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カテゴリー「パソコン・インターネット」の55件の記事

2013.06.24

USBアンプを導入する

Usbdac1_2 すべてのCDをパソコンに取り込んでからはや5年——と切り出しておいて全くの余談、この記事を読んで思いだしたが、自分は1990年頃から昨今流行のデジタルノマドの概念をもてあそんでいたのだった。俺、偉い!…が、流行にできなかったあたりは全然偉くない。

 今はiPodはほとんど使っていない。そもそも出先で音楽を聴く習慣がなく、結局根付かなかったためだ。現在はメインマシンのMacBook Proに外部スピーカーを接続して音楽を聴いている。

 話を元に戻して……その後2つばかり変化があった。まず、音楽再生プレーヤーを導入した。iTunesはOS組み込みのQuickTimeコンポーネントを使って音声を再生している。オールデジタルなだけに音が悪いわけではない。しかし、オーディオマニアがそれに満足するはずはなく、QuickTimeからデータを横取りして独自のアルゴリズムで音声データを処理してアナログ部に流す独自プレーヤーソフトが存在する。
 最初に知ったのはBitPerfectだった。これは衝撃的だった。たった850円のソフトを入れるだけで音質がぐっと良くなるのだ。データ処理でこれだけ音が変わるのかと感激し、あれこれ設定パラメーターをいじり、しばらくはそれで満足していた。
 第二のショックは、Audirvana Plusを知ったことだ。BitPerfectがクリアで地味な音を出すのに対して、Audirvana Plusはメリハリが効いた立体感のある音を出す。現在、MacOS XではAudirvana Plusがオーディオマニアにとってデフォルトの再生ソフトとなっているそうだが、それもうなずける音の良さだ。
 かくして、BitPerfectとAudirvana Plusを使い分けるようになったが、一つ問題が発生した。これらのソフトは、iTunesと連動してiTunesの管理する音声ファイルデータをQuickTimeから横取りする形で処理する。つまり、音楽を聴いている時にはネットの動画像のような再生処理にQuickTimeを使っている作業はできないのだ。音楽を聴いていて、ではちょっとYoutubeを見るかと思っても、まずBitPerfectをdisableにするか、Audirvana Plusを終了するかしかなかった。


閑話休題

 USBアンプというものがあって、これを使うとMacBook Pro内臓のアナログ回路よりもずっと良い音が出るということは知識として知っていた。その威力を知ったのは、知人がSONY PHA-1の試聴をさせてくれた時だ、PHA-1は持ち歩き可能な、携帯音楽プレーヤ向けのUSBアンプだが、使って見て文字通りひっくり返った。音の抜けがぐんと良くなるのだ。オーディオの世界はオカルトじみた話がいっぱいある。が、ことUSBアンプに関しては一応理屈は通っている。デジタル信号をアナログ信号に変換する際、様々なタスクが並行で走っているパソコンではタイミングがずれることがある。しかし変換作業専門のUSBアンプならば、そのようなことはない——と。

 なんとか自分の再生環境にUSBアンプを導入したいものだと思って機会をうかがった。デジタル機器だから、値段に比例して音が良くなるというものでもない。とすれば、まず一番安いUSBアンプを導入して、音がどう変わるかを楽しむのがいいだろう。

 この5月、チャンスが訪れた。ステレオサウンド誌「DigiFi No.10」が、USB DAC付デジタルヘッドフォンアンプを付録に付けて発売されたのだ。価格は3300円。雑誌付録ということを考えればUSBアンプの原価は数百円だろう。自分が求める一番安いUSBアンプとして丁度良さそうだ。USBバスパワー駆動なので電源も不要だ。こっちもきちんとデジタルオーディオの知識を蓄積しているわけではないから雑誌の記事も無駄にはならない。
 というわけで発売と同時に、買い求め、あれこれ使ってみたのである。ちなみに、私の再生環境は、もう四半世紀も前に買い求めたローランドのDTM用モニターMA-12を使っている。素晴らしく音が良いわけではないが、シンセ生演奏を考慮した2系統入力と癖のない内臓アンプ、2系統独立のボリュームを持つなかなか使いやすいモニターだ。

