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カテゴリー「映画・テレビ」の37件の記事

2017.02.11

「この世界の片隅に」からはじまる読書ガイド5冊

 映画「この世界の片隅に」がヒットを続けている。しかも様々な賞を総なめだ。

 自分は大変幸いなことに、公開後の割と早い時期に片渕須直監督のインタビューという仕事をすることができた。インタビューを手配したY中さんに感謝である。

 私は、「この世界の片隅に」は単なる映画の傑作ではなく、文化史的な事件だと思っている。
 決して誇張ではない。この映画により、私達は70年昔の戦争を、今と地続きの“そこにあった/そこにある現実”として改めて認識しなおすことになったのだから。
 もうあの戦争が、「いつかどこかであった、自分とは関係のない、知らない戦争」に戻ることはない。あの戦争は「すずさんが体験した、すずさんがそこに暮らしていた時と場所」として私達のなかに刻まれた。
 映画の公開が続く限り、そしてロードショー公開が終わっても、ディスクが発売されたり、あるいはテレビで放送されるたびに、私達は、かつての「今と地続きのあの時、あの場所」として昭和18年から昭和21年にかけての広島・呉を思い起こすことになるだろう。何度でも、何度でも、思い出すだろう。
 すずさんの生きる“世界の片隅”は、世界のすべての“片隅”へとあまねくつながっている。どの片隅にも誰かがいて、なにかをしていて、それら全てが寄り集まることで社会とか歴史とかが形成されていく——自分にとって「この世界の片隅に」はそう思わせる映画だった。
 非常に高密度に情報が詰め込まれた映画なので、何度観ても発見があり、しかもさりげないシーンが画面の外側の事象を反映している。

 以下、そんな映画の画面の外にある/あった世界についての読書ガイドを掲載する。なるべく基礎的な本に絞って5冊、プラスさらに読み進めることができる本で構成した(一部本でないものも入っている)。
 お勧めの本は以下の通り。

    
 まだ映画を観ていない方は、是非観てください。その上でこのページを読んでもらえたら幸いです。  以下の本文中で、幾分映画の内容に触れるので、未見の方のためにここで記事を分割します。

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2013.07.21

「風立ちぬ」を観てきた

 昨日、封切り初日初回の「風立ちぬ」(宮崎駿監督)を観てきた。宮崎駿が航空機ネタで一本作るとなれば、これは観に行かねばならない。
 まだ観ていない人も多いだろうから、ネタバレは避けて自分の見立てを書くならば、「風立ちぬ」は「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)と、今回主役の声も担当した庵野秀明監督の最初の「エヴァンゲリオン劇場版」の、宮崎駿による再話である。そのココロは三本とも監督の内的心情で構成されたプライベートフィルムだということ。
 全くお子様向きではないが、大人なら見て損はないと思う。

 以下は事前情報ともなりうるので、トップページからはリンクで隠すことにする。

 

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2013.03.31

NHKの残念な音楽ドキュメンタリー

 本日午後9時からNHKスペシャル|魂の旋律〜音を失った作曲家〜という放送があったのだが……知っている人ほど、口ごもるような内容だった。ただ一つ、作曲者の新作「レクイエム」をたっぷり時間を取って流したことだけを除いて。
 どういうわけか、NHKにとって作曲家ドキュメンタリーは鬼門のようで、かつては晩年の松平頼則を老残の作曲家扱いしたドキュメンタリーを製作して、作曲家の怒りを買ったりもしている(Wikipedia 松平頼則の項を参照のこと)。

 NHKは昨年秋には吉田隆子に関して、大変問題の多い番組を流している。以下は、昨年末のコミケで発表した文章を若干修正したものである。

忘れ去られたことにされた女流作曲家 (吉田隆子「ヴァイオリンソナタ・ニ調」)

 2012年9月2日、NHKの「ETV特集」で「吉田隆子を知っていますか〜戦争・音楽・女性〜」という番組が放送された。戦中戦後にはじけんばかりの才能を発揮しつつも左翼運動に関わり投獄され、十分に力を発揮することなく病死した作曲家・吉田隆子(1910〜1956)を主題としたドキュメンタリーだ。
 ネットを検索すると、この番組には概ね好意的な感想が記されている。「知らなかった」「こんな人がいたんですね」などなど。吉田隆子という作曲家の存在を知らなかった人たちが、吉田隆子を知るきっかけになった――それはいいとして。

 番組はこう始まる。
「忘れ去られた曲がある。ヴァイオリンソナタ・ニ調。作曲したのは吉田隆子。大正、昭和の激動の時代を生き抜き、その後、歴史に埋もれた。」
 ここまでで、もうダウトだ。
 忘れ去られた曲があるだと? 試しにアマゾンのミュージックで「吉田隆子」と検索してみよう。CDが3枚出てくる。


