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2013.06.26

ペンデレツキの交響曲1番

Penderecki01

 前の記事でちょっと書いた、ペンデレツキの「交響曲1番」のレコードを棚から引っぱりだしてみた。このレコードが出た時点で、ペンデレツキはまだ2番を作曲していないので、アルバムジャケットは単に「Symphony」となっている。
 確か買ったのは高校1年(1977年)の6月か7月だったはず。透明感あふれる青を基調としたジャケットに惹かれて購入したのだった。もちろんその前に、中学の図書室にあった音楽之友社の「世界名曲全集」でクシシトフ・ペンデレツキの名前は「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(1959-1960)の作曲者として知っていた。本当は「広島…」を聴いてみたかったのだけれど、「広島…」より後の作品だし、何しろ「交響曲」だし、と中味を試聴することなく買った。

 ポーランドは第二次世界大戦後、政治面では社会主義リアリズムを標榜するソ連の影響下にありながら、音楽面では前衛的手法を駆使する作曲家を輩出した。彼らはまとめて「ポーランド楽派」と呼ばれたが、ペンデレツキは、ヴィトルト・ルトスワフスキと共にその代表格。トーンクラスターをを駆使したマッシブな音響の音楽を展開して有名になった。
 トーンクラスター(Tone Cluster)というのは、手のひらでピアノの鍵盤を叩いたような半音ないし全音が詰まった音の固まりの事。楽譜に書くと音符がぶどうの房(Cluster)のようになることから、このように呼ばれる。音楽史的には効果音的使い方はルネサンス期から散見されるそうだが、ペンデレツキは、楽譜に黒く塗りつぶした帯をかき込むという記譜法を考案して、1960年代から1970年代にかけて、「クラスターだけで出来た音楽」の可能性を追求した。

 実際の音はこんな感じ(広島の犠牲者に寄せる哀歌)。






 あまり聴きやすいとは言えない。

 その集大成とも言えるのがこの「交響曲1番」。だから、現代音楽に興味を持って間もない高校生に理解できるような代物ではなく、「ペンデレツキの交響曲は訳分からない」「訳分からないレコードに大枚突っ込んじゃった」という記憶のみが残ったのだった。当時LPレコードは2000円以上したから、1枚買うのも大変な決心が必要だったのである。
 それが、35年以上を経て、デジタル化で「なんと面白い曲だ」となるのだから、人生分からないものだ(そんな大げさな話でもないが)。

Penderecki02
 ジャケット裏の解説は佐野光司氏。ペンデレツキのヒゲが黒い!(Wikipediaにあるように、今は真っ白。過ぎ去った時間を考えれば当たり前)。

 この交響曲を書いた後、ペンデレツキの作風は大きく変化し、ロマン派に近い柔らかい響きが主調となる。次の交響曲2番「クリスマス」(1979)は、「きよしこの夜」の引用を含む宗教的雰囲気の濃い曲だ。NHK FMで2番を聴いた時には、1番とのあまりの違いにびっくりした。その後ペンデレツキは現在までに8曲の交響曲を作曲している。

Chiyamalogo
 ちなみに、このレコードはかつて茅ヶ崎にあったレコード店「CHIYAMA」で購入した。サザンオールスターズの桑田佳祐が高校生の頃に通い詰めていたことで伝説となった店だ。サザンの「MY LITTLE HOMETOWN」には「夕方CHIYAMAに集合!」という一節がある。当時CHIYAMAは、茅ヶ崎駅近くの、これまた今はなくなった大踏切の近くに店を構えていた。
 店主さんは、かなりの趣味人で、さほど大きくない店に小さいながらきちんと現代音楽の棚を作ってくれていた。随分色々なレコードを買ったものだ。そのCHIYAMAも東日本大震災後の2011年夏に閉店した。

 ともあれ、音楽が必死になって求めなければ聴けなかった頃の話である。

2013.06.24

USBアンプを導入する

Usbdac1_2 すべてのCDをパソコンに取り込んでからはや5年——と切り出しておいて全くの余談、この記事を読んで思いだしたが、自分は1990年頃から昨今流行のデジタルノマドの概念をもてあそんでいたのだった。俺、偉い!…が、流行にできなかったあたりは全然偉くない。