 結論から言うと、USBアンプを使った場合、パソコン内蔵アナログ音声出力と比べると音がシャープになる。鳴っている個々の音がはっきり分離して聞こえるようになる。が、全体として音質が劇的に向上するわけではない。再生ソフトを取り替えた時のほうが、音質向上は著しかった。
 ただしUSBアンプを使うと音の立体感が劇的に向上する。オーケストラなら各楽器のセクションの定位だけではなく、その楽器の何番が演奏しているかすら聞き分けられそうなぐらいなまで、空間方向の音の分離が良くなる。様々な音源を聴いてみたが、やはりというかオーケストラ曲での効果が大きい。3300円の投資で、ここまで音が良くなるのだから、良い買い物をしたと思う。
 USBアンプを通して聴いていると、音響系というか、複雑で派手に音が響く曲が非常に面白く聴ける。
 個人的にはクシシトフ・ペンデレツキの「交響曲1番」が面白く聴けたのが衝撃だった。いずれ詳しく書くかも知れないが、過去記事の「音楽の記憶をたどる」でまとめた中学三年生の頃、この曲のアナログレコードを一大決心をしてジャケット買いしたあげく、全然理解できなくて絶望したことがあるのだ。その後、CD時代になってから、同じ録音のCDを苦い記憶の記念として買ったものの、そのままほったらかしにしていたのだった。なにしろ、「広島の犠牲に寄せる哀歌」あたりから始まったペンデレツキのクラスターばりばり音群作法が頂点に達した作品だから、中学生が頭を抱えるのも無理はなかったのだけれど。
 それが、かつてのアナログレコードでは考えられないシャープな音質で聴くと、けっこう面白いのだ。「ああ、この曲をきちんと理解するには、いい音で聴かねばならなかったのだ。アナログレコードではそれだけの良い音を再生できなかった(できたのかも知れないが、少なくとも自分の使える再生環境では無理だった)のだ」と思った次第。
 オーケストラ曲や、多数の楽器が絡み合う大規模室内楽(ベルクの「室内協奏曲」とか、シェーンベルクの「室内交響曲1番」とか)は、もはやUSBアンプなしでは聴く気にならないほどだ。ピアノ曲も悪くない。おもわずソラブジの「オプス・クラヴィチェンバリスティクム」(オグドン演奏)を通して聴いてしまった(4時間近くかかるのに!)。
 ロック系も、音に気を遣っている曲は、かなり気分良く聴ける。ピンクフロイドの「原子心母」など。
 残念ながらあまり変化を感じないのが、最近のビートの効いたアニソン。マスタリングの時にコンプレッサーを効かせて音圧をぎりぎり上に張り付かせているからだろう。それでも、バックのシンセが、はっきり分離して聞こえてくるのは気分がいい。

Usbdac2_2 もうひとつ、USBアンプを入れたことで動画再生との両立も解決した。Audirvana Plusの出力をUSBアンプに設定、QuickTimeの出力を内臓オーディオ出力に設定し、モニターのMA-12の2系統入力にそれぞれつなぐのだ。出力デバイスの取り合いが解決し、音楽を聴いて原稿を書いている時に、ちょっと調べ物ををして動画を再生ということが可能になった。
 この雑誌付録のUSBアンプ、基板むき出しでケースがない。雑誌ではケースが通信販売になっていて、結構な価格が付いている。「そうか、そういうビジネスか」「そもそもオーディオ製品の原価ってそういうものか」と思いつつ、結局あまりに綺麗で捨てるに捨てられずにとってあったiPhone3GSのケースを使うことにした、縦方向が余るが横幅サイズはぴったりだ。
 安いだけあって、再生出来るのはCDクオリティの音声ファイルまでだが、当面はこのまま使うつもり。いずれ、ハイビットレートの音楽ファイルを聴きたくなったら、買い換える予定である。

注記:USBアンプ、と書いたが、実際の機能はデジタル/アナログ変換なので、USB DAC(Digital/Analog Converter)と呼称するほうがより正確だろう。ただし最近の製品は増幅機能も付いてUSBアンプ、USBポータブルアンプと呼ぶものも多い(付録基板も然り)。というわけでここではUSBアンプと記述した。

2011.12.11

【宣伝】本日12月11日(日曜日)午後8時から、はやぶさ2についての解説をUstreamでストリーミングします

 本日12月11日日曜日午後8時から、UStreamのロフトチャンネルで、はやぶさ2の置かれている状況について解説を行います。聴き手は、イラストレーターの小林伸光さん。時間的は1時間以上、1時間半から2時間を考えています。はやぶさ2を知らない人でも、理解できるように事の初めから説明する予定です。

