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カテゴリー「スポーツ」の10件の記事

2013.04.30

東京にオリンピックを???

 猪瀬直樹都知事が、2020年オリンピック招致を巡ってニューヨークタイムズから受けたインタビューで「アスリートにとって、いちばんよい開催地はどこか。インフラや洗練された競技施設が完成していない、2つの国と比べてください」と立候補国を比較する発言をし(IOC行動規範は比較を禁じている)、「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、互いにけんかばかりしている」と誹謗ともとれる発言をした——と、ニューヨークタイムズが記事を掲載し、波紋が拡がっている。

NHKニュース:すぐ消えるだろうが、この手のニューズの扱いがもっとも遅れるであろうNHKに掲載されたので。
毎日新聞

 これに対する猪瀬知事コメントは、知事のフェイスブックに掲載された。
猪瀬直樹facebook

 私は、IOCの行動規範第14条を充分理解しており、これまでも遵守してきている。今後も尊重し遵守していく。
記事の焦点が、あたかも東京が他都市を批判したとされていますが、私の真意が正しく伝わっていない。
 私は、トルコに行ったこともあり、イスタンブールは個人的にも好きな都市である。私には、他の立候補都市を批判する意図はまったく無く、このようなインタビューの文脈と異なる記事が出たことは非常に残念だ。
 私の招致にかける熱い思いは変わらないし、今後もIOCルールの遵守、他都市の招致活動への敬意をもって、招致活動に取り組んでいく。

 知事がどう思ったかは問題ではなく、具体的にどういう文脈でどのような発言をしたかが問題となっているのだが。

 ともあれ——個人的に不思議なのは、「なぜそこまでオリンピックにこだわるのか」ということだ。石原都知事時代に一度落選し、なおかつ運動を復活させ、しかも知事が猪瀬知事となっても運動を継続展開する理由が、私には分からない。
 私の周囲にも、「東京の古くなった都市インフラを一気に再整備するにはオリンピックをするしかない」という人がいるのだけれど、そんな内向きの理由だけでオリンピックを招致していいの?

 1964年の東京オリンピックは、首都高速道路を始めとしたインフラ整備に目が行きがちだけれど、実際には敗戦・占領を経た国が国際社会に再デビューを果たすという意味合いが大きかった。1963年に日本は「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」12条国から11条国に移行している。GATTでは、11条で自由貿易を規定する一方で、経済力の弱い国の自由貿易の制限を認めている(12条)。日本は1955年にGATTに加盟した時は12条の適用を受けていたが、1963年に11条国へ移行した。また1964年4月にはIMF(国際通貨基金)協定第8条を受託してIMF8条国に移行している。IMF8条は、自国通貨の交換性維持や差別的通貨措置(例えば自国に有利に相場を政策的に設定すること)の回避などを記した条項だ。GATT11条とIMF8条は、簡単に言えば国際的な貿易ルールの基本を定めたもので、日本がそれに従うということは、国際的な財貨の流れの中に復帰することを意味した。1964年10月の東京オリンピックには日本の国際社会復帰をアピールする意味があったわけである。

 このあたり、誰かが仕組んだというよりも、時代の流れの歯車がそのように噛み合っていったということのようだ。1959年5月に、1964年オリンピック開催地として東京が選出されている。一方IMF8条国移行は、1960年代に入ってから問題になりはじめ、1962年11月のIMF対日年次協議(東京にて開催)で、「日本は8条国に移行すること」という対日勧告が採決されている。GATTの12条適用の可否はIMFが判断することになっており、この対日勧告で自動的にGATT11条国移行も不可避になった。
 かくして日本の国際貿易体制への復帰とほぼ同時期に、海外から人もメディアも集まってくるオリンピックが開催されたわけである。

 今回そのような外向きの誘致の理由はない。となると、オリンピックという道具の使い道は、東京のインフラ再整備しかなくなる。インフラの再整備はどのみちやらねばならないことだし、拙速で変なハコモノを作ると今後100年は後を引くだろう。そこまでのリスクを取ってまで、たかだか2週間のお祭りを引っ張ってくる理由は、私にはないように思える。
 オリンピックの価値もかつてほどではないだろう。レスリングの五輪種目外れ問題に見るように、ますますオリンピックはショーアップされたお祭りと化している。たんまりと公費を突っ込むには、あまりにコストパフォーマンスが悪くはないだろうか。
 同じ肉体を駆使するショーなら、私はXスポーツを引っ張ってきたほうがずっと面白いと思うのだけれど(もちろんXスポーツを名目に、インフラ整備を行うことはできないだろうが)。

 その昔、墨田区の古老から東京オリンピックの印象を聞いたことがある。「川向こうでなんかやっとるという雰囲気で、こっちはどうってことなかったねえ」と言われて、はっとした。川とは隅田川だ。同じ東京でも、代々木のあたりと墨田区ではそれほどまでに大きな温度差があったのだ。50年を経てはるかに多様化した東京にオリンピックを誘致しても、面倒ばかり増えて大きな意義はないのでは、と思うのである。

 個人的には日本にオリンピックを誘致するとしたら東北。東日本大震災からの復興を見計らったタイミングで、と考える。もっと言うならオリンピックよりILC(国際リニアコライダー)誘致のほうがずっと有意義で、生きた投資となるだろう。

