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2013.04.28

佐村河内守「交響曲1番」の次に聴くべき交響曲を選ぶ

 先だってのNHKドキュメンタリーに合わせるかのように、CDショップにはコロンビアが配布した佐村河内守のポスターが張り出されるようになった。こんなページもできている。交響曲1番のコンサートは追加公演決定というクラッシックの世界で異例の盛況となっているそうだ。クラシック系作曲家の集中プロモーションとしては大成功したと言えるだろう。

 Twitterで書いたけれど、この交響曲の意味は、古い後期ロマン派のイディオムでコンサート全体を使うような巨大な交響曲を書いても、本気で一心に取り組めば現代の聴衆の心に届く可能性があるのを示したところにある。
 もちろんリスクは大きい。そんなことをすればそもそも演奏する機会を得るのが至難になる。誰が知らない聴いたこともない作曲家の80分もある新曲を聴くために何千円かを払うか(私のような物好きは払うかも知れないが)。
 「ドーリアン」初演のすっからかんの東京文化会館大ホールを知っている者としては、よくまあ(収入的に)危ない橋を渡って、渡りきったなあとしか言うほかはない。もちろん作曲者にはそうしなければならない強迫観念に近い内面的理由があったのだろうし、内面の声に従った結果が、いくつかの条件が重なって現状となったのだろう。
 しかもこれは出発点であって、この先作曲者本人は作品を持って「自分が本物である」と証し続けねばならない。聴衆の望む方向と作曲者の望む方向が乖離することだってあるだろうし、どんどん作品が長くなっていって、ついには誰も聴かなくなる可能性もあるだろう(ソラブジのように!!)。茨の道は続くのだ。

 ロートル現代曲ファンとして、ここでは「佐村河内の曲で、日本人の手による交響曲が存在し、しかも聴いて面白い」と知った人向けに、次にこの曲を聴いたらいいよ、と示そう。明治以来の積み重ねで、日本人の曲でも面白いものはいっぱいあるのだから。
 以下、佐村河内守「交響曲1番」の次に聴いてみたい邦人の手による交響曲を紹介する。もちろんセレクションは私の独断と偏見であり、タイトルになんらかの形で「交響曲」と入っていることを前提条件とした。CDは演奏が良く、手に入りやすいものをこれまた独断で選んで掲載している(そもそも録音が一種類しかない曲も多いが)。

 「佐村河内の交響曲1番は素晴らしい」と思ったあなた。あなたは今や、過去100年以上に渡って我らが同胞が積み上げてきた傑作の森の入り口に立っているのです。



その1 定評ある名曲を聴きたい


矢代秋雄:交響曲

 矢代秋雄(1929〜1976)は、戦後日本第一世代で、黛敏郎と共にその傑出した才能を生前から認められた巨星である。ただし47歳の若さで夭折したこともあり作品数が極端に少ない。十代の頃はそれこそ一日ピアノ曲一曲というようなペースで作品を書いていたそうだが、乱作を諭されて本人曰く「鯛の目の肉を集めてカマボコを作る」ように推敲に推敲を重ねるようになった。数少ない作品はその全てが傑作であり、日本を代表する作品となり得ている。

 矢代が残した唯一の交響曲は1958年の作。スケルツォとアダージョを挟む4楽章制という、古典的な交響曲の形式を忠実に守りつつ、斬新なリズムと和声が全体を彩る。特に2楽章スケルツォの特徴的なリズム(獅子文六「箱根山」の太鼓の描写から着想されたそうだ)が有名だが、第1楽章や第3楽章の神秘的な響きや、第4楽章の大胆なオーケストレーションも魅力的だ。第1楽章に出現するモチーフが全体に統一感を与えている。





伊福部昭:タプカーラ交響曲

 矢代より一つ上の世代の伊福部昭(1914〜2006)の手による唯一の交響曲。一般には「ゴジラ」「ラドン」などの東宝怪獣映画の映画音楽で有名だが、映画音楽、コンサート用音楽を問わず一生を通じて作り出す音楽がぶれることなく一貫していたという点で希有の存在だった。どれを聴いても、どこを切っても伊福部昭。しかしそのたたずまいは単なるマンネリズムではなく、深く血脈に根ざした安定感に溢れている。