ロフトチャンネル(Ustream:http://www.ustream.tv/channel/loftch)

 取材も進みましたので、もう少し詳しい話ができると思います。放送中はTwitterは見ますので、質問も歓迎します。
 ハッシュタグは、#hayabusa2 とします。

 どなたか、Twitterでtsudaって、Togetterでまとめてくれるととてもうれしいです。

2010.08.23

8月23日のはやぶさとは限らすあれこれ

 大塚実の取材日記に、本日午後3時半から行われたサンプル分析のブリーフィング内容がアップされている。大塚さん、ご苦労様です。
 初期分析の開始が、8月後半から12月まで遅れることになった。相当苦労しつつ一歩ずつ作業を行っている。

 宇宙作家クラブから柴田孔明さんが、内之浦からのS-520-25号機打ち上げの取材で現地入りした。現地の様子は宇宙作家クラブニュース掲示板柴田さんのTwitterアカウントをどうぞ。1990年代半ば、「ネットを駆使した新しい報道形態を」と、大学院でどたばたしつつ試行錯誤していた身にすると、本当に現状は夢のようだ。


 今日は簡単な紹介を。

 この動画を紹介するのを忘れてた。


 6月の帰還で、初めてはやぶさを知った方のために紹介。
「おつかいできた」がイラストにおけるブレイクスルーだとすると、動画におけるエポックメイキングが、この「今度いつ帰る」だ。

 この替え歌と動画が公開されたことで、一気にはやぶさ動画が増えた。ここに掲載したのは初音ミクが替え歌を歌ったバージョン。オリジナルのさだまさしの歌声の入った動画もあるので興味のある方は探して下さい。




  はやぶさ関連本では、これを紹介するのを失念していた。日本の正しいハッカー御用達のラジオライフの8/9月号。野尻抱介さんの、はやぶさビーコン受信記が前後編で掲載されている。



 この音だ。


 こちらから携帯電話用着メロもダウンロードできる


 同じ版元ということで改めて「現代萌衛星図鑑」も。帰還前までのはやぶさも。帰還前までのはやぶさの話が掲載されている。しきしまふげんさんは、この前のコミケット78で、帰還の話を同人誌にして出していた。COMIC ZINに販売を委託するという話だったが、まだ入荷していない模様。


2010.08.20

第5回MMD杯、そして水木しげるの戦記マンガ

 MikuMikuDanceというソフトがある。ニコニコ動画で、そのソフトを使った映像を競う「MMD杯」というイベントがあり、第5回が始まった。

 そこになかなか素晴らしい宇宙関係の画像がアップされている。


 最後まで見るとそこには…

 テーマとなっているSOMESATはニコニコ動画発の実在の衛星計画である。



 毎日新聞がはやぶさブームを扱った特集記事を掲載している。


 おさえるべきところを押さえているな、という印象。はやぶさカレーうどんは、是非とも記者自身が食べてみるべきだったかと。私のコメントも掲載されている。


 NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」関連で、何冊か水木しげるの戦争物を紹介する。ドラマを単なる夫婦愛の物語としてみている人が多数だろうが、水木しげるは戦地で片腕を失った戦争体験者であり、自らの体験に基づくマンガも多数描いている。そこには、軍隊の最下層を体験した者にしか描けないリアリティがある。



 まずは、この「総員玉砕せよ!」を。水木しげるを、妖怪マンガでのみ知る人は、なによりもこれを読むべきだ。赤紙招集された兵士の視線で、出征から戦地の生活、戦闘、そして強制される玉砕に至るまでを描いている。その実に簡単に人が死ぬことといったら。恐ろしいまでのリアルな戦争が、あの緻密な背景と、簡略化されたキャラクターとで展開する…なんというべきか…傑作・駄作を超えたオンリーワンの作品だ。


 「総員玉砕せよ!」は、2007年にNHKでテレビドラマ化された。それがこの「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争」だ。傑作。特に主演の香川照之の演技が素晴らしい。私は、彼が描くあの「ビビビ」というビンタが、映像になるとこうなるのか、と妙なところで感心してしまった。







 こちらは自らの戦争体験を娘に向けて語った一冊。凄惨な戦場の様子と抑圧に満ちた軍隊生活が、なぜか水木の視線を通すと、どこかぽかんと抜けた印象になる。この人は、やはり他と隔絶したパーソナリティの持ち主なんだと納得する。なにしろ、現地の人々に馴染んでしまい、敗戦後の帰国にあたって「現地除隊したい」といったというのだからすごい。「一度帰って親の顔を見てからでも遅くはない」と説得されなければ、水木しげるはマンガ家にはならずに、ジャングルの奥に元日本兵として暮らしていたかもしれないのだ。







