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2013.07.21

「風立ちぬ」を観てきた

 昨日、封切り初日初回の「風立ちぬ」(宮崎駿監督)を観てきた。宮崎駿が航空機ネタで一本作るとなれば、これは観に行かねばならない。
 まだ観ていない人も多いだろうから、ネタバレは避けて自分の見立てを書くならば、「風立ちぬ」は「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)と、今回主役の声も担当した庵野秀明監督の最初の「エヴァンゲリオン劇場版」の、宮崎駿による再話である。そのココロは三本とも監督の内的心情で構成されたプライベートフィルムだということ。
 全くお子様向きではないが、大人なら見て損はないと思う。

 以下は事前情報ともなりうるので、トップページからはリンクで隠すことにする。

 

 念のため、事前情報回避のための空白を入れておく。


































 以前、「ゲド戦記」は生煮えのプライベートフィルムだと書いたことがある。その後宮崎吾朗監督は、「コクリコ坂から」で職人的に映画を作る力量があることを示し、生煮えプライベートフィルムの負債を半分返した(残る半分は「真に傑作と呼ぶに値する映画を作る」ことで返さねばならないだろう)。
 新世紀エヴァンゲリオンの劇場版、特に「Air/まごころを、君に」を、私はプライベートフィルムの傑作だと考えている。時に狂気に崩れ落ちかける表現の危うい橋を渡りきったラストが、シンジとアスカというアダムとイブだけの黙示録的な始まりの世界であること、さらには新たな世界の始まりであるべきラストに起きるのが悲劇を予感させる絞首であり、「気持ち悪い」というセリフであるあたり、庵野監督の当時の偽らざる実感なのだろうと思う。あの「気持ち悪い」は、人間存在そのものに向けられたものとするなら、それはサルトルの「嘔吐」そのものだ。

 「風立ちぬ」も、主人公の堀越二郎は宮崎監督自身の投影だ。冒頭の近視を苦にする描写や、「目が悪くてパイロットになれない」という語りは、多分に監督自身もそういう感情を持ったことがあるのだろう。これは視力に問題がある飛行機マニアは誰しもが抱く感情だ。
 勘ぐりに近い想像だが、宮崎監督もまた、視力でパイロットを諦め、エンジニアを目指そうと夢想した時期があったのではないだろうか。堀越二郎は、「こうありたかった自分」なのかも知れない。
 だから、映画「風立ちぬ」では、堀辰雄の小説「風立ちぬ」を持ってきて、実在の堀越二郎の人生には存在しなかった、“理想の悲恋”を主人公に与える。それは、実在の堀越が経験した飛行機設計という仕事が戦争によって挫折する過程にも重なるし、同時に飛行機に係わる人生を選ばず、アニメーションの仕事に進んだ監督の内部に巣くっていた(であろう)「飛行機を仕事に出来なかった自分」という鬱屈にも繋がる。
 ただし練達の監督は、それを生煮えのまま提示することはしない。宮崎アニメは「千と千尋の神隠し」以降、物語の一貫性が薄れ、連想によって脈絡がぎりぎりで繋がるようになった。私は個人的に「夢の様式」と形容しているが、「風立ちぬ」もまた、全体を意図的に夢のような雰囲気で統一している。その雰囲気は特に、幼い二郎が観る夢を描く冒頭から、関東大震災を大仰なディフォルメで表現した冒頭30分ほどまでで顕著である。