2009.01.17

世界記録樹立のチャンス

Gokurakutonbo1_3

 今年の鳥人間コンテストが中止となった。来年、2010年は実施するとのこと。

2009年開催休止と2010年開催のお知らせ

 さて、2009年の大会ですが、残念ながら休止することが決定しました。
 昨今の厳しい経済環境はテレビ業界も同様で、番組制作費の見直しが検討されております。その中で、「鳥人間コンテスト」は参加者の安全な飛行を重視して大掛かりなセットや救助システムを組んでおり、予算削減を理由に安全面を軽視することは考えられません。事務局としても、大会開催にむけて検討を重ねてまいりましたが、上記の理由で09年の開催休止を選択しました。バードマン、また関係者の皆さまには、何とぞご理解を承りたくお願いいたします。

 これを受けてmixiの鳥人間コミュ(閲覧にはmixiのアカウントが必要)では、色々な意見が飛び交っている。「つまらないバラエティー番組から切ってほしかった」とか、「会社の上のほうは何が適切な費用かを判断できていない」と、怒りの声も出ている。

 しかし、これはチャンスではないか。

 世界記録に挑戦するチャンスなのだ。

 現在の鳥人間コンテストに参加する上位チームの実力は、私の見るところ、人力飛行機の飛行距離世界記録を狙えるところまで来ている。
 しかし、鳥人間コンテストに参加する限り、いくら飛行距離を伸ばしても、世界記録としては認められない。人力飛行機の世界記録のレギュレーションには、「自力で地上から離陸すること」という条件が付いている。湖面から10mのカタパルトから離陸する鳥人間コンテストでは、いくら長距離を飛んでも世界記録として公認されないのだ。

 私は2003年8月に、鳥人間コンテスト常連だったヤマハ発動機の「チーム・エアロセプシー」が琵琶湖で日本記録を目指して飛行を行った時、随伴ボートに乗って取材した。この時、エアロセプシーのリーダーである鈴木正人さんから、記録と鳥人間コンテストの関係を色々とお聞きした。

 当時の取材メモを引っぱりだして、要約すると以下の通り。

・日本の機体の水準は世界トップクラス。世界記録が狙えるところまで来ている。
・世界記録を出すためには、機体、パイロット(操縦技術と体力)、飛行に向いた良いコンディションの天候の3つが必要。このうち、良いコンディションの天候が一番難しい。アメリカが世界記録を出した時は、天候が飛行に向いたギリシャにチームが乗り込み、1ヶ月間も風待ちをして最高のコンディションの天候で飛行を実施した。
・自分たちサラリーマンの挑戦では、風の良いコンディションを1ヶ月も待つということができない。

Gokurakutonbo2_2

 実際、この時のエアロセプシーの飛行は、琵琶湖上空の空気が最高のコンディションとなる7月末から8月始めの2週間の週末土日4日間だけが飛行のチャンスだった。かならずしも最高の風ではない状態で飛んだ「極楽とんぼ」だが、10.9kmという当時の日本記録を樹立した。

 私は、鳥人間トップクラスの大学生チームが、最高の飛行コンディションが狙える土地に乗り込み、1ヶ月の風待ちをするなら、マサチューセッツ工科大学(MIT)の記録を破ることだって夢ではないと思う。

 MITの世界記録は1989年4月23日に達成。場所はギリシャ・クレタ島、機体は「ダイダロス」、パイロットはK. Kanelopoulos。飛行距離は119kmだ。
 一方、日本記録は日本大学航空研究会の「Möwe21」が2005年8月6日に、静岡県庵原郡蒲原町・富士川滑空場〜駿河湾で出した49.172kmである。パイロットは、増田成幸。

 もちろん記録への挑戦は容易なことではない。まず、機体を自力離陸可能なように改造する必要がある。チーム・エアロセプシーの機体「極楽とんぼ」は、一部の動力を車輪に回して、地上離陸を容易にする工夫がしてあった。
 また、鳥人間コンテストのように、飛行環境を全部テレビ局が整えてくれるのではなく、関係官庁や地方自治体、地域住民などに説明に回って、記録飛行を行える環境を整える必要がある。これはかなりの負担だ。

 それでも、得られるものは大きい。鳥人間コンテストは、基本的にテレビ局主催のショーなので、風や天候の条件が最高ではなくとも、主催者が飛べると判断したならば飛ばなくてはならない。世界記録を狙うなら、記録飛行に適した最高の土地、最高の天候を選ぶことができるのである。

 MITの「ダイダロス」は、例えばギアをマグネシウム合金から削り出すというようにすべての部品に惜しみなく予算を投じて軽量化した機体だった。その機体と、競輪選手並みの脚力のパイロットを組み合わせ、最高の天候が見込めるギリシャに乗り込んで、ぎりぎりまで風待ちをして出した記録だ。

 しかし、その記録もすでに樹立から20年経っている。その間の技術の進歩は著しい。鳥人間コンテストでさんざん鍛えられてきた日本のチームが世界記録を狙える可能性は十分あるだろう。

 「当事者でもないのに無責任なことを言うな」と言われそうだが、どうせテレビ番組が中止になったのだ。ならば、テレビに関わっていてはできないことをすればいい。世界記録を出して、読売テレビに「やはり他の番組を潰しても、鳥人間コンテストを開催しておくべきだった」と後悔させてやればいい。

