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カテゴリー「初音ミク関連」の26件の記事

2011.06.30

ニコ動に新曲アップ

 少々前になるが、ニコニコ動画にオリジナル曲を1曲アップロードした。2年振りになる。

 こんな曲を書いていたのは29歳から31歳にかけてだから、過去の妄念を供養する行為とも言える。あと1曲残っているので、これもなるべく早くアップロードできるようにしたい。2年というのは間が空きすぎだ。

 ともあれ、面白い時代になったものだ。私が書いて本棚に放り込んでいた曲など存在しないも同然だった。演奏するにしても、演奏者を集めるような伝手も持っていない。「人がいない森の奥で木が倒れたとして、その時の音は存在したと言えるのか」という古い設問と同じだ。「存在しているとしても、存在していないも同然」ということである。
 それでも、ミクに歌わせてニコニコ動画にアップすれば、立派に社会的な存在になる。数は少なくとも聞く人がいて、わずかなりとも感想が帰ってくる。ニコ動に置いておくだけで、聞く人は増えていく。「いつか大ブレイクするかも」という虫の良い夢を見ることもできる。
  いつかどこかに届くことを期待して、瓶に詰めた手紙を流すようなものだ。流す場所が海や川ではなく、ネットというわけである。

 今回、DAWにLOGIC Expressを導入した。すると、これまでのGaragebandよりもぐっと音が良くなったのには驚いた。細かい調整も利くので、これまできちんとやっていなかったマスタリングのまねごとにも踏み込んでみた。声はメインボーカルがミクで、コーラスにルカを使っている。

 ニコ動の動画像をココログに貼れるようになったこともあるし、以下、過去に投稿した作品を貼って宣伝しておく。妙で不格好な曲ばかりだがご寛恕頂きたく思う。

 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。(宮沢賢治「注文の多い料理店」序)
 これは、音楽に魅せられたあげく、うっかり曲を書こうなどと思ってしまった人、すべての真情だろう。
 誰もが宮沢賢治になれるわけではないけれども。

2009.06.23

訂正:MMDオリジナル振り付けについて

 訂正です。

 前回「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ、「踊ってみた」というビデオがアップされる状況になっていない。」と書いたが、これは事実誤認だった。

 コメント欄でcocoonPさんから指摘され、確認したのだが、まず「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ」という部分は、オリジナルの振り付けがかなりの数、投稿されている。MMD振り付けというタグが、オリジナルの振り付けを探す鍵だった。

 「『踊ってみた』というビデオがアップされる状況」については、まだきちんと探せてはいないのだが、いくつかMMDで発表された振り付けを実際に踊った例を確認した。

 私の事実誤認である。

 何が間抜けって、MMD杯の動画をチェックしている時に、この動画もちゃんと観ていたのだ。

 ところがLove and Joy関連の動画を追っかけているうちにすっかり記憶から抜け落ちしてしまっていたのであった。我ながら全くもって情けない。

 cocoonPさんのコメントには、「実際にモーションを作っているMMD界隈の仲間たちが、あなたのこのエントリを見て悲しんだり怒ったりしている」とあるが、もしもそのような方がおられるなら、大変申し訳ありませんでした。

 なぜこういうことになったかを考えてみるに、「音を扱う音楽=ミクオリジナル曲と、体の動きを扱う振り付け=MMDによるオリジナル舞踏との間に、なにか人間の側の情報処理の仕組みに大きな違いがあるのではないか」ということを考えていたからだろう。

 ラマチャンドランによる幻肢痛の治療に見るように、「自分で、自分の体を『これは自分のものである』と認識するメカニズム」は、なかなか一筋縄ではいかないものだ。新たな振り付けの創造にあたっては、そこに「自己の肉体を自己として認識する仕組み」が大きく影響しているのだろう。

 ボーカロイドは、「歌う」という行為を仮想化してパソコン上で(ある程度の精度で、ではあるが)再現することに成功し、その結果ボーカロイドによるオリジナル曲がアップされ、さらに「歌ってみた」という形で現実の歌声に遡上するという現象が起きた。

 では、MMDは「踊る」という行為を仮想化してパソコン上で再現することに成功しているのか。その結果オリジナルの振り付けがアップされ、さらに「踊ってみた」という形で現実の舞踏に遡上しているのか?

 そこで、「人体における歌声と舞踏との自己認識が異なるなら、現象として違うことが起きているのではないか」というのが、私の作業仮説だったのだ。ところが、Love and Joy関連の動画を追っかけているうちに、「違っているに違いない」という先入観に陥ってしまったようである。
 そこには、自分がMMDをいじったときに手こずった経験も投影されているようだ。実際、自分でやってみるとミクが思っていたように動いてくれなくて、ずいぶんと苦労した。

 ただ、ここまで短時間でざっと見ただけなのだが、確かにMMDによる投稿は、ボーカロイド曲の投稿に比べて数が少ない。そして「歌ってみた」と「踊ってみた」を比べると、「踊ってみた」はずっと少ない。

どのタグで比較するかによるのだが——
2009年6月24日時点で、


  • 初音ミク:50,319件
  • MikuMikuDance:5,544件
  • 歌ってみた:128,738件
  • 踊ってみた:16,209件
  • ミクオリジナル曲:1,036件
  • MMD:221件

 だいたい規模として、1/10から1/5程度と判断していいようだ。大まかに言って「桁が違う」わけである。

 これが、cocoonPさんの指摘したような敷居の高さのせいなのか、それとも私が考えていたような「人間の自己認識の仕組みの違い」のせいなのかは、現状ではなんともいえない。そもそも「自己認識の仕組みが違うから敷居が高くなる」のかもしれないし——これ以上は、別の切り口のデータが必要になるだろう。例えば、ミクを使ってDAWで作曲している時と、MMDで新しい動きを考えている時にそれぞれ脳波の多点計測をするとか。

 「歌と踊り」とまとめられることも多いし、実際これらは切り離しがたいものではあるのだが、このような差異が存在する。それもニコニコ動画ではっきりと見えてくる。その差が、私にとって面白かったのだけれど、でも、先入観で事実を誤っては話にならない。反省しきりだ。