 その体験を、あくまでマンガとして描くとこうなる。水木しげるの戦争マンガは単なる教条的な反戦マンガではない。理不尽やつらいこと痛いこと悲しいことひもじいこと、すべての苦しみを受け止めて静かな怒りを燃やしている。それは本書収録の「幽霊艦長」を読んでも分かる。あたかも「白鯨」のエイハブ船長のように、戦闘に執念を燃やす幽霊艦長のような人物像を、彼はどこかで実際に見たのかもしれない。




 個人的感覚なのだけれど、戦後日本のマンガ史は、手塚治虫が得意とした「2人の男」という形式で描きうるのではないかと思っている。すなわち、手塚治虫と水木しげる。本土で空襲を経験し、アメリカ文化に憧れ、若くしてデビューして成功を収め、アニメーションへと手を広げていく手塚治虫。従軍して片腕を失うという過酷な体験を経て、描いても描いても売れないという貧乏を経験して40歳を過ぎてから一気に売れっ子となり、土着の感覚のままに異世界との交感を続ける水木しげる——というような。
 それこそ、「火の鳥・鳳凰編」「未来人カオス」「アドルフに告ぐ」といった手塚作品と相似ではないだろうか。手塚は茜丸で、水木は我王か?


2010.07.04

CGMに見るはやぶさ

 pixivはやぶさ検索結果が1000件を超えた。7月4日現在、1014件。中には新幹線やブルートレインも入っているのですべてが探査機はやぶさ関連というわけではないが、それにしても大した件数だ。


 pixivにはユーザーが絵を評価し合うブックマークという仕組みがあるが、おそらく一番高く評価されているはやぶさ関連のイラストがこれ。7月4日現在、4327usersという評価を集めている。


 このイラストは関係者の特徴をけっこううまくとらえると思うのだが…

 pixivのようなイラストを集めるサイトとしてもうひとつ、ピアプロというのもある。こちらは初音ミク関連で、ユーザーが作成したデジタルデータを相互利用しやすくするために初音ミク発売元のクリプトン・フューチャーメディアが立ち上げたもの。pixivが「イラストを見せるところ」とすれば、ピアプロは「お互いに自分の作成したデータを利用し合うための場所」である。

 ここではやぶさのイラストを検索すると21件見つかる。やはりというか初音ミクとひっかけたものがほとんどだ。
 なんだ、大分少ないなと思うかも知れないが、驚いたことにはやぶさの音楽が24件もアップされている。うち1件は明らかにブルートレインのはやぶさ関連なので、探査機はやぶさ関連は23件。その多くは帰還を歌ったものだ。
 フォーク風、バラード風、色々あるが、私としてはこのおかえりなさい 〜はやぶさへ捧ぐ〜ぐらいシンプルなものがいいなと思う。

 ニコニコ動画では探査機「はやぶさ」というタグが使われている。アップされている動画は、7月4日現在、817件。これまた大変な数だ。


 一番再生数が多いのが宇宙戦艦ヤマトに引っかけたこの動画。なんと115万再生。すごい。


 意外と合っているなと思えたのがこれ。ゲーム「サクラ大戦3」の主題歌「御旗のもとに」の替え歌がぴったりはまっている。


 はやぶさを歌った、ユーザーの手によるオリジナル曲で一番人気なのはこの曲。これまた7月4日現在、41万再生と、なかなかとんでもないヒット曲になっている。

 はやぶさは、ネットユーザーがそれぞれの能力を持ち寄ってコンテンツを生成するCGM(Consumer Generated Media)のテストケースとして、地上においても技術試験機の役割を果たした。このような形で人々に受け入れられた宇宙機は今までになかったといっていいだろう。

 この場でも時折、これらCGMを紹介することにする(いや、決してネタに詰まったとか更新の時間がないというのではなく…)。

 ところで、アオシマからはやぶさのプラモデルが出ているのだけれど、はやぶさ2に改造した人、まだいませんか?