 タプカーラ交響曲は1954年作、現在は1979年の改訂版が演奏されている。古典的交響曲と異なりスケルツォのない3楽章の構成をしている。タプカーラとはアイヌ語で「立って踊る」の意。その名の通り、1楽章と3楽章はパワフルで律動的なタテノリの音楽——いや、タテノリなんて軽く言ってはいけないのだろう。静かに心に沁みる第2楽章とも合わせて、深い深い伝統の奥底から天空の果てに至るまでを垂直に貫く傑作である。





黛敏郎:涅槃交響曲

 黛敏郎(1929〜1997)は一般に「題名のない音楽会」司会の右翼の人、として記憶されているようだが、冗談じゃない。矢代と並んで戦後の日本の音楽を牽引した大スターだった。矢代がアカデミズムの領域に留まったのに対して、サンバ、マンボ、ジャズ、ルンバから前衛にいたるまでなんでもござれ、交響曲やオペラなどシリアスなコンサート音楽や「天地創造」(ハリウッド進出で坂本龍一に先駆けること21年!)のような映画音楽、結婚式のための「ウェディングシンフォニー」なんて実用音楽も書くし、晩年は新興宗教向け式典音楽も書いた。なんでもできるし、なにを書いても一定以上の水準をあっさりクリアする希有の天才だった。

 その黛畢生の傑作がこの涅槃交響曲(1958)。梵鐘の音響を解析してオーケストラで再現するというアイデアから始まって、全6楽章の壮大な仏教音楽を作り上げてしまった。もっとも聴くにあたっては仏教がどうのこうのととらわれず、壮大な音響の伽藍を楽しむほうがいいかも知れない。「とにかく聴け」というべき作品。黛にはもう一曲「曼荼羅交響曲」(1960)という作品がある。こちらも必聴。





芥川也寸志:エローラ交響曲

 いわゆる4楽章の交響曲の形式を全く踏襲していない交響曲。芥川也寸志(1925〜1989)は、若い時に国交のないソビエトに単身入り込むなど行動派の作曲家だったが、1958年に作曲されたこの曲は、インドのエローラ石窟を訪れた時の印象に基づいている。

全体は初演版は20、現行版は16の「♂」と「♀」の記号の付いた短い楽章で構成されており、♂と♀の断片を交互に演奏していく。初演時は、このルールを守る限り、どんな順番で演奏してもOKという指定だったそうだが、現在は固定された順番で演奏されている。短いモチーフが絡み合い、最後に巨大な岩盤をくりぬいたエローラ石窟を思わせる壮大なクライマックスを構成する。





松村禎三:交響曲1番

 一生を通じて東洋的な生命力に溢れた音楽を追究した松村禎三(1929〜2007)。その半世紀以上の作曲の軌跡における最初の爆発というべき作品。5年以上の歳月をかけて作曲し、1965年に初演された。演奏時間25分ほどの小振りの曲だが、圧倒的かつ巨大な印象を残す。冒頭、木管楽器の細かな音符の繰り返しが積み重なって、マッシブな音響となり、そこに金管や打楽器が加わってどかんと大爆発を起こす様から、無限に続くがごときぬめぬめとした旋律が疾走するラストに至るまで、一瞬たりと気を抜くことができない高密度の作品。この曲をきっかけに、松村は「管弦楽のための前奏曲」(1967)、ピアノ協奏曲第1番(1973)、同2番(1978)と、傑作を生みだしていくこととなった。





その2 佐村河内「交響曲1番」みたいなのを聴きたい


諸井三郎:交響曲3番

 曲の持つ精神的内容では、もっとも佐村河内作品に近いかもしれない。この曲については以前こういう記事を書いた。諸井三郎(1903〜1977)が、太平洋戦争も敗色濃厚となった1944年、自らの死を覚悟しつつ作曲した大作。第1楽章 静かなる序曲〜精神の誕生とその発展、第2楽章 諧謔について、第3楽章 死についての諸観念——というそれぞれに表題を持つ3つの楽章から成る。ドイツに音楽を学んだ諸井らしく、重厚な後期ロマン派の系譜に連なる響きから、生と永遠を希求する感情が立ち上る。