 罪滅ぼしの意味も込めて、ラジPによるオリジナルの振り付けをいくつか紹介する。これは手練れの作品だ。なかなかMMDでこうは動かせない。



 ラマチャンドランが、自らの研究を一般向けに解説した本。人間の脳が、自分や世界をどのようにして認識しているかを、彼は独創的な数々の実験を通じて明らかにしてきた。ものすごく面白く、かつエキサイティングである。読んでない人は是非とも読むべき名著だと思う。

2009.06.19

MikuMikuDanceとオリジナリティ

 アイマスMad、ミクオリジナル曲とくると、最後はMMD(MikuMikuDance)なのだが、これは前二者とは違って、ちょっと問題含みかなという気がしている。

 ソフトウエアとしてのMikuMikuDanceは、どんどん進化している。作者は3Dモデルに対する物理シミュレーションを入れ込んでいるようで、開発途上のバージョンによる動画も公開されている。使用できるモデルもどんどん増えており、可能性は以前よりも大きくなっている。これは間違いない。

 ではなにが問題なのか。まずは、以下の2つの動画を見てもらいたい。


 Love & Joyでミクとチビミクが踊る踊る。爽快の一言に尽きる。


 ブリトニー・スピアーズの「TOXIC」のビデオをボーカロイド派生キャラの弱音ハクで再現したもの。やー、笑っちゃうぐらい良く出来ている。よい子は見ちゃ駄目よ。

2009.6.24追記:以下の記述は前提となる認識に事実誤認がありました。詳細は訂正:MMDオリジナル振り付けについてをご覧下さい。記事は削除せず、このまま残します。


 ところが、これら2つには共通点がある。「既存の振り付けをMMDでなぞっている」ということだ。


 ミクオリジナル曲だと、受けたら次にリアルな歌い手達が「歌ってみた」をアップするのだが、MMDではそうはなっていない。MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ、「踊ってみた」というビデオがアップされる状況になっていない。つまり現状ではMMDは現実世界のコピーツールであり、MMDから始まって現実に新しい情報が波及していくということにはなっていない。

 振り付けは、身体的なものだから、バーチャルなMMDでは難しいのだろうか。新しいダンスがMMDから始まれば、もっと面白くなるだろうにと思うのである。

 まあ、ニコニコ動画でのマッシュアップという意味では、あまり心配することはないのかも知れない。最初に紹介したLove & Joyの場合は…


 まず最初にこのビデオがあった。すると次に…


 「踊ってみた」の人が、こうやって自分で踊ってみたビデオをアップしたわけだ。これが受けてしまって…


 「踊ってみた」の振り付けを、モーションデータとしてMMD上で再現する“職人が出現”。モーションデータをネットで公開したものだから…


 こんなのや…


 こんなのが次々にアップされ、その間にモーションデータもどんどん手が入って洗練されていき、ついには…


 こういうビデオまで出現するに至る、というわけだ。

 ネットの特徴であるマッシュアップは、理想的なぐらいにうまく回っているのである。

 MMDのオリジナリティという意味では、ダンスよりも、もっと日常的な動きをさせてみたビデオに面白いものが多い。


 この半年の間で、私が一番気に入ったMMDのビデオ。日常的なありふれた光景をきれいに切り取っている。もちろん技術的にもハクのギターの運指など見るべきところは多い。MMD杯というのは、MMD使いの強者達が、それぞれに技術の限りを尽くしてビデオを競い合う、ニコ動上のイベントのこと。ここに出てくるビデオはどれも非常に質が高い。


 その第2回MMD杯優勝作品がこれ。よく動くんだが、これが上の「めると」より受けるってことはニコニコ動画のユーザーは基本的に若いんだろうなあ。私には、この中身なしでひたすら動き続けるというのにはちょっとついていけないという感じがする。せめて、ウイットの効いたオチが欲しかったな。


 こういうのがもっと増えるといいな、と思う。この動画は音楽も映像も映像も稚拙だと思うけれど、精一杯自分のやり方で前に進もうという意志を感じる。
 オリジナルかコピーかなんて問題は、マルセル・デュシャンが男性用小便器にサインを入れて「泉」と題名を付けた段階でとうの昔に吹っ飛んでいるわけだが、それでも私は、自分なりのやり方で語っていこうという姿勢に肩入れしたい。「しょせん、デジタル時代の個性はカットアンドペーストからしか生まれない」というような斜めに構えた態度は、評論家に任せておけばいいのだ。


 とはいえ、ネタ系の楽しさというのは確かにある。それも頭の悪いネタ系の面白さというのは。これは見事なぐらい頭が悪いネタ系動画。もちろん褒め言葉である。いやー、ドロイド、色っぽいですな。


 ネタといえば、MMDはこんなこともできるのだ。とにかく作っちゃったということに感心。


 楽しませてもらっている以上、コミュニティにはなんらかの情報を提供して返さねばいけないのだが…


 かくいう自分は、昨年秋にこれをアップして以降、MMDをいじっていないのであった。その後のソフトウエアの充実っぷりは半端ではないので、またなにか作ってみたいとは思っているのだけれど。

2009.06.17

例によってミクオリジナル曲より

 アイマスMadと来れば、初音ミクオリジナル曲も取り上げないわけにはいかないだろう(自分としては、だが)。以下、この半年ほどの間に聴いて、気に入った曲である。例によって再生数がぐんと伸びている曲は避け、再生数1000から1万の間の曲を中心に紹介していくことにする。


 質の高い音楽を着実にアップしてきた割に、いまひとつ再生数が伸びなかったとち-music_boxさんだが、この曲でブレイクした!スティーブ・ライヒ風のフレーズを、同じくライヒ風に繰り返していくが、細かい部分に作者ならではの工夫があり7分半の演奏時間はあっというまにすぎる。


 ミクオリジナル曲は、アップテンポでビートのきつい音楽が受ける傾向がある。が、それだけだとこういう良い曲が埋もれてしまう。ソロモンPによる、静かなゆったりとした、ちょっと不思議な雰囲気の曲。


 同じくソロモンPの手による、これまた静かでゆったりとしたとても良い曲。この人の曲の再生数が伸びないのは、長靴Pが1万再生あたりでうろうろしているのと合わせて、私にとってミクオリジナル曲の「2つの謎」だ。良い曲なんだがなあ。


