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2010.07.07

理学と工学

 はやぶさは巷間「小惑星探査機」と呼ばれているが、開発時のコード名は工学試験衛星MUSES-Cである。小惑星を調べて太陽系の起源を探るのは天文学であり、理学だ。一方、小惑星探査を可能にする新しい技術を開発するのは工学である。理学と工学(サイエンスとエンジニアリング)は、はやぶさ、ひいてははやぶさを生み出した宇宙科学研究所を理解するための重要なキーワードである。

 宇宙研のルーツが糸川英夫博士が1955年に発射実験を行ったペンシルロケットにあるのは有名な話だ。ロケットは「何かをするための道具」である。「より高く打ち上げたい」とか「より遠くへ飛ばしたい」といった、自己目的的な使い方を除けば、ロケットはそれのみでは成立せず、常にユーザーを必要とすることになる。
 糸川ロケットのユーザーとなったのは、「宇宙空間を調べたい」と思った科学者たちだった。最初は東京大学の永田武が電離層観測の為にユーザーとなり、やがて京都大学の前田憲一が同じく電離層観測でユーザーに加わり、そのうちにアメリカ帰りの小田稔がX線天文学を持ち込み、とユーザーが広がっていって、宇宙科学研究所の基礎が形成された。宇宙研の工学関係者は時に「俺たちは“駕篭かき”だから」と言ったりする。これは「ユーザーとしてのサイエンスがあってのロケット」として発展してきたことを意味している。

 ところが面白いことに、これまでの宇宙研の歴史で活動範囲を広げるようなミッションを実施してきたのは基本的に工学の側なのである。これには理学と工学の「何が論文になるか」の違いが関係してくる。理学は自分たちが調べたい対象があって、そこに衛星を送り込む。論文となる対象がはっきりしているから、衛星は観測機器が先鋭化し、一方で失敗したら元も子もないから衛星本体やミッションの構成は比較的保守的になる。
 それに対して、工学は新しい技術そのものが論文になる。だから、衛星そのものが斬新なものになるし、斬新な技術が威力を発揮する舞台として「より遠くへの、より難しいミッション」を指向することになる。

 宇宙研最初の惑星間ミッションであるハレー彗星探査は、ハレー彗星を調べたい天文学者が望んだものではなく、より大きくて高性能のロケットを作りたい工学者が言い出したのだった。的川先生によれば「おい、こんど帰ってくるハレー彗星に行こうぜ」と言い出したのは糸川直系のロケット工学者の秋葉鐐二郎教授(後に所長、現名誉教授)だったという。

 次に宇宙研の活動範囲を広げたのは、工学試験衛星MUSESシリーズの初号機であるMUSES-A「ひてん」だった。ひてんは、月スイングバイによる軌道制御を目的としており、これにより宇宙研はその後のお家芸になるスイングバイ技術を習得した。ひてんで試されたスイングバイ技術は、その後理学目的の磁気圏観測衛星「ジオテイル」で使用された。工学の開発した技術が新たな理学を支えたわけだ。

 次のMUSES衛星であるMUSS-B「はるか」は、軌道上で大直径高精度のパラボラアンテナを展開する技術を試す衛星だった。アンテナを展開した以上観測しないのはもったいないので、はるかは展開試験後は電波望遠鏡衛星として運用された。

 ここで理学側が企画した観測を目的とした探査機としてPLANET-B「のぞみ」が火星に向けて打ち上げられる。理学目的とはいえ、のぞみの実現にはスイングバイを駆使した軌道計画など工学系の成果が不可欠だった。不幸なことにのぞみは5年もの苦闘の末に火星到達に失敗してしまった。

 3番目の工学試験衛星が、はやぶさだ。はやぶさの大冒険については説明の必要はないだろう。

 そして今、理学側が企画した2機目の探査機PLANET-C「あかつき」が金星に向けて順調に飛行している。あかつきの設計には、のぞみとはやぶさの成果が取り入れられ、さらにその上に工学試験要素としてセラミック製スラスターや平面高利得アンテナなどが搭載されている。

 ここまでサンプル数が少ないので断定はできないが、大まかに言って「工学が切り開いた道を理学が利用して成果を上げていく」というパターンが存在することがわかる。この循環をうまくまわすことが、日本の宇宙科学を世界最先端に押し上げていくための重要な条件ではないだろうか。

 その意味でもはやぶさ2がどうなるかは、要注目なのである。

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Comments

はやぶさのカプセルから見つかった微粒子が数十個になったという報道がありました。ここまでは想定内ということなのでしょう。ひとつひとつの検査の結果も待たれますが、その前にA室とB室のサンプルの数の集計を知りたいです。サンプル数に極端な差があれば、イトカワのサンプルが入っている可能性が高いでしょうから。第一回目のサンプルが収められている可能性のあるB室の調査が楽しみです。

プロジェクトの規模を度外視して例えるなら、はやぶさはアポロ11号、はやぶさ2はアポロ15号に相当する。
小惑星に行って安全に戻ってこられる、それをはやぶさは実証してくれた。少なくともそうなるためには何が不可欠なのかを示してくれた。
理学的な成果を挙げるために必要な基本的な技術はもうそこにある。それを今使わずに散逸させることこそ、最大の無駄遣いだろう。

松浦さんのようなジャーナリストがいらっしゃることを頼もしく思います。
微力ですが私も「はやぶさ2」嘆願書名をいたしました。
まずはできることからですね。

毎日、執筆されるとのことですので、私も毎日見に来ます。

大変かと思いますが頑張ってください。

いつの間にか、理学、工学を語るサイトになっていて驚きました。しかも分け隔てている、、、大好きなサイトだったんだけど。
ここには実際に研究に携わっておられる方はいらっしゃいますか?もっと何かください。すみません。場違いかも。
オーナー様、迷惑なメイルですが、言いたいことはうなるほどあります。直接メイルください。