2009.09.27

Twitterを使う

 うかうかしていると、すぐに更新が一ヶ月以上途切れてしまう。

 9月11日のH-IIB試験1号機/HTV試験機の打ち上げの取材で種子島に行ったり、なんだかんだとどたばたしていた。

 今回の種子島取材で、初めて本格的にTwitterを使ってみた。「ミニブログ」などといわれるが、1回の投稿を140文字に制限したblogとチャットの中間ぐらいのサービスだ。私の発言はこちらで読むことができる。

 少し前から当blogの左上に青色の視覚が表示してあるが、これはTwitterのブログパーツだ。私の最新の書き込みを読むことができるようにしてある。ここしばらくは、当blogを放っておいてTwitterであれこれ発言しつつ試行錯誤してみていた。

 メディア・ジャーナリストの津田大介氏が、Twitterでイベントのリアルタイム中継を行い、その後Twitter利用の中継が「tsudaる」などと命名されたのは、ネットユーザーならとっくにご存知だろう。


 種子島Twitter中継は、自分としては「津田大介のすなる“tsudaる”を自分もせむとて」といったところ。前提として、ある程度の容量の回線でネットとつながっている必要があるが、今回の打ち上げから種子島宇宙センターのプレスセンターにおいて、無線LANが使えるようになった。環境は整ったのだから、まずは試してみるのが正しい態度だろう。

 実際やってみると、「tsudaる」は大して難しくなかった。耳から入る言葉を整理してパソコンに入力することができれば(これは慣れ次第でできるようになる)、今までの記者会見と変わりはない。

 面白かったのは、どんどん流していく途中で、「こういう質問をしてくれ」というリクエストが来たりすること。これは、今までならばありえなかった、Twitterならではの特徴だろう。もちろん、リクエストに応えてもいいし、別に無視したって構わない。

 Twitterの特徴は、そのべとつかない適度に距離感を置いたコミュニケーションだと思う。Twitterはmixiのように「友人」「友人の友人」といった、実際の対人関係を持ち込まない。面白い人がいれば、勝手にフォローするだけ。「承認する/しない」といったウエットな要素は排除されている。

 フォローした相手の発言に対して何かをいいたければ、リプライをかける。相手には「どこのだれがどんなリプライをかけたか」はすぐにわかる仕組みになっている。その一方で、リプライに応答する義務はない。返事したければするし、無視ししてもいい。

 140文字という情報の制限は、簡潔な物言いを強制する。「ああでもない」「こうでもない」というねちねちとした文章は、あっさりと文字数制限に引っかかって投稿不可能になる。結果、言いたいことをギリギリまでけずった簡素なやり取りが実現する。もちろん、面倒になれば議論を打ち切るのも勝手。

 緊密さと同時に、泥沼にならないような適度な距離感を保つというコミュニケーションの設計法が、Twitterを、今現在、もっとも注目されるネットサービスに押し上げている——というのが、実際に使ってみての私の印象だ。

 便利なので、当面はblogと併用していこうと思っている。

 しかし、このblogにmixiにTwitter——少々、戦線を拡げ過ぎのような気もするな。身は一つ、頭も一つ、キーを叩く指も10本と変わりないので、ここの更新が滞ったら、「またTwiiterにうつつを抜かしているぞ」ぐらいに思って下さい。

2009.07.31

テレビを見つつ、検索すると…

 以下、「何を今更」の話かもしれないが。

 仕事をする机には、小さな液晶テレビが置いてある。つけっぱなしにして仕事をすることもある。通常はニュースチャンネルかディスカバリー、ヒストリー、アニマルプラネットのドキュメンタリーチャンネルつけっぱなしなのだが、たまに地上波を流しっぱなしにすることもある。そんな環境で気が付いた。

 かけっぱなしにしているテレビから、何か気になるキーワードが聞こえて来た時、それで検索するとテレビ番組の進行よりも早く情報が手に入るのである。

 私の場合、仕事をしているパソコンは当然ネットにつないであるから、ちょっと原稿を書く手を休めて検索をかけると、テレビ番組の側が「さあ、いったんこの謎は何なんでしょーか?」とかなんとか言ってCMに入っている間に、もうCM後になにが写るかが分かってしまうのだ。

 具体例で行くと、例えばTBSの「世界ふしぎ発見」、「黒柳さんの答えは…」と番組がやっているうちに、答えが分かってしまう。それどころか、時折やらかす「未確定の学説をさも確定したことのように説明する」というのも、その場でばれてしまう。