「歌、太陽のように・・・明治・大正・昭和に凛々しく生きた日本の女性作曲家たち」2009年発売。ソプラノ歌手の奈良ゆみが、日本人女性作曲家の歌曲を歌ったアルバムだ。吉田隆子の曲は、「ポンチポンチの皿廻し」「鍬」「お百度詣」「君死にたまふことなかれ」と4曲入っている。


 「荒井 英治 昭和のヴァイオリン・ソナタ選」2002年発売。ヴァイオリニストの荒井英治が、戦前戦中の日本人作曲家によるヴァイオリンソナタを録音したCD。吉田隆子の「ヴァイオリンソナタ・ニ調」が収録されている。


「Oriental」2011年発売。ヴァイオリニストの松野迅によるオムニバスアルバム。吉田隆子の「ヴァイオリンソナタ・ニ調」とヴァイオリン演奏による「君死にたまふことなかれ」が収録されている。



 アマゾンで出てくる曲の一体どこが「忘れ去られた曲」だって?しかも2種類も録音が出ているじゃないか。

 それだけではない。実は「ヴァイオリンソナタ・ニ調」の楽譜は、音楽の世界社(東京都練馬区向山3-21-11 FAX 03-3926-4389)という楽譜出版社から1999年に出版されており、2012年末現在も購入することができる。音楽の世界社の楽譜は、全国のヤマハが注文を受け付けている。これのどこが幻だというのか。
 番組を見ていくと、どうやらこの番組は「忘れ去られた女流作曲家を初めて発掘する」という意図で構成されていることが分かってくる。ナレーションは「長く忘れ去られた作曲家、吉田隆子」と「忘れ去られていた」ことを強調する。
 NHKの意図は明らかだ。そうしたほうがセンセーショナルに視聴者に訴えかけるので、そのように捏造したのである。実際には知る人が少ないだけであって、吉田隆子は忘れ去られていない。もっというならば、番組のディレクトターやらプロデューサーやらが知らなかっただけなのだ。
 それがはっきり分かるのが、番組終わり近くの「ヴァイオリンソナタ・ニ調」を紹介する部分だ。ナレーションは語る。「この曲は昭和30年に初演されたものの、その後忘れ去られ、幻の曲と言われてきた。今回、東京音楽大学の協力を得て再演を試みた。」

 いや、だからアマゾンでCDが買えるんだってば。

 現在、吉田隆子が忘れ去られることなく、CDが出ているには理由がある。一時期、吉田隆子について音楽を習った経験を持つ音楽評論家の小宮多美江さんが、粘り強く資料を集め、評伝をまとめ、楽譜を出版してきたからだ。音楽の世界社から出ている楽譜は、小宮さんとその周辺の人々の尽力によって世に出たものである。
 あきれたことに番組は、その小宮さんにもきちんとインタビューしている。81歳の小宮さんはきっと熱を込めてカメラの前で吉田隆子のことを語ったのだろう。ところが使われているのは、彼女が組織した団体「楽団創生」に関する部分のみだ。出演はわずか50秒程度である。
 実はもっと裏がある。この手の安易なテレビドキュメンタリーには、往々にしてネタ本が存在する。多分あるだろうと思ったら果たして存在した。



 「作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して」(辻浩美著・2011年12月、教育史資料出版会刊行)である。
 この本を入手して、私はびっくりした。評伝かと思ったら、この本は吉田隆子に関する生の資料を整理してまとめたものだったのだ。番組に出てくる病床日記がそのまま収録されているし、番組中で分析されている彼女の最初の作品「カノーネ」の楽譜も掲載されている。それどころか、CDが附属していて、そこには「ヴァイオリンソナタ・ニ調」が収録されていたのだ。

 明らかにNHKは知っていて、なおかつ「忘れられた作曲家・吉田隆子」という偽りのレッテルを貼って紹介したのだろう。

 NHKというマスにアクセスできる媒体が、吉田隆子を扱った番組を製作するのはとても良いことだ。今まで吉田隆子の音楽を知らなかった人が、その豊かな音楽に触れることは素晴らしいことである。
 でも、だからといって、彼女に「忘れ去られた作曲家」という事実と異なるレッテルを張って良いのか。そのやり口は卑劣であるし、番組を見る人に失礼だ。なによりもここまで長年にわたって努力してきた小宮多美江さんとその周辺の人々に対する侮辱である。

 そういったNHKの蛮行は別として、吉田隆子の音楽はもっと広く聴かれるべき、質の高いものだ。明治43年に陸軍軍人の娘として生まれた彼女は、恵まれた環境の中で大正時代の自由な空気を吸って伸び伸びと育った。作曲を志し、やがて左翼運動にも没頭し、戦争に向かって転げ落ちていく世相の中、何度も投獄され、体を壊した。戦争中をほとんど寝たきりで過ごし、戦後活動を再開するものの、獄中で破壊された健康は元に戻らず、46歳で病死した。
 だから、作品は決して多くない。18曲の歌曲、10曲の室内楽曲、そして力を入れていた演劇や人形劇のための音楽…。
 小宮多美江さんを中心とした音楽批評家グループ「クリティーク80」が著した評伝「吉田隆子」(1992年音楽の世界社刊行)には、伊福部昭が序文を寄せている。