 その一方で実在の人物をモデルにする以上、夢の様式のみでは済まない。後半、二郎とヒロイン菜穂子の恋愛に主眼が移行すると、物語は夢を脱して現実に近づく。何度となく繰り返される2人のキスシーンは、美しく、切なく、そして肉感に溢れている。
 黒川夫妻と渡邊という、まともな社会人として生きる大人が宮崎アニメとしては久しぶりに登場するのも特筆すべきだ。「もののけ姫」以降、なぜか宮崎アニメではそれまで必ず登場していた「真っ当な大人」の存在が薄くなっていく。登場しても「千尋」の釜爺や銭婆のような奇妙に変形した姿で描かれるようになり、ついに「崖の上のポニョ」では、グランマンマーレのような象徴的存在に押し込められてしまっていた(宗介の母のリサがまともかといえば、肝心なところで宗介の育児を放棄しているのであれは全然まともではない)。それが、「風立ちぬ」では復活し、きちんとストーリーに係わってきている。
 夢の野原でのラストシーンは涙ものだ。プライベートフィルムとしては、このラストがあるだけで十分だろう。

 が——と、ここからは感じた違和感を書くわけだが——飛行機を主題にするにもかかわらず、この映画の中で飛行機は空高くどこまでも飛ばないのだ。最後の最後まで、地を這うようにして飛び、何度となく墜落する。宮崎監督は何か飛行機に恨みでもあるかのように、高く飛翔させることを拒み、意地悪く飛行機を墜とす。映画全体の印象がすっきりしないのは、まさにこの飛翔の不足に起因する。
 それが、映画の中でも繰り返される「飛行機という戦闘機械にあこがれる自分への憎悪」から来るものなのは明らかなのだが——それは、72歳にもなってこだわるべき部分なのだろうか。「風の谷のナウシカ」のマンガで、あれほど残虐な戦闘シーンを描き、「天空の城ラピュタ」では人をゴミのように落下せしめた人が、今になってなぜ「戦争は嫌い」と格好を付けるのか。
「諸君、私は飛行機が好きだ。大好きだ。銀幕の上に展開するありとあらゆる戦争アクション映画が大好きだ」と言い切って、ばんばん飛行機を空高く飛ばせばいいのに。戦争を描くのが本当に嫌いなら、堀越二郎を扱うべきではない。戦争と関係ない航空アクションの題材はいくらでもある(例えばアムンゼンとノビレが繰り広げた北極の空の確執など、是非とも宮崎アニメで観てみたい)。

 題材の選び方と描き方に、なにか「飛行機が大好きだけれど、戦争機械たる飛行機が大好きな格好悪い自分を世間に晒したくない」というええかっこしいの態度を感じてしまうのだ。
 もういいじゃないか、宮崎監督が飛行機も戦争も大好きなことは、もうみんな知っていることなのだから(でなければ「モデルグラフィックス」なんて“戦争機械の模型の作り方を事細かに解説する雑誌”に連載を持つ理由がない)。

 「風立ちぬ」というタイトルは堀辰雄の小説にちなむが、その小説もまたポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”(風立ちぬ、いざ生きめやも)からの引用である(映画でもこの詩句の朗読が入る)。後半の「いざ生きめやも」は、この映画のコピー「生きねば。」につながるわけだが、実は「生きねば。」には書かれていない前半がある、というのが私の見立てだ。すなわち「夢破れても、生きねば。」。監督にとって「破れた夢」とは、飛行機を操縦する自分、飛行機を設計する自分なのだろう。

 

#オマケその1
 「生きねば。」のキャッチフレーズで自分が思い出したのはアーノルド・シェーンベルクが第二次世界大戦中に作曲したピアノ協奏曲(1942)の楽譜に書き込んだメモだった。

Life was so easy
Suddenly hatred broke out
A grave situation was created
But life goes on
(気楽だった人生に
突如憎しみが巻き起こり
悲しむべき状況となった
しかし人生は続く)

#オマケその2
 自分なら、堀越二郎ではなく、土居武夫を主人公に据えるだろうな。頑固フォークト親爺の下での丁稚奉公から始めて、キ60/61の成功、工業技術及ばず首ナシでならぶ飛燕、そして五式戦へ。当然サナトリウムな悲恋はなしで、描くは息の合った夫婦の展開する夫婦漫才でしょう。