 あるいは、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」。「どこそこの名店です」とか紹介しているうちに、その店の住所から定休日、メニューやら名物の値段。それどころか、Google Mapで店の地図まで分かってしまう。

 考えてみれば当たり前の話だ。バラエティ情報番組は、多くの場合下請けプロダクションの製作で、毎回のネタだしといえばプロダクション社員や、バイト、外部ライターといった面子が、それこそネットを検索して調べている。ネタ元がネットであり、検索エンジンもGoogleであったり、Yahoo!であったりと共通なのだから、検索をかければ先回りして情報が分かるに決まっている。

 この傾向は、どうも「安易な番組作り」と無関係の、もっと本質的なことのように思われる。

 NHKの「ためしてガッテン」は、バックの調査チームがしっかりしているらしく、検索してもそうそう簡単には出てこないネタを扱っている。ところが、番組の再放送が終わると、過去の放送のページに要約が掲載される。これを読むと、5〜10分で番組の内容が分かってしまうのだ。もちろん、本番の番組は映像の力で分かりやすく見せてくれるというのはあるのだけれど、立川志の輔/山瀬まみの掛け合いに興味がなければ、テレビを見るよりずっと簡単、かつ素早く知識を得ることができる。

 そしてバラエティ情報番組でなくとも、例えばドキュメンタリーでも、登場した名前を検索すると、番組冒頭を見ただけで、本人のblogが読めてしまったりもする。それがまた、本人blogと番組のトーンが微妙にずれていたりして、「おうおう、演出しとるわい」ということが見えてしまう。

 テレビをつけて仕事をしているという環境は、そうはないだろうが、家庭に無線LANを導入し、ノートパソコンを使っている人はそれなりの数はいるだろう。ノーパソを膝に乗せてテレビに向かえば、これと同じ事ができる。
 最近ならば、ノートパソコンすらいらないかもしれない。iPhoneのような、ネットアクセス可能な携帯電話でも同じ事ができるはずだ(文字入力の速度が問題になるだろうが)。
 今はさほど使い勝手が良くはないようだが、ネット機能を持たせ、ブラウザーを搭載したテレビもある。とすると、テレビそのもので視聴中の検索ができるようになるかも知れない。それどころか、ネットで配信される番組表からキーワードを抽出し、事前に検索をかけてテレビ番組と同時に表示する機能なども考え得る。もっと進めば番組音声の解析で、検索キーワードを抽出することだってあり得るだろう。

 動画像コンテンツは、視聴者が一定時間ディスプレイの前に座ってもらい、見て貰わなければ成立しないものだが、今後は、「ちょいと膝の上で検索」「ちょこっと携帯で検索」を意識した上で、番組を作らねばならないことになる。

 そういえば「ニコ生」では、すでにそんな感じでつっこみの字幕が入るようになっている。

 それが、「いい」とか「悪い」とかは別にして、私たちがよく知っている「テレビ」という情報配信形態が終わりつつあるのは、間違いないと思う。

2009.07.22

ひまわりが見せる、地球に落ちる月の影

 日食当日となったが、私のいる茅ヶ崎は、曇り。あちこちに遠征した知人たちも次々に観測場所の様子をネットで報告しているが、どうも曇りのところが多いようだ。これから雲が切れるかどうかが勝負となる。

 日食観測に遠征できなかった人向け…というわけではないが、気象庁が運輸多目的衛星「ひまわり7号」の観測画像で特設ページを開設している。午前10時以降、画像がアップされていくとのこと。

宇宙から見る月の影 − H21/7/22日食時の「ひまわり」画像

 日食は月が太陽の前を通過して太陽光を遮る現象。その時に宇宙から地球を観ると、月の影が地表に落ちることになる道理だ。気象衛星からならば、地上に落ちる月の影を観測することができる。

 宇宙に天候は関係ない。どんなに天気が悪くとも、雲の上を移動していく月の影を、準リアルタイムで見ていくことができる。

 「今日も仕事だ、日食なんか関係ない」というような方は、是非どうぞ。

2009.06.23

訂正:MMDオリジナル振り付けについて

 訂正です。

 前回「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ、「踊ってみた」というビデオがアップされる状況になっていない。」と書いたが、これは事実誤認だった。

 コメント欄でcocoonPさんから指摘され、確認したのだが、まず「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ」という部分は、オリジナルの振り付けがかなりの数、投稿されている。MMD振り付けというタグが、オリジナルの振り付けを探す鍵だった。

