東峰神社に行ってきた
久しぶりに刀を引き出すと、バッテリーがあがっていた。補水して充電。エンジンも無事掛かったので、思い立って東峰神社に行ってきた。
東峰神社ですぐに分かる方は、飛行機マニアだろう。場所はここ。
そう、成田国際空港のど真ん中である。
こうなるにあたっては、あまりに皮肉な運命の経緯が存在する。
まず、伊藤音次郎(1891〜1971)という名前を記憶に留めてほしい。日本民間航空の先覚者で、伊藤飛行機研究所を設立し、大洋から昭和初期にかけて数々の航空機を世に送り出した。
が、やがて時代は戦争へと傾斜し、1945年の敗戦を迎える。やってきた進駐軍は、航空機研究の一切合切を禁止した。伊藤は54歳にして、全身全霊をかけてきた航空機への夢のすべてを失ったのである。
戦後、かれは千葉県成田に開拓農家として入植した。その時、彼は伊藤飛行機研究所の敷地に建立した航空神社という神社の神様を、そのまま自分の開拓地へと遷座した。航空神社は東峰神社と名前をかえ、開拓地の神様となった。
が、なんということか、1966年になって成田の地に国際空港を建設する話が動き出す。伊藤の開墾した土地はまさに予定地の真ん中にあった。彼は、精魂込めた開拓地を一番最初に売却する。前半生を航空機に賭けた彼には、それ以外の選択肢はなかったのだろう。
しかし、成田の空港建設は、激烈な反対運動が起きて難航する。そして、かつては航空神社であった東峰神社は、反対派にとって空港反対運動の象徴となってしまったのだ。
かくして成田国際空港B滑走路南端に、東峰神社は残ることとなった。神社へのアクセスは両側を高い塀で囲われた道を通らねばならない。さらには常時、警備が配置されており、訪れる者が職務質問を受けることもあるという。
このことを知ってから、私にとって東峰神社は一度は行っておかねばならない場所となった。
横浜新道から、首都高湾岸線、そして東関東自動車道と走れば、わりと短時間で、東峰神社へはアクセスできる。快調に刀の走りを楽しみつつ、午後2時前に到着。
塀、しかも上にはなにかの仕掛け(おそらくは対人センサー)を取り付けられた塀に覆われた神社のたたずまいに声を失う。
神社の鳥居内からアクセス道路方向をのぞむパノラマ画像。 たまたま来ていた地元の人によると、奥に駐車する軽自動車(人が乗ったまま降りてこなかった)が公安さんだそうで、ここに来る車両はすべてナンバーを記録されるとのこと。「公安といっても人次第で、穏やかに話しかけてくる人もいれば、むっつりと何を聞いても答えない人もいる」とのこと。
東峰神社の石碑(神社の名称は東峰だが、石碑は東峯となっている)の裏には、今も航空神社の文字が残る。建屋は伊藤音次郎が遷座した当時のままなのだろうか。小さな神社だ。
私は、いずれこの神社は空港施設内、もっとも人通りの多いところに移して、同時に伊藤など日本民間航空のパイオニア達を顕彰する施設を併設すべきと考えているが、実地に来て、これはこれでいいのかも、と思った。何しろ上をどんどん飛行機が通過する。伊藤の魂が地上にあるなら、案外このロケーションを喜ぶかも知れない。
なにより、成田国際空港を運営する成田国際空港株式会社が、この神社を大切にするかどうか、あまり確信が持てない。反対派も高齢化しているということなので、いつの日かこの場所は空港の敷地となるのだろう。が、その時に政府100%出資という“堅い”会社が、このような過去のいきさつを柔らかくそっと尊重してくれるかどうか、全く自信が持てない。
ならば、ずっとこのまま、神社は頭上をかすめる飛行機を眺める場所であってよいのではないか……そうはいかないであろうことは承知しているが。
機会があれば、この小さな神社に寄ってみてほしい。ここには、時代に翻弄された空へのあこがれと飛行機への夢が眠っている。
神社に寄った後は、航空科学博物館へ。「博物館展示は、見る者が“もういいです、勘弁してください”と言うほど高密度である必要がある」と私は思っているが、その基準からすると悲しいぐらいに薄味の博物館。この敷地一杯の建物が欲しい、そこにがんがん飛行機を集めまくって、これでもかとばかりに展示しても……それでもスミソニアン航空宇宙博物館にはかなわないのだろう。そういう規模。
もしも戦争がなくて、伊藤音次郎らの民間航空勃興の努力が実を結んでいたら、日本はもっと飛行機に寛容な社会になっていたのだろう。当たり前にあちこちに小さな飛行場があって、簡単に飛行機の免許が取得できる社会になっていたのだろう。そうなっていたら、この博物館ももっと大規模なものになっていたのかも知れない。
航空科学博物館から見る、夕日に反映して降りてくる飛行機は、素晴らしかった。
帰りはちょっと寄り道をして首都高経由で東名高速を走る。海老名ジャンクションから圏央道へ抜けて、無事帰着。刀は高速道路が楽しいバイクである。
・民間航空草創期の若き息吹と、皮肉なる運命:裳華房メールマガジン連載「松浦晋也の"読書ノート"
以前書いた、伊藤音次郎を巡る小説「空気の階段を登れ」を紹介した文章。