 番組がなくともやれることはある。がんばれ、バードマン達。

 写真は、2003年8月3日、琵琶湖におけるチーム・エアロセプシー「極楽とんぼ」記録飛行の様子。早朝の風待ち(上)と記録飛行(下)。撮影:松浦晋也


 過去30年の歴史をまとめたDVD。鳥人間コンテスト30年の記録だ。

 鳥人間コンテストが、日本の航空界に与えた影響は莫大だったと言わねばならない。三菱重工ですらろくに新型機が作れない状況下で、規模こそ異なるものの、参加者達は毎年1回、必ず新型機を作り、30年以上に渡って琵琶湖に集まってきたのだ。どんどん新しいものを作るということが、物事を進めるのにどれほど大切なことか。



 ずっとテレビ番組で見てきたが、残念なのは年を追う毎に番組が演出過多になっていったこと。本人はろくに飛行機に興味を持ってもいないお笑い芸人など不要だ。狙って演技するアナウンサーの絶叫も邪魔以外の何者でもない。お涙頂戴のビデオ編集はうっとうしいだけである。



 私はただただ、飛行機が見たいのだ。琵琶湖上空を晴れ晴れと飛ぶ、バードマン達の飛行機が見たいのである。

2009.01.06

“c”か“o”か“f”か“e”

 ネットをさ迷っていて見つけた記事。

朝鮮日報の特集「部活と学業」は衝撃的だ
 韓国における、スポーツ選手の教育におけるかなり悲惨な状況を、朝鮮日報がレポートしているという話だ。

 代表的な記事一本へのリンク。

部活と学業:スポーツ部所属は全体の1%、10万2899人

2007年末の時点で大韓体育会に登録された小・中・高校生および大学生のスポーツ選手は1万7471チームの10万2899人だった。これは児童・生徒および学生総数1064万人の約1%に当たる。(中略)
 これら10万人以上の登録選手は、学生でありながら勉学を行う機会がほとんどないまま放置されている。1986年にソウルで行われたアジア大会や88年のソウル五輪を契機として、競技力の向上に向けた施策が国家レベルで推進された。そのためスポーツ選手が勉学を行う機会はほぼ失われ、それが今に至るまで続いている。
(中略)
 学生選手たちは「合宿所は軍隊と変らない」「合宿所で勉強すると変わり者扱いされる」などと語る。

 なるほどなあ。

 大韓民国の人口は5000万人弱。すぐれた素質の持ち主が出る確率は人口に比例するから、少ない人口で多数の強い選手を育てるには相当な無理をしなくてはならないわけだ。

 これらの記事から推し量るに旧東欧圏のステートアマも相当ひどい状況だったのだろう。

 そこで思い出したアメリカンジョーク。マッチョの国アメリカでも、体育系学生の教育は悩ましい問題のようだ。
 確か大分以前に読んだ藤原正彦「若き数学者のアメリカ」に載っていたと記憶している。以下のジョークも、記憶違いより変形されている可能性が大きいことを付記しておく。

コーチ「先生、なんとかこの学生を卒業させることはできませんか。彼は我が校アメフトチームのエースなんです。卒業後はプロチームに入ることが決まっています。卒業させないなんてことはできません」
先生「とはいえ、あれほど成績が悪いと…」
コーチ「そこをなんとか」
先生「いいでしょう、どうすればいいですか」
コーチ「簡単な文章の書き取りテスト、例えば“私はコーヒーを飲みます”と書ければ合格、というのはどうでしょう」
先生「では、それで…」
コーチ「いやいやっ、先生、彼はきっとそれすら出来ないかも知れません。単語の一つが正確に書ければ合格にしてください。例えばcoffeeと書ければ合格というように」
先生「…それでよろしいですか」
コーチ「…ああっ、やっぱりダメです。私には彼が正しくcoffeeと綴ることができるという自信がありません。とりあえず、答案用紙に書いた単語に、“c”か“o”か“f”か“e”か、どれでもひとつ入っていたら合格ということにしてください」
先生「いいでしょう、その条件で彼にテストを受けてもらいます」

 後日、コーチは「不合格です」という宣告と共に、答案用紙を見せられた。アメフトのエースが提出した答案用紙には以下のように書き込んであった。すなわち、“kauphy”


 著者の出世作。新田次郎を父に持ち、藤原ていを母にもつ数学者の著者が、1970年代にアメリカの大学で教師を務めた体験をまとめたもの。若々しい感性と両親譲りの端正で分かりやすい文体とが、とても魅力的な作品だ。この著者も、今や「国家の品格」の人だ。歳月は人を変えるのか、それとも変わらないものが歳月の摩滅に従って表に出てきたのか。ともあれ、本書が描き出すのは「内実を国家の権威で支えて貰う弱い人」ではなく、「一人の人間として品格を保ちつつアメリカの大学生活を鋭く観察し、同時に自分の内面を省みる若者」である。

2008.06.06

ヒルクライムで負ける

Nishiharima

 A-Bikeだが、相変わらず便利に使っている。今回、はじめてヒルクライムに挑戦してみた。

 6月4/5日と、宇宙作家クラブで、兵庫県の西はりま天文台にある2m望遠鏡「なゆた」の見学に行った。西はりま天文台は、JR佐用駅から6kmほどの山頂にある。地図を見ると高低差200mほど、普通の自転車ならば、まあ上れるであろう程度の坂だ。