 未だ女性が作曲をするなどほとんど思いもよらぬ時代に「内容に於いては新しい現実を反映し、形式に於いては民族的伝統の上に立つ」と宣言し、また事実、社会性とイデオロギーを重視した彼女の実作活動は、当時の一般的な音楽潮流とは一線を画するものであった。
 彼女は私より四歳年上であったが、ムソルグスキーを極めて高く評価し、また、民族的伝統を重視する点で見解が似ていたせいもあってか、よく話し合ったものであった。 (伊福部昭 序文 「吉田隆子」より) 

 もしも、クラシック音楽に興味を持つならば、「ヴァイオリンソナタ・ニ調」を是非聴いてほしい。まごうことなき傑作だ。荒々しさと優美さが何の矛盾もなく同居した、曇りのない一直線の音楽である。

 NHK番組の質の低下は、ずいぶんと前から感じていたが、これではETV特集も、もう信用できないな。これからはパソコンを膝の上において、検索しつつ見ないと危なくて仕方ない。


 今回の佐村河内守を紹介したNHKスペシャルは、私の「検索しつつ見ないと危なくて仕方ない」という印象を強化しただけだったのは、大変残念である。

2011.12.09

【宣伝】12月10日土曜日、早朝5時からのテレビ番組で、はやぶさ2の解説をします

 12月10日土曜日の早朝5時から、フジテレビの「新・週刊フジテレビ時評」という番組に出ます。関東ローカルの番組なのですが、「はやぶさ2…予算削減、打ち上げピンチ!テレビ報道は?」というタイトルで、ここ一週間ほどのはやぶさ2の予算削減(実質中止)周辺の情報を解説します。

2010.08.26

宇宙開発委員会、もうちょっと考えてほしい

 これはひどいなあ。

 第29回宇宙開発委員会の資料を読んでいるのだが…


 なんでこんなに大量の資料があるのかと思ったら、何十ページもあるプレゼン資料を分割してpdf化してアップロードしているのだった。
 おそらくは、遅い回線からのアクセスを考慮したものだろうが、高速回線からアクセスしている場合は、いちいちひとつずつダウンロードして見ていくのが面倒だ。

 文部科学省としても「ファイルを公開しているという姿勢を見せたいだけ、本当はあまり観られたくないから極力いやがらせ」ということもないだろうし、要は「見る人にとって何が便利か」がそもそも念頭にないのだろう。

 こういう場合は、分割したファイルとは別に、全体を一つのファイルにまとめてアップしておくものだろう。その場合、ファイルサイズを明示しておくといい。

 「なにがユーザーにとって便利か」をきちんと考えた上で、ページを設計していけば、すぐに正解にたどり着けるはずなのに。

 8月28日土曜日のNHK総合「追跡!A to Z」(総合午後10時)ははやぶさを特集する。「"はやぶさ" 快挙はなぜ実現したか」。


 ちょっと情緒的過ぎるとも思えるが、まずは期待。


 NHKには、2003年5月のはやぶさ打ち上げにぶつけて「プロジェクトX」で日本初の惑星間探査機「さきがけ・すいせい」を取り上げたはいいが、そのあまりのぐだぐだで事実と異なる内容に、内之浦に詰めていた打ち上げ関係者をがっくりさせた、という前科があるのだけれど。詳細はこの笹本祐一「宇宙へのパスポート2」に書いてあります。


2009.10.19

日本人初の宇宙飛行士は秋山豊寛氏である(もう一度、書いておこう)

 先ほど、録画しておいたNHK総合昨晩放送の「わたしが子どもだったころ」の毛利衛さんの回を見た。間違いを放送してしまっている。

「NHK 総合これまでの放送 わたしが子どもだったころ」

2009年10月19日(月)   『日本科学未来館 館長・毛利 衛』  ディレクター 今関裕子(テレビマンユニオン)

 日本初の宇宙飛行士、毛利衛。宇宙の専門家として、また、日本科学未来館の館長として科学後術の将来をロマンをもって語りかける。しかし、その少年時代は意外な姿だった。

 前にも書いたが、日本人初の宇宙飛行士はTBSの秋山豊寛さんである(1990年12月2日打ち上げの「ソユーズTM11」に搭乗)。

 毛利さんは、旧宇宙開発事業団の最初の宇宙飛行士公募で選抜されて、1992年9月12日打ち上げのスペースシャトル「エンデバー」(飛行ナンバーSTS-47)に搭乗した。