 理学と工学というお話ですが、将来を考えるなら少し広く考えてはどうでしょう。業界の外に視点を移せば見えることもあるものです。

 たとえば、今はテレビでワールドカップサッカーをやっていますが、おもしろいことに日本と海外とではクローズアップ画面が全然違うそうです。
日本の放送の画面は、ボールの動きを追って画面をクローズアップする。それに対して海外の放送は、選手の表情を追って画面をクローズアップする。
同じスポーツ、同じ試合でも、日本と海外では見るところ見たいところが違うのです。
こういうことを理解すれば、日本での宇宙開発の取り組み方も自ずと定まるものでしょう。

 海外では、自らの研究で自ら成果を上げれば、サッカー放送のように研究者がクローズアップされ予算もつくかもしれません。
しかし、同じやりかたを日本ですれば、見るところ見たいところが違うのですから、いくら成果を出しても科学離れは進み、どんなに予算を切りつめても予算は削減されてしまいます。

 日本人は、ボールの動きを追うように宇宙をクローズアップするのです。
自らの研究のための研究ではなく、宇宙を感じさせる研究が求められ、宇宙を感じさせた研究者が評価され、宇宙を感じることができるであろう仕様に対して次の予算がつく。
はやぶさが高い評価を得たのも、人々が宇宙を感じたからではありませんか。
人々は宇宙を感じることができたから、感想をそれぞれの作品に表現し、関係者を高く評価したのです。

 職業としては海外方式のほうが楽なのかもしれませんが、海外方式を日本に持ち込んで科学離れを憂い予算削減を嘆くほど愚かなことはありません。
人類はなぜ宇宙開発をするのかという本質を考えれば日本式のほうが正しいのですから、理学工学どちらでも、自分の殻に閉じこもらず日本式を理解し、国民に宇宙を感じさせることを念頭に仕事を進めてほしいものです。

昨夜、投稿させて頂き、あらためて過去のログを拝見いたしました。とんでもない勘違いをしていることに直ぐ気がつき、お詫びの投稿をしようとこれを開いたら丁寧なご解説をくださっていることにすごく感激しました。私は大阪市内で某ショップで働く女子店員ですが、はやぶさ帰還に凄く興味を持ち、ここに辿り着きました。
今後もたくさんお勉強させていただきたいと思います。
場違いなコメント、失礼いたしました。

そういう意味では、「宇宙研の規模と比較して図体が大きすぎ、1トン級の衛星が打ち上げ対象になってしまうので打ち上げ間隔が空いてしまう」M-Vが退役して、日本の唯一の打ち上げ手段がH-2Aとなり「2トン級の大規模な衛星が打ち上げ対象になってしまうのでより一層打ち上げ間隔が空いてしまった」のは皮肉な話ですね。
往年のISASは組織として自律性があったので、多分、ISASがそのままだったなら、今頃、現状のM-Vのコスト削減を図り、複数ペイロード搭載を可能としているはずだったと思います。
今のISASの規模を考えると、例えロケットを自由に手に入れることが出来たとしても、1トン級の衛星と500kg級の探査機が適正規模だと思うんですが。

理学と工学。日本的なまとめ方ですね。物理の名の付く学会として、日本物理学会(理学系)と応用物理学会(工学系)の二つが独立に存在するのは日本だけです。相互に交流するプログラムを双方の学術講演会でアレンジしたり、両方に参加している人がそこそこいたり、物理系から工学系に転身してきたり、別々に活動していても互いに気にしているところが遠慮深いというか、日本的だなと思います。自分は企業にいて工学系に身を置く研究者で、かなりしっくり来るお話しでした。

似たような話に理論屋と実験屋という話があります。米国でノーベル賞研究者を輩出した今は無きAT&Tベル研では、理論屋と実験屋がペアを組んで大きな成果を出していたことは良く知られています。
この話は、自分の得意領域と他人の得意領域をすり合わせた、境界領域で大きな成果が出やすいということを言っていると思います。故事では三人寄れば文殊の知恵です。
宇宙の研究もこれと似たようなことがあるのですね。発表する学会誌も違うでしょうし、読ませたい相手も違う。おもしろいと思いました。


ただ宇宙の研究も色々とこう話題になってくると、利権も絡んで総論賛成各論反対のようなまとめにくい状況になってくると思います。今までと違って、オープンな場での議論が求められる時代になってきたのは間違いないですね。異なる得意領域の研究者が集う時には、境界領域の相互理解と調整が出発点として必要ですので、今まで何となく決めてきたことをちゃんと討論して決めていく必要はあるのでしょう。

私の研究分野では、マーケット主導で否応無しのグローバル化、オープン化が進展しており、急に昨日のライバルと手を組んで今より先を目指すことが求められたり、逆にテーマによっては突然お払い箱になったりということが起こっています。これを、ピンチと考える向きもありますし、逆にOpen Innovationの環境を実現しようという動きや、従来と異なるアプローチへのチャレンジも活発になってきました。

ちょっとまとまりが無くなってしまいましたが今まで、「できないことを実現するのが研究(工学)」だと思って仕事してきました。「わからないことをわかるようにしてくれる研究(理学)」には大きく期待しています。ウォッチしていたいと思います。

すみません。私が理学、工学どうこうと言ったのは、皆さんほど深い思慮は無く、友人が博士課程で、「電子物理で博士取得」と聞いたから。国立大らしいです。
それで、彼のお仕事を聞いてみると(勤務先の情報はありましたが)、まさに工学系って感じだったんです。工学博士だそうです。文系の私には、あれっ?て感じで。
難しいですね。理学、工学の解釈って。

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