 作者のPhantasmaさんは、どうやらプロらしいのだが、ちょっと正体は分からなかった。これもゆるやかなテンポであるというだけで損をしているとしか思えない、しっとりとした曲だ。


 同じPhantasmaさんの曲だが、こちらはそれなりの再生数を集めている。テンポがアレグレットぐらいまで早くなっただけなのだけれど。これも、「いいから聴いてごらん」とすべての人に勧められる曲だと思う。


 クヌースP(P名からして理系と分かる)による、1980年代半ばぐらいの坂本龍一を思わせるテクノポップ。アップテンポでビートも効いているが、こちらは「テクノポップ」というだけで、損をしているような気がする。おーい、ニコ厨たち。はやりのアニメっぽい音楽だけが音楽じゃないぞー。ちなみに題名のアナライザーとは、佐渡医師の助手を務める赤いロボット…ではなくて、明らかに計測機器のFFTアナライザーのことだろう。理系萌えというか、理系擬人化というか、そういう歌詞。


 仏教ロック「舎利禮文」でニコ厨に衝撃を与えた鉄風Pの、これはまた見事なまでに内省的な曲。曲の出来は、「舎利禮文」に勝とも劣らぬ、と思えるのだけれど、どういうわけか再生数が伸びていない。北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」や、自伝的要素を持つ「楡家の人々」を読んでいると、さらに楽しめるだろう。クヌースPが「理系ポップ」なら、こちらは「文芸ロック」というべきか。以前から主にインディーズで「文芸ロック」を標榜したグループはいたわけだけれど。


 アルゴリズム・ミュージックという分野がある。あるアルゴリズムを最初に設定しておいて、それに沿って音を発生させていくというものだ。乱数Pによるこの曲は、アルゴリズム・ミュージックの範疇に入るのだろうが、曲の基本となるアルゴリズムが「乱数」なのである。音の高さも長さも乱数。歌詞も乱数。それなのにけっこう面白く聞けてしまうのはなぜなのだろう。
 発想としては、ジョン・ケージの「易の音楽」などと同じだが、こういう曲がさらっとアップされているのも、ボーカロイド曲の面白いところだ。


 これは、音楽単体というよりもコラボで付いた映像との組み合わせがなかなか良い。マッド・サイエンティストをテーマにした曲というと遊佐未森が歌った「M氏の幸福」を思い出すが、この曲には「M氏…」のようなちょっと湿ったリリシズムはない。むしろ、「みんなのうた」的な明快さ、明朗さを感じさせる。


 その遊佐未森っぽい、というより初期の遊佐に曲を提供していた外間隆史の影響を感じさせる曲。初期の遊佐未森のアルバムに入っていてもおかしくないような雰囲気だ。


 ジンジャーPによる、ジャズっぽい軽快な曲。ジンジャーPという人は本当に多芸多才で、超絶技巧のピアノ曲を書いてMIDIで演奏してみたり、物理シミュレーション言語Phunでピタゴラスイッチのような仕掛けを作ってみたりして、人気を集めている。この曲などは、きっと手すさびで書いているのだろうと想像するのだけど、それでも完成度は高い。


 ちなみにこちらは、ジンジャーPによる超絶技巧ピアノ曲。「弾けたら千手観音」というタグがついている。



 最後に、オリジナルでもミクでもないが、本当にびっくりしたので紹介する。古賀政男の曲ばかりをアップしているこがうたPによる「いとしあの星」。オリジナルは渡辺はま子が歌っていた。

 なんでルカの歌声はこんなに古賀メロディに合うのだ??

2009.05.04

18年物の新曲

 ここのところ、このblogでも宇宙の話しか書いていないなあ。

 というわけで。

 新たにアップロードしました。前回から半年以上経ってしまいましたが、3曲目です。1991年に書いた曲です。

 今回の詩は、自分が現役高校生の時に、図書館報に掲載されていたもの。30歳近くなってから読み返し、いかにも高校生っぽい未完成な感性が面白いと思って、曲を付けたのだった。

 母校のボロ極まりなかった図書館も、今はもうない。とうの昔に綺麗で大きな図書館に建て替えられている。取りあえずは、「30年前に木造の古いきしむ図書館の貸し出しカウンターで、三つ編みお下げ(眼鏡オプション付き)の女子高生図書委員長が、丸い小さな字で書いた詩」とでも、妄想した上で聴いてもらえれば本望である。

 さて、1991年頃に書いた曲も、残っているのはあと2曲。次の曲はミクだけではなく、ルカも使う予定。そして最後の曲は、かなり長いです。詩も、ここまでとはちょっと毛色が変わります。

 最後に、過去にアップした曲へのリンクも掲載しておく。「受けなくってもいいんだよ(ツン)」という態度を取っていても、再生数やマイリスト数が伸びるのはうれしいので。

2009.01.18

ニコニコ動画の影響力、遂に中国に及ぶか?

 うははははは。こ、これは!…面白いじゃないか。

 もちろんオリジナルは、初音ミク初期の大ヒット作である「みくみくにしてあげる♪」

 どこから見つけてくるのか、どうやって録音しているのかは知らないけれども、よく見つけてアップする人がいるものだ。これがネット時代というものなのだろう。「日本のものをパクっても、向こうには伝わらないから大丈夫」から、「あっという間に伝わって笑われる」へ。

 ただ嘲笑するのも芸がないというか、笑いが足りないというか、すでに「偽音シナ」なるタグが付いているので、後は誰か絵の描ける者が、みんなが納得する萌え系「偽音シナ」の絵をかけば、ここにもう一人、ボーカロイド派生キャラ一丁あがりということになる。

 同じく派生キャラクターの亞北ネル誕生のエピソードを思い出す話だ。こんな経緯だったのですよ。

 この件、単に「だから中国は」というヒステリックな嫌中ネタにせずに、是非とも笑いと共に向こうにボールを投げ返したいものだな。

 中国人——とひとくくりに考えてはいけないぐらい、向こうは人種も社会階層も多様なわけだが——少なくとも向こうのネットユーザーには、「こういう情報は、あっという間に世界を流通してワールドワイドにお笑いを増幅していくぜ、どうするよ?」というところをぶつけてみたいところではある。

 そもそも「みくみくにしてあげる♪」はニコニコ動画で生まれたヒット曲なのだから、出自の時点でJASRAC流のがちがちの著作権管理とは異なる、著作権的にはゆるいところがあるわけだ。

