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カテゴリー「アニメ・コミック」の17件の記事

2016.11.18

「この世界の片隅に」は大変な傑作だ

 11月12日に劇場公開となった映画<「この世界の片隅に」(監督・脚本:片渕須直、原作:こうの史代)を観てきた。
 傑作、それもとびきりの傑作だ。願わくば多くの人に映画館で観てほしい。

 物語の枠組みは、そんなに特異なものではない。昭和の初めに広島・江波で海苔養殖を営む家に生まれた主人公・すずが、昭和18年に呉へと嫁入りし、戦時下を生きていくというもの。NHK朝ドラであってもおかしくはない。アニメーションとしての絵柄も、原作の引き継いで、ほわっとしていてとがったところがない(原作も素晴らしいです。必読)。

  

 
 この映画の凄みは、その絵柄で淡々と、しかし徹底的な調査と考証に基づいて、戦時下の広島から呉にかけての生活を、街並みから音から空気感までを含めて描写していくところにある。
 冒頭の昭和8年、おつかいを言いつかった幼いすずが、広島・中島本町の船着き場で、壁に荷物を押しつけて背負うシーンで、もう私は画面から目を離せなくなってしまった。続いて描かれる中島本町の様子!——現在の平和公園があるあたり、原爆で跡形もなく消えた風景なのだ。

 戦争をしているといっても、人は生活をやめるわけにはいかない。働くし、笑うし、諍いを起こすし、御飯も食べる。季節になれば虫は空を飛ぶ。鳥もやって来る。
 そんな日常と、その日常の中に入り込んで来る戦争を、本作はいきり立つでもなくことさらに怒りを込めるでもなく、ひたすらリアルな実感をもって描き込んでいく。ごく普通の日常と、異常事態であるはずの戦争が、当たり前に併置され、淡々と描写されていく。
 観る者は「ああ、あるよね」と思って画面にのめり込んでいくうちに、昭和18年から敗戦後の21年にかけて、彼ら広島・呉の人々が感じた絶望と悲しみ、ささやかな希望を追体験することになる。

 笑えるし、美しいし、少々エロいところもある。その上で、日常の中に入り込んでくる戦争の描写はこの上なく恐ろしい。

 とにかく、すべてのシーンが「生きている」ことを実感させるように設計されている。そのことが同時に死を描くことにもつながる。呉は軍港だ。戦艦大和も艦上で多くの水兵が作業をする姿で登場する。映画を観る者は、後にあの多くの水兵達は大和轟沈で死んだのだ、と知る。

 異常が日常になっていく様子も描かれる。度重なる空襲警報に、ついに登場人物達は「また空襲警報かよ、面倒臭い」というような心底うんざりした表情をする。「怖い」のではなく「うんざり」で「面倒臭い」なのだ。
 つらくても悲しくても痛くても、一方で笑う時も暖かい時もあって、すずは死なねばならなかった人をも心に抱えて、生きていく。

 すずを演じるのん(本名:能年玲奈……というか、生まれた時から使っている本名を仕事に使わせないとした事務所ってのはどんな非常識な神経をしているのか。関係者は全員両足の小指を思いきり箪笥の角にぶつけるがよい!)は、見事なはまり役。自分が観た範囲内でここまで綺麗に役にはまった声は、「カリオストロの城(クラリス)」「風の谷のナウシカ(ナウシカ)」の島本須美以来だ。




 「この世界の片隅で」と似た感触の作品を探すと、自分は欧州戦線最悪の空襲だったドレスデン爆撃を扱った映画「スローターハウス5」(1972年、監督:ジョージ・ロイ・ヒル、原作:カート・ヴォネガット・ジュニア)、そして小説だが筒井康隆「馬の首風雲録」(1969)に思い当たる。どちらも、戦争だからといきり立ち、怒りをぶつけるのではなく笑いと不条理と、淡々とした描写で、生きるということそのものを描いていく。

  

 これら1960年代末から70年代にかけての2作品は、共にSFという枠組みを使って一度戦争体験を突き放すという手法を使っている。スローターハウス5で、主人公ビリー・ピルグリムは、自分の人生の時間を行き来する能力を手に入れ、作品はビリーの主観のままに時間軸を自由に前後する。それどころか、ビリーはトラマファマドール人という宇宙人に拉致され、彼らの動物園で見世物にされるという経験までする(そこで同じく拉致されたポルノ女優とねんごろになり、子どもまでできる)。

  