 せっかくだから、と、わざわざA-Bikeを持ち込んで走ってみた。

 駅から2kmはゆるやかな道で、何の問題もなかった。ところが上りにかかると、やはりダメ。ギア比を選ぶことができないので、息が上がってしまう。短い坂ならなんとかなるが、これだけの長い坂になると、脚に合わせたギア比を選べなければどうしようもない。

 結局かなりの区間を押して登ることとなった。兵庫の山奥までわざわざA-Bikeを持ち込んだ意味がまるでないように思えるが、それでも一部区間はA-Bikeをこいで登ることができたので、まあよし。チェーンが切れるぐらいのことはあるかもと思っていたが、機械的なトラブルは出なかった。

 結論から言えば、A-Bikeでヒルクライムはやめておいたほうがいい。そういうことにつかう自転車ではないということを身を以て確認した。

 なゆた見学は、西はりま天文台顧問の森本雅樹先生も合流してくれて、とても楽しいものとなった。案内をしてくれた同天文台の鳴沢真也さんに感謝。雲で2m鏡による星を見ることができなかったのは少々残念。いずれリベンジをかけることとする。

Nayuta

 一晩、ロッジに宿泊し、翌日は近くにある放射光設備SPring-8の見学。晴れていたらA-Bikeで坂を下っていこうと思っていたが、土砂降りの雨のために断念。


 案内をしてくれた鳴沢さんの著書。自分の天文屋人生と、西はりまに2m望遠鏡ができる経緯をつづっている。後半は、光学的手法による知性体探索(OSETI=Optical SETI)について書いている。西はりま天文台は日本で唯一、OSETIを実施している天文台だ。

 飾りのない言葉でつづられた、とても良い本だ。「ああ、ここにも“望遠鏡を作る人”がいたんだ」とちょっと胸が熱くなった。実は、森本雅樹先生にも、「望遠鏡を作る人びと」(岩波書店1972年)という子供向け名著があるのだ。小学生の私の愛読書だった。



 森本“マッキー”の武勇伝は色々と聴いていたけれども、改めてお話しすると、とても愉快、かつ本質に直接的に突っ込んでくる方だった。酒宴での鹿野司さんとの議論はすごかった。

 アメリカの天文学者ヘールが、ヤーキース1m、ウィルソン2.5m、パロマー5mと次々に大きな望遠鏡を作っていった話になったとき、森本先生は「おじさんはねえ(森本先生は自分の事を“おじさん”という)、大きなものを追ったことはなかったな。いつも本質的に新しいことを目指してきた」と言った。東京天文台に6m電波望遠鏡を作り、野辺山に45m電波望遠鏡を作り、さらにはスペースVLBIへと、ミリ波の電波を使う新しい電波天文学を開拓したパイオニアの自負心を聞いた気がした。

2008.05.17

BD-Frog:サドルとシートピラーを交換する

Seat7


Seat1 BD-Frogのシートピラーは、二重になっていてかなりシートを高くすることができる。しかし身長が低く足が短い私には全く無意味だ。

 この部分、なんとかして軽量化したいものだよなと思い、以前BD-1から外したシートピラーをひっぱり出してきた。どうやらうまく付きそうだ。新しい軽めのサドルも買ってきた。ポントレガーの「インフォームR」というサドルだ。写真は左から、オリジナルのパイプが二重になったシートピラー、真ん中が新しいインフォームRサドル、右がBD-1に附いていたシートピラーとサドル。




Seat2 Seat3



 そのままで重量を測ってみる。オリジナルのサドルとシートポストは954.5g、BD-1のサドルとシートポストは821.5g。交換するだけでも120g以上軽量化できることになる。



 Seat4 新しいサドルは237.5g。サドルを交換すれば、さらに100g程度は軽くできそうだ。




Seat5 Seat6



 サドルを交換し、長すぎるシートポストは思い切りよく切断してしまう。折りたたんだときの邪魔になるからだ。もちろん切った分だけ軽くもなる。

 できあがったサドルとシートポストの重量は636g。なんと318.5gも軽くなった。前回のステムの交換で188.5g軽くなっているので、トータルでは507gの軽量化である。畳んで持ち上げてみると「お、軽くなったな」というのが分かる。

 これはせっせと輪行しないと損だ。

 軽量化したBD-Frogで、早速このあたりの登坂練習のメッカである湘南平を登ってみた。

 500g軽くなったぐらいでは、あまり走りが良くなったとは思えない。相変わらず上りはつらい。湘南平には、近くの高校の体育系部活もジョギングに来ている。自転車に乗っているにもかかわらず、上りでジョギングの高校生達に抜かれた。つくづく情けない。もっと鍛えねば。

 自分の目算としては、トータルで1kgぐらいまでは軽量化できるのではないかと踏んでいる。つまりあと500gだ。サドルとシートポストを軽い部品に入れ替えるとあと200gぐらいは簡単に軽くなるはずである。もちろんこれまでのようなBD-1余剰部品の再利用とは違って、お金がかかるわけだ。




Seat8


 まあ、自転車の軽量化に血道を上げるよりも自分を軽量化するほうが、ずっと削り代は大きいし健康にもいいし、余計な部品代も不要ではある。




Intoaz1


 ちなみに、AZ-1にも積んでみた。簡単に積み込むことができ、運転の邪魔にもならない。これなら車で遠出してサイクリングという遊び方もできるな。

2007.09.29

ビンディングで走る

Pedal


 A-Bikeにうつつを抜かしていた今年の前半、いつも乗っているGIOSはどうなっていたかというと、写真の通りになっていた。

 ペダルの形が変わっている。ビンディング・ペダルにしたのである。

 通常のペダルは脚が固定されておらず、踏み込む時だけペダルに力がかかる。なんらかの方法でペダルを脚に固定すると、脚を持ち上げるときも、ペダルに力をかけることができる。使う筋肉が増えるので、それだけ力強く効率的に自転車を漕ぐことができる。