 では、この中国版パクリのどこがいけないのかといえば、「オリジナルに対する敬意なしに、ものすごく安易に『日本で流行っているものをちょっともって来ればこっちでも受ける』と考えている」らしきところだろう。要するに志が低いのだ。
 自分たちの頭を使って、もっとひねりを入れればよかったのに。


 このあたりのパクリについては、日本も中国のこと言えた義理ではなくて、日本のポップス歌謡曲の世界が、かつては(今も??)洋楽からのパクリいっぱいであったことは、割と知られているところではある。
 
 個人的に今でも忘れられない件としては、ニック・カーショウの「The riddle」が流行ったら、小泉今日子がそっくりというのも愚かな程にそのものの「木枯しに抱かれて」を歌ったなどということもあった。1986年の話である。
 これは、ひどかった。本当にひどかった。作曲者は誰かと思えば…なんだ、「THE ALFEE」の高見沢俊彦ではないか。

 個人的にインパクトの強かった件を、思い出すままに書き出すと、リプチンスキーが、アナログ時代のハイビジョン合成を駆使した映像絵巻「オーケストラ」を発表したと思ったら、日本のCM業界に「オーケストラ」もどきの合成映像が溢れたとか(これは1990年頃)、三善晃の「ピアノソナタ」の第2楽章冒頭は、アンリ・ディディユーの「ピアノソナタ」第2楽章冒頭とそっくりだとか(1965年のことだ)。
 「レスペクト」とも「パクリ」とも、「傾倒するあまりについつい似てしまった」とも付かない事例はいくらでも存在する。

 「学ぶ」の語源は「真似ぶ」なんだそうで、真似を排除すると次の世代が育たない。とはいえ、安易なウケを狙っての志の低い真似は、「そういうのは軽蔑されるぜ」という雰囲気を作っておくのは悪くない。

 13億を超える中国で、ネットユーザー人口は2億を超えているとのこと。この2億の中は、それなりにきちんと思考する人々がいる——私は、日経ビジネスオンラインに遠藤誉さんが書いた「開幕式の「まやかし」が傷つけたもの ネットに溢れる中国国民の怒り」という記事を読んでから、そのように考えるようになった(日経ビジネスオンラインの全文を読むには、無料登録が必要である。私としては、遠藤さんの記事が読めるだけでも、登録する価値はあると考えている)。

 まあ…日本のネットも玉石混淆なのだから、向こうは人口が多い分、もっと玉石混淆なのだろうが——それにしても、今回の件をうまく笑いで投げ返すとどんな反応が出るのだろう。そして、そんなドタバタを繰り返しながら、ネット時代は進んでいくのだろう、ね。


22:15追記:さっそく来た来た。

 この調子、この調子。

19日5:00追記:どうやら、単なるパクリではないという雰囲気になっている。

ニコニコ大百科:偽音シナ(コットンファーザーアキヨシ)

コットンファーザーアキヨシとは、長渕がいつも一人でいると思っている中国人(らしい)人である。

概要 

事の発端は2009年1月18日に投稿された動画(sm5874126)である。

中国語放送のラジオ番組「ニコニコ大ニッポン語FM」にて「みくみくにしてあげる♪」に似た曲が
歪みなく歌われている。
どういうことなの・・・

 当初はパクリだとして「偽音シナ」との蔑称がつけられたが、動画内で明確に「ニコニコ」と
聞き取れる部分があるため、歌いやすくアレンジされた「歌ってみた」シリーズの可能性もあり、
今後の経緯が期待される。
編集者が表示用記事名を直そうとしたが無理だった。仕方ないね。

 ニコニコ動画が4カ国語対応になったことを考えると、アレンジバージョンの登場は
やや遅くさえ考えられる。

正しい歌詞なのか、どのような経緯で歌われたのかはまったく不明。シャランQのファンらしい。
あまり裕福ではないらしく、生のピーマンを食べたり、「食材があるときに食事にする」と発言し、
サンタマン(サンタクロース?)のプレゼントを期待しているようだ。歌詞も食べ物についての内容が多い。

 いやもう、ネットでは話が早いことよ。

19日23:OO追記:そもそも元の動画が中国のラジオ放送を模した偽造だということが明らかになった。

ニコニコ大百科:偽音シナ

事の発端は2009年1月18日に投稿された動画(sm5874126)である。

「みくみくにしてあげる♪」に似た曲(通称「ニコに関して頑張る♪」)が歪みなく歌われている。

会話部分の音源はニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の学内放送であるWUSBの
「China Blue」という中国人向け番組で流れたもの。
番組表

しかし元音源(Youtubeより引用)の4:02~4:23あたりのDJコメントに後から曲を乗せ編集されている。
つまりラジオ放送において「ニコに関して頑張る♪」が歌われたという事実はない。

動画タイトルと投稿者コメント以外に情報がない現状では「中国に対する差別感情を煽る」という意図しか
伝わらない釣り動画という評価が妥当である。投稿者も現在まで一切コメントしていない。。

 「「中国に対する差別感情を煽る」という意図しか伝わらない釣り動画という評価が妥当」ということで、たちの悪い歪んだいたずらということで落ち着きそうだ。

 それにしてもあっという間に関連動画がどんどんアップされるのは相関だ。しかもそれらが「また中国www」的なものではなく、きちんと笑いを取ろうとしたものだったのは良かったと思う。とりあえず元の動画をアップした者には「釣り乙」ということで、いいのかな。

2009.01.16

巡音ルカを予約してしまった


 予約してしまった。



 以前も書いたかもしれないけれども、30歳の頃に描いた曲が5曲あって、それをぼつぼつと初音ミクに歌わせてはニコニコ動画にアップしている。今、3曲目をいじくっているが、この後の4曲目と5曲目には、ミク以外の声が必要になるのだ。

 少々早いが、ええい買ってしまえ、というわけ。



 5曲をアップし終えたら、当時スケッチだけ書いて、完成させなかった曲を作り上げようと思っている。これが3曲ほど。その後は、これまた当時、詩を選ぶだけ選んで、そのまま放置していたものにあらためて曲を付けてみようと思っている。半年に1曲のアップのペースで、一体どうなることやらではあるが。