 体験を突き放す姿勢は「馬の首風雲録」ではより一層徹底していて、地球をはるか離れた馬の首星雲の向こう側にある犬型宇宙人の星で展開する、犬型宇宙人(というか、読者から観たら擬人化された犬そのもの)と地球人との戦争を描いていく。のらくろの猛犬連隊が、ベトナム戦争の米軍と戦っているような印象だ。
 さらに筒井康隆は、ベルトルト・ブレヒトの戯曲「肝っ玉おっ母とその子どもたち 」を底本として話を展開していく。17世紀ドイツの三十年戦争を舞台に、軍隊に付き従い、兵隊に物を売る商売をする肝っ玉おっ母が、ひとりひとり息子を戦争で失っていくというブレヒトが組んだストーリーを、そのまま擬人化された犬の「戦争婆さん」とその4人の息子に置き換えているのだ。
 SFとブレヒトの戯曲を使って二重に戦争を突き放しているわけである。


 強烈な体験は、痛みを伴って心に残る。痛み以外の記憶は、痛みに覆い隠される。だから体験者は「痛かった記憶」を中核にすえて体験を語る。同時にあった生活——「痛くなかった部分」は、なかなか語ることができない。時として、反戦映画が「うっとうしい」と忌避される理由だ。

 ヴォネガットは、欧州戦線に参戦し、バルジの戦いで捕虜となり、ドレスデン爆撃を体験した。1934年生まれの筒井康隆も、戦場は知らないまでも戦争を身を以て知る世代だ。彼らが1970年頃に、痛くない部分——格好いい戦争、勇ましい戦争、愚かな戦争、笑える戦争、戦争と共にある日常——を含めて戦争を語ろうとした時、どうしてもSFその他の仕掛けを使って、戦争を一度突き放す必要があったのだろう。

 「この世界の片隅に」は、SFという仕掛けを使うことなく、淡々と「あの時そこであったこと」を描いていく。
 戦後70年という時を経てはじめて可能な作業だったのだろう。また、その作業を完遂するにあたっては、1960年生まれの戦無世代で、緻密な航空史研究家という顔も持つ片渕須直という人がどうしても必要だったのだろう。

 為すべきことを、為すべき人がした映画だ。幸い観客動員は好調とのことで、上映館数も増えるそうだ。

 観に行きましょう。





おまけ:この映画、宮崎駿監督の「風立ちぬ」とも並列に語ることができると思う。色々な意味で対照的なので。

 二郎と菜穂子、周作とすずの関係とか。
 「動きに淫している」といってもいいほどすべてがぬめぬめと動く「風立ちぬ」と動きをあくまで体感のリアリティに寄せていく「この世界の片隅に」とか。
 一番肝心な部分をラストにカプロニが語る「君の10年はどうだった」というセリフひとつに集約した「風立ちぬ」と、肝心な部分を全て描き切った「この世界の片隅に」とか……。

 なんでも、スタジオジブリで宮崎監督の軍事知識に対抗できたのは片渕監督だけだったそうで、この前のNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」と合わせて考えるに、今頃宮崎監督が「片渕やめろ!俺より面白い映画を作るんじゃねぇ!!」と転げ回っていると面白いな、と……宮崎監督の新作があるという2019年を期待しましょう。
 

2013.07.21

「風立ちぬ」を観てきた

 昨日、封切り初日初回の「風立ちぬ」(宮崎駿監督)を観てきた。宮崎駿が航空機ネタで一本作るとなれば、これは観に行かねばならない。
 まだ観ていない人も多いだろうから、ネタバレは避けて自分の見立てを書くならば、「風立ちぬ」は「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)と、今回主役の声も担当した庵野秀明監督の最初の「エヴァンゲリオン劇場版」の、宮崎駿による再話である。そのココロは三本とも監督の内的心情で構成されたプライベートフィルムだということ。
 全くお子様向きではないが、大人なら見て損はないと思う。

 以下は事前情報ともなりうるので、トップページからはリンクで隠すことにする。

 

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2010.10.22

宣伝:10月24日(日曜日)、新宿ロフトプラスワン「ロケットまつり41」に出演します

 また告知がぎりぎりになってしまいました。この日曜日はロフトプラスワンでロケットまつりを開催します。

 今回はいつもと若干趣向が変わり、半ば幻と化してしまった傑作アニメ「おいら宇宙の探鉱夫」(1994年・飯田馬之介監督)を上映します。全6話の構想だったにも関わらず、商業的に成功しなかったために2話でうち切られてしまった悲運のオリジナル・ビデオアニメですが、的確な宇宙空間描写は、今もって見る価値を失っていません。
 「おいら宇宙の探鉱夫」に加えてねこまたやさんの手によるアニメの上映、さらにはサプライズゲスト出席の次回ロケットまつりのチケット先行販売もあります。

宇宙作家クラブpresents
ロケットまつり41 オススメ映像上映会『おいら宇宙の探鉱夫』上映 & トークイベント
今回のロケットまつりはオススメ映像の上映 & トークショー。
SFファンから熱い支持を受けた『おいら宇宙の探鉱夫』を上映。
上映後にトークショーを行います。
『おいら宇宙の探鉱夫』以外にもオススメ映像あり。