##オマケその3
 ラストに松任谷由実19歳の時の作品(荒井由実名義)「ひこうき雲」(1973)がかかる。1954年生まれで八王子育ちのユーミンが、子供の頃に見た飛行機雲といえば、当然立川やら横田と戦場であるベトナムとを行き来する米軍機がたな引かせるものであるわけで——そこまで理解した上でこの曲を選んだとすれば、宮崎監督、とんでもない策士である。

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Comments

ご無沙汰しております。Kimさんの後輩のNです。

堀越氏は、私が技術者になるきっかけとなった方で、他方宮崎氏はカリオストロ以来のファンです。

しかしながら、この企画はあまりに「マニアック」な方向に行ってしまいそうな気がして、それこそ「ジブリは宮崎氏に退職金代わりに『コケてもいいから好き勝手にやっていい企画』としてやらせたのでは」ぐらいの不安を感じていました。

案の定ネットでのコメントは毀誉褒貶の嵐で、まあ「観に行かない」という選択肢は無いものの、観に行くにしてもちょっとおっかなびっくりでした。

さすが松浦さん、ハード系ヒコーキマニアとしての勘所を押さえたコメントありがとうございます。

とりあえず娘(5歳)は連れて行かないことにします。

仕事が一段落したので、ようやく観ることができました。

あちこちで色々な論評や、宮崎氏をはじめとする製作サイドのコメントもたくさん出ているので、あえて私が付け加えるようなことはないのですが、松浦さんのコメントに関して思うところを。

私には、飛行機、とても気分よく飛んでいるように思えました。ただし、その多くは紙飛行機か夢の中の飛行機(飛び方の表現が全く違うところはお見事)でしたが。

確かに夢でも現実でも、飛行機の墜落シーンが多かったことも事実です。しかし、私はこれを飛行機の設計者としての二郎の「恐れ」の象徴と受け取りました。(彼には外皮を通して破断個所が見える!)自分が設計したシステムが正常に動作しないという想像や事実ほど設計者が恐れるものはありません。この表現があってこそ、9試のテスト飛行結果のもたらすカタルシス(哀しかったけど)がよりわかりやすくなったと感じました。

加えて言えば、飛行機が「地を這う」様に飛ぶシーンが多かったことも、二郎がパイロットではなく地面から飛行機をみる「設計者」だから、と感じました。私も高速で目の前をローパスした機体が、ほんの数秒で富士山より高い高度(とナレーターが言っていた)に駆け上がるのをみて、「あんなの作ってみたい」と思った覚えがあります。

「感動した(TT)」とか、「面白かった\(^^)/」という映画ではありませんでしたが(いや、それなりに感動もしたし、大変面白かったのですが)、何年か経ったのち、この映画を観たことで自分の中の何かが変わった、という実感が湧いてきそうな気がする、そんな映画でした。

また、昭和初期の雰囲気(特に高原のホテル)と様々なシーンでの空の表情も大変気に入りました。

ただ、子供にはわかんないよねぇ。これは。

 観ましたか。あれこれの議論を誘発し、誰もが語りたくなるというのは傑作の条件だと思います。高原のホテルでのシーケンスは良かったですね。あそこだけで作っても良かったぐらい…ってそれじゃまるっきり堀辰雄になってしまいますが。

 実は私が一番ひっかかったのは、「あそこまで夢と現実を地続きにする必要があったのか」というところです。関東大震災の描写で、地面が絨毯を波打たせたようになるところとか。

 まあ、ホント子供向きではないです。上映後、周囲を見回したらポカーンとしている子供がけっこういました。

ひとつき程度前に遅ればせながら、アンコール上映で見たけど、最後のシーンなんか痺れましたな!!宮崎駿氏のインタビュー見たら、"今の日本の情勢と類似してる"って言葉出て来てましたな。まあ、でも、極端に悲観したり極端に楽観したりせずに、冷徹な頭を維持することが重要ですな!

話かわりますが、早川書房の"楽観主義者の未来予測-テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする"は傑作でしたな!!

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4152094362/ref=redir_mdp_mobile

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