ぎりぎりになってしまいましたが、明日日曜日のコミケット74の3日目で、風虎通信(ブースは西れ−65b)から私の本が出ます。
「中国1986——バックパッカーの見た開放経済の夜明け」(風虎通信 900円)
昨年の夏頃、中国の将来をどう読むかで、mixiにおいて数人のマイミクさんと議論したのですが、その過程で1986年2〜3月に自分が中国旅行をしたことを思い出し、書き留めたものです。
1986年というのは改革開放経済が始まってまもなくでした。まだ中国は貧しく、今のような狂乱的な経済の過熱もありませんでした。ひょっとして自分の体験は、中国という隣人を考えるにあたって、客観的に見ても貴重なものなのかも知れないと感じ、まとめた次第です。
mixiの日記に「中国に関する記憶」という題で43回連載したのですが、それを読んだ風虎通信の高橋さんが、「おもしろいから本にしましょう」といって、まとめてくれました。
実は昨年末のコミケが初売りだったのですが、メカ・ミリタリー系の風虎通信ではどうにも売れ行きが悪く、大分余ってしまいました。個人的な体験が書いてあるので気恥ずかしく宣伝しなかったのが敗因かも知れません。
以下にサンプルとしてmixiの連載二回分を乗せておきます。旧正月の大混雑の中、桂林から昆明へと長距離列車で30時間以上かけて移動した時のこと。桂林で列車に乗り込んだところの場面です。
中国に関する記憶.14)何人乗れるかな
イヤな予感は、ホームで列車を待っている時点からあった。
溢れんばかりの人々でホームにいた。例によって大声でしゃべっている。整列乗車なんて雰囲気ではない。
列車の本数は少ない。これが全部昆明行きの列車に乗るのか?
列車がホームに入ってくる。乗降口は、確か手動だった。
突撃!だ。
ホームにいた、山のような荷物を抱えた人、人、人が、たいして大きくない乗降口に無秩序に突撃するのである。しかも誰も彼もが、大声でわめいている。声が大きければ先に列車に乗れるとでもいうように、わめく群衆が列車に突撃する。
もちろん自分も身体の前に荷物を楯のように掲げ、「どきやがれーっ」と日本語でわめきつつ突撃するのだ。
なんとかかんとか、乗り込んだものの、車室には入ることができなかった。乗降口からちょっと入ったところで、みっしりの人間でもうにっちもさっちもいかなくなってしまった。
ちょうど平日午前8時頃の山手線渋谷新宿間のような、無茶苦茶なすし詰め状態である。いや、それ以上かも知れない。人に挟まれ、下手をすると足が浮いてしまう。
フォルクスワーゲンに最大何人の人間が入れるかを競う遊びがある。列車の中は、世界記録を狙うフォルクスワーゲンの車内のようだった。
「地球の歩き方中国編」には、確かに「硬座は混みます」とは書いてあった。しかし、私とW君は、いいところ日本の帰省ラッシュの混雑程度だと思っていたのである。
なんでこんなことになったのか。
中国において正月といえば旧正月。春節だ。年にもよるがだいたい2月初旬である。
この時分は、地方から都市に働きに出てきていた労働者が故郷に帰る。民族大移動の季節なのである。
中国の鉄道は基本的に単線であり、輸送力はさほど大きくない。もちろん列車の本数も少ない。
そんなところで民族大移動が起こる。当然ながら期間も長くなる。春節の前後1ヶ月の2ヶ月間ぐらいだ。
慢性的な輸送力不足でいつも混んでいる中国の鉄道は、この時期いつも以上に混むのである。
そもそも、こんな民族大移動が起きるということは、中国において北京政府の建前が、経済の本音に突き崩されていることを意味する。
中国人の戸籍は農村と都市とで分離されており、農村籍の者が都市籍に転籍することはほとんど不可能である。できないわけではないそうなのだが、非常に高いハードルが設定されている。
さらに農村籍の者は、移動の自由がない。旅行をする場合もかなり煩雑な手続きで当局の許可をとらなくてはならない。
要は農民を土地から逃げられないようにしているのである。
しかし、改革開放政策で、都市部は慢性的な人手不足となった。農村部には人が有り余っており、しかも貧乏である。
なにが起こるか。
中国社会はコネで動いている。戸籍を動かすのはさすがに難しい。しかしコネさえあれば、本来は取れないはずの切符を当局の許可なしに取ることはできる。しかもその切符で列車に乗っても車内で検挙されることはない。
かくしてヤミの労働力が都市部に集中することになる。
北京政府が人々の移動を自由化することはない。そんなことをしたら、貧乏人の津波が都市に押し寄せることになる。あっというまに都市はスラムに包囲されることになるだろう。
しかし、実際問題として、コネを駆使して都市に潜り込む労働者を排除することもできない。そんなことをすれば、湾岸部の「先に豊かになる」はずの地域の経済が回らなくなってしまう。
先日のニュースだと、2007年現在、中国の出稼ぎ人口は1億5000万人だそうである。
いちおくごせんまんだぜ。
日本の人口を遙かに超えた人数が、貧乏からの脱却を目指して都市部に押し寄せているのである。しかも彼らは基本的にヤミ労働者であり、法の庇護を受けられないのだ(注:この部分、現在は違うようですね、許可を取って都市に出てきている農村人口が9000万人弱なんだそうです。それでもヤミ労働者が6000万人いるということにはなりますが)。
かくして地方からヤミでやってきた労働者たちが、春節になると山ほどのおみやげを抱えて、慢性輸送力不足の列車に殺到する。もちろん金がある奴ばかりではない。大半は、二等車、すなわち座席指定のない硬座に乗ろうとする。
我々は、まさにそのただ中の長距離列車に、うかうかと乗り込んでしまったのであった。
体を動かすことが一切できない、窒息してしまいそうな状態のまま、列車が動き出した。
おーい、ひょっとしてこれで30時間以上過ごすってえのか?