吉松隆:交響曲5番

 時代思潮がどうであれ、己のやりたい音楽をオーケストラを使って書くという点で、佐村河内作品に近い曲。ただし吉松隆(1953〜)は、シベリウスとプログレロックに根を持ち、ロマン派的なところはない。その音楽は真摯さとポップさとキッチュさが、奇妙に混合し、疾走する。精神的には佐村河内からもっとも遠いと言えるかも。2001年作曲の5番は作曲者によれば「ベートーベンの運命と同じく、ジャジャジャジャーンで始まりハ長調主和音で終わる」というコンセプトのもとに書かれたファウスト交響曲。ファウストたる自分、誘惑するメフィストフェレス、愛するグレートヒェンという3つの主題が50分近い演奏時間を通じて絡み合う。最終楽章は、これまた作曲者曰く「ビートルズのヘイ・ジュード」。恍惚の極みの旋律が延々と繰り返され、一瞬愛する者を回想し、ドミソの和音になだれ込む。





原博:交響曲

 時代思潮と関係なく書きたい曲を書くという意味では、この曲も同じだが、原博(1933〜2002)の場合、範とすべきは佐村河内のようなロマン主義でも、吉松のようなシベリウスとプログレでもなく、さらに古い古典派音楽だった。とはいえ、以前にも紹介記事を書いたが、単なる古典派を模した曲ではなく、古典的な端正な形式感の中にきちんと現代性を織り込んでいる。

 佐村河内作品と同様に重々しく内面的な第1楽章から始まるが、最後に重厚なコラールで救済をうたう佐村河内作品に対して、原の第4楽章はあくまで快調にアレグロでラストまで走り抜ける。リズミカルな快速走行が一瞬悲しみに陰るところで、秩父音頭が引用されるのが印象的。





その3 せっかく邦人作品を聴くのだから、いわゆる西洋の名曲とは毛色の違う交響曲を聴いてみたい


山田耕筰:交響曲「かちどきと平和」

 日本人の手による最初の交響曲(1912年作曲)。西洋の音楽を急速に学んだ日本人が、20世紀初めの段階で、どの程度自家薬籠中のものにしていたかを示す指標のような作品。聴き所は、山田耕筰26歳の若々しくも瑞々しい感性だろう。後年、山田は「長唄交響曲」という長唄にそのまんまオーケストラの伴奏を付けるという曲を3曲も発表しており、そちらも同じナクソスのCDで聴くことができる。





橋本國彦:交響曲1番

 太平洋戦争中、中学生の矢代秋雄と黛敏郎が師事していた先生が、橋本國彦(1904〜1949)だった。戦前・戦中の音楽界の大スターで、オーケストラ曲から歌謡曲の作曲に至るまで幅広い分野で活躍した。交響曲1番(1940)は、皇紀2600年奉祝曲のひとつとして作曲、初演された。堂々たる構成と優雅な旋律美が特徴で、大澤壽人の交響曲2番(1934)や、諸井三郎の交響曲2番(1938)などと共に、山田耕筰から30年を経ずして、日本人作曲家の到達した水準を示す曲といえる。第2楽章が琉球風の音階に基づいた旋律を繰り返すラヴェル「ボレロ」風の音楽であるところが面白い。戦後は、戦争中の体制協力が災いし、半蟄居状態のまま44歳にして病没する。今一度、その作品の発掘と評価が必要な作曲家の一人である。





三木稔:急の曲——2つの世界のための交響曲

 三木稔(1930〜2011)は、日本音楽集団の創設に参加し、邦楽器と西洋楽器の世界を股に掛けて活躍した作曲家。「急の曲」(1981)は、ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団からの委嘱で作曲された。「2つの世界のための交響曲」という副題の通り、通常の3管編成のオーケストラと日本音楽集団の邦楽オーケストラというべき編成の邦楽器群が、あるいは拮抗しあるいは調和して華やかな音楽を繰り広げる。三木には「序の曲」(1969)、「破の曲」(1974)という作品もあり、作曲者はまとめて「鳳凰三連」と題している。