 脚を固定する方法には、トウクリップというのもあるのだけれど、最近は金属の爪のついた専用の靴を履き、爪が噛み込む専用のペダルと組み合わせて使用する、ビンディングが一般的である。

 ビンディングにはオンロード、オフロード、レース用など様々な種類がある。あまりレース指向のものは、靴底がカーボンで軽量化されており、自転車を降りた時に歩きづらい。完全に自転車に乗るため専用の靴となっている。
 そこでシマノのSPDというシリーズから、ツーリング用のモデルを買って装着した。ペダルとシューズ、合わせて1万円弱の出費だった。

 ビンディング・ペダルの中には、ペダルの表裏で、通常の靴と使い分けることが可能なものもあるが、私は両面ともビンディングになったものを選んだ。中途半端では、使いこなすことができなくなると思ったからだ。だから現在。私のGIOSは専用の靴を履いていないと乗ることができなくなっている。


 ビンディングでは、まずなによりもペダルから脚を外すことを覚えなくてはならない。
 脚を固定してしまったら、止まる時に倒れてしまいそうに思うが、その時は足首を軽く横方向にひねると、簡単にはずれる仕組みとなっている。
 いついかなる時も止まりそうになった場合に、無意識のうちに足首をひねってペダルをはずせるようにしておく必要がある。

 私は運動神経が鈍いほうなので、長い間ビンディングを使うのをためらっていた。今回の導入にあたって、実際の使用者数人に「転ばないかねえ」と聞いてみた。

 全員が「転ぶね」「絶対転ぶね」と答えた。

 早い話、全員が転倒の経験者だったのである。

 どうやら、こればかりは転んで覚えるしかないらしい。となると、車道に倒れたところに自動車が来るというような致命的な事態だけは絶対に避けるということに専心するべきだろう。そう、覚悟を決めて乗り始めた。

 まず、ビンディングの効果だが、これは抜群だ。自転車のグレードを上げた位の大きな変化がある。こんなに効果があるとは事前には予想もしていなかった。
 それまで約20km/hで走っていた力で25km/h以上の速度を出すことができる。一生懸命走るだけではなく、適当な速度で流す場合も、ずっとリラックスして走ることができる。
 ただし踏み込むだけではなく、脚を引き揚げる力も利用するので、脚を丸く回すという意識が大事になる。もっとも脚を丸く回すというのは、自転車本来の脚の使い方だから、きちんと自転車に乗るという意味では望ましい。

 シューズの底には金属の爪が付いており、歩くと床とこつこつあたる。しかし私が買ったシューズの場合、ほとんど違和感はない。これで山道をハイキングするとなるとつらいだろうが、街中を数km程度歩く場合には十分である。

 実際の走行では注意深く交通の流れを読んで、「これは脚を下ろすことになりそうだ」と思ったら無理をせず、いち早くどちからの脚をはずしておくことが必要だ。
 そんなに難しいことではない。いままで以上に注意深くなり、「無理をすれば行けそうだ」という判断をしていたところを「無理だ」と判断するように習慣づければいい。
 足首をひねるという動作そのものは簡単に覚えることができる。むしろ、どのタイミングで脚をはずすかという判断が重要になる。

 これまでに2回転んだ。どちらも自転車で街中を走っている時ではなく、帰宅して自転車を降りようとした時に、ついうっかり脚を外すタイミングが遅くなってしまい、ひっくり返ってしまったのだった。
 走っている時は緊張しているせいか、転ぶことはなかった。むしろ、「やれやれ、帰ってきたぞ」と緊張が抜けたところで、「あれれ、脚がはずれないぞ!」となって転んだのである。

 ここ半年ほどは、転ぶこともなく快調に走っている。専用の靴を履くというのも、ちょっと慣れればいいだけの話で、特に不便になったという印象はない。使いこなせずに転倒する危険よりも、ビンディングを導入したことで、走ることが楽しくなるというメリットのほうがはるかに大きい。
 これほど簡単に、大きな効果が得られるなら、もっと早くから使ってみるべきだったというのが率直な感想である。

 実際問題として、高校生になったら学校で自転車教室を開き、ビンディングの使い方を教えても良いのではないかとすら思う。

 ビンディングを自転車に乗るための基礎的技能と考え、自転車は専用の靴を履いて乗ると習慣づければ、タバコ吸ったり携帯電話を使ったり音楽を聴いたり道の右側を逆走したりといった、マナーもモラルもない暴走自転車を減らせるのではないだろうか。

 というわけで、今のところ私は、サイクリングをするのも、ちょっと買い物に行くにも、ビンディングを使って走り回っている。
 これは自転車にとって、偉大な発明だ、と思いつつ。

楽天内のビンディングペダル一覧

楽天内の自転車用シューズ一覧

 一応楽天にリンクしておくが、種類が多く、また体にきちんと合ったものを選ぶ必要があるので、自分が自転車専門店に赴き、試着した上で購入することをおすすめする。ロードレース用からBMX用、サイクリング用と様々な種類があるので、自分の自転車の乗り方を考えて選ぶこと。