 なぜ今になってなお、この間違いがメディアに出てしまうのだろう。

 番組を見ると、かなり微妙な言い回しをしている。当該部分のナレーションは以下の通り。

「1985年、国内応募者533名の中から、日本初の宇宙飛行士に選ばれた毛利さん…」

 「日本初」が、「宇宙飛行士」にかかるのか、「1985年に選ばれた」にかかるのか、微妙だ。だが、「1985年に選ばれた」にかかるならば、誤解を避けるために「宇宙飛行士」ではなく「宇宙飛行士候補」としなくてはならない。この時点では、毛利、向井、土井と3人の候補がいて、誰が最初に飛ぶかは未定だった。

 大切なのは、日本初の宇宙飛行士が秋山さんであっても、毛利さんのした仕事の意味は損なわれないということだ。日本人で最初にスペースシャトルに搭乗したのは毛利さんだし、大規模な宇宙実験を実施したのも毛利さんである。秋山さんは1回限りの飛行だったが、毛利さんはその後、ミッション・スペシャリストの資格を取得して1999年にシャトルSTS-99にも搭乗している。

 私が、このことを繰り返し書くのは、毛利さんの飛んだ1992年頃に、主に科学技術庁関係で、秋山さんがいたことをなんとはなしに隠そうする雰囲気、秋山さんの飛行をなかったことにしたいような雰囲気が存在したことを記憶しているからである。
 その結果のひとつが、「宇宙の日」制定(1992年)だった。宇宙の日の9月12日は毛利さんの搭乗したSTS-47の打ち上げ日だ。
 この日付は一般公募で選ばれたということになっているが、では、なぜ4月12日(ペンシルロケットの公開実験)でも、2月11日(日本初の衛星「おおすみ」打ち上げ)でも、12月2日(秋山さんの打ち上げ日)でもないか、ということである。

 秋山さんの飛行から19年、毛利さんの初飛行から17年が経った。
 官の選んだ飛行士がアメリカのシャトルで飛行するまで、チャレンジャー爆発事故を挟んで7年かかったのに対し、民間がソ連のソユーズで宇宙に送り込もうとした飛行士は、選抜から2年で宇宙を飛び、日本人初の宇宙飛行士となった——この事実は、その後の宇宙開発を象徴しているという気が、私にはしている。
 1990年代初頭に、誰がどんな順番で飛び、どんな経緯があったかを知っておくのは、今後の宇宙開発を考える一つの手がかりになるだろう。

 しかし、よりによってTBSと縁浅からぬテレビマンユニオンのディレクターが、こういう間違いをしてしまうというのも、面白いというか情けないというべきか(テレビマンユニオンは、TBSを退職したディレクターらが中心になって1970年に設立した番組製作会社)。そして、NHKのチェック機構も弱体化しているという印象だ。

2009.08.19

NHK戦争証言アーカイブズ——公共放送が為すべき仕事

 私は終戦記念日という言葉は好まない。負けは負けであり、8月15日は敗戦記念日というべきだと思っている。

 NHKが素晴らしいサイトを立ち上げている。

NHK戦争証言アーカイブズ

 敗戦から64年を経て、すでに80歳を過ぎた人々から戦争の記憶を聞き出し、なんとノーカットで公開している。

 それぞれの証言は、動画像に加えてインタビューから起こされたテキストも読むことができる。読む速度は話す速度より速いので、時間のない向きは、テキストを読むことで内容を把握することができる。
 サイト設計もよい。戦争証言には不可欠のいつごろ、どこの話なのかというデータががすぐにわかる。

 しかも公開されているのは証言だけではない。以下ご覧になる前により引用

  1. 証言 NHKが番組制作の過程で、2007年から2009年にかけて、日本全国の戦争体験者の方々に対して行ったインタビューの収録映像を、閲覧に適した長さにしたものです。「証言」を閲覧する前に、下記の「証言」閲覧上の注意をお読みください。

  2. 番組
    1992年から1993年にかけて放送された「NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第1集から第6集」や、衛星ハイビジョンで放送された「証言記録 兵士たちの戦争」などのNHK制作のドキュメンタリー番組を公開しています。
    証言をお話しいただいている方々が体験した戦場やできごとなどに関しては、「証言記録 兵士たちの戦争」の関連する部分をご覧いただき、証言に関する理解を深めることにお役立てください。また、太平洋戦争全体の動きなどについては、さまざまな側面から掘り下げた「NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争」をご参照ください。

  3. 日本ニュース
    「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
    「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。今回の「戦争証言アーカイブス」では、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)、1945年(昭和20年)の9月までに上映された70号分のニュースを公開しています。「日本ニュース」を閲覧する際には、事前に下記の「日本ニュース」閲覧上の注意をよくお読みください。