 では、その次は…



 野望はある。まず、オーケストラ伴奏付きの歌曲。いや、歌曲というよりも、オーケストラと声の曲。できれば5つに分割したオーケストラが聴衆を囲むように配置され、音列技法かなにかを使って、思い切りかつてのアバンギャルドのような響きで、歌う詩はもちろんシュールレアリズム——というような曲だ。



 ピエール・ブーレーズに、「プリ・スロン・プリ」という曲がある。オーケストラにソプラノが付いて、ステファン・マラルメの詩を歌うという、1時間以上かかる大作だ。

 「プリ・スロン・プリ」の影響をうけたのかどうかは分からないが、武満徹にも、「ソプラノとオーケストラのための環礁」という曲がある。こちらの詩は大岡信。



 そんな曲を書いてみたい。詩は、西脇順三郎か、それとも滝口修造か。



 その先は、オペラだな。かつて、サン・テクジュペリの「星の王子さま」と「人間の土地」を混ぜて、オペラの台本を書きかけてほったらかしにしてあるので、まずはこれは完成させ、曲を書いてMIkuMikuDanceでボーカロイドにバーチャルオペラを演らせる。


 器楽は室内楽レベルに小さな編成。登場人物は男声3人に女声2人。男は、サン・テクジュペリ(僕)と、アンリ・ギヨメ、そしてジャン・メルモーズ。女は、王子様(中性の扱いとなる)、薔薇の花(コンスエロと一人二役)。サン・テクジュペリが、ナチスドイツ迫るパリで、「世界に対する愛情の不足の罪」で裁判にかけられるというシーンがクライマックスとなる(裁判官がメルモーズ、弁護士がギヨメなのだ)。



 …まあ、言うだけは自由だからね。

 それはさておき、朗々と響く声の男声ボーカロイドが欲しいな。クリプトン・フューチャー・メディアに対しては「藤山一郎ロイド」とか、「フランク永井ロイド」を希望するものである。


 色々毀誉褒貶はあれどブーレーズが20世紀を代表する大作曲家であり、同時に指揮者であることは間違いない。そんな人物だから、自作も何度となく録音しており、しかも録音毎に自作にも手を入れたりしている。私が四半世紀前に入手して、何度となく聞いたのは、この1969年の録音だった。

 この曲はソプラノの扱いもさりながら、オーケストラの鳴らし方も面白い。特に終曲の“墓”でのぎしぎしきしみながらカタストロフに突進する音楽は、20歳になったばかりの自分を魅了したものだった。若さ故の悩みに煩悶する若者を魅了する苦さにあふれている——とでも言いましょうか。



 武満徹というよりも、指揮の外山雄三の卓越した曲の解釈を聴くための一枚。外山は自らも作曲家だが、このCDでは指揮者として素晴らしい演奏を聴かせてくれる。

 このCDは武満の死後2年目の彼の命日、すなわち三回忌に発売された。おそらく外山は、友人であった武満に最高の演奏を手向けるべく、相当の覚悟を持って演奏に挑んだのだろう。譜面を徹底的に研究し抜いたという印象だ。名曲「地平線のドーリア」の演奏も素晴らしいが、なによりも、ろくに演奏される機会がない「環礁」で、心に沁みるような演奏をしているのは、天晴れというほかない。ソプラノの浜田理恵も、音程から発音に至るまで、完璧と形容できる声を披露している。

2009.01.04

ニコ動プレミアム推進に見るジャーナリズムの未来


 遅ればせながら「ユリイカ」の初音ミク特集を読んだ。よくまとまった論考だ。ただし…

 哲学という学問は自分の立ち位置を確認するのには有効だ。しかし当たり前のことながら「では何をすればいいか」は教えてくれない。それは自分で考えるべきことである。そういう意味で、「初音ミク現象のど真ん中に飛び込んでみようぜ」的なアジテーションの文章がなかったのは残念。

 自分で動画を投稿して、反応に一喜一憂してこそ見えてくることもあると思う(と、2本しか投稿していないのに、偉そうなことをまあ…)。
 

 さて。

 年末年始とニコニコ動画がらみの記事ばかりを書いていたのは、はまっているというだけではなくて、「ニコニコ動画に、プロのジャーナリズムで今後とも食っていくきっかけがあるかな」と感じているからでもある。

 ご存知の通り、昨年からマスメディアの崩壊がいよいよ現実のものとなりだした。朝日、毎日、産経新聞が赤字に、テレビ局も在京キー局が日本テレビを除いてすべて赤字になり、今年も状況が好転する見込みはない。出版業界は何年も前から右肩下がりだ。

 1994年にインターネットの一般開放が実施され、誰でもWWWを読めるようになりホームページを公開できるようにもなり、写真も動画もなにもかもまとめてネットで配信できるようになった時点で、技術的には新聞とテレビの未来は決まっていた。社会的に「いつ終わりが来るか」がはっきりと分からなかっただけだ。
 その「終わり」が今、到来しつつある。同時に「始まり」も。

 おそらく、今後ジャーナリズムは2層分化するだろうと、私は予想している。
 一つは、世界のあちこちで生成する事象を、そのまま伝えるという通信社的形態だ。例えばインプレスWatchITmediaのように、企業が発表するリリースをそのまま記事に仕立てたり、記者会見やイベントの様子をそのまま余分な判断を可能な限り交えずに記事化するというやり方である。記事を書くのは若くてフットワークの良い外部ライターで、収益は主にネット広告で得る。
 この業態は現状でも、この先どのようにしてネットでビジネスを成立させるかがはっきりと見えてきている。
 おそらく、新聞やテレビニュースの機能のかなりの部分は、ここに吸収されるはずだ。速い話、インプレスが「政界Watch」を立ち上げないのは、単に内閣記者会(記者クラブ)が首相記者会見を独占しているからだろう。

 もう一つは、集めた情報を加工・分析し、新たな視点を提示する調査報道系のジャーナリズムだ。こちらの未来は大問題である。

 調査報道は地味で手間が掛かるし、すぐに読者が関心を持ってくれるとは限らない。事前の投資が大きく、投資の回収期間が長期にわたる。しかも、ネット社会の進展の中で、「どこから投資を回収するのか」という問題も抱えている。例えば、どこかの大企業の問題点を指摘するならば、そのメディアは広告の大幅減収を覚悟しなくてはならない。
 一つの解は、Google Adのような、人間の意向や意志を介さない、純粋に広告効果だけをアルゴリズムで算出する広告出稿システムだろう。しかしGoogle Adにしても、その他のネット広告にしても巨大クライアントの意向を無視できるとは限らない。