 今はiPodはほとんど使っていない。そもそも出先で音楽を聴く習慣がなく、結局根付かなかったためだ。現在はメインマシンのMacBook Proに外部スピーカーを接続して音楽を聴いている。

 話を元に戻して……その後2つばかり変化があった。まず、音楽再生プレーヤーを導入した。iTunesはOS組み込みのQuickTimeコンポーネントを使って音声を再生している。オールデジタルなだけに音が悪いわけではない。しかし、オーディオマニアがそれに満足するはずはなく、QuickTimeからデータを横取りして独自のアルゴリズムで音声データを処理してアナログ部に流す独自プレーヤーソフトが存在する。
 最初に知ったのはBitPerfectだった。これは衝撃的だった。たった850円のソフトを入れるだけで音質がぐっと良くなるのだ。データ処理でこれだけ音が変わるのかと感激し、あれこれ設定パラメーターをいじり、しばらくはそれで満足していた。
 第二のショックは、Audirvana Plusを知ったことだ。BitPerfectがクリアで地味な音を出すのに対して、Audirvana Plusはメリハリが効いた立体感のある音を出す。現在、MacOS XではAudirvana Plusがオーディオマニアにとってデフォルトの再生ソフトとなっているそうだが、それもうなずける音の良さだ。
 かくして、BitPerfectとAudirvana Plusを使い分けるようになったが、一つ問題が発生した。これらのソフトは、iTunesと連動してiTunesの管理する音声ファイルデータをQuickTimeから横取りする形で処理する。つまり、音楽を聴いている時にはネットの動画像のような再生処理にQuickTimeを使っている作業はできないのだ。音楽を聴いていて、ではちょっとYoutubeを見るかと思っても、まずBitPerfectをdisableにするか、Audirvana Plusを終了するかしかなかった。


閑話休題

 USBアンプというものがあって、これを使うとMacBook Pro内臓のアナログ回路よりもずっと良い音が出るということは知識として知っていた。その威力を知ったのは、知人がSONY PHA-1の試聴をさせてくれた時だ、PHA-1は持ち歩き可能な、携帯音楽プレーヤ向けのUSBアンプだが、使って見て文字通りひっくり返った。音の抜けがぐんと良くなるのだ。オーディオの世界はオカルトじみた話がいっぱいある。が、ことUSBアンプに関しては一応理屈は通っている。デジタル信号をアナログ信号に変換する際、様々なタスクが並行で走っているパソコンではタイミングがずれることがある。しかし変換作業専門のUSBアンプならば、そのようなことはない——と。

 なんとか自分の再生環境にUSBアンプを導入したいものだと思って機会をうかがった。デジタル機器だから、値段に比例して音が良くなるというものでもない。とすれば、まず一番安いUSBアンプを導入して、音がどう変わるかを楽しむのがいいだろう。

 この5月、チャンスが訪れた。ステレオサウンド誌「DigiFi No.10」が、USB DAC付デジタルヘッドフォンアンプを付録に付けて発売されたのだ。価格は3300円。雑誌付録ということを考えればUSBアンプの原価は数百円だろう。自分が求める一番安いUSBアンプとして丁度良さそうだ。USBバスパワー駆動なので電源も不要だ。こっちもきちんとデジタルオーディオの知識を蓄積しているわけではないから雑誌の記事も無駄にはならない。
 というわけで発売と同時に、買い求め、あれこれ使ってみたのである。ちなみに、私の再生環境は、もう四半世紀も前に買い求めたローランドのDTM用モニターMA-12を使っている。素晴らしく音が良いわけではないが、シンセ生演奏を考慮した2系統入力と癖のない内臓アンプ、2系統独立のボリュームを持つなかなか使いやすいモニターだ。