  4. 戦時録音資料
    NHKは、初期の円盤式レコードであるSP盤を、戦時中の重要な記録媒体として使い、およそ16000枚のSP盤を保管してきました。
    その中から、当時の「大本営発表」や要人の演説など戦時中の肉声が記録された貴重な「歴史的音源」の一部を公開します。

 つまり、敗戦から六十余年を経て、記憶の風化を受けた証言に加えて、それを客観的(それはNHKにとっての“客観的”であるという限界を抱えているが)に検証した「番組」、さらには当時に一次資料である「ニュース映像」「録音」もまとめて公開されている。多面的に太平洋戦争を振り返ることができる仕組みだ。

 これこそ、公共放送の為すべき仕事だろう。

 問題点は2つ。小さいほうから言えば、公開されている画像が、「全画面」での視聴ができない。これは、放送法のなどの制限なのか、それともNHKエンタープライズあたりで後でDVDだかブルーレイディスクだかを売って儲けようという魂胆なのかは、私には分からない。

 そして、もっと重大な問題。

このサイトは2009年8月13日から同年10月12日までの2か月間のみの限定公開なのだ!

 以前書いた月探査機「かぐや」のハイビジョン配信問題の時に気が付いたのだが、NHKは巨大組織であり、内部には本当に様々な人がいるということだ。


 かぐやハイビジョン配信問題については、以下の記事参照のこと。


 放送事業のビジネスモデル——国家から電波を使用する権利を独占的に与えられ、全国民に対する情報の流通経路を占有する——が、インターネットの発達によって崩れつつあるのは、すでに明らかだ。
 だが、NHKのような巨大組織には、そのことを理解している人と理解していない人の両方が在籍している。
 例えばBBCがネット配信に関してNHKよりもはるかに先を行く取り組みをしていることを、理解している人と理解していない人がいる。
 さらに、理解している人の中にも、「どうせ大したことない」と高をくくっている人や、「自分が定年になるまで今の体制で押し通し、逃げ切れば勝ち」と思っている人や、そもそも「ネットも放送も興味ない、給料さえもらえれば無事此名馬」という人もいる。
 そして、必ずしも、危機感を抱いて行動する人が、組織内で昇進するとは限らない。硬直化した組織では、うまく立ち回った者が偉くなる傾向がある。そうやって偉くなった者は、自分の地位を脅かさないおとなしい——あるいは場合によっては無能な——者を引き立てる傾向がある。

 公共放送の使命に、「日本という国が健忘症に陥らないため、可能な限り国の有り様を写し取った映像をアーカイブし、誰でもいつでも閲覧できるようにする」というものがあるだろう。これは、スポンサーを持つ民放にはできない。法律で視聴料の徴収が認められているNHKにしかできない仕事だ。

 その意味では、NHK戦争証言アーカイブズは、期間限定であってはならない。未来永劫公開されるべきものだ。

 それが、期間限定のトライアル公開になっているあたり、内部では様々な軋轢が発生しているらしきことが見て取れる。

 取りあえず、NHKとその周辺において、このサイトを作り上げた人たちには大きな拍手を。このサイトを限定公開に留める判断に与した人たちには派手なブーイングを。10月の公開終了までに、なんらかの進展があることを期待しよう。


 NHKが敗戦後64年目にしてやっている「当時を知る者から証言を集める」という極めて公共性の高い仕事を、伝説の編集者・花森安治が率いる暮らしの手帖社は、敗戦後24年目の段階で行っていた。

 しかも、雑誌「暮らしの手帖」の販売収益を使って、だ。彼らは、法律に守られた視聴料徴収の権利など持たずして、これだけの仕事をやったのである。
 本書は、戦時下において人々の暮らしがどんなものであったのかを、まだ記憶が鮮明であった戦後24年目の段階で記録したものだ。戦時下において、人々は何を食べていたのか、何を着ていたのか、どんな生活リズムだったのか、政治は戦況はどう報道されていたのか、それを人々はどう受け止めていたのか——具体的な戦時下における「朝起きてから寝るまで」を様々な証言を集めてまとめている。

 戦争というものを考える上で、必読の本である。この本を読まずして、どのような形であっても敗戦までの昭和の歴史を語ってはならない——そう言い切れるほどの価値を持つ本だと思う。

 さらに暮らしの手帖社が偉いのは、この本が発売された1969年から現在に至るまで絶版にすることなく市場に供給し続けていることだ。自分たちの仕事が持つ公共性をきちんと認識していなければ、一私企業が、この姿勢を保ち続けることはできないだろう。

 この本があるので、私の「期間限定公開に留めた側のNHKの中の人たち」に対する評価は極端に低くなる。
 お前ら全員切腹な。腹切って黄泉まで下り、花森安治にあやまってこい!