【出演】松浦晋也、浅利義遠、野田司令
【Guest】ねこまたや
※『おいら宇宙の探鉱夫』上映後、ねこまたや氏製作のアニメーションも上映。上映後にねこまたや氏を招いてトーク致します。
10月24日(日曜日)
Open 18:00 / Start 19:00
新宿ロフトプラスワン(地図)
新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2
TEL 03-3205-6864
¥1500(飲食別)
※予約あり。以下予約ページで受付中
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/reservation/

2010.08.20

第5回MMD杯、そして水木しげるの戦記マンガ

 MikuMikuDanceというソフトがある。ニコニコ動画で、そのソフトを使った映像を競う「MMD杯」というイベントがあり、第5回が始まった。

 そこになかなか素晴らしい宇宙関係の画像がアップされている。


 最後まで見るとそこには…

 テーマとなっているSOMESATはニコニコ動画発の実在の衛星計画である。



 毎日新聞がはやぶさブームを扱った特集記事を掲載している。


 おさえるべきところを押さえているな、という印象。はやぶさカレーうどんは、是非とも記者自身が食べてみるべきだったかと。私のコメントも掲載されている。


 NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」関連で、何冊か水木しげるの戦争物を紹介する。ドラマを単なる夫婦愛の物語としてみている人が多数だろうが、水木しげるは戦地で片腕を失った戦争体験者であり、自らの体験に基づくマンガも多数描いている。そこには、軍隊の最下層を体験した者にしか描けないリアリティがある。



 まずは、この「総員玉砕せよ!」を。水木しげるを、妖怪マンガでのみ知る人は、なによりもこれを読むべきだ。赤紙招集された兵士の視線で、出征から戦地の生活、戦闘、そして強制される玉砕に至るまでを描いている。その実に簡単に人が死ぬことといったら。恐ろしいまでのリアルな戦争が、あの緻密な背景と、簡略化されたキャラクターとで展開する…なんというべきか…傑作・駄作を超えたオンリーワンの作品だ。


 「総員玉砕せよ!」は、2007年にNHKでテレビドラマ化された。それがこの「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争」だ。傑作。特に主演の香川照之の演技が素晴らしい。私は、彼が描くあの「ビビビ」というビンタが、映像になるとこうなるのか、と妙なところで感心してしまった。







 こちらは自らの戦争体験を娘に向けて語った一冊。凄惨な戦場の様子と抑圧に満ちた軍隊生活が、なぜか水木の視線を通すと、どこかぽかんと抜けた印象になる。この人は、やはり他と隔絶したパーソナリティの持ち主なんだと納得する。なにしろ、現地の人々に馴染んでしまい、敗戦後の帰国にあたって「現地除隊したい」といったというのだからすごい。「一度帰って親の顔を見てからでも遅くはない」と説得されなければ、水木しげるはマンガ家にはならずに、ジャングルの奥に元日本兵として暮らしていたかもしれないのだ。







 その体験を、あくまでマンガとして描くとこうなる。水木しげるの戦争マンガは単なる教条的な反戦マンガではない。理不尽やつらいこと痛いこと悲しいことひもじいこと、すべての苦しみを受け止めて静かな怒りを燃やしている。それは本書収録の「幽霊艦長」を読んでも分かる。あたかも「白鯨」のエイハブ船長のように、戦闘に執念を燃やす幽霊艦長のような人物像を、彼はどこかで実際に見たのかもしれない。




 個人的感覚なのだけれど、戦後日本のマンガ史は、手塚治虫が得意とした「2人の男」という形式で描きうるのではないかと思っている。すなわち、手塚治虫と水木しげる。本土で空襲を経験し、アメリカ文化に憧れ、若くしてデビューして成功を収め、アニメーションへと手を広げていく手塚治虫。従軍して片腕を失うという過酷な体験を経て、描いても描いても売れないという貧乏を経験して40歳を過ぎてから一気に売れっ子となり、土着の感覚のままに異世界との交感を続ける水木しげる——というような。
 それこそ、「火の鳥・鳳凰編」「未来人カオス」「アドルフに告ぐ」といった手塚作品と相似ではないだろうか。手塚は茜丸で、水木は我王か?


2010.07.24

探査機はやぶささん

 今日も暑かった。炎天下の東京を歩いていたら、足の裏が火傷しそうに熱い。融けたアスファルトに足をとられて行き倒れにならなかっただけまし、と考えることにする。

 色々あって連日外出しており、疲れが溜まっている。8月末まで連日更新と宣言したものの、息切れは否めない。

 今日は連作4コママンガを紹介する。

 はやぶさの擬人化というと、「萌衛星図鑑」(三才ブックス)のしきしま・ふげんさんが先鞭をつけて、その後あちこちに拡がっていったが、このはやぶささんは線のシャープさと、バックグラウンド知識の正確さでなかなか良い雰囲気だ。このまんま「まんがタイム」あたりの四コマ誌に掲載してあってもおかしくない。