2007.01.27

よびかけ:自転車を歩道に閉じこめる道路交通法改正に反対のパブリックコメントを

 「はやぶさ2」関連で記事を書いていた間に、色々と用意していたネタが時期はずれになってしまった。ひとつ期限切れになりかけそうな話題を大急ぎで書く。

 大変申し訳ないのだけれども、また呼びかけだ。

 警察庁が、次期国会の道路交通法改正で、自転車を原則車道通行から、原則歩道通行へと変更しようとしている。

 これはとんでもない暴挙だ。こんな無理筋の法改正を許してはならない。

 この問題については、“自転車ツーキニスト”で有名な疋田智氏が精力的に反対運動を組織している。

 疋田メルマガから、現状を簡単に簡単にまとめると、警察庁は、自動車の車道における制限速度を引き上げようとしている。そこで邪魔になる自転車を歩道に上げようとしているのだ。
 ところが現在の統計では自転車の事故は出会い頭の衝突が多い。つまり歩道を走行していた自転車が車道を横断する時に自動車と衝突するのだ。もちろん歩道の歩行者は自転車に脅かされている。

 普通に考えるならば、自転車を車道オンリーにしてもおかしくはない状況なのに、逆をやろうとしているのである。

 どうやって逆の話を通すか。

 警察庁はその部分を隠蔽して隠蔽して、いかにも官僚的な言葉遣いで、一見強制ではないように読めるが、実は警察が自由に自転車の車道走行を禁止できる条文を作ろうとしている。

 交通安全を目指すべき交通警察の自己否定のような行動だ。

 本来なら警察庁が行うべきは、自転車をきちんと交通体系の中に位置付け、そのメリットを他の交通機関との折り合いをつけつつ最大限に引き出せる制度を作ることだろう。それが、一体どうしたことだろうか。

 ただでさえ、自転車は1978年の道路交通法改正で、「暫定的に歩道通行可」となり、それから30年近く放置されてきている。警察庁は自らの怠慢を棚上げにしたまま、さらに自転車を圧迫するというのはどういうことなのだろう。

 なぜ、警察庁がこのようなことをしようとするかは分からない。自動車の制限速度引き上げは、自動車業界が長年動いているところなので、「自動車業界に天下りの席でも提供されたか」と勘ぐるぐらいである。警察庁にはパチンコプリペイドカードという強引な利権漁りの前科があるので、なにかあっても不思議ではない。

 この件について、警察庁は1月28日日曜日の締め切りで、パブリックコメントを募集している。

 「はやぶさ」に引き続きで、まったく私らしくもないのだけれども、そして締め切りぎりぎりではあるのだが、もしもこの件に賛同してもらえるなら、警察庁に反対のパブリックコメントを送付して頂ければと願う。

 送り先は次の通りだ。

koutsukyoku@npa.go.jp
※件名にパブリックコメントと必ず記入すること。

または
〒100−8974
郵送東京都千代田区霞が関2−1−2 意見提出先 警察庁交通局交通企画課法令係 パブリックコメント担当
FAX 03−3593−2375
※1枚目にパブリックコメントと必ず記入すること。

 1978年の暫定的道路交通法改正によって、おおくの人は自転車がゆっくりと歩道を走るものと思いこんでしまった。中国製の安価低品質の自転車が氾濫したこともあり、「自転車ってその程度の道具」という認識が一般化してしまった。

 しかし、実際には自転車はすこし鍛えれば誰だって1日100km以上を走れる、極めて優れた省エネ交通機関なのだ。大気汚染、地球温暖化といった今後のことを考えると、自動車のために道をゆずるどころか、逆に自動車をどけて自転車専用道を整備してもいいはずであり、実際欧米ではその方向に進んでいる。

 私は、最新の材料科学と加工手法とが合体すれば、雨風関係なく誰でも時速30kmで走れる自転車の時代が来るだろうと予測している。

 そこまで行かなくとも、ロードサイクルで車道を走る爽快さを自動車産業のために奪われるのはたまったものではない。自転車で安全に颯爽と走れる社会を維持発展させるべきだ、と考えるものである。


 以下、疋田氏のメルマガから、関連部分へのリンクを張る。参考にして欲しい。

  • この問題を最初に取り上げた「週刊 自転車ツーキニスト」270号
      「航空自衛官が、深夜の合同演習!」なんて、おバカなことを書いているうちに、ホントにヤバいことが、着々と進行していた。  例の警察庁「自転車対策検討懇談会」の話だ。  彼らは、昨日(30日)、

      1. 子どもや高齢者、買い物目的などでの利用の場合
      2. 交通量が多く車道が著しく危険な場合

       の二つの場合に限り、歩道での自転車通行を認める、という提言をまとめたのだという。

      (中略)

       いや、笑いごっちゃない。
       これはいったいなんだ? 一見、口当たりがいい提言だけに、これは真面目に危機だぞ。

      ■「車道締めだし」の亡霊再び

        文言を何気なく解釈するなら「あ、そ。車道は危険だからね。老人子供は歩道でいいんじゃない? よっぽど危険な車道も、歩道でいいよね」と、通り過ぎてしまいがちなんだが、私の率直な感想を言うと「出たな妖怪、またまた出たな、警察庁&交通安全協会」というところだ。
       この「提言」とやらは、まさしく「蟻の一穴」というヤツで、容易に次のステップを踏める可能性をたたえている。また現実として「歩道通行は当たり前」という誤った常識があるだけに、私はかなり危機感を持っているのだ。
       いや、「提言」というより、これはこのまま「法律改正案」となり、来年の通常国会に提出されるのだ。法案の卵と言いきってしまった方がよろしい。
       そして、その「法案の卵」が向いている方向性は、ただ一つ。