2009.08.05

はやぶさリンク:映画「サマーウォーズ」に小惑星探査機が登場

 「はやぶさ」をモデルにした小惑星探査機が登場すると聞いて、これは行かねば、と見に行ってきた。現在ロードショー公開中のアニメーション映画「サマーウォーズ」(公式サイト)

 「時をかける少女」でブレイクした細田守監督作品。監督:細田守、脚本:奥寺佐渡子、キャラクターデザイン:貞本義行の3人は、「時をかける少女」と共通。
 「時かけ」は小規模公開から口コミでヒットしたが、今回は堂々のロードショー公開である。

 あらすじは、公式サイトの「イントロダクション」を参照のこと。

 面白かった!

 長野県上田市に集う旧家の一族が、ひょんなことから巻き起こる世界の危機に一致団結して立ち向かうという、なんとも妙な筋書きだが、それが滅法面白い。「華麗なる一族」や「犬神家の一族」のような、日本の“一族映画”が描き出す湿っぽさや陰湿さは、この映画の陣内一族にはこれっぽっちもない。「ダイナスティ」に代表されるアメリカ“一族ドラマ”にあるようなどろどろの愛憎劇とも無縁だ。乾いて、からっとしていて、陽気だ。

 なにより脚本がいい。かなり複雑な状況設定を、オープニングの陣内本家に集まってくる親族の会話だけでテンポ良く説明してしまうのもうまいし、そこから畳み込むように事件を起こして、本筋である“夏の戦争”に持ち込むストーリー運びも見事だ。

 しかも、主人公とヒロインを含め、主要登場人物29人という群像劇であるにもかかわらず、すべてキャラクターがくっきりと対比されており、「これ、誰だっけ?」ということが一切ない。血の繋がった親族と、そこに嫁入りした女性、生まれた子供など顔や体格を描き分けたキャラクターデザインが、とてもよい仕事をしている。

 この夏のお薦めだ。私も、もう一回ぐらいは映画館に足を運ぶことになるかもしれない。

 が、理工系のシチュエーションとなると、けっこう緩い。冒頭、主人公が量子コンピューターで素因数分解を行うための「ショアのアルゴリズム」に関する本を読んでいるので、スタッフも事前に相当調査したらしいことが分かる。が、それでも、暗号のあり様とか、ネットセキュリティの描写とか、アバターの操作方法とか、もうちょっとなんとかできただろうという部分がある。
 多分、理工系のアドバイザーを入れて、あと数回脚本の練り直しをやっていたら、もっと良い映画になっていたろう。

 小惑星探査機「はやぶさ」ならぬ「あらわし」については、「このストーリーなら仕方ないかな」といったところだ。

 小惑星「イトカワ」ならぬ、小惑星「マトガワ」を探査した「あらわし」、この「あらわし」の再突入カプセルが、ラストのクライマックスに関係してくるのだが、まあ、あれはないよね。

 ネタバレは避けるが、本来、再突入カプセルは、サンプルを保護するために、最後はパラシュートでふわふわ降りてくるものだ。また、「はやぶさ」の帰還カプセルは惑星間軌道から直接大気圏に突入する。地球周回軌道にいったん入るなんて、まだるっこいことはしない。運動エネルギーという点では、地球周回軌道からの帰還よりも、惑星間軌道からの直接突入のほうが、ずっと大きくなる。

 ちなみに、小惑星「マトガワ」は、実在する。
★新しい小惑星を「マトガワ」と命名(ISASニュース1997年7月号)。

 とはいえ、この映画により、「はやぶさ」にもう一つの称号が加わったことは間違いない。すなわち、「映画のモデルとなった、日本初の惑星間探査機」である。これまで、ストーリーの根幹に関わる存在として映画に登場した探査機といえば、私は「スタートレック」の“ヴィジャー”ことヴォイジャー探査機ぐらいしか思いつかない。実際、「はやぶさ」は大したものだな。

2009.07.31

テレビを見つつ、検索すると…

 以下、「何を今更」の話かもしれないが。

 仕事をする机には、小さな液晶テレビが置いてある。つけっぱなしにして仕事をすることもある。通常はニュースチャンネルかディスカバリー、ヒストリー、アニマルプラネットのドキュメンタリーチャンネルつけっぱなしなのだが、たまに地上波を流しっぱなしにすることもある。そんな環境で気が付いた。

 かけっぱなしにしているテレビから、何か気になるキーワードが聞こえて来た時、それで検索するとテレビ番組の進行よりも早く情報が手に入るのである。

 私の場合、仕事をしているパソコンは当然ネットにつないであるから、ちょっと原稿を書く手を休めて検索をかけると、テレビ番組の側が「さあ、いったんこの謎は何なんでしょーか?」とかなんとか言ってCMに入っている間に、もうCM後になにが写るかが分かってしまうのだ。