 個人的にはミネルバさんのデザインが気に入った。

 オリジナルは4コママンガだが、動画にもなっている。見せ方の融通無碍さは、ネット時代の必然だろうが、フットワーク軽くメディアの違いを飛び越えていくのは、見ていて爽快である。

2010.06.28

pixivに投稿されたはやぶさたち

 「はやぶさ」は日本で本格的なネット普及が始まった後の2003年打ち上げということもあり、ネットで一般が盛り上がり、熱狂した最初の探査機となった。2005年11月の小惑星イトカワへの着陸の時には、有名になった「おつかいできた」を初めとして様々なイラストがネットで公開されたことは記憶に新しい。

 pixivというサイトがある。プロ、アマを問わずイラストレーターやマンガ家が集まって、自作を公開する場だ。登録制で、大きなイラストを見るためには登録を行う必要があるが、縮小された画像ファイルで絵の概要を見ることは、登録なしでもできる。

 ここではやぶさと検索すると、なんと985件も見つかる。毎日数枚ずつ登録は増えており、数日中に1000件に到達するだろう。この中には鉄道の「はやぶさ」(ブルートレインや新幹線)も入っているのだが、かなりの部分は小惑星探査機の「はやぶさ」だ。
 小惑星探査機はやぶさでの登録は43件。「はやぶさ」「小惑星探査機はやぶさ」で重なって登録してあるイラストもある。このあたりはかなり緩い。

 もちろんというべきか、「おつかいできた」も作者の手によって登録されている。

 やはりというか、擬人化したイラストが多い。男の子女の子、子供からグラマーまで、さまざまな「はやぶさタン」が描かれている。

 私が気に入ったのはこの一枚。


 帰還時のはやぶさの輝きが、適度に様式化され、その下を老若男女が走っていく。童画風でもあるし、モスクワの宇宙飛行士記念博物館外壁のレリーフを思い起こさせもする。確かにはやぶさは、こんなミッションだったなと思うのだ。


P1030410
モスクワの宇宙飛行士記念博物館。てっぺんにロケットの造形を載せたモニュメントで根本部分が記念博物館になっている。

P1030404
外壁のレリーフ。右から、科学者が計算し、技術者が設計し、労働者が建造し、そして宇宙飛行士が搭乗して飛び立つ、という内容になっている。

 気に入ったので、自分のパソコンの壁紙に設定してみた。

 ちなみにpixivを、川口淳一郎で検索してみると…愛されているのが、探査機のみではないことが分かる。


2009.08.06

「天にひびき」(やまむらはじめ)が面白くなりそうだ


 ヤングキングOURSで連載が始まった、「天にひびき」(やまむらはじめ)が、面白くなりそうな予感を感じさせる。

 奏者も空気もすべて引き込んで、まとめてしまう天才的な指揮の才能を持った少女・ひびき。彼女との鮮烈な出会いによって秋生の人生は大きく変わっていった!夢を追う青年達の希望と苦悩…。音を奏でる若者たちの青春ストーリー!
(ヤングキングOURSホームページより)

という、女性指揮者をテーマとした音楽マンガなのだが、作者のやまむらはじめさんが、どうも相当にクラシック系音楽に入れ込んでいる節があるのだ。

 このことに気が付いたのは、同じOURSで以前連載していた伝奇物マンガ「カムナガラ」の最終回直前のサブタイトルに、「そしてそれが風である事を知った」(武満徹の室内楽曲)、「閃光の彼方へ」(オリヴィエ・メシアンの管弦楽曲)といった曲名を使用していたことからだった。

 さらに続く青春ストーリー「夢のアトサキ」で、主人公の名前が「也寸志」君だったり、「武満さん」というかわいい女の子が出てきたりで、「おや?」と思っていたら、この連載である。

 クラシック音楽好きには、かなり期待の持てる連載だと思う。冒頭に、ベートーベンの第4交響曲を巡るエピソードをもってくるあたり「分かっているなあ」という雰囲気だ。ひょっとすると同じベートーベンの第7交響曲をメジャーに押し上げた「のだめカンタービレ」への対抗意識でもあったのだろうか。

 第4は、名前付きの2曲に挟まれて(第3「英雄」と、あまりに有名な第5「運命」)、今ひとつ知名度が低いのだが、実はとてもチャーミングな曲だ。第4楽章には、ファゴットのおよそ吹けそうもないほどの超絶高速パッセージがあって、これをどうこなすかがファゴット奏者の腕の見せ所だったりする。

 ベートーベンの交響曲は1番と2番が、ハイドンの影響が濃い習作であり、第3「英雄」、第4、第5「運命」、第6「田園」、第7、第8、第9「合唱」と続く。どれも超が付く有名曲である題名付きを除くと、残るは第4、第7、第8。
 のだめが第7を持っていったので、マンガで使えるのは第4と第8だが、第8は室内楽的な小振りで力が抜けた曲なので、ちょっとマンガの冒頭では使いにくい。