 健全なジャーナリズムには、何物にも依存しない健全な財政基盤が必要だ。逆に言えば、全ての人に広く薄く依存することが望ましい。それは同時に、メディアが一部の広告主や権力ではなしに、全ての人々によって実効的に監視されるということでもある。

 私はそろそろ、「情報のエンドユーザーが無形の情報に価値を認めて対価を支払う」ことを一般化する時期に来つつあるのではないかという気がしている。
 もしも、「インターネットの時代にも健全で深いジャーナリズムが必要だ」と考えるなら、「ポケットの中の小銭をきちんと無形の情報の対価として投げることが習慣になるべきではないのかと思っているのである。

 既存の紙の新聞やNHKには、情報のエンドユーザーからの購読費(受信料)として料金を徴収している。しかし、ネットでは「情報はタダ」という観念が浸透しているので、過去有料化に挑んだ媒体のかなりの部分が失敗している。
 また、エンドユーザーが支払う対価は、NHKの受信料のように法的に強制されるべきものではない。あくまで「面白いから」「意味があるから」「意気を感じるから」「応援したいから」支払うべきものだ。


 広告による無料の情報提供というビジネスモデルでは、広告主が経費を負担する。しかしよくよく考えてみると広告主が支払う資金は、エンドユーザーへの何らかのビジネスで働きかけて得た収益の一部が回っている。エンドユーザーは広告主が支払う広告コスト込みの価格で諸々のサービスを購入しているわけだ。

 つまり、メディアに直接購読費を支払うのも、その分を、日常購入する物品やサービスの価格に上乗せして支払うのも、社会全体で見ると同じなのだ。

 違う点は2つ。一つはメディアを支える費用が、広告主を通じて広く薄く徴収されるということ。もう一つは、広告主がコストを支払うことで、広告主はメディアへの影響力を持つことだ。

 となると、エンドユーザーがメディアへの影響力を行使するためには、積極的にメディアに経費を支払うのが合理的ということになる。

 さて、ここで話は本文冒頭で触れたニコニコ動画に戻ってくる。野尻さんのアピールに始まった「プレミアム推進ユーザーアピール」は、単に「ニコニコ動画で楽しんでいるのだから、運営に金を払おう」という道義的なものではない。そのことによって、ネットで結ばれたユーザーが、ニコニコ動画を運営するニワンゴに影響力を及ぼし、同時に広告主の恣意的な影響を排除する可能性を持つということなのだ。

 ニコニコ動画のユーザーは他ならぬニコニコ動画において、四六時中インタラクティブに結びついている。運営側がなにかやらかしたらすぐに「ニコニコ動画プレミアム退会ユーザーアピール」で、運営に揺さぶりをかけられるポジションにいるわけだ。

 一部の広告主のためではなく、わずかなプレミアム料金を支払う多数のユーザーのためのメディア——これは理想のマスメディアではないだろうか。

 広告に依存しない一般向け媒体というのは、出版界長年の理想だったが実現し、継続したのは花森安治の「暮らしの手帖」誌ぐらいではないだろうか。それがネット時代の進展で可能性が見えてきている——と、私には思えるのである。

 このことは野尻アピールにもきちんと書いてある。

 もしプレミアム会員の収入で自活できれば、ニコニコ動画はせこい商売をしなくてすむ。わずらわしい広告もなくなる
 スポンサー企業ではなくユーザーの意見が反映されるようになる。文句を言うなら金を払おう。動画作者への還元も期待できる。  ユーザー提案のプロジェクトに出資させることだってできるだろう。わずかな出資ですべてうまくいく。
いま20万人いるプレミアム会員が100万人になれば、毎月3億円の黒字になる。
その金はプレミアム会員が握っているも同然だ。運営に注文をつけて、世界を面白くしようではないか
(強調部分は松浦による)

 これは、株主でも広告主でもなく、プレミアム料金を払うユーザーによるニコニコ動画簒奪の試みといえるだろう。ニコ動としてもユーザーに簒奪されることにより、よりネットユーザーに密着したサービスを展開することが可能になるわけだ。巨大企業が広告主について、これらの企業に批判的な動画を投稿できなくなるよりも、ユーザーが広く薄くプレミアム料金を支払って、自由な投稿の場を確保した方が、はるかに健全である。


 そして、「コンテンツを生成するライターの取材経費と生活費」というものも必要だ。ニコニコ動画が記者やライターを雇用するならともかく、投稿によって成立するとなると、投稿者へも適正な報酬が配分されるようになるのが望ましい。

 こちらも私は、ニコニコ動画に希望を見ている。その理由は「振り込めない詐欺」タグの存在にある。もちろんこのタグはよく出来た動画への称賛の意味であり、本当に振り込む人がいるかどうかは分からない。それでも、このタグの存在によって、「素晴らしいと思ったものを金銭的に支える精神」が準備されつつあるように思うのだ。

 1円、10円、100円オーダーの決済をネット上で行うために必要なマイクロペイメントの技術も、いよいよ準備が整ってきつつあるように見える。そろそろ、「後は誰かビジネスとしてやるだけ」という状況になっているのではないだろうか。書いた文章に対する対価が多くの人々から広く薄く入るならば、「書く」という行為の基盤は非常に強くなる。
 ひとつの組織、ひとりの人間に圧力をかけることはできても、社会に分散する多種多様の人々にまとめて圧力をかけて従わせるのは容易ではない。

 もちろん、理想がそんなに簡単に実現するはずがない。理想が実現したとしても、そこで自分がジャーナリズムの端っこに引っかかって生き残ることが保障されるわけでもない。多くの人々から広く薄くとなると、「多くの人にとって身近な話題」「知っていること」「理解しやすいこと」にのみお金があつまり、本当の意味で知のフロンティアを開拓する言論にはお金が回らないということも考え得る(ああ、宇宙開発の話題にならなさといったら!これが「科学技術」全体に広げても状況は似たようなものなのだよな)。