 具体例で行くと、例えばTBSの「世界ふしぎ発見」、「黒柳さんの答えは…」と番組がやっているうちに、答えが分かってしまう。それどころか、時折やらかす「未確定の学説をさも確定したことのように説明する」というのも、その場でばれてしまう。

 あるいは、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」。「どこそこの名店です」とか紹介しているうちに、その店の住所から定休日、メニューやら名物の値段。それどころか、Google Mapで店の地図まで分かってしまう。

 考えてみれば当たり前の話だ。バラエティ情報番組は、多くの場合下請けプロダクションの製作で、毎回のネタだしといえばプロダクション社員や、バイト、外部ライターといった面子が、それこそネットを検索して調べている。ネタ元がネットであり、検索エンジンもGoogleであったり、Yahoo!であったりと共通なのだから、検索をかければ先回りして情報が分かるに決まっている。

 この傾向は、どうも「安易な番組作り」と無関係の、もっと本質的なことのように思われる。

 NHKの「ためしてガッテン」は、バックの調査チームがしっかりしているらしく、検索してもそうそう簡単には出てこないネタを扱っている。ところが、番組の再放送が終わると、過去の放送のページに要約が掲載される。これを読むと、5〜10分で番組の内容が分かってしまうのだ。もちろん、本番の番組は映像の力で分かりやすく見せてくれるというのはあるのだけれど、立川志の輔/山瀬まみの掛け合いに興味がなければ、テレビを見るよりずっと簡単、かつ素早く知識を得ることができる。

 そしてバラエティ情報番組でなくとも、例えばドキュメンタリーでも、登場した名前を検索すると、番組冒頭を見ただけで、本人のblogが読めてしまったりもする。それがまた、本人blogと番組のトーンが微妙にずれていたりして、「おうおう、演出しとるわい」ということが見えてしまう。

 テレビをつけて仕事をしているという環境は、そうはないだろうが、家庭に無線LANを導入し、ノートパソコンを使っている人はそれなりの数はいるだろう。ノーパソを膝に乗せてテレビに向かえば、これと同じ事ができる。
 最近ならば、ノートパソコンすらいらないかもしれない。iPhoneのような、ネットアクセス可能な携帯電話でも同じ事ができるはずだ(文字入力の速度が問題になるだろうが)。
 今はさほど使い勝手が良くはないようだが、ネット機能を持たせ、ブラウザーを搭載したテレビもある。とすると、テレビそのもので視聴中の検索ができるようになるかも知れない。それどころか、ネットで配信される番組表からキーワードを抽出し、事前に検索をかけてテレビ番組と同時に表示する機能なども考え得る。もっと進めば番組音声の解析で、検索キーワードを抽出することだってあり得るだろう。

 動画像コンテンツは、視聴者が一定時間ディスプレイの前に座ってもらい、見て貰わなければ成立しないものだが、今後は、「ちょいと膝の上で検索」「ちょこっと携帯で検索」を意識した上で、番組を作らねばならないことになる。

 そういえば「ニコ生」では、すでにそんな感じでつっこみの字幕が入るようになっている。

 それが、「いい」とか「悪い」とかは別にして、私たちがよく知っている「テレビ」という情報配信形態が終わりつつあるのは、間違いないと思う。

2009.01.17

世界記録樹立のチャンス

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 今年の鳥人間コンテストが中止となった。来年、2010年は実施するとのこと。

2009年開催休止と2010年開催のお知らせ

 さて、2009年の大会ですが、残念ながら休止することが決定しました。
 昨今の厳しい経済環境はテレビ業界も同様で、番組制作費の見直しが検討されております。その中で、「鳥人間コンテスト」は参加者の安全な飛行を重視して大掛かりなセットや救助システムを組んでおり、予算削減を理由に安全面を軽視することは考えられません。事務局としても、大会開催にむけて検討を重ねてまいりましたが、上記の理由で09年の開催休止を選択しました。バードマン、また関係者の皆さまには、何とぞご理解を承りたくお願いいたします。

 これを受けてmixiの鳥人間コミュ(閲覧にはmixiのアカウントが必要)では、色々な意見が飛び交っている。「つまらないバラエティー番組から切ってほしかった」とか、「会社の上のほうは何が適切な費用かを判断できていない」と、怒りの声も出ている。

 しかし、これはチャンスではないか。

 世界記録に挑戦するチャンスなのだ。

 現在の鳥人間コンテストに参加する上位チームの実力は、私の見るところ、人力飛行機の飛行距離世界記録を狙えるところまで来ている。
 しかし、鳥人間コンテストに参加する限り、いくら飛行距離を伸ばしても、世界記録としては認められない。人力飛行機の世界記録のレギュレーションには、「自力で地上から離陸すること」という条件が付いている。湖面から10mのカタパルトから離陸する鳥人間コンテストでは、いくら長距離を飛んでも世界記録として公認されないのだ。