 この第4番の選択ひとつをみても、かなりクラシックを理解した上で選んでいるな、と思えるのである。

 クラシック音楽マンガは、多分手塚治虫の「虹のプレリュード」あたりから始まるのだろうか。手塚は執筆時に音楽を欠かさない音楽好きで、ピアノも弾いたので、音楽をテーマにマンガを描くというのはごく自然なことだったのだろう。もっとも、「虹のプレリュード」は、ショパンが登場するものの、ショパン本人と彼の音楽は添え物であって、主題は手塚好みの男装の麗人を巡る悲恋物語だった。「ルードウィヒ・B」では、ベートーベン本人の伝記に挑戦したが、これは完結させることができなかった。

 「虹のプレリュード」の次のクラシック音楽マンガというと、くらもちふさこ「いつもポケットにショパン」(1980〜1981)まで飛んでしまう、といっていいのだろうか(あまり熱心にマンガを読んでいるわけではないので自信はない)。だた、これも音楽がストーリーの根幹に食い込んでくるというよりも、音楽高校に通う女の子の恋愛ストーリーだった。
 「いつもポケットにショパン」よりちょっと後、竹坂かほり「ディ・カデンツ」「プレリュード」(1984)という音楽マンガが登場する。これは、同じ音大に通うヴァイオリンとピアノの男女の恋愛物語だった。この作品もまた、音楽はテーマというよりファッションだったと記憶している。クライマックスが、ヴァイオリンの男の子のコンクールでの演奏なのだが、演奏する曲がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なのだよ!
 当時、「そりゃ、あんまりに安易だ」と思ったものである。なにしろ、この通称「メンコン」は、学校の音楽鑑賞教材に入っているぐらいの超有名曲だったから。当時、「そこは、バルトークとはいわないから、せめてシベリウスのヴァイオリン協奏曲を使うところだろ」とマンガに向けて突っ込みを入れたものである。

 多分、クラシック音楽を抜き差しならない主題として扱った最初のマンガは、さそうあきら「神童」(1997〜1998)ではないかと思う。それまで私はさそうあきらを「キタナイ絵で、どうしようもない自我垂れ流しのマンガを描く奴」と認識していたので、「神童」を読んだ時には、本当にびっくりした。
 「神童」は、主人公である天才少女“うた”が、はるか年上の冴えない音大生“ワオ”を振りまわす話と思わせて、実は老いた元神童の御木柴教授、そして“うた”とは違う意味で、実は神童であった、“ワオ”と彼の恋人香音(カノン)という、「才能とは何か」を巡る物語だった。「はじめて恋愛以外をテーマにしたクラシック音楽マンガ」と言っても良いかもしれない。
 ストーリーの中での曲の選択も的確で、特に御子柴教授の復活と、うたに降りかかる試練という物語の転回点に、バルトークの第3ピアノ協奏曲を持ってきたのには感心した。
 その後、作者は指揮者を巡る「マエストロ」というマンガも描いている。

 その後は、一色まこと「ピアノの森」が出て、そしてなによりも二ノ宮知子「のだめカンタービレ」の大ヒットが出る。「のだめ」の凄さは、徹底した調査とストーリーテリングを融合させたところで(ここにも時々コメントを書いてくれる大澤徹訓さんがブレーンをしている)、「音大生って、こういう曲を演るよな」「コンクールってこんなもんだよな」というところで、一切隙がない。大澤さんは、作中のコンクールの架空の課題曲としてピアノ曲「ロンド・トッカータ」を一曲まるまる作曲してしまったぐらいだ。

 さあ、「天にひびき」は、どんな展開をしてくれるのだろうか。掲載誌はかなりマニアックな内容も許容するので、連載打ち切りにならない程度に、どんどん趣味に走ってやってもらいたいと思う。主人公のひびきが、やがて登場する2人のライバルと共に、3人の指揮者を必要とするシュトックハウゼンのオーケストラ曲「グルッペン」を演奏するとか(やり過ぎ?)。

 なお、現在発売中の9月号からは、作曲家の吉松隆氏による解説も始まった。初回は「指揮者のお仕事<誕生編>」で、指揮者という職業ができた歴史的経緯を説明している。こちらも本編と合わせて楽しみである。

   

 「カムナガラ」「エンブリヲン・ロード 」、そして現在連載中の「神様ドォルズ」と、やまむら作品はうねるようなストーリーが特徴だが、実は連作短編の名手でもある。マンガの短編集はどうしても部数が少なく、すぐに絶版になってしまうが、彼の短編を読まずにすますのは惜しい。今、入手できるのは「夢のアトサキ」だけだが、ここでは「境界戦線」「未来のゆくえ」も紹介しておく。私は特に「未来のゆくえ」が気に入っている。

2009.08.05

はやぶさリンク:映画「サマーウォーズ」に小惑星探査機が登場

 「はやぶさ」をモデルにした小惑星探査機が登場すると聞いて、これは行かねば、と見に行ってきた。現在ロードショー公開中のアニメーション映画「サマーウォーズ」(公式サイト)

 「時をかける少女」でブレイクした細田守監督作品。監督:細田守、脚本:奥寺佐渡子、キャラクターデザイン:貞本義行の3人は、「時をかける少女」と共通。
 「時かけ」は小規模公開から口コミでヒットしたが、今回は堂々のロードショー公開である。

 あらすじは、公式サイトの「イントロダクション」を参照のこと。

 面白かった!