      「自転車の車道締め出し」にある。


  • 同271号


       件の警察庁「自転車対策検討懇談会」の話だ。11月30日発表で、懇談会は次のような提言を行った。警察庁はこの提言をベースに、来年早々の通常国会に「道路交通法改正案」を、提出するのだという。
       我々に関係ある部分を要約すると、次の通り。

       自転車は、
      1. 子どもや高齢者、買い物目的などでの利用の場合
      2. 交通量が多く、車道が特に危険な場合
       の二つの場合に限り、歩道での通行を認める。

       詳しくは警察庁のサイトを見ていただきたいが(「自転車の安全利用の促進に関する提言」について)、一見すると「あれ? 前からそうではなかったの? これって当たり前のことじゃない。老人子どもは危険だし、歩道でもいいよね」などと思われがちなところが、危ない。
      「提言」の中身をつぶさに見ていただければ分かるが、この提言は「自転車は世界各国を見ても車道通行が通常である」というようなことにきちんと言及しているようなフリを見せながら、そこに「日本独特の自転車利用のあり方」などを論い、その上で、危険な条項がチラチラと「衣の下の鎧」として散見できるのである。
       いいですか、たとえば、一番の例をあげるならば、次の部分だ。

      第4、2(4)「自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止することなどの措置を講ずること」

       お分かりだろうか。
      「特に危険」と判断されるならば、自転車は、車道通行を禁止されてしまうのである。
       一見、自転車のために必要な措置だから、と、勘違いされがちな本条項だが、その「特に危険」という判断は、誰が行うのか、そして、その「特に危険」は、どこまで解釈が可能なのか。そこの部分があえて無視されている。だが、その判断の主体が警察当局になるであろうことは、火を見るより明らかだ。
       また、その書き方において、「特に危険な場合の措置」は、あくまで「例外的措置」のように見えるのだが、それが「例外」である保証はまったくない。
       いや、この「例外」は、必ず「将来の標準」になるために用意されていると見た方が妥当だ。
       何しろ、警察は、こと自転車に関しては、「例外」を、実質的な「標準」に、「標準」を実質的な「禁止条項」にしてきた、大きな実績があるのだ。
       1978年の悪夢を思い出してみれば分かるだろう
       悪名高い道路交通法第63条は「自転車は原則的には、車道の左側を通行するべきもの、しかし、指定された『自歩道』だけは歩道通行可」と定めている。
       つまり、自転車の歩道通行はあくまで「指定された歩道だけの例外的措置」だったのだ。ところが、その結果、78年以降、この国において実際には何が起きただろうか。
       日本のあらゆる歩道が、自転車で溢れ、歩道の状況は絶望的な混沌状況に陥ってしまったのは、誰が見ても明らかなとおりだ。自転車は実質的に「歩道を走るべきモノ」となり、ママチャリという奇妙な歩道専用車が生まれ、本来走るべき車道からは、実質的に排除されてしまうことになった。警察官が「キミキミ、危険だから、歩道に上がりたまえ」というのは、自転車乗りならば誰もが一度は経験したことがあるはずだ。
       また周囲の一般的な人々に聞いてみるがいい。
      「自転車はどこを走るべきものですか?」もしくは「自転車でどこを走っていますか?」と。
       100人が100人「歩道です」と答えるはずだ。なぜなら「車道は危険だから」。
       おかしいじゃないか。
       あれから30年も経ったはずなのに「車道は危険」のままなのである。そもそも78年の改正法は、いつかは自転車は世界標準の如く車道に戻すはずの緊急避難的な暫定措置だった。道路インフラが整い、自転車の走行空間が確保され次第、自転車は車道に戻るはずだったのだ。ところが、それが30年放置され、あろうことか、その30年後の今「自転車は歩道」が保証されるかの法案が提出されようとしている。
       本末転倒なのである。だが、例外を標準に、標準を実質禁止に。これが日本の警察の自転車に対する態度なのだ。


     これだけではなく、疋田氏のメルマガにはこの法案改正に対する、様々な裏事情が解説されている。ぜひとも読んで頂きたい。


     疋田氏による自転車入門書。同時に欧米の状況をも解説している。基本的に合理的に自転車を交通の中に位置付けるという交通行政が主流になっていることを現地取材を行い、レポートしている。

2005.09.23

自転車屋店主の思わぬ活躍に驚く

 本屋でこんな本を見つけてびっくりした。


 フィットネスの本だが、著者のエンゾ早川氏。なんと私が自転車を買った自転車屋の店主ではないか。

 今月の「バイシクル・クラブ」誌は、「“体幹”を意識して走りを変える!」という特集を組んでいる。そこにもこのエンゾ氏、コーチとして登場している。確かにユニークな人だとは思っていたけれども、いつのまに「エンゾ早川」などという二つ名を名乗って雑誌に単行本にと活躍するようになっていたのだろうか。

