タイトルは「考える」であって「食う」ではない。念のため。
昨年春、ほぼ四半世紀振りに「ラーメン二郎」のラーメンを食べた。
その日は、神保町の出版社で打ち合わせが長引いたのだった。腹が減ったぞ、さあどうしよう、と歩き回ると、靖国通りから路地を入ったところに行列を発見した。「二郎神保町店」とある。
一つの記憶が蘇った。学生最後の年の三田祭(そう、私は慶應出身である。ただし三田には学祭ぐらいでしか通わない理工学部生だった)、私は「最後の記念に食べておくか」と、まだ三田の四つ角にあった「二郎」本店の行列に並んだのだった。ところが行列はあまりに長く、別の用事が入っていたので、途中で列を外れざるを得なかったのである。
見ると行列はそう長くない。よし、学生時代の妄執をここで晴らしておこう。私は行列に並び、二郎ラーメンにありついたのである。
山のようにもやしが載ったアブラぎとぎとのラーメンを一口食べて、思い出した。「俺、これ食ったことあるわ」
記憶はさらに遡る。大学に入った年、学祭の準備で先輩に連れられ、三田にやってきた私は、「三田に来たらこれ食わなくっちゃな」という先輩と共に二郎ラーメンを食べたのだった。不味いとしか形容しようがない味に「なんだこりゃ」と思った。
ずっと忘れていたのだが、最初の一口でありありと、それこそ、脂で微妙に粘っている二郎本店のカウンターの手触りまで含めて思い出した。
おお、プルーストの「失われた時を求めて」みたいじゃないか。
二郎のラーメンについては、このあたりのページやWikipediaの記述を参照してほしい。かつては三田の四つ角にあり、慶大生に絶大な人気を誇ったラーメン屋だ。場所こそ移動したものの、現在も三田で本店は営業しており、その他のれん分けの店が首都圏を中心に多数存在する。
二郎のラーメンはとにかく盛りが良い。野菜がどんぶりにてんこ盛りになって出てくる。その味は脂ぎとぎと、化学調味料たっぷりの奇怪なものだが、くせになる習慣性を持つ。
二郎にはまった者は「ジロリアン」を自称し、のれん分け全店制覇する者や、自宅で二郎の味を再現しようと研究を重ねる者(「家二郎」なる単語まで存在する!)など、多彩な活動を展開しているらしい。
その他、勉強せずに卒論のネタに詰まった学生が、二郎のおやじさんにインタビューして「二郎ラーメンの来歴」を卒論代わりに提出して卒業したとか(驚いたことにネットにアップされている。これだ)、「ラーメン二郎」の商標を他者に登録されて名乗れなくなりそうになった時、慶大出身の弁護士が一致団結して無償で協力し、商標を取り返しただとか、二郎を巡るエピソードは尽きない。
ジロリアン作と伝えられる「二郎はラーメンではなく、二郎という食べ物である」という言葉は、けだし名言であろう。
さて、ここからが本題。
四半世紀振りに二郎ラーメンを食べた私の脳裏で、ひとつの疑問がわき上がったのである。「二郎ラーメンは明らかにジャンクフードだ。ではジャンクフードとは何か?」
Wikipediaでは「ジャンクフード(junk food)とは、エネルギー(カロリー)は高いが他の栄養価・栄養素の低い食べ物のこと。」と書いているが、二郎ラーメンがカロリー以外の栄養価が低いとも思えない。
単にカロリーが高いことがジャンクフードの条件にすれば、氷砂糖なども入ってしまうことになる。
昨年の夏から秋にかけて色々考えた末に、遂に私は妥当と思われるジャンクフードの定義にたどり着いた。キーワードは「過剰」である。
ジャンクフードの定義(松浦による、2007)
・炭水化物を中心に
1)過剰な塩分と油脂で味付けされた食物
2)さらにそれらに
a)過剰なアミノ酸
b)肉、チーズなど過剰なタンパク質
c)過剰な香辛料
の一部、ないし全部が付加された食物
・タンパク質を中心に
1)過剰な塩分で味付けされた食物
2)さらにそれらに
a)過剰な油脂
b)過剰なアミノ酸
c)過剰な香辛料
の一部、ないし全部が付加された食物
この定義ならば、カップ麺や駅の立ち食い蕎麦や牛丼から、ビーフジャーキーや魚肉ソーセージに至るまでをカバーすることができる。
すべての項目に「過剰」とあるところに注意して貰いたい。過剰さこそが、ジャンクフードのジャンクフードたる所以なのである。
この定義に従うと、二郎ラーメンのジャンクフードとしての完成度が見えてくる。まず、中心となる炭水化物は自家製極太麺だ。醤油味で化学調味料たっぷり豚骨スープには、塩分とアミノ酸がたっぷり入っている。もちろん脂ぎとぎとで油脂は十分。「ブタ」と称する極端な厚切りチャーシューで過剰なタンパク質という条件もクリアする。「ニンニク」山盛りトッピングで、過剰な香辛料もオッケーだ。
しかし、それだけに留まらないのが二郎ラーメンの恐るべきところと言えるだろう。「野菜マシマシ」のコールとともにトッピングされる山盛りのゆでたもやしとキャベツ。
そう、二郎ラーメンには、「過剰な野菜」というもう一つの隠し武器まで装備されているのだ。すごいぞ二郎ラーメン、まさに無敵。最強のジャンクフードの名にふさわしい。
そんな二郎ラーメンの欠点は、極太麺を茹でるため、作るのに時間がかかるということ。店の前にはいつも行列ができるので、熱烈なジロリアン以外は、なかなかその味に触れる機会がない。中毒患者を増やすのが困難なのである。
ふ、そんなことでは世界征服に使えぬではないか。目指すはジャンクフードによる世界の食の蹂躙。手本はマクドナルド、と、昨年来「究極のジャンクフード」というレシピをつらつらと考え続けている。モデルは二郎ラーメンだ。これを短時間でサーブ出来るように改良すれば、世界のいかなる民族をも味で支配できるに違いない。
わはははは、世界が我の足下にひれ伏す日は近いぞ。
が、考えてみれば、ジャンクフードで生活習慣病ばかりの国民となった国を征服しても、大して面白くはないのだっだ。
究極のジャンクフードレシピは、とりあえずは、レインボーマンの「死ね死ね団」あたりに、「日本を破滅させるにはこれっすよ」とフランチャイズ権として売りつけるのが適当なのであろう。
なにやら話が妙な方向に向かってしまったが、気にせずまとめることにしよう。
上記のジャンクフードの定義から、「過剰」を抜いて、代わりに「適度」と入れてみよう。
・炭水化物を中心に
1)適度の塩分と油脂で味付けされた食物
2)さらにそれらに
a)適度なアミノ酸
b)肉、チーズなど適度なタンパク質
c)適度な香辛料
の一部、ないし全部が付加された食物
・タンパク質を中心に
1)適度な塩分と油脂で味付けされた食物
2)さらにそれらに
a)適度なアミノ酸
b)適度な香辛料
の一部、ないし全部が付加された食物
途端にヘルシーフードに早変わりする。二郎ラーメンのようにこれに適度の野菜が加わるならば、けっこうな健康食だ。
つまりは程度問題であり、人間の脳は過剰に対して快感を感じるようにできているのだな、というまあ当たり前と言えば当たり前の話なのであった。
——我ながら詭弁っぽい話ではあるが、ともあれ昨年来ジャンクフードについて考え続けているのは事実。ちょっとばかり実験もしているのだけれど、その話はまた気が向いたら。
写真はラーメン二郎神保町店のラーメン。