その4 番外編:交響曲というにはちょっと違う……しかし面白い


伊福部昭:ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲

 1941年、伊福部26歳の若さ一杯、元気いっぱいの野心作。戦争で楽譜が消失したと思われていたが、1997年にNHK交響楽団の倉庫でパート譜が発見されて復活した。タイトルこそ協奏風交響曲だが、実体はピアノ協奏曲に近い。作曲者の若さが全面的に爆発する音楽だ。戦後、この曲が失われたものと判断した伊福部は、使用したモチーフを再度つかって2曲を作曲する。タプカーラ交響曲(1954/1979)と、「ピアノと管弦楽のためのリトミカオスティナータ」(1961)である。この曲の土俗的側面がタプカーラ交響曲に、メカニカルでリズミカルな側面がリトミカオスティナータにと分割されたといってもいいのかもしれない。同じCDに収録されている「 ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲 」も傑作。特に「巨大な悲しみが行進する」と評される第2楽章は涙なしに聴けない。




松下眞一:シンフォニア・サンガ

 松下眞一(1922〜1990)は、数学者であり物理学者でありその一方で前衛的技法を駆使する作曲家でもあった。キャリアの後半は仏教に傾倒し、仏典に基づくカンタータなどを作曲している。シンフォニア・サンガ(1974)は、彼の第6交響曲に相当する作品。サンガとは「僧伽(そうぎゃ)」、すなわち仏教修行者の集団を意味する。その名の通り純粋な器楽曲としての交響曲ではなく、独唱、合唱、邦楽器なども交えて、釈迦とその周囲の人々を扱った一大カンタータといえる作品。ただし、黛敏郎とは異なり、響きに仏教っぽいところはまったくない。むしろ前衛の時代を通じて身につけたのであろう、全天に星が飛び散るかのような華麗なオーケストラの響きが詰まっている。そんな美しい音響と、サンスクリット語の異国的な響きの絡み合いが楽しい作品である。





柴田南雄;交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」

 柴田南雄(1916〜1996)は、一般的には作曲家としてよりもNHK-FMの解説者としての顔のほうが知られているかも知れない。祖父、父ともに化学者で東京帝国大学の教授という裕福な家庭に生まれ(自伝を読むと、そのおぼっちゃん振りに腹が立ってくるほど!)、本人も植物学を専攻するが諸井三郎に音楽を学び、作曲の道へ進んだ。作風は叙情的なものから、前衛へと転じ、合唱曲「追分節考」(1973)から様々な素材を知的に組み合わせるコラージュ的なものへと変化した。

 交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」(1975)は、第3期を代表する大作。鴨長明の「方丈記」をテキストに、昭和初年から作曲時の昭和50年までの時代の流れが、様々な引用によって重ね合わされる。同時に、古典派からロマン派、現代へと楽章が進む毎に音楽の時代様式が下って現代的で複雑なテクスチュアになるという——言ってみれば「交響曲で追う交響曲の歴史」のような趣向も凝らされている。演劇的要素も含み、昭和という時代を多面的に回顧するシアターピース的な作品。


 このようなセレクションをすると、おそらくは團伊玖磨(交響曲を6曲作曲した)はどうした、とか、別宮貞雄(同5曲)は入らないのか、あるいは最近リバイバル著しい大澤壽人(同3曲)はとか色々異論はでるだろう。池辺晋一郎(同8曲)は。一柳慧(同8曲)は、という人もいるだろう。

 もちろん分かっているけれども、ここでは佐村河内の曲の次に聴く一曲ということで割愛した。

 色々な意見がネットに載るほうが面白いので、是非とも異論のある方は自分のセレクションを公開してほしい。

 ちなみに、こういうページも存在している。

かたより交響曲道(日本人):なかなかすごいページで、邦人の手による交響曲をほぼ完全に網羅しているかも。



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