 「ニコ動はマスゴミじゃねーぞ」と声がかかりそうだな。

 それでも、私は、現状のニコニコ動画を、自分の未来に引き寄せて、「これは面白いぞ」と思っているのである。

2009.01.01

人力ボーカロイドはさえずり機械の夢を見るか

 あけましておめでとうございます。

 以前も書きましたが、もう年賀状を出さなくなって何年も経ちます。このblogが生存証明ということになります。

 新年最初の更新もニコニコ動画絡みです。ネタは人力ボーカロイド。

 初音ミク以下のボーカロイドは、あらかじめサンプリングした音声波形をモーフィングをかけることでスムーズに接続するという手法で、比較的自然な歌声を作り出している。初音ミクの場合は藤田咲さんという声優の声が歌声を発生させるためのデータとして使われている。しかし、ユーザーの間では、「自分の好きな声優の声で歌を歌わせたい」という欲求が存在する。

 欲求の赴くところ試行錯誤も存在するわけで、初音ミクの登場以降、一部ユーザーが好みの声優の音声データを切り貼りして、歌わせるという試みにチャレンジしはじめた。例えば「歌う」という言葉ならば、1)どこかからその声優が「歌う」と発音しているデータを見つけてきて、デジタル的に音の長さや音程を整える、2)「う」「た」「う」と3つのデータを用意してデジタル的に音程と音長を整形してつなぎ合わせる——という作業を延々と繰り返すわけだ。

 恐ろしく手間のかかる作業だが、同じ「あ」でも、様々な表情を持つ「あ」を吟味し、選ぶことができる。限られたデータから歌声を生成するボーカロイドよりも、実際の歌声に近い歌を作り得る可能性がある。

 で、現時点での成果がどんなものかというと…


 これがつぎはぎで作られた人力ボーカロイドだと信じられるだろうか。
 初音ミクによるニコ動100万アクセス超えのヒット曲 「ブラック★ロックシューター」:(Supercellという音楽集団の作品)。それを、ハロPが「アイドルマスター」の登場キャラクターの一人、高槻やよいの音声を切り貼りして人力ボーカロイド化。さらに矢夜雨Pが、キャラクターの画像を入れてビデオ化したものだ。
 高槻やよいの声は、仁後真耶子さんという声優が演じているが、この人が「ブラック★ロックシューター」を歌ったことは(多分)ない。この曲は高槻やよいを演じる仁後真耶子さんの声をサンプリングし、切り貼りして構成されている。それで、ここまでできてしまうのだ。


 こちらは、同じく「アイドルマスター」のキャラクターである秋月律子の声を切り貼りしてacousticPが音源を作成、それにヤマネコPが映像をつけたもの。もちろん秋月律子の声を演じる若林直美さんが歌ったわけではなく、その声をサンプリングして切った貼ったで作り上げたわけだ。
 すいません、私、冒頭の「ハイはーい、りっちゃんですよ〜」という声でけっこうくらっと来ました。


 これまた秋月律子の声の切った貼ったで、ニコ動屈指のヒット曲「メルト」を歌わせたもの。


 これは、同じく「アイドルマスター」のキャラ、菊池誠…じゃない菊地真の声を切り貼りして作成したもの。ちなみに「鳥の詩」という曲は、「AIR」というゲームのテーマソングで、年若きオタク達の間で圧倒的な支持を得ている。
 私は歳若き友人から、初めて「『鳥の詩』がいいんですよ!」と聞かされた時、「なんで、パブロ・カザルスが弾いた『鳥の歌』が、現代日本で若い連中に受けているんだ??」とびっくりしたのであった。いうまでもなく、後者はチェリストのカザルスが帰るに帰れぬ(当時フランコ政権でしたからね)スペインへの望郷の念を込めて演奏したカタロニア民謡です。


 こちらは、「アイドルマスター」の星井美希というキャラクターの声で構成した、ニコ動ヒット曲。

 ユーザーの莫大な手作業が、ある面では専用ソフトウエアである初音ミクの表現力を超えた結果を生み出しているわけで、これはまったくもって面白い現象だ。

 しかし、これらの動画像のもっとも恐ろしい点は、その完成度ではない。ユーザーがせっせと手で行っている作業が、将来的にはパソコンのプログラムで代替される可能性があるということである。現在でもすでに、いくつかの人力ボーカロイド作成を支援するソフトが出回っているが、最終的には歌詞を入力すると、自動的に大量の音声データから、当該人物の声色で歌を作成するソフトウエアができるであろう。

 そうなった場合、悪用の方法も色々考えられる。ひょっとすると電話の音声通話などは、もっとも信用ならないコミュニケーション手段として衰退するかもしれない。歌手や声優などは、まさに「声を盗まれる」可能性すら考えられる。

追記(2008.1.1)

 とかなんとか言っているうちに、こんなものまで出現しているのに気がついた。Perfumeの歌声を切り刻んで、新たな歌詞を歌わせてしまっている。もちろん生身の三人はこの歌詞を歌っているはずはないのだ。

2008.1.3追記
 この動画の音声は、Perfumeの歌声の切り貼りではなく、ボーカロイドの声にエフェクトをかけたものだ、という指摘があった。あるいはそうかも…だがそうだとすると、今度はPerfumeの歌は、Perfumeが歌うということには意味が無くボーカロイドで代替可能ということになる。


 とはいえ、私としては楽しい未来を考えたいところだ。例えばあれこれ残っている田中角栄の演説の音声データを使ってバーチャル角栄ロイドを作り、「びゅわーん、びゅわーん、は・し・るー、走るひかりの…」と歌わせるとか。

 ところで、このようなシミュレーションの精密化を目指す方向とは別に、ニコニコ動画には、SofTalkという音声読み上げソフトで棒読み音声を楽しむという行き方も存在する。「棒歌ロイド」というタグがついているので、色々検索すると面白い動画に行き当たるだろう。


 棒歌ロイドのとんでもない傑作。聞いているとへにゃへにゃと全身の力が抜けていく。厨房的発想ではあるが、今まさに、この歌をイスラエルの首脳部に聴かせたいと思ってしまう(「ゆっくりしていってね」って、ヘブライ語ではどう言うのだろうか)。

