曜日、午後8時からニコ生ロフトチャンネルで放送を行います(2012.12.18)
- ちくま文庫版「スペースシャトルの落日」、目録落ちのお知らせ(2012.10.16)
- 宣伝:小惑星探査機「はやぶさ」大図鑑、発売中(2012.08.16)
- 【宣伝】4月15日(日曜日)、 『飛べ!「はやぶさ」小惑星探査機60億キロ奇跡の大冒険』朗読会があります。(2012.04.05)
- 【宣伝】12月10日土曜日、早朝5時からのテレビ番組で、はやぶさ2の解説をします(2011.12.09)
「はやぶさリンク」カテゴリの記事
- 【宣伝】12月18日火曜日、午後8時からニコ生ロフトチャンネルで放送を行います(2012.12.18)
- 宣伝:小惑星探査機「はやぶさ」大図鑑、発売中(2012.08.16)
- 【宣伝】4月15日(日曜日)、 『飛べ!「はやぶさ」小惑星探査機60億キロ奇跡の大冒険』朗読会があります。(2012.04.05)
- 川口コメントに追加あり(2011.12.16)
- 川口淳一郎プロマネのコメントが出た(2011.12.13)
Comments
The comments to this entry are closed.
日本人は、個別抵抗はよく考えるけれども、トータルで揚力を得るのは苦手のようですね。
宇宙開発もトータルで考えれば、少数の有人飛行に命と予算を浪費するよりも、有人を圧倒的に上回る情報量を多数が享受することに命を懸け予算を投入するほうが揚力が大きいように思いませんか。
情報技術は飛躍的に進歩し、享受者も爆発的に増加しているにもかかわらず、しかしそれでも、あくまで視野狭く小数有人の宇宙を崇拝し、あくまで他国に追従し、あくまで情報は細く、あくまで多数を見ないなら、揚力は小さくなるのかもしれません。
Posted by: いで | 2010.07.07 02:15 PM
そういえば、シャトルのバンデンバーグ射点もデフレクターの設計をしくじって、結果的に一度も使わずに放棄されましたね。
その時の説明も「噴射で生じる衝撃波の反射がシャトルの機体を破損させる恐れがある」という理由だったと記憶します。
「アメリカでもそんなヘマするんだ・・・」と驚いた覚えがあります。
(おかげで「極軌道プラットフォーム」がポシャりました。)
Posted by: Thor | 2010.07.07 09:38 PM
お久しぶりです。LH2です。
それにしても、松浦さんともあろう方がこのことをご存じなかったとは…。
ちゃんとISASのM-Vの論文でもhttp://www.isas.ac.jp/publications/hokokuSP/hokokuSP47/25-84.pdf
「衛星のシステム試験のランダム振動レベルは,以下の手順で規定した.
音響環境が最大になるリフトオフ時においてにおいて,M―3SII 型ロケット各号機の衛星分離面近傍で計測された振動のPSD を全てRRS(Random Response Spectrum)の意味で包絡するPSD を規定する.
と書かれてあるんですが…。
本を書く前に色々論文なども読まれたのかと思っていたので意外です。
そういえばソユーズやゼニットはかなり大きな煙道を持っていますね。プロトンは結構狭そうで、ツィクロンなどは煙道がない火炎偏向板だけだったような気がしますが…。
ロコートのようなコンテナチューブ内でエンジンに点火する機体だとまた変わってくるんでしょうね。
Posted by: LH2 | 2010.07.07 11:51 PM