 「『踊ってみた』というビデオがアップされる状況」については、まだきちんと探せてはいないのだが、いくつかMMDで発表された振り付けを実際に踊った例を確認した。

 私の事実誤認である。

 何が間抜けって、MMD杯の動画をチェックしている時に、この動画もちゃんと観ていたのだ。

 ところがLove and Joy関連の動画を追っかけているうちにすっかり記憶から抜け落ちしてしまっていたのであった。我ながら全くもって情けない。

 cocoonPさんのコメントには、「実際にモーションを作っているMMD界隈の仲間たちが、あなたのこのエントリを見て悲しんだり怒ったりしている」とあるが、もしもそのような方がおられるなら、大変申し訳ありませんでした。

 なぜこういうことになったかを考えてみるに、「音を扱う音楽=ミクオリジナル曲と、体の動きを扱う振り付け=MMDによるオリジナル舞踏との間に、なにか人間の側の情報処理の仕組みに大きな違いがあるのではないか」ということを考えていたからだろう。

 ラマチャンドランによる幻肢痛の治療に見るように、「自分で、自分の体を『これは自分のものである』と認識するメカニズム」は、なかなか一筋縄ではいかないものだ。新たな振り付けの創造にあたっては、そこに「自己の肉体を自己として認識する仕組み」が大きく影響しているのだろう。

 ボーカロイドは、「歌う」という行為を仮想化してパソコン上で(ある程度の精度で、ではあるが)再現することに成功し、その結果ボーカロイドによるオリジナル曲がアップされ、さらに「歌ってみた」という形で現実の歌声に遡上するという現象が起きた。

 では、MMDは「踊る」という行為を仮想化してパソコン上で再現することに成功しているのか。その結果オリジナルの振り付けがアップされ、さらに「踊ってみた」という形で現実の舞踏に遡上しているのか?

 そこで、「人体における歌声と舞踏との自己認識が異なるなら、現象として違うことが起きているのではないか」というのが、私の作業仮説だったのだ。ところが、Love and Joy関連の動画を追っかけているうちに、「違っているに違いない」という先入観に陥ってしまったようである。
 そこには、自分がMMDをいじったときに手こずった経験も投影されているようだ。実際、自分でやってみるとミクが思っていたように動いてくれなくて、ずいぶんと苦労した。

 ただ、ここまで短時間でざっと見ただけなのだが、確かにMMDによる投稿は、ボーカロイド曲の投稿に比べて数が少ない。そして「歌ってみた」と「踊ってみた」を比べると、「踊ってみた」はずっと少ない。

どのタグで比較するかによるのだが——
2009年6月24日時点で、


  • 初音ミク:50,319件
  • MikuMikuDance:5,544件
  • 歌ってみた:128,738件
  • 踊ってみた:16,209件
  • ミクオリジナル曲:1,036件
  • MMD:221件

 だいたい規模として、1/10から1/5程度と判断していいようだ。大まかに言って「桁が違う」わけである。

 これが、cocoonPさんの指摘したような敷居の高さのせいなのか、それとも私が考えていたような「人間の自己認識の仕組みの違い」のせいなのかは、現状ではなんともいえない。そもそも「自己認識の仕組みが違うから敷居が高くなる」のかもしれないし——これ以上は、別の切り口のデータが必要になるだろう。例えば、ミクを使ってDAWで作曲している時と、MMDで新しい動きを考えている時にそれぞれ脳波の多点計測をするとか。

 「歌と踊り」とまとめられることも多いし、実際これらは切り離しがたいものではあるのだが、このような差異が存在する。それもニコニコ動画ではっきりと見えてくる。その差が、私にとって面白かったのだけれど、でも、先入観で事実を誤っては話にならない。反省しきりだ。

 罪滅ぼしの意味も込めて、ラジPによるオリジナルの振り付けをいくつか紹介する。これは手練れの作品だ。なかなかMMDでこうは動かせない。



 ラマチャンドランが、自らの研究を一般向けに解説した本。人間の脳が、自分や世界をどのようにして認識しているかを、彼は独創的な数々の実験を通じて明らかにしてきた。ものすごく面白く、かつエキサイティングである。読んでない人は是非とも読むべき名著だと思う。