 長野県上田市に集う旧家の一族が、ひょんなことから巻き起こる世界の危機に一致団結して立ち向かうという、なんとも妙な筋書きだが、それが滅法面白い。「華麗なる一族」や「犬神家の一族」のような、日本の“一族映画”が描き出す湿っぽさや陰湿さは、この映画の陣内一族にはこれっぽっちもない。「ダイナスティ」に代表されるアメリカ“一族ドラマ”にあるようなどろどろの愛憎劇とも無縁だ。乾いて、からっとしていて、陽気だ。

 なにより脚本がいい。かなり複雑な状況設定を、オープニングの陣内本家に集まってくる親族の会話だけでテンポ良く説明してしまうのもうまいし、そこから畳み込むように事件を起こして、本筋である“夏の戦争”に持ち込むストーリー運びも見事だ。

 しかも、主人公とヒロインを含め、主要登場人物29人という群像劇であるにもかかわらず、すべてキャラクターがくっきりと対比されており、「これ、誰だっけ?」ということが一切ない。血の繋がった親族と、そこに嫁入りした女性、生まれた子供など顔や体格を描き分けたキャラクターデザインが、とてもよい仕事をしている。

 この夏のお薦めだ。私も、もう一回ぐらいは映画館に足を運ぶことになるかもしれない。

 が、理工系のシチュエーションとなると、けっこう緩い。冒頭、主人公が量子コンピューターで素因数分解を行うための「ショアのアルゴリズム」に関する本を読んでいるので、スタッフも事前に相当調査したらしいことが分かる。が、それでも、暗号のあり様とか、ネットセキュリティの描写とか、アバターの操作方法とか、もうちょっとなんとかできただろうという部分がある。
 多分、理工系のアドバイザーを入れて、あと数回脚本の練り直しをやっていたら、もっと良い映画になっていたろう。

 小惑星探査機「はやぶさ」ならぬ「あらわし」については、「このストーリーなら仕方ないかな」といったところだ。

 小惑星「イトカワ」ならぬ、小惑星「マトガワ」を探査した「あらわし」、この「あらわし」の再突入カプセルが、ラストのクライマックスに関係してくるのだが、まあ、あれはないよね。

 ネタバレは避けるが、本来、再突入カプセルは、サンプルを保護するために、最後はパラシュートでふわふわ降りてくるものだ。また、「はやぶさ」の帰還カプセルは惑星間軌道から直接大気圏に突入する。地球周回軌道にいったん入るなんて、まだるっこいことはしない。運動エネルギーという点では、地球周回軌道からの帰還よりも、惑星間軌道からの直接突入のほうが、ずっと大きくなる。

 ちなみに、小惑星「マトガワ」は、実在する。
★新しい小惑星を「マトガワ」と命名(ISASニュース1997年7月号)。

 とはいえ、この映画により、「はやぶさ」にもう一つの称号が加わったことは間違いない。すなわち、「映画のモデルとなった、日本初の惑星間探査機」である。これまで、ストーリーの根幹に関わる存在として映画に登場した探査機といえば、私は「スタートレック」の“ヴィジャー”ことヴォイジャー探査機ぐらいしか思いつかない。実際、「はやぶさ」は大したものだな。

2008.11.28

マクロスFとハイパーインフレ

 放映から随分遅れたが、アニメ「マクロスF」を全話見終わった。

 私の立場からすると、まずは「アレを本物の宇宙と思ってはいけない。あれは“マクロス宇宙”である」と言わねばならない(あんな宇宙があるわけない)。

 それはさておき、面白かった。きちんとキャラクターは生きているし、ラストは盛り上がって終わってくれた。三角関係の決着がラストでついていない、との批判もあったようだが、決着は映画版に持ち越されるのがマクロスというものだ。