 まあ…「表現は技巧につれ、技巧もまた表現につれ。しかし技巧は表現にあらず、技巧に過ぎぬ」…ということで。



 ところで今回のタイトルは、もちろんフィリップ・K・ディックの本歌取り。「さえずり機械(Twittering Machine)」というのは、1980年代に作曲家の吉松隆氏が提唱していた「すべての鳥の歌声をサンプリングして、ありとあらゆる声でさえずるデジタルバード」
というコンセプトからの引用である。

 同コンセプトに基づく作品としては「デジタルバード組曲」「ランダムバード変奏曲」などがある。「デジタルバード組曲」は、このCDで聴くことができる。若き日の吉松作品は、どこを切っても血が出るぐらいの真摯さがほとばしっている。「デジタルバード組曲」も傑作だ。どこか孤独でひねくれた「鳥恐怖症」から始まり、愛らしく美しい「夕暮れの鳥」、幻想と怪奇の「さえずり機械」、メカニカルな「真昼の鳥」と続き、ラストの「鳥回路」では音楽が感傷を引きちぎって疾走する。


2008.12.29

ますますニコ動にはまるのだ

 野尻さんのアピールに乗せられて、ニコニコ動画のプレミアム会員になった。快適な回線容量が確保され、ますますニコニコ動画にはまり込むのである。

 以下、今年秋以降にアップされた/見つけた、面白かった音楽系動画を。初音ミクもそれ以外もごっちゃになっています。


 今年後半もっとも衝撃的だった作品。鉄風Pの曲に機能美Pがビデオを付けたコラボレーション作品だが、音楽と映像の両方とも斬新、かつ両方が組み合わさってさらに素晴らしい。間違いなく、ニコニコ動画がなければ現れることがなかった作品だろう。
 鉄風Pの音楽そのものが「変拍子を基調にしたモーダルな仏教ロック」というショッキングなものである上に、ビデオもタイポグラフィの限界に挑むような高品位。10万アクセス突破は当然だ。

 作中に頻出する女の子のシルエットは、実は「M@STER FONT」というフォント。ナムコが販売しているゲーム「アイドルマスター」に登場する女の子達のシルエットを文字フォント化したものだ。
 この「アイドルマスター」の映像を加工したビデオ画像は、ニコニコ動画で一大勢力を形成している。というよりもこのゲームの人気はニコニコ動画に投稿されるユーザーが作成したビデオ(パロディ的な内容が多いので「Mad」と呼ばれる)なくして考えられない。


 その「M@STER FONT」のプロモーションのために作成されたビデオ。これまたとんでもないセンスの発露で、感心するしかない。


 萌え声サンプリングミュージック、と一言で片づけるにはあまりに良くできた逸品。もとはMusicMakerというドイツ製の音楽ソフトに、輸入元が声優さんの音声サンプルを付けて萌えパッケージで出荷したもの。その音声サンプルをいじくって一曲に仕立ててしまった。
 サンプリングミュージックは繰り返し一辺倒になってしまいがちだが、この曲は繰り返すフレーズと繰り返さない一回限りのフレーズとのバランスがすばらしい。音楽とは、繰り返しとその時一回限りの出会いを駆使して聴き手の記憶を操る技法なのである。


 脱力ロックが楽しい長靴Pの新作。そうか、長靴Pは実は絵もうまかったんだと見入ってしまう。イラストも音楽も歌詞も、そしてギター演奏もほどよく力が抜けていて、なおかつ脱力しきっていない。いいねえ。いいなあ。


 以前、音女-オトメを紹介したまうPの作品。軽やかなピアノとフランス風の和声が快い。ミクの声も、べーゼンドルファーのサンプリング音も曲の雰囲気に実によく合っている。本当にこの人は、心にすとんと落ちる曲を書く。


 そもそも人間の声と言うには表情がどうしても乏しい初音ミクに、極限までの表現力を要求するワーグナーを歌わせるというのは無謀そのもの。しかし、無謀の行為を通じて見えてくるものもあることも事実だ。
 この調子で技術が進んでいけば、ボーカロイドを組み合わせてオペラを歌わせ、MikuMikuDanceで3Dモデルに演技をさせて、たった一人でバーチャルオペラを作り上げる事も可能ではないかと夢想してしまう。
 そのためにはもう少しボーカロイドの種類が増えないとなあ。せめて男声のバス歌手は欲しいところ(需要があるかどうかというのは難しいところだろうが)。


 と、思ったらまうPの新作はオペラ風の曲だった。曲はできるな。後は、これにMikuMikuDanceで動きを付ける人が出てくるかどうか。


 私はいいと思うのだけれど、なぜかアクセス数が伸びないトゥルララPの最新スキャット曲。どこかYMOを思わせるクールで落ち着いた雰囲気だが、こういうのはニコニコ動画のメインユーザーには受けないのだろうか。「尻P」こと野尻抱介さんは「ラノベ感性が足りないんじゃないでしょうか」と分析していた。「ニコニコ動画のユーザーは若いので、ラノベっぽい感性がないといかんのでしょう、『メルト』とか」。そうかもなあ。
 その割にかなり年配のPも多いようなのだけれど。


 ボーカロイド一家が歌う武満徹。無伴奏合唱曲もなかなかいい。
 武満は、感性の根本部分に多量のポップス成分を抱えていた。それが良く分かる佳品。ほろっとくる緩やかな暖かさに満ちた曲だ。「こどものころをおもいだした」というあたりの和声は古いアメリカンポップスの匂いがする。
 「風の馬」、私も聴きたいです、アビヨヨ←作者の方。


 おそらくもっとも有名な現代詩であろう谷川俊太郎「二十億年の孤独」に木下牧子が曲を付けた合唱曲。現代日本の合唱曲の指標的な作品だ。武満作品は、表面的な親しみやすさとは別の演奏のしにくさがあるのだけれど、この曲は特に訓練を受けていない中学生から高校生が歌うことを前提に、色々と歌いやすくなる工夫が盛り込まれている。なおかつ音楽として中高生が興味を持てる曲になっているのは、まさしく「プロの仕事」だ。


 強烈な鬱曲を、精力的にアップしているネガティブPによる、「すげーコワイクリスマスの曲」。映画「シャイニング」の映像あたりと合わせたら、全世界でクリスマスが中止になりそう。