 結論から言うと、USBアンプを使った場合、パソコン内蔵アナログ音声出力と比べると音がシャープになる。鳴っている個々の音がはっきり分離して聞こえるようになる。が、全体として音質が劇的に向上するわけではない。再生ソフトを取り替えた時のほうが、音質向上は著しかった。
 ただしUSBアンプを使うと音の立体感が劇的に向上する。オーケストラなら各楽器のセクションの定位だけではなく、その楽器の何番が演奏しているかすら聞き分けられそうなぐらいなまで、空間方向の音の分離が良くなる。様々な音源を聴いてみたが、やはりというかオーケストラ曲での効果が大きい。3300円の投資で、ここまで音が良くなるのだから、良い買い物をしたと思う。
 USBアンプを通して聴いていると、音響系というか、複雑で派手に音が響く曲が非常に面白く聴ける。
 個人的にはクシシトフ・ペンデレツキの「交響曲1番」が面白く聴けたのが衝撃だった。いずれ詳しく書くかも知れないが、過去記事の「音楽の記憶をたどる」でまとめた中学三年生の頃、この曲のアナログレコードを一大決心をしてジャケット買いしたあげく、全然理解できなくて絶望したことがあるのだ。その後、CD時代になってから、同じ録音のCDを苦い記憶の記念として買ったものの、そのままほったらかしにしていたのだった。なにしろ、「広島の犠牲に寄せる哀歌」あたりから始まったペンデレツキのクラスターばりばり音群作法が頂点に達した作品だから、中学生が頭を抱えるのも無理はなかったのだけれど。
 それが、かつてのアナログレコードでは考えられないシャープな音質で聴くと、けっこう面白いのだ。「ああ、この曲をきちんと理解するには、いい音で聴かねばならなかったのだ。アナログレコードではそれだけの良い音を再生できなかった(できたのかも知れないが、少なくとも自分の使える再生環境では無理だった)のだ」と思った次第。
 オーケストラ曲や、多数の楽器が絡み合う大規模室内楽(ベルクの「室内協奏曲」とか、シェーンベルクの「室内交響曲1番」とか)は、もはやUSBアンプなしでは聴く気にならないほどだ。ピアノ曲も悪くない。おもわずソラブジの「オプス・クラヴィチェンバリスティクム」(オグドン演奏)を通して聴いてしまった(4時間近くかかるのに!)。
 ロック系も、音に気を遣っている曲は、かなり気分良く聴ける。ピンクフロイドの「原子心母」など。
 残念ながらあまり変化を感じないのが、最近のビートの効いたアニソン。マスタリングの時にコンプレッサーを効かせて音圧をぎりぎり上に張り付かせているからだろう。それでも、バックのシンセが、はっきり分離して聞こえてくるのは気分がいい。

Usbdac2_2 もうひとつ、USBアンプを入れたことで動画再生との両立も解決した。Audirvana Plusの出力をUSBアンプに設定、QuickTimeの出力を内臓オーディオ出力に設定し、モニターのMA-12の2系統入力にそれぞれつなぐのだ。出力デバイスの取り合いが解決し、音楽を聴いて原稿を書いている時に、ちょっと調べ物ををして動画を再生ということが可能になった。
 この雑誌付録のUSBアンプ、基板むき出しでケースがない。雑誌ではケースが通信販売になっていて、結構な価格が付いている。「そうか、そういうビジネスか」「そもそもオーディオ製品の原価ってそういうものか」と思いつつ、結局あまりに綺麗で捨てるに捨てられずにとってあったiPhone3GSのケースを使うことにした、縦方向が余るが横幅サイズはぴったりだ。
 安いだけあって、再生出来るのはCDクオリティの音声ファイルまでだが、当面はこのまま使うつもり。いずれ、ハイビットレートの音楽ファイルを聴きたくなったら、買い換える予定である。

注記:USBアンプ、と書いたが、実際の機能はデジタル/アナログ変換なので、USB DAC(Digital/Analog Converter)と呼称するほうがより正確だろう。ただし最近の製品は増幅機能も付いてUSBアンプ、USBポータブルアンプと呼ぶものも多い(付録基板も然り)。というわけでここではUSBアンプと記述した。

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