 最初の「超時空要塞マクロス」の放映(1982〜1983)から、もう四半世紀経った。当時私は大学生。「スタジオぬえの絵が動く」という事前情報に私たちは期待したものだが、家庭用ビデオもろくに普及していなかった当時、日曜昼2時という放送時間は、まったくもって「ご無体な!」であった。
 とはいえ、貴重な毎日曜日の午後をテレビの前に座るのは、確か5話ぐらいで終わった。作り手の側も若かったし経験不足だったのだろう。そこにあったのは、意欲の空回りの典型例だった。
 第1話(2話をまとめて1時間枠で放送した)を見て、「はて?」となり、さらに数週間見続けて疑惑は確信に変わり、「これは観る価値はない」と切ったものである。
 その後、アニメ雑誌が「27話(愛は流れる)はすげえ」という話を掲載し、「なにっ、実はすごかったのか」と、再度見始めたらば、そこは作画崩壊の嵐であった。ええそうです、私は壮絶作画で伝説と化した最終回「やさしさサヨナラ」をリアルタイムで見ておりますよ。ちなみに今、レンタルショップなどで見ることが出来る最終回は、全面的に作り直してあるので、あのものすごい最終回は、個人のビデオアーカイブにしかないはずだ。

 その後ずっと続いたマクロスシリーズは、作る側からすれば最初のマクロスに対するリベンジの繰り返しだったのだろう。今回、「マクロスF」は、かなり高いレベルでリベンジを果たしたと思う。

 さて、ここからが本題。ネットで誰かが言及しているだろうと思ったのだが、検索をかけても見つからなかったので以下、書き留めておく。
 Fの何話目だったか、マクロス・フロンティア内が統制経済モードに入るので商店街が一斉売り尽くしセールをやるという話があった。そこにオペレーター3人娘が買い物に行くと、あの人もこの人もというお笑いになっていたのだが。

 これは明らかに設定ミスだろう。
 1000万人が居住する巨大移民船の内部経済は閉鎖系と考えて良いだろう。とすると通貨は移民船の政府が信用を保証し、艦内に蓄積、生産される富に応じた通貨の量を供給、コントロールして通貨の価値を維持しているはずである。
 統制経済モードに入るということは、物資イコール艦内の富が減少している状態だから、物資の価値は上がり、通貨価値は下がる。となると物価は上昇し、通貨を持っているよりも現物を持っているほうが得になる。
 マクロス艦内では起きるのは売り尽くしバーゲンではなく、物資を求める人々のパニックでなくてはならないはずだ。このあたりは高校の社会で習う経済学の初歩の初歩である。

 これをやると話が暗く陰惨になるのは分かるのだけれど、長距離大規模移民船で経済の話をやるなら逃げられないところだと思う。

 以下、中年の思い出話。

 特撮・アニメなどに登場する経済ネタというと思い出すのは「レインボーマン」のお多福会だ。日本人殲滅を目指す「死ね死ね団」(すごいネーミングだ)が現世利益新興宗教の「お多福会」を通じて社会に偽札をばらまき、結果ハイパーインフレが起きて日本経済大混乱という話である。

 これをちゃんと子供にも分かるようにストーリーを展開していたのが、当時の製作スタッフの偉いところ。物価が上昇して食べ物が買えなくなってしまった子供が、ひもじさと出来心でインスタントラーメンを万引して食料品店主らから袋だたきにあう、ど真っ暗な描写をきちんとやっていた。
 主人公のヤマトタケシが子供を救うのだが、そこに食料品店の店主が怒りの形相もすさまじく「お前が金を払ってくれるのかよ」と詰め寄るのだ。ヤマトタケシ「いくらだ?」、店主「千円だ!」。で、ヒーローは財布から千円札を出すのである。
(注:このあたり、記憶が偽造されている可能性もある。子供を救ったのはヤマトタケシではなく、彼の周囲の人々だったかも知れない)

 「レインボーマン」放映当時の1972年、袋ラーメンはスーパーの特売ならば30円ほどだった。はっきり覚えている。覚えているのも当然で、テレビで「ラーメン一袋千円だ!!」を見た翌日だったか翌々日だったか、新聞折り込み広告のチラシでラーメンの価格を調べたのだった。
 子供心には、それほどまでに「ラーメンひとつ千円!」は強烈だったのである。しかし…

 昨年来、ジンバブエが超絶的なハイパーインフレ状態に陥っている。そのインフレ率たるや年間10万%だそうで、30円のラーメンが1000円になる、レインボーマン世界のインフレ率3300%というのは、実はそれでも生ぬるいものではあったのだった。

 なぜ、「レインボーマン」では、あれほど冷酷なインフレ描写ができたのかを考えるに、当時の製作スタップは皆、敗戦後、占領下の日本でインフレやら預金封鎖やら闇市やらを体験してきた人々だったからなのだろう。彼らにとって、物がない、つらい、くやしい、さびしい、もの悲しい、ひもじい、という感覚は実体験に基づくものだったことは間違いない。

 「それに比べてマクロスFのスタッフは…」などということは書かない(なにしろ河森総監督以下、私と同世代だ)。ただ、ちょっとしたことではあるけれども、艦内統制経済モードという用語を使うからには、そのつらくて悲しい部分を描写しても良かったのではないか、とは思うのであった。
 さんざん楽しませて貰っておいて、何をいうやら、なのだけれど。