2009.06.19

MikuMikuDanceとオリジナリティ

 アイマスMad、ミクオリジナル曲とくると、最後はMMD(MikuMikuDance)なのだが、これは前二者とは違って、ちょっと問題含みかなという気がしている。

 ソフトウエアとしてのMikuMikuDanceは、どんどん進化している。作者は3Dモデルに対する物理シミュレーションを入れ込んでいるようで、開発途上のバージョンによる動画も公開されている。使用できるモデルもどんどん増えており、可能性は以前よりも大きくなっている。これは間違いない。

 ではなにが問題なのか。まずは、以下の2つの動画を見てもらいたい。


 Love & Joyでミクとチビミクが踊る踊る。爽快の一言に尽きる。


 ブリトニー・スピアーズの「TOXIC」のビデオをボーカロイド派生キャラの弱音ハクで再現したもの。やー、笑っちゃうぐらい良く出来ている。よい子は見ちゃ駄目よ。

2009.6.24追記:以下の記述は前提となる認識に事実誤認がありました。詳細は訂正:MMDオリジナル振り付けについてをご覧下さい。記事は削除せず、このまま残します。


 ところが、これら2つには共通点がある。「既存の振り付けをMMDでなぞっている」ということだ。


 ミクオリジナル曲だと、受けたら次にリアルな歌い手達が「歌ってみた」をアップするのだが、MMDではそうはなっていない。MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ、「踊ってみた」というビデオがアップされる状況になっていない。つまり現状ではMMDは現実世界のコピーツールであり、MMDから始まって現実に新しい情報が波及していくということにはなっていない。

 振り付けは、身体的なものだから、バーチャルなMMDでは難しいのだろうか。新しいダンスがMMDから始まれば、もっと面白くなるだろうにと思うのである。

 まあ、ニコニコ動画でのマッシュアップという意味では、あまり心配することはないのかも知れない。最初に紹介したLove & Joyの場合は…


 まず最初にこのビデオがあった。すると次に…


 「踊ってみた」の人が、こうやって自分で踊ってみたビデオをアップしたわけだ。これが受けてしまって…


 「踊ってみた」の振り付けを、モーションデータとしてMMD上で再現する“職人が出現”。モーションデータをネットで公開したものだから…


 こんなのや…


 こんなのが次々にアップされ、その間にモーションデータもどんどん手が入って洗練されていき、ついには…


 こういうビデオまで出現するに至る、というわけだ。

 ネットの特徴であるマッシュアップは、理想的なぐらいにうまく回っているのである。

 MMDのオリジナリティという意味では、ダンスよりも、もっと日常的な動きをさせてみたビデオに面白いものが多い。


 この半年の間で、私が一番気に入ったMMDのビデオ。日常的なありふれた光景をきれいに切り取っている。もちろん技術的にもハクのギターの運指など見るべきところは多い。MMD杯というのは、MMD使いの強者達が、それぞれに技術の限りを尽くしてビデオを競い合う、ニコ動上のイベントのこと。ここに出てくるビデオはどれも非常に質が高い。


 その第2回MMD杯優勝作品がこれ。よく動くんだが、これが上の「めると」より受けるってことはニコニコ動画のユーザーは基本的に若いんだろうなあ。私には、この中身なしでひたすら動き続けるというのにはちょっとついていけないという感じがする。せめて、ウイットの効いたオチが欲しかったな。


 こういうのがもっと増えるといいな、と思う。この動画は音楽も映像も映像も稚拙だと思うけれど、精一杯自分のやり方で前に進もうという意志を感じる。
 オリジナルかコピーかなんて問題は、マルセル・デュシャンが男性用小便器にサインを入れて「泉」と題名を付けた段階でとうの昔に吹っ飛んでいるわけだが、それでも私は、自分なりのやり方で語っていこうという姿勢に肩入れしたい。「しょせん、デジタル時代の個性はカットアンドペーストからしか生まれない」というような斜めに構えた態度は、評論家に任せておけばいいのだ。


 とはいえ、ネタ系の楽しさというのは確かにある。それも頭の悪いネタ系の面白さというのは。これは見事なぐらい頭が悪いネタ系動画。もちろん褒め言葉である。いやー、ドロイド、色っぽいですな。


 ネタといえば、MMDはこんなこともできるのだ。とにかく作っちゃったということに感心。


 楽しませてもらっている以上、コミュニティにはなんらかの情報を提供して返さねばいけないのだが…


 かくいう自分は、昨年秋にこれをアップして以降、MMDをいじっていないのであった。その後のソフトウエアの充実っぷりは半端ではないので、またなにか作ってみたいとは思っているのだけれど。

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