中国に関する記憶.15)老婆と子ども
すし詰めの列車は動き出してしまった。目的地の昆明までも30数時間、なんとしてもやりすごさなくてはならない。
幸い冬であり、しかも列車内はろくに暖房が効いていなかったので、臭いの問題はあまりなかった。それでも労働者風の筋骨たくましい男達の吐く息は、のきなみニンニク臭く、体をひねって吐息を避けるのに苦労した。
列車はがたごとゆれながら、日本の感覚では徐行に近いゆっくりとした速度で進む。升一杯の豆も、ゆすればまだまだ豆が入るのと同じ理屈で、人間も揺すられて、だんだん体勢が入れ替わっていく。
その中で、たくましい筋肉で武装した男共のナニや尻がこっちの局部にあたるわけですな。そっち方面の人には天国かも知れませんが、これが気色悪い。思いっきり気色悪い。しかも吐息はニンニクのかをりなのである。
乗っているのは男ばかりではないが、若い女性は見なかった。さすがにこの状況を、若い女性は避けるのであろう。女性と言えばおばちゃんに老婆、そして子どもである。そう、老人も子どもも、すさまじいきゅうくつな姿勢を耐え忍んでいた。
いや、耐え忍ぶというのはあまり正確な形容ではない。列車の振動で、だんだん体が入れ替わっていくのだけれども、新しい人間とぶつかり、ちょっと不自由な姿勢になると、そこで口論が始まるのである。耐える前に不満を手近で爆発させるのだ。
中国語の口論は、日本語のそれよりよほどはげしいものだが、がこんがこん列車が揺れるたびにそこここで、大音声の口論が始まる。またがごんかごんと揺れて体勢が変わり、当事者達がちょっと落ち着いた姿勢になると口論は止むが、今度は別の場所で口論が始まる。そのうるさいことといったら。
私もふっかけられた。相手は私の肩ほどの身長しかない、汚い白髪を結ってまとめた老婆だった。こっちの着込んでいるダウンジャケットに全身を押しつけるようにして、顔だけ私の方を見上げ、ものすごい剣幕で何事かをわめきたてるのである。顔をそむけるスペースもない。ばんばん老婆の唾が顔に飛んでくる。容赦なく口に入ってくる。
ぼんやりと、「このばあさんが肝炎持ちだったら、俺も感染するのかな」と思ったのを覚えている。
老婆は小さな、おそらく6歳ぐらいの男の子を連れていた。おびえた風でぴったり老婆にだきついて離れようともしない。多分に老婆のすさまじい剣幕は「子どもがつぶれるからどけ」だったと思うのだが、こっちは片言の中国語が分かるか分からないか程度なので、なにをいっているのか分からない。
もちろんこっちも負けてはいない。「ばあさんうるせえよ!ナニいってんだかわからねーぞ!」と日本語でわめきかえすわけだ。老婆とぎゃあぎゃあすれ違いの口論をしつつ、ふっと視線を下に向けると、子どもと目があった。
不安そうな目をしていた。
老婆との口論がどうやって収束したのか覚えていない。おそらく揺られているうちに体勢が入れ替わり、離れたのだろう。
面白いもので、あれほどぎゅう詰めだったにもかかわらず、揺れているうちに隙間ができてくる。私とW君は、そこにすかさず荷物を押し込んで、じりじりと車内へと入っていった。一晩かけて車内の1/3ぐらいの場所に到達。そこで今度は荷物を床に押し込んでスペースを確保し。その上に座り込むことに成功した。やれやれ、やっと体を自由に動かせる。
が、驚異の中国春節長距離列車、硬座の旅はまだまだ続くのであった。
よろしくお願いします