 私は2003年8月に、鳥人間コンテスト常連だったヤマハ発動機の「チーム・エアロセプシー」が琵琶湖で日本記録を目指して飛行を行った時、随伴ボートに乗って取材した。この時、エアロセプシーのリーダーである鈴木正人さんから、記録と鳥人間コンテストの関係を色々とお聞きした。

 当時の取材メモを引っぱりだして、要約すると以下の通り。

・日本の機体の水準は世界トップクラス。世界記録が狙えるところまで来ている。
・世界記録を出すためには、機体、パイロット(操縦技術と体力)、飛行に向いた良いコンディションの天候の3つが必要。このうち、良いコンディションの天候が一番難しい。アメリカが世界記録を出した時は、天候が飛行に向いたギリシャにチームが乗り込み、1ヶ月間も風待ちをして最高のコンディションの天候で飛行を実施した。
・自分たちサラリーマンの挑戦では、風の良いコンディションを1ヶ月も待つということができない。

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 実際、この時のエアロセプシーの飛行は、琵琶湖上空の空気が最高のコンディションとなる7月末から8月始めの2週間の週末土日4日間だけが飛行のチャンスだった。かならずしも最高の風ではない状態で飛んだ「極楽とんぼ」だが、10.9kmという当時の日本記録を樹立した。

 私は、鳥人間トップクラスの大学生チームが、最高の飛行コンディションが狙える土地に乗り込み、1ヶ月の風待ちをするなら、マサチューセッツ工科大学(MIT)の記録を破ることだって夢ではないと思う。

 MITの世界記録は1989年4月23日に達成。場所はギリシャ・クレタ島、機体は「ダイダロス」、パイロットはK. Kanelopoulos。飛行距離は119kmだ。
 一方、日本記録は日本大学航空研究会の「Möwe21」が2005年8月6日に、静岡県庵原郡蒲原町・富士川滑空場〜駿河湾で出した49.172kmである。パイロットは、増田成幸。

 もちろん記録への挑戦は容易なことではない。まず、機体を自力離陸可能なように改造する必要がある。チーム・エアロセプシーの機体「極楽とんぼ」は、一部の動力を車輪に回して、地上離陸を容易にする工夫がしてあった。
 また、鳥人間コンテストのように、飛行環境を全部テレビ局が整えてくれるのではなく、関係官庁や地方自治体、地域住民などに説明に回って、記録飛行を行える環境を整える必要がある。これはかなりの負担だ。

 それでも、得られるものは大きい。鳥人間コンテストは、基本的にテレビ局主催のショーなので、風や天候の条件が最高ではなくとも、主催者が飛べると判断したならば飛ばなくてはならない。世界記録を狙うなら、記録飛行に適した最高の土地、最高の天候を選ぶことができるのである。

 MITの「ダイダロス」は、例えばギアをマグネシウム合金から削り出すというようにすべての部品に惜しみなく予算を投じて軽量化した機体だった。その機体と、競輪選手並みの脚力のパイロットを組み合わせ、最高の天候が見込めるギリシャに乗り込んで、ぎりぎりまで風待ちをして出した記録だ。

 しかし、その記録もすでに樹立から20年経っている。その間の技術の進歩は著しい。鳥人間コンテストでさんざん鍛えられてきた日本のチームが世界記録を狙える可能性は十分あるだろう。

 「当事者でもないのに無責任なことを言うな」と言われそうだが、どうせテレビ番組が中止になったのだ。ならば、テレビに関わっていてはできないことをすればいい。世界記録を出して、読売テレビに「やはり他の番組を潰しても、鳥人間コンテストを開催しておくべきだった」と後悔させてやればいい。

 番組がなくともやれることはある。がんばれ、バードマン達。

 写真は、2003年8月3日、琵琶湖におけるチーム・エアロセプシー「極楽とんぼ」記録飛行の様子。早朝の風待ち(上)と記録飛行(下)。撮影:松浦晋也


 過去30年の歴史をまとめたDVD。鳥人間コンテスト30年の記録だ。

 鳥人間コンテストが、日本の航空界に与えた影響は莫大だったと言わねばならない。三菱重工ですらろくに新型機が作れない状況下で、規模こそ異なるものの、参加者達は毎年1回、必ず新型機を作り、30年以上に渡って琵琶湖に集まってきたのだ。どんどん新しいものを作るということが、物事を進めるのにどれほど大切なことか。



 ずっとテレビ番組で見てきたが、残念なのは年を追う毎に番組が演出過多になっていったこと。本人はろくに飛行機に興味を持ってもいないお笑い芸人など不要だ。狙って演技するアナウンサーの絶叫も邪魔以外の何者でもない。お涙頂戴のビデオ編集はうっとうしいだけである。



 私はただただ、飛行機が見たいのだ。琵琶湖上空を晴れ晴れと飛ぶ、バードマン達の飛行機が見たいのである。

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