 3年前、彼の店で自転車を買おうと思ったのは、店構えに独特の面白さがあったからだった。
 店頭には、箱根を2度越える総行程170kmのコース地図を書き込んだホワイトボードが展示してあり、「このコース、私が走れるようにして見せます」と宣言している。その横にはコピーの小冊子が「ご自由にお持ち下さい」と置いてあった。内容はと言えば、「自転車で有酸素運動をしよう」「食生活を改善しよう」というもので、食生活はオリーブオイルをたっぷりとってマーガリンは食うな、と力説していた。
 面白いじゃないか。この小冊子をまとめた人物はかなり癖っぽい性格であるようだが、主張に筋は通っているように思える。
 ちょうど私は大学時代から20年近く乗ったロードバイク(昔懐かしスポルティーフという奴だ)のギアが傷んできていた。すでに自転車パーツの規格は完全に変わってしまっており、最新のパーツを入れることはできない。よし決めた。この面白そうな店で買い換えよう。

 店に入ると、背の高い、なんとはなしにジャン・レノを思わせる店主が出てきた。雰囲気は映画「グラン・ブルー」のエンゾそのものだ。彼は私に、健康の大切さと自転車がいかに健康にいいかをとうとうと説き、体格にあった大きさのフレームの自転車、そして心拍数を監視するハートレートモニターを買うことを薦めた。
 私はまずハートレートモニターを買い、彼から有酸素運動のやり方を教えて貰った。
 彼の手法は極めて単純だった。「心拍数は140まで。それ以上に上げてはいけない。ウォーミングアップに15分、クールダウンに15分。時間がなければウォーミングアップとクールダウンだけでも構わない」。後でスポーツ医学の本を調べてみると、有酸素運動に最適な心拍数の算出はもっと複雑だったが、実際に走ってみると目安としては、エンゾ氏の方法は確かに有効だった。

 その後、ハートレートモニターを使って、ある程度鍛えてから、私は自転車を買った。彼お薦めのGIOSのシクロクロスだ。使っているコンポーネントはシマノのSORA。ママチャリよりは大分高価だが、まあそんなに高い自転車ではない。

 一時は毎日40kmぐらい走っていたのだが、昨年の夏以来調子を崩してしまい、今はあまり走っていない。そろそろ涼しくなったら、自転車を再開するか、と思っているのだが、今年はなかなか涼しくならず、自転車再開はずるずる延びている。

 で、この「フィットネスミシュラン 茅ケ崎的カラダ変身プロジェクト」だが、茅ヶ崎の書店では「野口さんに続いて茅ヶ崎からベストセラーを」というようなポップと共に店頭に山積みになっている。「今度店に行ったらサインでも貰うか」と思い購入した。
 今晩さくさくと読み終わったが、なかなか面白い。「余分な筋肉は付けるな」など、普通のフィットネスの本とはひと味違う、やや癖っぽい主張を展開している。

 興味のある方はどうぞ。

2005.01.11

宣伝:1/22、NAKED LOFTに野田さんとあさりさんが出演します

 宣伝です。1月22日土曜日に、新宿の「NAKED LOFT」でこんなイベントがあります。

■1.22(土)@NAKED LOFT
「宇宙にいこう!」
ロケットを設計したり、いままでにない技術のものを創造したり……
まるでリアルドラえもんポケット・野田司令こと野田篤司さんに訊く、
宇宙への行き方。質問コーナーあり。

 第一部:野田司令、浅利さんによるトーク(宇宙にいくための知識講座)
 第二部:質問コーナー

【出演】野田篤司(宇宙機エンジニア)
【司会】浅利義遠(あさりよしとお/漫画家)
OPEN 18:00 / START 19:00 \1000(+1order)

■チケットは予約制です。〆切日1/14(金)
 1/12追記:応募が定数に達したため予約は締め切られました。ありがとうございます。
詳しくは以下のURLにて。
http://www.loft-prj.co.jp/naked/ucyu.html

 場所はいつも「ロケットまつり」をやっているロフトプラスワンではなく、姉妹店のNAKED LOFTです。会場が狭いので予約制をとっています。申し込みはお早めに。

2004.03.09

久しぶりに泳ぐ

 ひたすら王立科学博物館第二期の原稿。やっと筆が動き出す。急がないと。確定申告が待っている。

 夜、久しぶりにスポーツクラブに行って1kmばかり泳ぐ。1月に「国産ロケットはなぜ墜ちるのか」を書き上げてから風邪を引いてしまい、いまいち抜けていなかったのでこれまで自粛していたが、どうもまた胴回りが増えているようなので本日から水泳を再開する。

 泳ぎは下手だが泳ぐのは好きだ。とりあえず水の中で手足を動かして頭の中で今の仕事のことを考えていると、そのうちに雑念が消えていく。気が付くと原稿のつかえが消えて書き進められるようになっているので、おそらくは水泳中の頭脳は一種の瞑想状態で無意識の部分で集中思考しているのだろう。

 三十代の前半は、週に1、2回、2kmずつ泳いでいたが、サラリーマン仕事の疲労が週末を埋めるに従って泳がなくなってしまった。現在は週に2、3回、1kmずつ泳ぐよう努めている(そう、あくまで努めている、だ)。どっちがいいのか、よく分からないが、とりあえず現在の泳ぎ方だと筋肉が付かないことだけは分かっている。

 一日仕事をしていたので、本日の写真はなし。