 「マクロスF」はDVDとBlu-rayで同時に発売されている。「Blu-ray出し惜しみなしだ」と称賛したいところだが、私の聞く範囲では、 ビデオコンテンツ業界においてはBlu-rayのメディアとしての寿命を5年と踏んでいるとのこと。つまり5年間で可能な限りの売り上げを立てなくてはならない状況らしい。
 というのも、Blu-rayの次にネット経由のHDTV配信が来るということがあまりにはっきりと見えてしまっているからである。
 こうなると、DVDのようにすでに普及している物理フォーマットのほうが強いかも知れない。どちらを買うかは、かなり悩むところだろう。

 私はといえば、どちらも買うつもりはない。「マクロスF」に関しては見損ねた回をすべてバンダイチャンネルで視聴した。画質を云々せず。「これはテレビアニメである」と思って見るなら、私にはそれで十分である。今後も、見たくなったならばバンダイチャンネルに1回105円を支払うだろう。オンデマンドTVの便利さには105円の価値は十分にあると思う。




  


 アニメ本体の映像ディスクよりも、買うならこちらかも。実際、マクロスFでは歌手の選択から曲の構成に至るまで、高品位の音楽を理想的なプロモーションで売っているという印象。管野よう子絶好調だ。
 私がびっくりしたのは、「星間飛行」の「キラッ☆」…ではなくて、松本隆のあまりに若々しくも瑞々しい歌詞だった。この歌詞は素晴らしい。なかなか素人には書けない、真のプロの仕事だと思う。

2007.04.10

「レッドショルダーマーチ」の正体が判明する

 気張った話を続けても仕方ないので、最近に私のところに届いた話を。

 2ちゃんねるでは数ヶ月前に騒ぎになっていたそうだから、情報の早い人はすでに知っているのだろうけれども。


「レッドショルダーマーチ」の正体が判明した。

 「装甲騎兵ボトムズ」というアニメがあった。私もこんな記事を書いている。

 作中で、主人公のキリコは、かつて軍の特殊部隊、通称「レッドショルダー」に所属していたという設定になっていた。このレッドショルダーは命令とあらば、どんな残酷なことでもする悪逆非道の軍隊であり、そんなところに所属していたことがキリコのトラウマになっているのだが、それはともかく。

 作中では、レッドショルダー部隊が登場する時に、実に格好良い行進曲がBGMにかかっていた。これが「レッドショルダーマーチ」である。

 放送当時、この音楽にヤられた我らアニオタ共は、サントラの発売を待ち望んだのだが、発売されたサントラには、なぜか「レッドショルダーマーチ」が収録されていなかった。その代わり、ボロディンの未完に終わった「交響曲3番」のポピュラー編曲が入っていたり——もちろん本編には使っていない——今考えるとあれも妙なサントラだったな。

 いったいあの曲は何だったのか?放送局が蓄積している著作権フリーの曲だとか、様々な噂があったものの、その正体は不明のまま四半世紀が過ぎたのである。

 それが、今年に入ってから2ちゃんねるへの投稿で、判明したのだった。


 こちらがその正体。おや、品切れを起こしているな。



 1966年のイタリア映画「Due marines e un generale」(2人の水兵と1人の将軍)のサントラ盤だ。このCDの2番目の曲「Arrivano i Marines」(水兵の到着)という曲が、「レッドショルダーマーチ」だったのである。作曲者はPiero Umiliani(ピエロ・ウミリアーニ)と言う人。イタリアではかなり有名な映画音楽の作者らしい。

 ちなみに、サントラ中6番目の曲「L’offensiva di primavera」(春の攻勢)は、「機動戦士ガンダム」の第12話「ジオンの脅威」で、ジオン公国のギレン総帥が演説するシーンでかかる音楽なんだそうだ(私は見たはずだけど覚えていない)。あの「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。なぜだ!」「坊やだからさ」で有名なシーンですな。

 この「Due marines e un generale」という映画は、2人のアメリカ兵が、北アフリカでナチスドイツの将軍を捕獲しようとするという話とのこと。それに、ニセの作戦計画をわざと盗ませようとするナチス側と、本物を入手しようとするアメリカ兵の駆け引きが絡み、最後はアンツィオの攻防戦になだれ込むというストーリーのようだ。「アンツィオ・アニー(アンツィオ攻防戦で活躍したドイツの列車砲)」が出てくるなら見てみたいね。



 CDが品切れであっても、嘆くには及ばない。iTunes Music Storeでは、ちゃんと「Due marines e un generale」のサントラが売っている。試聴はできるし、曲をばら売りの1曲150円で購入できるし、品切れもない。やあ、いい時代になったもんだ。



 もちろん私はCDを買った。最初に気が付いた方は本当に偉いと思う。取りあえず長年の疑問と欲求を解消させて頂き、ありがとうございます。